成樹×竜也
遠泳と離岸流
もう9月だというのにシゲは「海に行けへん?」と言った。
もう9月なのだから「もう9月だぞ」と俺が言うと、
「8月と同じくらい暑いのに9月になったら海に行けへんなんて、たつぼんはステレオタイプやな」
なんて笑うので、かちんときたから海に行くことになった。
でもどこかで仕組まれてたことくらい分かってる。
近場の海水浴場に人は疎らだった。
疎らない人を遠めに眺めて「ああ、こいつらシゲに似てるな」と考えていると、早速荷物を降ろしたシゲが泳いで来ると言い出した。
肝心なところでこいつは俺を誘わない。
海に行こうとは言うけれど、一緒に泳ぎに行こうとは誘わない。
俺は「行って来いよ」と手を振った。
その後で「誰かが荷物番しとかなきゃ物騒だろ」と付け足す。
シゲは笑ったような笑わないようなそんないつもの表情だけを残して、海へと入って行った。
その足跡が波に浚われたとき、俺ははじめて後悔をした。
その背が波に消えたとき、俺ははじめて胸を痛めた。
「行くなよ」と言わなかったからの後悔なのか、「俺も一緒に行きたいんだ」と言えなかったからの胸の痛みなのか、そんなことさえも分からない後悔と胸の痛みなのか、俺はシゲの消えた海をただ立ち尽くして見詰める。
シゲは当たり前だが帰ってきた。
そりゃ帰って来るだろう、だってここには財布やら携帯やら煙草やらが置いてあるのだから。
俺は座ったまま濡れた髪を鬱陶しそうに掻き上げながら帰ってきたシゲを見上げた。
シゲは「泳ぎに行けへんかったん?」とタオルを手に取り問うてくる。
俺は「行かなかった」と答えた。
それから「俺まで泳ぎに行ったら荷物が盗まれるかもしれねえだろ」と付け足す。
シゲは笑ったような笑わないようなそんないつもの表情。
おれはかちんときた。
「帰って来るの、遅いんだよ、お前は」
隣に腰を下ろしたシゲを見ないで言う。
「そうか?」と惚けるので、いや、もしかしたら本当に遅くなかったのかもしれないけれど、俺はシゲの俺へと向かって残されている足跡を見て言う。
「溺れて死んでるんじゃないかと思った」
「…あのなあ」
シゲは何事かを言いたそうだったが、俺はそれを聴かなかった。
「テレビとかでよく言ってるだろ、離岸流に浚われたら戻って来れないとか」
そう付け足す。
だけどシゲは俺の付け足しなんていつも聴いちゃいない。
聴いてる振りをしてくれているだけ。
そう分かっていても俺は付け足すことを止めれない。
「くそ」と俺は立てた両膝の間に顔を埋めた。
ちくしょう、シゲみたいに髪を伸ばしてりゃ良かった。
そしたら顔を隠せるのに、今の俺の髪じゃ中途半端に隠すだけ。
それでも俯く俺にシゲは言った。
「そやけど帰って来たやん」と言った。
「知ってるよ」
俺は呟く。
お前が今隣にいるからお前が帰ってきたことくらい分かってる。
でもお前が隣にいないときには、お前が帰って来るかどうかなんて分からない。
財布も携帯も煙草も、俺も、お前にとっちゃさして重要なものじゃない。
お前はきっと代わりを見つけてしまう。
「そやけど帰って来たやん」
シゲは俺を慰めた。
俺はそれ以上ぐちぐち何かを言うのも嫌だったので、かっこわりぃし情けないから嫌だったので、何も言わなかった。
「そやけど帰って来るで」と本当は言って欲しかったなんて、言えない、言わない。
ずっと一緒にいれないことも、ずっと一緒には行けないことも、お前の一度も振り返らなかった背中を見たときから知っている。