お盆だからって幽かな兄さんが帰ってきました
■早速的中
兎も角、朝の支度を済ませたおれは朝飯にパンを焼くことにした。
トースターに食パンを放り込み、閉じかけた袋に「あ…」と思いついて振り返った。
「…アンタは朝飯どうするんだ」
すっかりテーブルの椅子に腰かけ寛いでいるイタチに訊ねる。もともと二脚一組のそれだけれど、おれがいつも座る向かいのもう一脚に誰かが座る日が来るなんて思ってもいなかったから、なんだか少し違和感があった。それはその相手がイタチだからかもしれないし、幽霊だからかもしれない。
「おれは幽霊だからこちらのものは食べられないぞ」
「……」
そういうわけで、おれはただただ兄さんにじっと見つめられながら焼きあがったトーストにジャムをつけて食べるはめになった。気まずい。
あの、すげえ食いにくいんですけど。
向こうに行っててくれと言いかけ、しかしそれは鮮やかに先制される。
「サスケ」
「なんだよ」
「お前、いつもそうなのか」
そうってなんだ。イタチには昔から言葉を端折る悪癖がある。死んでも治らなかったらしい。
何が言いたいのか解らない。おれが眉根に皺を寄せると、まるでこちらの理解がないことを呆れるように「はぁ」と彼は溜息を吐いた。
「食事のことだ」
いや、わかるわけねえだろ。
そう口をへの字に曲げるおれを無視してイタチは「さっきな」と肩を竦める。
「冷蔵庫の中を確認したんだが、お前ちゃんと自炊しているのか?」
いや、その前に何勝手に人んちの冷蔵庫を覗いてんだ、アンタ。
そしてどうやって覗いた。ものには触れられないはずなのに。
そう問うと、兄さんは何気ない口調で頭を冷蔵庫に突っ込んだと言った。
「ものを透過する幽霊の性質を利用したまでだ」
までだ、っておぃぃ。
朝から幽霊の兄貴が冷蔵庫に頭を突っ込んでいるとかシュール過ぎるだろうが。
ブルーベリーのジャムがぼとりと皿に落ちる。
だが兄さんは構わず続けた。
「食材もあまりないようだし、調味料も種類が少ない。外食に頼っているんじゃないだろうな」
「いや…それは…まあ」
任務から帰って来てから作るのは面倒なのだから仕方ないだろ。とはどうも言えない雰囲気だ。
しかしおれの内心をこんな時だけ察したらしい兄さんはずいと身を乗り出した。
「どうなんだ、サスケ」
「う…」
「外食ばかりなんだな?」
「…た、たまには作る」
「じゃあやっぱりほぼ外食ということか」
これは世にいう誘導尋問というやつじゃないだろうか。
兄さんは「はあ」とまた嘆息した。
そして体に悪いだとかそれでは食費がかかるだろうとかちくちくパンを齧るおれを言葉で小突いた後、
「よし、今日はおれとスーパーに買い物に行こう」
なんて言いだしやがった。
待て。ちょっと待て。
そう思うおれを今度は全く察してくれない。いや、察したうえでさらりと無視をしているのかもしれない。大いに有り得る。
「お前、今日は任務か?」
「違うけど…」
「ならちょうどいい。決まりだ」
唖然。茫然。
兄さんがお盆だから帰って来てくれた。
それはうれしい。本当だ。
だけど、どうしよう。
「そうだ、行く前に何を買うかメモをして行った方がいいな。サスケ、紙と筆を用意しろ」
おれの兄さんがこの上なくうざい。
■すってんころりん
「この辺りも随分と様変わりをしたんだな」
おれの背後をふよふよと浮遊しながらイタチは感慨深げに通りの端から端を見渡した。ちなみに歩こうと思えば普通に歩けもするそうだ。幽霊の生態はまだよく分からない。
昼も近いこの通りは顔見知りの忍らのほか、里に住まう者たちが引切り無しに行き来をしていた。彼らの用があるところもおれたち同様、道沿いにあと十分ほども歩けば見えてくるスーパーなのだろう。里も盆を迎え、明日からシャッターを降ろすという商店も多い。
「一度全て吹き飛ばされて再建をしているからな」
おれの言葉に兄さんは「そうか」と頷く。
それから思いついたように「あ。そうそう、サスケ」と手を打った。
「…なんだよ」
「おれは幽霊だろう」
「はあ?今更何言ってんだ」
