13 きょうだいの話



「かわいいな」
 そんな唐突な兄さんの言葉に、
「はあ?」
 と、おれは魚の切り身を手にしたまま、思わず間抜けな声を出してしまった。
 土曜日、夕方五時を過ぎたスーパーマーケットでのことだ。店内は食材を買い求める人々で賑わい、混み合っている。
 兄さんはおれの手から鰤の切り身が乗ったトレイを取り上げ、カートに入れた。
 実は他の魚とまだ迷っていたのだが、…まあいい。今夜は照り焼きにしよう。兄さんちの夕飯を決めるのは大概おれだ。
 それにしても、「かわいい」ってなんだ。
 そう目で問うと、外では珍しく兄さんはちょっと笑って、
「見てみろ、サスケ」
 通路の突き当たり、野菜コーナーの角を示した。
 そこには幼い兄弟がいた。小学生くらいの少年が、幼稚園に入るか入らないかの弟を後ろから羽交い締めにして抱き抱え、運んでいる。買い物をする母親に付いて来たのだろうが、小さな弟がやんちゃでもしたのか「母さん、こいつがね」などと少年は弟を抱えながら母親の許へ行き、訴えている。
 かわいいって、…なんだ、あいつらのことか。
 兄さんの横顔を盗み見れば、それはどうやら間違いない。
 だが、
「…かわいい?」
 首を捻る。
 かわいい?
 どこが?
 チビの方なんかは、あれで兄にかまってもらっているとでも思っているのか、きゃっきゃっと幼い子供独特の甲高い声を上げている。「しっ、静かにしろよ、もう」と兄に言われても、ますます楽しげにぱたぱたと足をばたつかせるばかりだ。
 あんなのがかわいい、か?
 おれはふんと鼻を鳴らした。
「おれには、兄貴ってたいへんだな、くらいにしか見えない」
 寧ろ二人とも煩い。
 おれは騒がしいのは好きじゃない。
 そう言うと、兄さんはただ「そうか」と食材の入ったカートを野菜コーナーとは反対の方向に押した。
 あとは明日の朝のパンと牛乳を買うだけだから、順路としては何らおかしくはない。
 けれど、なんとなく気詰まりがしておれは黙った。
 おれの言葉は意図せず鋭い時がある。
 今も、また。
 兄さんの隣を付いて歩いていると、いつの間にかあの兄弟の声も聞こえなくなっていた。
 そうして幾つかの陳列棚を通り過ぎたころ、
「…お前にも」
 ふと兄さんが口を開いた。
 顔を上げる。
 見遣れば、兄さんは気を悪くした様子もなく、いつも通りだった。
 おれが見ていることに気付いたらしい、目を細める。
「弟がいたら分かったかもしれないな」
 もしおれに弟がいたら。
 それは兄さんにもう一人弟がいるということだ。
 イタチはおれに甘い。
 父さんや母さん、周りの誰からも言われ続けてきた。おれにだってその自覚はある。
 イタチとはもう何度も寝ているが、そんな関係になる前から兄さんはおれに優しかった。それは偏におれが兄さんの弟だったからだろう。だから、おれにもしもう一人弟がいたならば、きっとイタチはそいつも可愛がる。
 イタチが、おれの兄さんが、おれの場所に立つおれではないそいつに笑いかける。
 それは厭だった。
 理屈じゃない。ただ、いやなのだ。
「…べつに、」
 弟なんて要らない。
 そう呟いた言葉は小さ過ぎて兄さんには届かなかった。
 うん?と聞き返されてしまう。
 面と向かってもう一回なんか言えるわけないだろ。視線を逸らす。
 だが、いつまで経っても兄さんは何も言わない。聞き取れなかったおれの言葉をおれが口にするのを待っているのだろう。
 おれは舌打ちをした。
 …くそ。
「弟なんて要らねえって言ったんだよ」
「……」
「……」
「……」
 気恥ずかしさも手伝って、かなり早口になってしまったのは認める。
 だが、無理に言わせたのは兄さんだ。
 黙ってないで何か言ったらどうなんだ。
 そういう意図を込めて、兄さんをちらりと見上げた。
 すると、兄さんはおれの気持ちなんかはとっくに見透かしているといったような風に口角をきれいに上げていた。
 いやなに、と言う。
「お前におれの他に兄貴がいるのは、おれも面白くないなと思っただけだ」
「…あほ、あーほ」
 まったく。そういうことを素面で言うの、やめろよな。
 みるみる顔が熱くなるのが分かって、そっぽを向く。
 そうだというのに、そんなおれだというのに、まだ追い討ちを掛けてくるのだ、兄さんは。

「ほら、かわいいだろう。弟ってやつは」