第14難



 七日間の国外滞在任務を終えイタチが集落の家へ戻ったのは、長い夏の日もいよいよ山向こうへ落ち始めた夕焼けの頃だった。
 シャワーも着替えも既に暗部本部で済ませていたため、両親に一声挨拶をし、背負っていた荷物を持って二階へ上がる。起居の場はずっと以前に深夜でも出入りをし易い一階へと移しているが、十二まで使っていた二階の自室は今も物置代わりにおいてある。四人で暮らすには広い、昔ながらの家だ。二部屋を好きに使おうと黙認をされている。
「…サスケ?」
 扉に手を掛け、イタチは気付いた中の気配の名を呼んだ。
 戸を開く。
 果たして弟のサスケはそこにいた。窓際、部屋の端に寄せたベッドの上に片腹をついて巻物を広げている。彼がこの部屋に入り浸るのはよくあることで、かつてイタチが収集をした書物巻物の類いやそれらを書き纏めたものを暇を見つけては読み解いているらしい。
 知識欲が旺盛であるのは好ましいことだ。そう思うイタチは、彼が勝手にこの部屋へ入ることを咎めたことはない。サスケもそれを分かっているのか、最近では特に断ることもない。
 だが、ベッドに上がっているのは意外だった。持ち込んだらしい足元の今は丸まったタオルケットを見るに、この部屋で寝起きまでしているのだろうか。
 サスケはのそりと体を起こした。見つかってしまったか。そんな少々ばつの悪そうな顔をする。
「帰ったのか」
 早かったな、と言う。
 イタチは部屋の隅に荷を置いた。洗い物は先に脱衣場の籠に入れてきてある。あとは忍具の手入れをするだけだ。が、先程顔を出した台所の様子では荷を解き忍具を広げたところでちょうど夕飯に呼ばれるに違いない。後回しにする。
 代わりにサスケが眺めていた巻物を取り上げた。やはりそれは昔イタチが手に入れたものだった。懐かしいと目を細めたところで横手から返答に焦れたサスケの声がかかる。
「十日は掛かる任務じゃなかったのか」
「…誰から聞いた?」
 任務について話した覚えはない。であればこの弟は何処からか情報を仕入れて来たのだろう。
 サスケはふんと鼻を鳴らしベッドを降りた。イタチの手から取り返した巻物をくるりと巻く。どうやら情報源を漏らすつもりはないらしい。問い詰めたところで口を割ることもないだろう。彼も忍だ。後日他に探りを入れるしかない。
 イタチは話題を変えることにした。サスケが降りて皺が出来たシーツを見遣る。
「お前、ここで寝起きをしていたのか?」
 それもまた先程からの疑問だ。こればかりは彼自身に問うしかない。素直にはきっと吐かないだろうから、引っかけてやる。
「まさかおれの留守が寂しくて」
「ば…!違う!」
 サスケは慌てて語気を強めた。それから、
「ベッド」
 とぼそり言う。
「ベッド?」
「この前買った新しいベッドが届いたんだよ」
「ああ、あれか」
 イタチは頷いた。
 一か月ほど前のことだ。二人で使うには少々手狭な彼のベッドをその誕生日にあわせて買い換えてやろうとしたのだが、「そんな高価なものは受け取れない」というサスケとの話し合いの末、結局折半という形で購入することになってしまったあのベッドのことだろう。イタチにしてみればやや不満も残るが、彼への誕生日プレゼントなのだ、サスケが納得をして受け取ってくれるに越したことはない。いや、それが一番良いのだろう。
 そのベッドがイタチが家を空けている間に届いたらしい。
 だが、ならば尚更サスケがこの部屋のベッドで寝起きをしている訳が分からない。
「折角なんだから、使えばいいじゃないか」
 部屋を出、隣のサスケの部屋の戸を勝手に開ける。どんなものかと中を覗く背にサスケはきっちり付いてきた。オイと彼は批難の声を上げるが、普段から自分も同じことをしている引け目があるのか、いつもは強気のそれも今日は何処か弱々しい。
 それをいいことにイタチはサスケの部屋を見渡した。
 ベッドだ。部屋の中心、そこにこれまでのものより一回りは大きいベッドが置かれている。真新しい木の香りが何処か懐かしく、優しかった。
「もう寝てみたのか?」
 振り返り、訊ねる。だが、サスケは首を横に振った。まだ寝ていないと言う。一度も。
「一度も?」
 思わず呟くと、サスケはこちらの察しが悪いと如何にも責めたような眸で一睨みをし、それからふいと視線を外した。
「…アンタと折半したものだから」
 だから、アンタが帰って来るのを待っていた。
「……」
 シーツには皺一つない。きっとベッドが届いたその日に掛けて、そのままにしているに違いない。
 そういうものだからこそ余計に腰を沈めてくしゃりとやってみたい気持ちもあったが、サスケがイタチを待っていたと言うのだから、ここはサスケの想いを尊重してやるべきだろう。
 イタチは結局部屋へは入らず、戸を閉めた。そのまま「そろそろ夕飯だ」とサスケの背を押して階下に降りる。
 台所では思った通り、忙しく母が立ち働き、夕刊を開く父はビールを片手にもう晩酌を始めていた。
 イタチは食卓に並んで座った隣を見遣る。
「寝心地は良さそうだったな」
 サスケもむっつりとした顔だが、うんと頷く。それから少し気にしたように「高かったからな」と付け足す。
 サスケがこれがいいと選んだベッドだ。確かに足は出たが、気にするなと笑ってやる。
「ずっと使うものだから、高価だろうと良いものの方がいい。…それと、サスケ」
「なんだよ」
 身長差のため、こちらを見上げるサスケの眸に映る自身の顔が悪戯っぽく笑う。
「これからはおれがいなくても、ちゃんと自分の部屋のベッドで寝ろよ」
 すると、サスケの頬にかっと朱が差した。
「当たり前だ」
 はじめてだから待っていただけだ、とサスケは腹を立てたようにそっぽを向いてしまった。
 だが、ここから機嫌を取るのがまた愉しいのだ。イタチは早速擽るような甘い言葉を弟に向けてやる。
 炊飯器からは夕飯が炊けたことを知らせる水蒸気が立ち昇り始めていた。


