お盆だからって幽かな兄さんが帰ってきました



■今日は任務のある日です

 朝の支度と任務の準備を済ませたおれは昨日の朝と変わらず食パンをトースターに放り込んだ。イタチはあまりいい顔をしなかったけれど、これからすぐに出かけなければならない身としては手間も掛からず洗い物も少ないパン食は気楽なのだ。
 焼き上がるまでのほんの数分はポーチの中身と装備の最終確認に使う。足りないものはない。だが、おれの手元をふんふんと頷きながら覗いていたイタチの助言で二・三忍具を追加した。食事や片付け、生活面についてあれこれと口出しをされるのは煩わしいことこの上ないが、こういったときの兄さんの判断は理路整然としていて正しいと素直に受け取ることができるのだから、やっぱり兄さんはすごいや。
 その折、チンという高い音が鳴る。おれは腰を上げてトースターから良い具合に焼き色が付いた一枚のパンを取り出した。そうして棚から二枚の皿を出し、パンをふたつに割る。マグカップも二個用意をした。
 振り返ると、兄さんの不可思議そうな顔がテーブルの上とおれの顔を行き来している。
「サスケ、」
「早く座れよ」
 おれは兄さんのため、向かいの椅子を引いてやった。冷蔵庫からアイスコーヒーボトルを取り出し、兄さんの前に置いたカップにも半分ほどを注ぐ。けれどガムシロップや砂糖、ミルク、ともかく甘くなってしまうものは入れてやらない。あとで飲むのはおれなんだ。
「おれは幽霊だぞ」
 イタチは、もう何度聞いたか、トーストの半分が乗った皿を眺めながら言った。
 おれももう何度答えたか、席に座って半分のトーストにジャムを乗せ、かぶり付きながら「知っている」と返した。
 パンの余熱にとろける少々酸っぱいジャムと香ばしいパンの香りが口内にふわりと広がる。冷えたアイスコーヒーに頭が冴えた。
「折角だが食べられない」
 イタチが困り顔を上げる。
 けれど、おれは知らん顔だ。
「だから、そんなことは分かっている。これを食べたら、おれがそれも食うんだよ」
 昨日の朝飯のときも、団子屋に寄った時も、自炊をしろと言われて作ったカレーを食べたときも、兄さんはおれの向かいでおれが食べるのをただ見ているだけだった。眺めているだけだった。別に羨ましげにするわけでもない。時々「美味いか」と訊かれたが、それは本当におれが美味く思っているかを問うていた。
「…アンタの言葉を借りるなら、雰囲気ってやつだ」
 ふたりで食卓を囲んでいる雰囲気。それを欲しがっているのは兄さんではなく、きっとおれの方なのだ。
 端から見ればきっと滑稽なのだろうなと思う。本当は誰もいないのに、テーブルには食器が二組ずつあるのだから。
 兄さんはちょっと目を開いて、それから「ふふ」と笑った。
「美味いな、サスケ」
 なんて言う。
 おれは適当に「あーそうだな」と答えて、それからイタチのまだパンの乗った皿とおれの食い終わった皿をさりげなく交換した。それで、まるで兄さんも朝飯を食べたように見える。
 美味いな、サスケ。
 あーそうだな。
 何気ないやり取りに、嘘はない。


