にいさんはねこ!



■兄さんは忍猫?

 うちはイタチが猫になった。
 これは木ノ葉やうちはを脅かす極秘事項だと判じたおれは朝一番で五代目の許へ陳情に赴き、事情は伏せて今日と明日は兄さんは病欠ということにしてもらった。
 今日明日はたまたま急ぎでない、先日兄さんが片付けたという厄介な案件の残務処理の内勤だったことも功を奏した。
 問題は兄さんについての根回しで時間が足らず、代役を立てられなかったおれの任務だ。
 まさか猫になった兄さんを家に置いて行くわけにはいかない。
 万が一、うちはの後継ぎとして兄さんに並々ならぬ期待を掛ける父さんがこんな兄さんの姿を見でもしたら、卒倒するだけでは済まないだろう。幼い頃、火遁の術がなかなか上手くできなかったおれへの落胆の比ではない。
 おれは五代目の許から家へ戻ると、兄さんとの諍いの原因でもある任務の仕度を手早く整え、おれのベッドのタオルケットで丸まり二度寝を貪っていた兄さんを揺り起こした。
「おい、兄さん。起きろ。任務だ」
「に?」
 億劫そうにくわぁと欠伸をし、伸びをする兄さんからタオルケットを奪い取る。
「ああ、そうだ。アンタも来るんだ」
 家に置いておけないなら、これしか方法はあるまい。幸い、今日の任務は里の周辺を荒らす盗賊どもの討伐と捕縛で、さほど難しいものではない。
 おれは玄関から持ってきたサンダルをベッドに腰掛けた兄さんに履かせてやりながら、まずはこの家を脱出する手筈を伝えた。さっき偵察したところ、父さんはすでに警務へ行ったが、母さんは庭で洗濯物を干していた。遭遇する率は非常に高い。こんなことになるとは思わず、おれが任務へ行くことは昨日の内に伝えてしまっていたから、玄関まで見送りにやって来る可能性も考えられる。
「いいか、アンタは窓から出るんだ」
 言って、窓を指差す。しかし、それだけでは分かりにくいかと思い直し、実際に窓枠を乗り越える振りをして、こうするんだぞと教えた。
 猫になったとしても、いや猫だからこそ、これくらい造作もないはずだ。兄さんも任せておけとばかり頷いた。
「にゃおにゃお」
「よしよし。じゃあおれは玄関から出る。合図があるまで屋根で待機していてくれ。分かるか?猫に通じるかは知らんが、待て、だ。な?人がいないのをおれが確認したら、下で落ち合おう」
「にゃん」
 猫になってもさすが兄さんだ。物分りがよくて助かる。
「それから、兄さん」
 最後に最も大切なことをおれは兄さんに厳命した。
「約束してくれ。ここを出たら、一切そのにゃおもにゃんもなしだ。もちろん、毛繕いも顔を洗うのもなしだ。いいな?」
 もし兄さんがにゃんと鳴くところを他の誰かに見つかりでもしたら、それはうちはイタチの名誉に関わる。毛繕いなど以ての外だ。絶対に避けなければならない。
 兄さんはおれの真剣な眼差しに、分かっているのかいないのか、大いに首肯して「にゃあ」という返事を寄越した。
 確かに先程おれは「にゃあ」は禁止しなかった。
 猫になっても兄さんの性格は直らなかったらしい。


■ファイブマンセル?

