お盆だからって幽かな兄さんが帰ってきました



■数日分のカレーを作って食べ、掃除洗濯もし、お風呂にも入って漸く一日が終わろうとしている時間帯のお話

「…なあ、兄さん」
 風呂上がりの火照った肌を冷ますため扇風機をベッドの傍まで引き摺りながら、ふと思いつくことがあっておれは頭上を見上げた。
 イタチは相変わらずふよふよと宙の中ほどを肩肘をついた様で寝転がりながら漂っている。いくら身内の家だとはいえ、少々寛ぎ過ぎではないだろうか。だが、おれの疑問はまさしくそのことだった。
「アンタ、寝るのはどうするんだ」
 彼は朝食も夕食も団子も一切手を付けなかった。幽霊だからこちらの食べ物は食べられないと言う。
 その割に興味だけはあるようで、団子は勿論のこと、おれのカレー作りに隣でああだこうだと口を出した挙句おれが最後の一口を食べ終わるまでじっと様子を観察してくるのだから居心地が悪くて仕方がない。端的に言うと、うざい。非常にうざい。
 兎も角そういう経緯から察するに、幽霊は睡眠も取れない、いや取る必要がそもそもないのじゃないかと思うのだ。
 これについては兄さんもすぐ同意を示した。
「そうだな。そもそも永眠しているわけだしな」
 幽霊のくせに不謹慎な冗談はやめろ。
 おれはベッドに上がりながら、つま先で扇風機のスイッチを押した。ぶぅんと羽が回転し、丸い頭が左右にゆっくりと振られる。イタチは「行儀が悪いぞ」と咎めてきたが、いやいや人んちの真ん中で漂っている奴には言われたくない。
「それにしてもサスケ、もう寝るのか?」
「…ああ。明日は任務だし、」
 そのうえ今日は疲れた、と言うのは憚られて口を噤む。代わりに枕元にあるスイッチで部屋の電灯を切った。
 蛍光塗料がうっすら塗られた時計の針は夜十時を示している。確かに早いが、寝床に入ってもおかしくはない時間だろう。それに「任務」。そう言ったためかイタチも納得をしたらしい。おれがベッドに体を倒しても、それ以上追及はしなかった。
 部屋に招いた夜の闇に誘われるようにして欠伸が出る。
 瞼ももう重い。
 けれど、
「兄さん…」
 少し離れたところにいる兄さんを呼ぶ。
 兄さんは寝転ぶのを止めてベッドの傍まで降りて来てくれた。体が冷えるといけないからタオルケットをちゃんと掛けろよ、と言われる。おれは「うるせえな」と返したが、のそのそとベッドの下の方に追いやられていたそれを腹まで引き上げた。
 扇風機の風が心地良い。辺りはもう静かだ。本当はこのまま眠ってしまいたい。
 けれど、兄さんはどうするのだろう。それが解決しないことには一人眠ってしまうのがどうにも後ろめたかった。
 おれが眠ってしまったら兄さんはこの部屋に一人きりになる。
 それは時々けっこう寂しい。
「アンタはどうするんだ」
 おれの髪を撫でる少し透けた兄さんの指から腕を辿り、その顔を見上げた。
 兄さんは「おれも寝るよ」「だからお前ももう眠るといい」と笑った。