■任務から帰ってきました

「ただいま」
 扉を開くと同時にそんな言葉がするりと喉から零れた。言い終わってから、久しぶりに使ったなと妙にそわそわする。胸の中を擽られているような気分だ。
 家に俺を待つ誰か、兄さんがいる。そんな今にあまり慣れてしまわない方がいいとは分かっているけれど、もう少しの間だけ凭れ掛かっていたいとも思う。
「おかえり、サスケ」
 おれの声が届いたのだろう、イタチがふよりと奥から姿を見せる。床に降り玄関まで迎えに来てくれた。
 その彼に片手に提げていた包みを「ん…」と突き出す。とは言っても彼は幽霊だ。持てないことは分かっているので手を離すことはない。
「甘栗甘の団子、買ってきた」
「…サスケ。おれに気を遣わなくてもいい」
 今日は朝から夕方遅くまで任務で家を空けていた。お盆だ。必然、任務は家族持ちよりはおれのような独り者にお鉢が回ってくる。代わって欲しいとも頼まれる。断る理由のなかったおれは「べつにかまわない」とほぼ毎日のように任務を入れてしまっていた。幽霊の兄さんがお盆だからってこの世に帰省する。そんなことをいったい誰が予期できるというのだろう。
 ところでイタチははじめおれの任務に付いて来るつもりでいたらしい。幽霊だから見えない。声も聞こえない。問題ない。機密も守る。墓まで持って行く(もう墓に入っているだろうが)。ただの父兄参観だ。さあおれを連れていけ。と。
 だがおれはそんな憑りついて来る兄さんを無理矢理引き剥がして任務に出掛けた。今日の任務はフォーマンセルだ。いくら他には見えない聞こえないといっても、おれには見えるし聞こえる。昨日散々失態を犯したおれから推察するに、兄さんを任務に連れて行ってしまったら、おれが小隊の足を引っ張るのは明白だった。
 それで家に兄さんを残して任務に行き、それから無事里へ帰って来たはいいものの、なんとなく悪いことをしたような気がして、ふらりと閉店間際の甘栗甘に寄ったのだ。甘栗甘はこのお盆も無休で営業をするらしい。
「べつに。…供えものだ」
 見透かされているのがまたおれの居心地を悪くする。
 イタチはおれのでこをいつものように弾いた。
「これまでさぼっていたくせに、よく言うよ」
 だが笑ってくれるので、助かる。
 さあ夕飯にしようかと言うイタチを追いかけ、おれは靴を脱ぎ家に上がった。
 ただいま、兄さん。


■ごはんにする?お風呂にする?それともおれ?

 今晩はおれが作ろう。
 とイタチが言い出したときは耳を疑った。思わず「はあ!?」と大きな声が出てしまう。
 するとイタチは苦笑をしながら、
「といっても昨日のカレーを温め、サラダを作るくらいだがな」
 って、違うから。おれの疑問のポイントはそこじゃないから。
 幽霊のくせに何言ってやがんだ。アンタ、物も冷蔵庫もおれの体も、何もかも透過しちまうじゃねえか。
 そう言うとイタチはおれを手招きしてキッチンへ呼んだ。
 コンロとシンクの間に立たされる。
「…兄さん?」
 背後には兄さんの気配。
 ひたりと密着するように立たれて、ぞわぞわした。不穏だ。頬のすぐ傍に兄さんの顔の輪郭を感じる。
「おい、あんまりくっつくなっ」
 これでは昨夜、いや今朝の二の舞じゃないか。
 狼狽えるおれ。
 だがそんなことはどこ吹く風の兄さんは、まな板の上に出していたおれの両手にその透けた手を重ねた。そしてそのままおれの腕の中にその手を沈ませ始める。
「!?」
 と同時に失われていくおれ自身の手の感覚。
 まさか。おれはすぐ傍、斜め後ろの兄さんを振り返った。すると奴は人畜無害、虫も殺したことのないような笑みをにこにこと浮かべていた。
「朝からいろいろと試したんだが、どうやらお前の体にはおれを入れることが出来るらしい」
「あ、朝から…?」
 はっとする。交じり合ったおれと兄さんの足や腰。あれのことだ。
「てめぇっ」
 暴れたいが、すでに両腕は兄さんの支配下だ。こんな状況なのに野菜を丁寧に水洗いし、軽快に人参なんかを刻んでいる。
 それでまだ感覚の残っている足や腰を「出ていけばかっ」と振り回して揺らしたら、
「こら、危ないだろう」
 と、そこにもぐんっと押し入られてしまった。
 あ…。
「ん…っ」
 息が詰まる。
 背筋がぞくっとした。
 胸が震える。
 思わず一度ぎゅっと目を瞑った。
 腹の中でおれの感覚と兄さんの感覚が交じり合うのを深く感じる。
 だめだ。
 これ絶対入ってる。
「ちょっ…!ばかっ、ばかっ」
 泣きたい。
 なのにおれの両手は相変わらず手際よくサラダを作って昨日のカレーを温めている。
「一日置いたカレーは美味いんだぞ」
 なんて言う兄さんにはデリカシーってものがない。
 死んでも治らなかったのだから、きっとこの性格は来世にまで繰り越されるのだと、そう思った。


