12 小さい頃の話
「兄さん、兄さん」
「ねえ、兄さん」
「それはなあに」
「どうやってするの?」
「おれにも教えてよ」
「わあ!すごいや、兄さん!」
小さい子どもというものは何でも知りたがるし、やりたがる。
目にしたもの、聞いたもの、世界の全てに触れたくて、あれにもこれにも手を伸ばす。
幼いころのサスケもその例に漏れず、五つ年上のイタチの真似事を何でもしたがった。
「おれにも教えてよ、兄さん」
小学校の宿題をしていれば、まだ幼稚園に通い始めたばかりのサスケがぴたりと隣にくっついてきて、そんな風にせがむのだ。
母はイタチを思ってサスケを注意したが、そんなサスケを庇ったのは誰でもない当のイタチだった。
たとえばわり算の数式をサスケにも分かるように噛み砕いて教えることは自分自身の数への理解を深めたし、利発なサスケが水をたっぷりと吸う真綿のようにイタチが教える算数の世界をまるごと吸収していくのにも心が弾んだ。
そう、あの頃のサスケはとてもとてもやわらかくって、本当にきらきらと目を輝かせて素直にイタチの教えを乞うていたのだ。
それなのに、
「はあ…」
イタチが吐いたため息にすかさず不平が飛んでくる。
「おい、くすぐったい」
どうやら目の前の無防備な首筋に掛かったらしい。サスケがもぞもぞとイタチの腕の中でもがく。
サスケはもう長い時間、居間のローテーブルに広げた問題集とノート、参考書に向かっていた。
月曜日に小テストがあるのだと言う。
勉学に励むのは結構なことだ。
イタチは、ならば邪魔をするまいと、自身も積んだままにしていた専門書にでも手をつけようと、はじめはそれを手にサスケの向かいに座ったのだ。が、
「見るな」
何の気なしに弟がどんな問題を解いているのかと覗くと、サスケは両腕でノートを隠してしまった。
「自分で解く」
「お前が教えてくれと言うまでは、何も言うつもりはないんだが」
「…それって、結局アンタはおれより速く解けるってことだろ」
「まあそうだな」
イタチにしてみれば、それは当然のことだ。
イタチはサスケより五つも年上で、物理の問題のようだが、サスケに比べれば親しんだ時間は遙かに長い。
速く解けて当たり前だ。
だというのに、それで完全にサスケの機嫌を損なった。
押し黙ったサスケの周りの空気がいやに刺々しい。
これまでもそうだが、イタチには弟が腹を立てるわけが時々いまいちよく分からない。
だがこうなれば、暫くは何を言っても「イタチ、うるさい」とにべもなく返されるだけだということは知っている。
イタチは顔を突き合わせるのは避けた方がいいだろうと、サスケの後ろのカウチに移った。
けれど、すぐさまサスケが「覗くな」とこちらを振り仰いで釘を刺してくる。
確かにこの位置からならば見えないことはない。
やはり物理だ。高校一年生にしては、なかなか難しい内容に取り組んでいる。
などと考えていると、みるみるサスケの目線が険しくなった。
それに気が付き、いっそ部屋を変えようか、そうも思う。
だが、それはそれで後からサスケが気に病むに違いなかった。弟はそういう多少面倒な性格なのだ。
イタチは仕方なしにカウチを降りた。サスケとカウチの狭い隙間に腰を下ろす。
「おい」
と、サスケは焦ったように非難の声を上げたが、イタチは取り合わなかった。
分厚い専門書を右手側の床に置いて開く。
「これならいいだろう。おれはこれを読んでいるし、問題もお前の頭で見えない」
収まりどころの悪い左手は、サスケの腹に回しておいた。
「…見るなよ」
「見えないと言っている。教えて欲しいのなら別だが」
「自分で解くから、いい」
そう言うとサスケは黙々と問題を解き始めた。
あれから一時間半、サスケの手は先ほどから止まっているようだった。
「…サスケ」
「なんだよ」
「見てはいないが、なにか難しい問題でも解いているのか」
そもそもサスケでさえこれほど悩む問題が小テストに出るものだろうか。その疑問はすぐに解決された。
「参考書のセンターに出題された問題。解けないから、解いている」
そんな理に適っているような、いないようなことをサスケは言うのだ。
解けないから、解く。
負けん気の強い弟らしい考えだ。
「センターか。なら、」
「言っとくけど、教えていらねーから」
「……」
あとどれくらいこうしていなければならないのだろうか。
土曜日の今夜はイタチに会うためにサスケは泊まりに来ているのではなかったのか。
いや、すでに日付は日曜日へと移っている。
「サスケ」
「うるせえな、なんだよ」
「こんなことは、おれだけにしておけよ」
サスケに関してはイタチも随分と気が長い。