■↑という会話を繰り広げる息子たちを前に小刻みに震える父フガク
「末永く二人でこの家にいるつもりか…!」
 だが、
「サスケ、今日は早く寝るか」
「…べつにいいけど」
 次男は兄の言葉に早くも絆されかけている。


■翌日、里を歩いていたサスケの背後に忍び寄るカカシ先生
「サースケ」
「!?」
 突然髪に触れられ、サスケはきっと背後を睨んだ。
「てめぇ、カカシ。いきなり何しやがる」
「そう噛みつくなって。ほらこれ」
 そう言ってカカシがちょっと掲げたのは一本の長い黒髪だった。サスケの髪に混ざって付いていたらしい。
 カカシはにこにこと笑った。
「やー、サスケも隅におけないね。色っぽいじゃないか」
 で、何処のお嬢さん?と訊ねられ、サスケは首を傾げた。
「はあ?イタチの何処が色っぽくてお嬢さんなんだ?」
「…え?イタチ…?」
「その長さはイタチに決まってんだろ」
「どんだけ狭いの、お前の世界。…で、ほんとにこれイタチのなの?」
「ああ。昨日あいつと寝たから、その時に付いたんだろう。…やっぱりシャワーを浴びて来るべきだったな」
「…あー、うん…シャワーね…シャワー…シャワー…?」


■その頃、両目に包帯を巻いたダンゾウさまと暗部イタチ
「その姿、どうしたんです」
「…尋問の幻術対策だ」
「フ…前が見えないとはナンセンスだな」