 里の通りにある集合場所に行くと、すでにナルト、サクラ、カカシの七班が揃っていた。
 遅刻癖のあるカカシより遅れてしまったのは、思いのほか家や集落からの脱出に手間取ってしまったからだ。集落を出る寸前、物陰に潜みながら密かに前進していると、突如現れた煎餅屋の女将に「サスケちゃんは今もイタチちゃんと忍ごっこをするのかい。楽しそうだねえ」と言われ、大恥をかいた。
 ともかく、おれは七班の面子を前に兄さんを紹介した。
「というわけで、イタチがどうしてもおれの任務姿を見てみたいってうるせーから、今日だけは仕方なしに連れてきた。悪いが、任務に同行させてもらうぞ」
 そう言うと、サクラがカカシを、カカシがナルトを見遣り、それぞれ顔を見合わせた。
「そりゃあ…」
「まあイタチなら機密を漏らすことも足を引っ張るってこともないだろうけど」
「けど、イタチ兄ちゃん、どこにもいないってばよ、サスケ」
「えっ」
 ナルトの指摘におれは慌てて背後を振り返る。
 すると、そこにいたはずの兄さんはおれたちから少し離れた甘味処「甘栗甘」の暖簾の前で中の様子をじっと窺っていた。
 物欲しそうにしてんじゃねー!
「兄さん!」
 おれは瞬身で兄さんの許まで駆けつけ、未練がましく「甘栗甘」の宇治金時を見つめる兄さんの手を引いて七班のところへ戻る。
 しかし、まさか犬のように首輪をして紐で引くわけにもいかない。そこで、兄さんの手をがっしりと掴み、勝手に何処へも行けないようにする。兄さんは痛いのか、渋面を作るが、知るかよ、そんなこと。おれの手を振り解こうとする兄さんの手を、おれはそうはさせじと骨がぎちぎちと軋むほど力を入れて握り締めてやった。
 改めて七班に向き直る。
「というわけで、話が途中になったが、見ての通り、どおぉぉしても兄さんが付いて来たいって朝からうるせーんだ」
 すると、またもサクラはカカシを、カカシはナルトを見遣って、それぞれ顔を見合わせて首を傾げる。
「あのねえ、サスケくん…」
「お前、見ての通りって言うけど」
「どう見ても、お前がイタチ兄ちゃんにどうしても付いて来てほしそうに見えるってばよ」
「えっ」
 ナルトの再びの指摘におれは内心、慌てた。うすらとんかちずにしては鋭い。確かに猫になった兄さんを家に置いては行けないと、連れてきたのはおれなのだ。
 だが、ここでこちらの事情をたとえ旧知の七班の連中だとしても、悟られるわけにはいかない。おれは白を切り通すことにした。努めて平常心で肩を竦めて見せる。
「は、はあ?べっ、べつにこの歳になってまで兄貴に付いて来てほしくなんかねーよ。ったく。お前らなに言ってんだ?くだらない勘違いをしやがって」
「…ということは、小さな頃は付いて来てほしかったのか」
 ぼそりとマスクの下で呟くカカシには「うるせーぞ、カカシ」と言っておく。
 そういえば下忍に成りたての頃は忍になったおれの姿を兄さんに見てほしくて、そう思っていた時期もあった。しかし、まさかこんな形であの頃の望みが叶うとは、複雑な思いだ。
 賑やかな往来の端に佇む七班に次第になんとも言えない沈黙が漂い始める。その雰囲気を破ったのはナルトだった。にっかりと笑い、兄さんに右手を差し出す。
「まっ、まあ、ともかくイタチ兄ちゃん、今日はよろしくだってばよ!」
 が、おれは咄嗟に兄さんとナルトの手の間に割って入った。もちろん、兄さんとは手を繋いだままだ。
「ナルト!てめぇ、おれの兄さんにおれの許可なく勝手に話かけるな!」
 今兄さんに話し掛けられでもしたら、うっかり兄さんが「にゃあ」と答えてしまうかもしれない。
 だが、「えぇ…」と明らかに困惑した様子のナルトにおれは心中しくじったと舌打ちをする。こんなあからさまな反応をしてしまっては、イタチの異変に勘付かれる可能性がある。
 こいつらにおもねるのは癪だが、仕方がない。おれは不承不承、不得手な愛想笑いを頬肉を痙攣させながら浮かべた。
「あ、いや…その…イタチは今日は風邪で喉をやられて喋れねえんだ。悪いな」
「それなら、イタチさんは家で休んでおいた方が…」
「ていうか、そもそも声が出ないんじゃ任務を見に行きたいってうるさく言うのも無理じゃないの?」
「サスケェ…」
 三人それぞれの視線が集中的におれに突き刺さる。
 おれは冷や汗をだらだらと背に流しながら、兄さんの手を握り締めた。
「ともかくだ。イタチに話があるなら、必ずおれを通してくれ」
 すると、隣で猫の兄さんがおれに同調するようにふんふんと三人に頷いて見せた。
 三人はそれで兄さんが本当に喋れないということに納得したのか、それとも任務の時間が迫ってきたからなのか、カカシの「ま、いいんじゃない」の一言をきっかけに、三々五々里の門の方へと歩き出した。
 おれも兄さんの手を引いて後に続く。
 七班と兄さん。ここに奇妙なファイブマンセルが結成された。