■次の問題

 この際、幽霊が本当に眠れるのかという問題は置いておこう。眠れないにしてもおれには解決の出来ない問いだ。
 しかし兄さんが眠る努力をするというのなら次の問題が浮上する。
 即ち、何処で寝るのかということだ。
 先程まで浮いていた空中はどうかと提案するが、
「寝ている気分にならない」
 ということで敢え無く却下。
 かといって一人暮らしのおれの家に余分の布団があるはずもなく、任務で使用する寝袋も幽体に意味があるのか果てしなく未知数だ。むしろ本格的にホラーだろ。寝袋に幽霊が入ってるなんて。
 しかし「フローリングに寝転がっとけ」などと言うのも遠路遥々(だと思う)来てくれた一日目なのだと考えると申し訳ない。
 おれは眠い頭で悩み、それからごろりとベッドの端に自分の体を寄せた。
「サスケ?」
「いいぜ、入っても」
 もともと一人用の狭いベッドだが、いざとなれば透過する幽霊となら二人で眠れない広さでもない。
 だがイタチは少々戸惑っているらしかった。「しかしなあ」などと困ったように珍しく先を言い淀んでいる。
 思わず舌打ち一つ。正直眠くてあれこれ考えるのが面倒になっていたおれは、イタチの手を引く素振りをした。
「幽霊が遠慮してんじゃねえ。だいたい幽霊ってのは人の寝込みを襲って金縛りを掛けたり、勝手に腹の上に乗っかってたりするんだろ」
 隣で寝るくらいで迷ってんじゃねえよ。
 そう言うと兄さんは「それじゃあ」とベッドに膝をついた。重みがないため、マットは沈まない。だがこれがもし本当の兄さんの体だったら、ぎしりとベッドが軋んだりするのだろう。
「……」
「なに緊張してるんだ、お前」
 おれが空けたスペースにイタチが片腕を枕代わりに寝転ぶ。
「べつに緊張なんか…」
 していない。そんな反論は結局尻すぼみになって消えた。
 意図せず彼と向かい合わせになる。
 目が合って逸らした。
 寝返りを打つ振りで背を向ける。
「おいサスケ。あんまり端に行くとおれと違って落ちるぞ」
「だって、近い」
「狭いからな」
「おれのベッドにケチつけんな」
「はいはい、わかったよ。おれが端に寄るから、お前はもっとこっちで寝ろ」
 兄さんの手が肩に掛かる。
 もちろんそれは幽霊の手だから温かさも重みも何もない。けれどそれに導かれるようにおれはもう一度元のように寝返りを打った。
 向かい合わせになる。
 また目が合って、すると彼の眸が昔みたいに何処か困ったような優しい苦笑を浮かべた。
「あっちを向いて寝ようか?」
 夜に溶ける声にそっと訊ねられる。
 だがおれは扇風機みたいに首を振った。
 ううん。
 ううん、このままでいいよ、兄さん。
 このままがいい。
 おれはベッドの上、少しだけ兄さんの胸の方へと顔を潜らせた。
 けれど彼からは夜の音しかしないのが寂しかった。
 明日からはおれが眠るまで、何かくだらないことでもいいからずっと話しておいてもらおうと、そう思った。


■安定のオチ

 翌朝目を覚ますと、目の前に兄さんの胸の辺りがあった。
 少し顔をずらして上を見上げると、ちょうど兄さんも眸を開くところだった。
「おはよう、サスケ。よく眠れたか?」
「…ああ。アンタは…その、結局眠れたのか?」
 おれの背を抱くようにしていた兄さんに問う。一晩中こうしていたのだろうか。重みがないせいで全く気が付かなかった。
 イタチはおれの背に回していた手でおれの頬に触れた。
「いや、やはり無理のようだ」
「そうか…」
 おれも任務を預かる身だ。連日徹夜は体調を崩しかねない。
 だが明日からはもっと早起きを心がけようか。そう考えるおれの内心を汲み取ったようにイタチは心配するなと言った。
「目を閉じることは出来るし、瞑想で無の心境を造ることも造作ない。それに眠るお前を見ているのもなかなか面白いぞ。お前が赤ん坊のころもよく隣で寝転がってお前を眺めていたんだ。あ、そうそう。サスケ。暑いからといってタオルケットを蹴り落とすのはよくないぞ」
 幽霊のおれには掛けてやれないんだからと指摘される。
 しかしタオルケットを剥いでしまうことなんてよくあることだ。季節がら風邪を引くこともまずあるまい。今日も朝から小煩い兄貴だな。
 そう思いながら、なんとはなしに下を向いたおれの目に飛び込んできたもの。それは、
「!?」
 タオルケットは確かにイタチの言う通り、足元、爪先に少し掛かるところくらいでまた丸まってしまっている。
 しかしそのタオルケットというものを失くしたおれの下半身、爪先からふくらはぎ、膝、太もも、股から腰に掛けてまでがイタチの下半身に突っ込んでいるというか、むしろイタチの下半身に無遠慮に突っ込まれているというか、重なっているというか、交じり合っているというか、溶け合っているというかっ、
「くぁwせdrftgyふじこlp!!!」
 頭を抱えたおれの言葉にならない叫びは早朝の里に響き渡ったという。