唐突でいて、しかし言った通り今更の話に首を傾げる。
すると兄さんはまた一つ「うん」と頷いた。
「その今更なんだが、おれはお前にしか見えないはずだ」
「だろうな」
今思い返せば、昨日のナルトはその両肩に明らかに両親の霊を連れていた。だがおれにはその姿は見えなかった。だから、どういう理屈かは解らないが、兄さんも家族のおれにしか見えないし、声も聞こえないはずだ。
そう、声も。
声、も…。
「……」
「気が付いたか?」
兄さんの問いかけに、こくこくと頷く。
いや、最早頷くことさえ危険だ。
なにが危険かというと、おれだ。おれが危険だ。というかおれが危険人物、不審者だ。
顔から血の気が引いた。代わりに冷や汗がどっと出る。
左右に視線を振れば人々の眼がいくつも突き刺さった。この頃は暑かったから。顔はいいのに可哀そうにねえ。そんな声も漏れ聞こえてくる。
そう。おれは兄さんと話していただけなのだが、兄さんの姿かたちが見えず声も聞こえない周囲の人間たちはおれがひとりでべらべらと喋っているように見えただろう。
おれは弾かれたように歩みを速めた。あっという間に後ろに流れて行く周囲の様子にそれでも気を配りながら、兄さんの幽体を傍に呼ぶ。
肩に乗った兄さんは至って呑気だった。焦るのはいつだっておればかりだ。
「おい、なんとかならないのか」
「なんとか、と言ってもな」
「アンタが家で大人しく待っていてくれたら、こんなことにはならなかったんだぞ」
なんともならないのならもう外には連れて来ない。
そう言うと漸く兄さんは「それは困る」とふよりおれの肩を離れた。
そして突然すたり、
「読唇術でも使ってみるか」
おれの目の前に降り立つ。
って、近い近い近い!
先程からの早足も手伝い、止まり切れず、おれは突如現れた兄さんに向けて勢いよくつんのめった。
しかしそこは忍だ。咄嗟に態勢を立て直しかけ、
「サスケっ」
目の前に差し出された兄さんの両腕が視界に飛び込んでくる。
「…っ」
判断に迷った。
僅か一瞬のことだ。
しかし、
「あ、そういえばおれは幽霊だったな」
どべしゃっ。
「……」
兄さんの両腕を見事にすかっと透過したおれは何もない道の真ん中で派手にすっ転んだのだった。
「…今のは本当に悪かった。許せ、サスケ」
「くっ…」
くそがぁぁぁ!
■気まぐれ
そんなこんなで漸く辿り着いたスーパーで、おれは珍しい奴を見かけた。正確には奴がスーパーにいるというのが珍しい。
いつもは一楽かコンビニにいるような奴だ。
「よお、お前も母親に煩く言われてか?」
野菜売り場で手当たり次第に野菜をカートに積んでいくナルトに今日ばかりは親近感を覚え、こちらから話しかけてやる。
おれにはやはり見えないがこいつの背後にも母親か父親か或いは両者がいるのだろう。
ちなみに兄さんは調味料を見てくるだとか言って今はおれから離れている。
ナルトはうすらとんかちだが、察しは悪くない。今のおれの言葉で状況を悟ったらしい。
「じゃあお前も…!?」
と目を瞠る。
おれは「ああ」と頷いた。
「おれんとこは兄さんだけだけどな」
「そっか。イタチが。…うん。うん。良かったな、サスケ!」
ナルトがあっけらかんと笑う。
おれはそれに押されるようにして「ま、まあな」と頷いたが、改めて考えると、うん。そうだ。悪くはない。
兄さんがおれの傍にいるというのは悪くない。
すると、その兄さんがひょっこり陳列棚の角から顔を出した。
「ああ。誰かと思えばナルトじゃないか」
「兄さん…」
「えっ、イタチがそこにいるのか?」
ナルトには勿論イタチの姿は見えない。
けれどおれの視線から見当を付けたのだろう、兄さんに「おぅい」と元気よくぶんぶん手を振った。
それに応えるように兄さんは笑いながらおれのところへ戻って来た。
「はは。相変わらずだな、ナルトは。サスケ。ナルトに久しぶりだなと言ってくれ」
「…おれは通訳じゃねえぞ」
「そう言うな。かまわないだろう。それにありがとうとも伝えて欲しい」
「……」
久しぶり?ありがとう、だと?