■ないてもいいよ

 里からおれたち七班に下された任務は、このごろ木ノ葉の周辺を荒らし回る盗賊団の討伐と捕縛だった。
 とはいえ盗賊団は小規模なもので、奴らが根城にしている場所も既に割れている。通常なら上忍のカカシと中忍のおれたちで構成される七班が出張るまでもない任務だが、事前にもたらされた情報では手練れの忍が幾人が紛れているらしい。また、彼らが根城にする場の地形上ナルトが適任だろうということで今回はナルトを擁するおれたち七班にお鉢が回ってくることになった。
 道中、奴らの縄張りに入る前に各々の手筈を確認し合う。
 おれとナルトが前衛を、サクラが万が一の新手に備えて後方支援と遊撃を、そしてカカシが同じく後方支援と全体の指揮を務める。何度も繰り返してきたおれたち七班の陣形、十全の布陣だ。
 兄さんについては少し悩んだが、おれとナルトに同行させることにした。おれの任務を兄さんがどうしても見たいという建前で連れてきたのだから、ここで後方へ下げるのは矛盾を生んでしまうことになる。それにおれの不在時に出るかもしれないぼろを防ぎたかった。
 猫になってしまった兄さんが今の自らが置かれている事態やこれからの任務をどこまで理解しているのかは分からない。だが、兄さんはおれたちがそれぞれの配置を確認している間、自分も忍猫にでもなったつもりなのか、輪の後ろでふんふんと熱心に話を聞いていた。
 後衛のカカシ、サクラと別れ、おれとナルトは更に木々を伝って件の盗賊団の根城があるという山の中腹を目指す。兄さんはさすがは猫といったところで、移動の速さや木々を飛び移る身のこなしはおれたちに全く引けを取らなかった。
「サスケ」
 前を行くナルトの足が止まる。おれもその隣の木の梢に兄さんとともに音もなく降り立った。
 眼下には高い林立に身を潜めるようにして数戸のあばら家が山の傾斜に密集している。彼らは山賊よろしく山の中に盗人の集落を築いていた。
 里からおれたちに下された命令は奴らの一網打尽だ。この逃亡に打って付けな地形から一人でも捕り逃がすことは許されない。まずは集落を隙間なく囲む必要がある。そこでナルトの術というわけだ。
 おれとナルトは互いに頷き合って状況を開始した。
「じゃあ、先に行ってるってばよ、サスケ!」
 多重影分身の術の印を結びながら、ナルトが梢から飛び立つ。
 ナルトの影分身が集落を囲んだら、おれも行かねばならない。
 おれはその場に片膝を着き、状況を見守りながら同じくしゃがんだ隣の兄さんを振り仰いだ。
「兄さん」
 敵に接近したこんなところへ今の兄さんを置いていくのは不安しかない。しかし、これ以上兄さんを連れていくわけにもいかない。ここからは戦闘に、近接戦になる。
 おれは自身の装備から一振りの苦無を抜き、兄さんに手渡した。起爆札付きのものだ。だが、猫になった兄さんは受け取った苦無を前に不思議そうな顔をする。
「お守りみたいなものだ」
 おれは兄さんに言った。普段の兄さんならたとえ丸腰で敵の襲撃に遭ったとしても、体術に忍術、写輪眼の幻術を駆使して、易々とその身一つでどんな状況でも切り抜けられるだろう。が、今はそれを望むべくもない。
 苦無を渡したところで仕方がないことも分かっている。ただどうしても丸腰の兄さんをここへ置いてはいけないおれのお守りみたいなものだ。
 集落の外ではナルトの包囲網が完成に近づく。おれは残された短い時間で兄さんに言い聞かせた。
「いいか。何があっても戦おうとするな。敵が来たら、そいつを投げて、相手が怯んだ隙に逃げるんだ。分かったか、兄さん。頼むから今回ばかりはおれの言うことを聞いてくれ」
 すると、兄さんはおれが鳴くなと言ったことを真面目に守っているのか、ふんふんと頷いて見せた。それはきっとおれの言うことを聞いてくれるということでもあるのだろう。
 なんだか通じ合っているようで嬉しくもあり、離れるのが心配で名残惜しかった。「兄さん」ともう一度言う。
「ないてくれてもいい」
「…にゃ?」
「ああ、そうだ。兄さんに何かあったら、おれが駆け付けるから。だから、兄さんはないてもいいんだ」
 兄さんが猫になってしまったことを隠し通したところで、肝心の兄さんに何かあったら意味がない。
 おれは兄さんに大きく頷いて見せた。
「何があってもおれが絶対守ってやるからな」
 兄さんがひとつ瞬く。
 それから口許に微笑を浮かべた兄さんにちょいちょいと手招きをされた。何かと思い顔を寄せると、突然、頬と頬をこすり合わされた。
「……!」
 思わず跳び上がって後ずさる。
 咄嗟に声を我慢したのは上出来だったが、なにせ狭い梢でのことだ。おれの尻はそのまま木の枝を踏み外し、真っ逆さまに落下した。
 くそ!と舌打ちをし、体を回転させて体勢を整える。その最中、上方を見遣ると、兄さんはのんきに木の枝に寝そべり、「早く行け」とばかりひらひらとおれに手を振っていた。
 くそ兄貴がァ!
 そう思う反面、おれの任務の仕度にあれこれ口出しして煩かった兄さんは、ただただおれの身を案じてくれていただけなのだとそのとき初めて気が付いた。


<つづく>