2-2_真昼の中、



 サスケを連れ、イタチが戻ったのは森の外れにある小さな集落だった。
 材木を組み合わせただけの簡素な門を潜り、人も疎らな村の内に踏み入る。住人はすぐさま余所者のサスケに目を留めたが、隣にいるのがイタチだと認めると、みな足早に立ち去って行った。
 何処かしら異質な雰囲気漂う村の様子に気付かないサスケではない。先を行く兄の傍らに追い付いてくる。
「ここは」
「おれたちの今の塒だ」
 木ノ葉の結界、その端にひっそりと拓かれたこの村は一見すれば何処にでもある寂れた村の一つだ。だが、有事とあらば里の防衛拠点に、あるいは同じようにして造られた里の周囲に点在する村々を繋いで、里と最前線とを結ぶ補給路ともなるよう木ノ葉の密命を負っている。当然、村人に見える老若男女はみな拠点防衛、後方支援の任務を負った木ノ葉隠れの忍たちだった。無邪気に忍遊びに興じる子供たちですら、アカデミーにこそ通っていないが、親から忍の教えを受けている。
 その子供らの内の何人かがイタチを見つけて、わっと歓声を上げた。駆け寄ってくる彼らにあっという間に囲まれ、体術や忍術を教えてくれと口々に頼まれる。が、イタチはサスケを目で示し、今日は連れがいると断った。
「いいのか」
 肩を落とした子供たちを後ろに振り返りながらサスケが言う。
「元より時間のある時だけの約束だ」
「じゃあ時間があればアンタはここで教官の真似事をしているのか」
 訊ねられ、イタチはふふと微笑った。
「そんな大層なものじゃないさ。ただ時々アカデミーの初めでするような術の基礎を見せて教えてやっている。おれもせがまれると昔から弱い」
 すると、サスケは「ふうん」とだけ返事を寄越した。興味がないという風ではない。何処か含みを持っている。
「なんだ、お前。まさか拗ねているのか」
 幼い頃のサスケもさっきの子供らのように何度もイタチに教えを乞おうとしてはその度にまた今度だと袖にされ、むすりとしょぼくれていた。その頬の膨らみが今隣を歩くサスケの頬に重なる。
「そんなはずないだろ」
 と弟は鼻を鳴らすが、果たしてどうだか。
 だが、それ以上は意地悪をせず、イタチはサスケを村で唯一の宿屋へと案内した。暁との戦線が開かれて以来、宿は暗部が丸ごと借り上げ、隊員らの仮宿舎としている。
 宿の主人に声を掛け、階段を上る。途中、誰とすれ違うこともない。みな任務に出払っているか、夜の番に備えて仮眠を取っているか、そのどちらかだった。
「なあ」
 とイタチの後を付いて上るサスケが声を上げた。
「うん?」
「アンタ、こんなところで飯はどうしているんだ」
 宿を値踏みするよう見回したサスケが不思議に思うのも無理からぬことだ。宿舎はいかにも安宿然としていて、部屋で自炊の煮炊きなど出来ないと思ったのだろう。まさにその通りだ。だが、さして不自由はしていない。
「一階には食堂があるし、差し入れをもらうこともある」
「差し入れ?」
「忍術を教えた子の親が持って来てくれる。だが、そろそろ母さんの味が恋しいな」
「…それなら早く帰って来ればいいだろう」
 イタチの何の気なしの一言にサスケが独りごちるようにぽつりと呟く。イタチはそれをいいことに聞こえない振りをして、流した。
「ここだ」
 一枚の木戸の前に立ち、鍵を開ける。
 分隊長のイタチには最上階の三階、角部屋が宛がわれていた。が、中は他の部屋と変わらない。あるのは備え付けのベッドとクローゼット、それにテーブル、水差しやグラス、あとは書き物をするための筆や紙、書物くらいで、サスケを先に通すと、彼は何に興味を引かれることもなく真っ直ぐに奥の窓へと向かった。
 掛けていたカーテンを開け、外の左右をまずは窺う。宿の位置や襲撃点、脱出路を確認したくなるのは忍の性だ。イタチも理解している。だが、暁と交戦状態にある今の配置を暗部でないサスケにあまり見せるわけにはいかない。同郷の、それもサスケはイタチの弟ではあるが、ここでの彼は部外者であり余所者だ。イタチがここへサスケを連れて来たことも既に幾つかの規定に抵触している。