どうも腑に落ちない。
だが兄さんがそうして欲しいと言うなら仕方がない。渋々兄さんの言葉をナルトに伝える。
するとナルトは「おれもありがとな、イタチ!」などとにかっと笑いやがった。
「……」
…やっぱりどうも腑に落ちない。
なにかおれの知らないやり取りが二人の間であったのだろうか。
おれの知らない…。
おれの…。
「なァ…ナルト」
向かいのナルトの肩を取る。
はっと奴が呼吸を詰める気配。
だが、おれの写輪眼は既に赤く燃えている。
「おれの気まぐれブラコンでお前は命を落とすんだぜ」
うすらとんかちナルトは山と積んだ野菜のカートごとその場でひっくり返った。
■真実
買い物を終え、スーパーの袋をふたつ片手に提げて歩くおれの隣をふよっていた兄さんは不意にその足(?)を止めた。
二・三歩行き過ぎて振り返る。どうした、と声に出せば即不審者になる為、おれも兄さんの視線の先を目で追う。
鮮やかな藍の暖簾。
甘栗甘。その名が示すものをおれは知っている。女子供が屯する里一番の甘味処だ。今日も随分と賑わっている。真夏の暑さも手伝って「氷」の幟に惹かれた者も多いのだろう。
「サスケ」
イタチはおれを手招いてそこへと促した。
だが、冗談じゃない。
読唇術が使えるというイタチに向け、周囲を警戒しながら口をはくはくと素早く動かす。
「どれほど甘党だろうとも、どうせ幽霊のアンタは食えないだろうが」
「…団子の雰囲気だけでもいいんだが」
なんだよ、団子の雰囲気って。
「だめ、か?」
「うっ…」
こんなときにだけ殊勝げに首を傾げるのは卑怯だ。
一筋の暑さの為ではない汗を流すおれから兄さんはふと視線を逸らす。
「ここの団子はこの世のものとは思えないほど美味いんだ。かと言ってあの世にあるわけじゃないがな…」
きたない。さすが忍者きたない。
心理戦に持ち込み、一気に畳み掛けようとでもいうのか、兄さんは雨の日の子犬のような顔をして見せた。
嘘つき兄貴。
そんなことは分かっている。あれは演技だ。演技には定評のあるうちはだ。兄さんだ。分かっている。分かっているのだが、しかし、
「…ちぃっ」
おれはまたしても敗北を喫した。
ついに暖簾に手をかけその下を潜る。
「サスケ」
後ろからは声も足取りも軽く(?)おれを追って来る兄さん。
だがおれは混雑するテーブル席を抜け、つかつかとカウンターに寄った。
そうしてこそりと肩越しにイタチに言う。
「仕方ねえから買ってやるよ」
団子や饅頭なら供えものにでもなるだろ。お盆だし。
そう考えて店員に適当に包んでもらおうとした、その時だった。
「愚かなる弟よ。供え物の団子などにあまり興味はない」
兄さんは心底おれを軽蔑したとでも言うようにそのきれいな眉を歪め、嘲笑った。
雨の日の子犬どこいったよ、オイ。
そしてちょっとは興味あるのかよ!
とつっこみたいが大きな声は出せないおれの傍をふわりと離れたイタチは、空いている席を見つけてさっさと腰を下ろしてしまう。
追いかけると、すぐさま背後でする「おひとり様、ご案内でーす」という店員の声。そして一斉に集まる女子供の視線。中には「あれ、サスケくんじゃない?」という的確な指摘までが混じっている。
不覚にも膝が固まった。それでいて全身から力がみるみる抜ける。
だめだ。今日一日でおれは恐ろしいほどの誤解を生み出している。
「いやっ、おれは」
急ぎ断ろうとするが、よくよく考えなくとも兄さんが素直に立って帰ってくれるとは思えない。むしろ騒いでは事態を大きくするだけだ。
おれは状況に流されるままイタチの向かいの席によろよろと座った。
「くそっ…どうしてこんなことに…」
「サスケ。甘味処で食べてこその団子だろう」
「いや、全然わかんねえよ、その理論」
そう言うおれが余程渋い顔をしたのだろう、イタチはふぅと一息ついた。後ろに背を預ける。そうして徐におれの名を呼んだ。
「なあサスケ」
なんだよ。
「三代目火影が死んですぐにおれが木の葉に姿を現したのは何故だと思う?」
「それは…」
はくはくと答える。
「ダンゾウを含む里の上層部に兄さんは生きていると忠告するため、じゃないのか…?」
マダラ、いやオビトは確かにそう言っていた。
そしておれ自身も、三代目亡き後、写輪眼を持つ唯一のうちはのおれに上層部が手を出さないよう兄さんは暗に示しに来てくれたのだと思っている。
だが、
「えっ?」
兄さんは驚いたように目を開いた。
その反応におれも思わず声を上げる。
「えっ…」
互いに瞬き。
いやな予感。
「…あー…」
先が途切れる兄さんの沈黙。
「……」
声を失くしたおれの沈黙。
店だけがざわめく。
「……」
おい、まさかアンタ。
「……」
ただ甘栗甘に…。
「サスケ」
「……」
「とりあえず、団子を注文しようか」
兄さん。
おれ、なんだか今なら新しい写輪眼を開眼できる。そんな気がする。