■お風呂もします

 今度は背中を流してやろう。
 漸く地獄のような料理と夕飯を終えて一息吐いたおれに兄さんは新たにそんな難題を吹っかけてきやがった。
 いろいろと言いたいことはあるけれど、
「そもそも幽霊って風呂に入れるのかよ」
 兄さんに背を押され(正確にはそんな素振りをされ)、仕方なしに脱衣所で服を脱ぐ。
 隣では兄さんもまた服を脱いでいた。雰囲気で脱げたり着替えることも出来たりするらしい。幽霊って便利だ。
 イタチはおれに続いて浴室に入りながら、問題ないと言った。
「幽霊は水辺を好むんだ。だから風呂なんかは特に、」
 って、やめろ。兄さんがあの世に帰ったら、おれはこの家にひとりなんだぞ。
 不吉でしかない兄さんの話の先を遮り、まずはシャワーで体と髪を軽く流して、それから言われるままバスチェアに腰を下ろした。
 元々狭い浴室だ。一人が幽霊とはいえ大の男が二人もいられるほど洗い場の面積は広くない。自然、背後に膝をついたイタチとの距離が狭まる。密着する。部屋の構造上、この浴室には窓もない。蒸した湿気も手伝い、いつも以上の閉塞感と浴室の密度におれは密かに苦しい息を吐いた。
「…兄さん、折角だがやっぱりおれ」
「ほらサスケ。スポンジに石鹸をつけるんだ」
「……」
 背後から早くしろと言われ、ああこれはもう逃げられないなと経験上観念する。
 しかし、それにしても幽体のイタチはものを透過するというのにどうやっておれの背を流すというのだろう。
 泡立ったスポンジ。
 それをぼんやりと眺めていると、
「入れるぞ」
 イタチの右腕がぬっとおれの前、スポンジを持つ手に重ねられる。
 またかよ。
「あ、ちょっ…!」
 待て、と制止をする間もなく再びおれの右腕の中に入ってくる兄さんの感覚。
 と同時に右腕がおれの意思とは関係なく背の方へとぐいと曲がる。
 みしり、と体の何処かが鳴った。嫌な音だ。
「待てって言ってんだろうがっ」
 だがそんなおれの必死の制止の声を兄さんが聞いてくれたことは結局一度もない。
 そして、やはり死んでもその性格は治らなかった。
 ぐきりと関節の外れる音が浴室に響く。 
「!!!」
 軽くいきかけました。関節が。
 ただ勿論今はその感覚を兄さんが支配しているので、おれにはその痛みの程度は分からない。
 だがあの兄さんがおれの耳元で「…くっ」と小さく呻くくらいだから、相当のはずた。
「…体が硬くなったな、サスケ」
 って、何歳の時と比べていやがるんだ、アンタは。
 そして人の関節を勝手に外すな。癖になったらどうするつもりだ。
 ぶらりと力なく垂れる右腕におれはイタチを睨んだ。
「おい、どうするんだ、これ。おれの腕をこんな風にさせたのは兄さんなんだぞ!」
「…分かっている。一旦、抜くから」
 そう言って、するりと離れ始めるイタチの感覚。だがそれはおれ自身の感覚が腕に戻るということだ。痛みがじわり波のように押し寄せる。
 いや待て。せめて責任を取って関節を入れてから抜きやがれ。
 痛みを誤魔化すように短く息を吐く。
「あ…だめだ。兄さん、抜くな…」
「だが、それじゃあ痛いだろう、」
 おれが。
 って、ふざけんな。
 その間にもどんどん抜けていく兄さんの幽体。
 それを引き留めるように、透過すると分かっていて左手の爪をイタチの腕に立てた。
「このまま抜かずに…ん…、早く入れ…ろッ」
 勿論、関節を。だ。
「…分かった。じゃあもう一度おれを全てお前に入れるぞ。その方がお前に痛みがなくていいだろう」
 だがその言葉におれは首を振った。
 訴える。
「このままでいいって言ってるだろ…っ。半分はおれが請け負ってやるから」
 早くしろ、と先を促す。
 すると兄さんはこんな状況の何が可笑しいのか、少しだけ上口角を上げた。
「強気な物言いだな。…少し痛いが我慢しろよ」
 ん、と奥歯を噛む。
「…入れるぞ」
「ん…、あ…ッ」
 ごきり。浴室に大きな音と小さな二つの声が響いた。


■兄弟、共闘!