 イタチは強い西日を遮る振りでサスケ越しに窓のカーテンを引いた。
 自ずと体と窓の間にサスケを挟み込む形になる。その狭さにサスケがふっと息を詰めるのが彼の肩の僅かな上下で分かった。体ごと振り返り、互いの体が触れ合うほど傍にいる兄をサスケは揺れる眸で見上げる。
 三ヶ月前、兄に体の関係を迫った弟はたったこれだけの接近にひどく居心地を悪くしていた。助けを求めるように「兄さん」と小さく身動ぐ弟を、けれどイタチは遮った。
「誕生日」
「え…」
「お前の誕生日に帰れず悪かった」
 言うと、一瞬目を開いたサスケはふいと視線を下に逸らせた。もうそこくらいにしか彼の逃げ処はない。
「毎年のことを何を今更。それにおれはもうガキじゃない。誕生日なんかどうだっていい」
「だが、おれはお前の傍にいたかった」
 特にサスケが十六になる今年だけは、どうしても。
 イタチは俯く弟の顎を取った。無理に上を向かせる。
「あ…兄さん…」
「サスケ」
 サスケの眸は一時よりも随分と落ち着いて見えた。あれだけ酷かった隈ももうない。
 目許だけのつもりが、その頬にも指先がつと触れた。森の中で庇うために抱いたサスケの匂いと温もりが今再びイタチの腕の中にある。
「兄さん…」
 イタチは答えない。ただ弟の困惑する眸に映る自身の姿が少しずつ大きくなっていく。
 だが、すんでのところでサスケがイタチの胸に手を突いた。
「兄さん…ここは窓辺だ…」
 と顔を横にし、正論で兄を押し返そうとする。確かにカーテン越しとはいえ誰に二人の影を見られているか分からない。そのうえ暁の襲撃がいつあるとも限らない現状、こちらの動きが見て取れる窓際はサスケの指摘する通り、危険には違いなかった。
 だが、一方でそれがどれほどのものかともイタチは思う。
 それでも、イタチはサスケから離れた。まだ他にしなければならないこともある。イタチは扉へ向かいながら、密かに安堵の息を吐いていた弟に声を掛けた。
「サスケ。おれはまだ少し残務がある」
 夜番への申し送り、各隊や木ノ葉への報告、森の配置の再検討、それにサスケを森で襲った暁の始末のこともある。
「おれが戻るまで、お前はここで待っていろ。部屋にあるものは好きに使ってくれて構わない」
 言外に勝手に部屋を出るなと言い含める。準戦時下にあるこの村はみな警戒心が強い。余所者のサスケを外に出し、徒に村民や暗部隊員を刺激することもあるまい。
 サスケもその辺りの事情は察しているのか、素直に「分かった」と頷いた。それでイタチも幾らか頬を緩める。思えばサスケとこうして私的に向かい合うのは久方ぶりのことだった。積もる話も、他愛のない話もある。
「戻ったら夕飯にしよう。大したものはないが、久しぶりにお前の話が聞きたい」
「…ああ、そうだな」
 だが部屋を出ようとしたところで、「兄さん」とサスケの声に引き留められた。「どうした」と振り返ると、そこにはカーテンの隙間から差し入る夕陽に伸びるサスケの影があった。けれど、その影は扉のイタチまでは届かない。サスケは今からこの部屋に独り取り残される。他でもないイタチがそうするのだ。
「いつ帰って来る」
 そうサスケに訊ねられ、決して顔には出さないが、イタチの胸は痛んだ。弟の声音はあの夜と同じ、今にも堰を切ってしまいそうな切なさを帯びていた。
「夜には戻る」
 答えるが、何も言わないサスケにイタチは言葉を重ねた。
「許せ、サスケ」
 すると、僅かに空虚がある。
 それからサスケは彼自身の影を見つめた。
「…おれがアンタを許さなかったことなんかない。おれはいつだってアンタを許している」
 西の空を焦がす夕焼けがサスケだけが佇む部屋を赤く染めていく。それは灰さえ残さず燃え尽きた木ノ葉からの通達書をイタチに思い起こさせた。
 長い日が終わろうとしている。