「まださっきのことを怒っているのか」
 天井から湯気の滴が湯船に落ちて跳ねる。
 向かいのイタチは呑気に脚を伸ばして湯を楽しんでいるようだったが、おれはその間で小さく膝を抱えているので全くそんな気持ちにはなれない。
 おれに凭れるようにして同じ方向を向いて入ればいいじゃないかというイタチの提案は即却下した。裸でそれはもうだめだ。
「べつに…」
 視線が落ちる。
 少し身動ぐだけで湯船はゆらゆらと揺れた。
 あの後、おれに入り直したイタチは勝手におれのチャクラを使い須佐能乎の腕だけを出して背中を流した。そんなことが出来るのかと驚いたが、暇なあの世で研究を繰り返す内に身に付いたのだと言う。部分須佐能乎は一人暮らしでは何かと便利そうだったのでその方法は教えてもらえたし、外れた関節も上手く入れてくれたようで今はもう痛まない。
 だから、さっきのことはもういい。
「じゃあどうしてそんな不機嫌な顔をしているんだ?」
 言ってみろと先を促される。
 だが、そう言われても困る。不機嫌なつもりなどないのだ。
 もしおれが兄さんの言うような顔をしているとするならば、それは、
「…明日おれは任務に行く」
「そうか」
 兄さんはうんうんと頷いた。今朝のように、おれも一緒に行きたいとはもう言わない。
 兄さんは昔からそうだ。大体において聞き分けがよく執着がない。それでいて妙なところで全く折れず頑ななのだ。
 おれとはいつもそこで擦れ違う。だから先を言い淀んでしまう。
 すると代わりに兄さんが首を傾げた。
「どんな任務なんだ?」
「…単独任務だ」
「単独…?」
 おれの言葉にみるみる険しくなる兄さんの顔色。
 無論、単独任務にはわけがあるのだが、それを話す間もなくイタチは畳み掛けてきた。
「どういうことだ。木の葉は通常フォーマンセルだろう。そうでなければ、せめてツーマンセルだ。単独は支援がないということだぞ。お前、分かっているのか」
「ったり前だろ」
 それよりおれの話も聞け。そう思うのだがイタチは眉間に皺を寄せ、唸るばかり。
「なんならおれが火影に言ってやろうか」
「何をだよ。いや、どうやって言うんだよ、アンタは幽霊だろ」
「一晩中枕元に立って、もしサスケに何かあれば里の情報全てを非同盟国に漏洩すると言う」
 なにそれ怖い。
 じゃなくて!
 おれは「ああもう!」とイタチに詰め寄った。ぱしゃりと湯が跳ねる。
「聞けよ、おれの話!」
「お前の話…?」
「そうだよ!単独任務はおれが望んで他の奴と取り換えてもらったんだ」
「お前が?どうしてだ」
「…っ!」
 察しろよ、アンタおれの兄貴だろう。
 勢いを挫かれ、詰め寄った距離だけ体を後ろへ下がらせる。 
「それは…」
 イタチはいつもおれに今度だ後でだと嘘を吐いた。おれはいつも待たされてばかりだった。
 だからおれには誰かの帰りを待つ者の気持ちが分かるんだ。
 そして、今は誰かを待たせておかなければならなかった者の気持ちも。
「単独任務じゃねえよ…」
 声を絞り出す。
 イタチはますます分からないといった顔をした。
「お前、今さっき単独任務って…」
「だから、単独任務だけど単独任務じゃねえんだよ。おれと、…アンタ!二人で行くんだよ」
 フォーマンセルでは兄さんと一緒には行けない。
 だが単独任務でなら。そう思ったおれは五代目に頼んで任務を交代してもらったのだ。
「……」
 兄さんは珍しくぽかんと口を小さく開けたままだった。
 それから弾かれたように笑ってこの狭い浴槽の中、腕を広げておれを抱き寄せようとする。
「サスケ」
「わっ、よせっ、やめろ!裸でそれはやだからな!」
 ばしゃばしゃと湯が暴れる。
 そうしておれが焦れば焦るほどイタチは愉快でたまらないのか、「了解だ、リーダー」なんて声を立てて笑った。
 けれど、兄さんとおれの共闘だ。
 最強だろう?