05 怪我をした話
くしゅんというくしゃみに一拍置いて、弟のサスケが「いてっ」と小さく声を上げた。
床に新聞を敷いて爪切りをしていたサスケは、利き手の爪を切っていたせいか、くしゃみで切り損じたらしい。
本来は器用であるはずのサスケだが、時折こんな幼い子供のような間の抜けたことをしてしまう。
「平気か?」
おれはいつもはサスケが独占するカウチの上から、その背の向こうを覗いた。
爪は深く切れてしまっている。
だがサスケは「あぁ」とぶっきらぼうに答えると、その爪は放っておいて、隣の爪を切ろうとするではないか。
おれはやれやれとサスケの向かいに腰を下ろした。
「貸してみろ」
「これをか?」
差し出した手に爪切りが置かれる。
おれはサスケの右手を取った。
角張った男の手になり始めてはいるが、触れればまだ柔らかく、指先までがすらりとして細い。
その中の一本の爪が、切り損なって歪に割れていた。
これではどこかにひっかけて更に爪を痛めてしまう。
それでなくとも、普段は爪に守られた肉が深爪のためにやや赤く腫れているというのに。
サスケはどうもそういうことに頓着をするつもりはないらしい。
「きれいに整えてやるよ」
おれは爪切りの鑢を歪なサスケの爪に当てた。
強くすれば痛むだろうから、緩くゆっくりと擦る。
向かいのサスケが一瞬息を呑んだ気配があった。
だがそのあとは憮然としながらも、随分と大人しい。
サスケの爪が少しずつ削られ整えられる微かな音だけが部屋に響く。
サスケは呼吸さえ我慢しているかのようで、なんだかおかしかった。
「そう固くなるな。誤って指を削ったりなんかしない」
「わかってる」
「案外、信用されているんだな」
「うるさい」
「ほら、これでいいだろう」
鑢をかけ終えた爪は、隣のそれよりは短いが、形は丸い。
なにかに引っかけてしまったり、割れてしまうこともないだろう。
サスケは指先に目を落として「ん」とだけ返事を寄越した。
礼もないが、文句もない。
どうやらお気に召したらしい。
おれはそのまま隣の爪も切ってやることにした。
一本また一本と経るにつれ、固かったサスケの体から力が抜けていく。
「爪…」
「うん?」
「飛ばないんだな」
ぷちんぷちんとサスケの指から離れた爪は、下の新聞紙にきちんと落ちる。
そういえばサスケは時々床になにかを探す仕草をしていた。
「コツがある」
「ふぅん」
「教えてやろうか」
「要らねぇ」
「まあ、そうだろうな」
右手を終えたので、次は左手を取る。
そうして中指の爪に刃を当てたときだ。
「兄さん」
ふと呼ばれて顔を上げた。
サスケはごく間近で、おれの目を覗き込んでいる。
「爪くらい自分で切れる」
それは尤もな言い分だ。
ぷちん、と中指の爪を切る。
角張ったところを更に細かく切り落とす。
爪はきちんと新聞の上に落ちた。
「知っているさ」
薬指の爪に刃を当てる。
サスケはおれの肩に額を置いた。
「…なら、いいんだ」
手元が狭い上に暗くなり、サスケの爪を切るには少々骨が折れる。
だがサスケは顔を上げる気はないようだ。
まるで抱き合うようで、縋られているようで、けれど実は爪を切ってやっているだけというのがひどく滑稽だった。
そうして小指に手をかけたとき、サスケがおれの肩に顔を埋めたまま呟いた。
「兄さん」
「今度はなんだ」
「足も」
「足も?」
「爪、切ってくれよ」
ああ、いいよ。
サスケ。
おれは、おれがお前にできることのすべてはお前にしてやりたいと思っているのだから、それくらいは容易いことだ。
なにもそんなにまで思い詰めたように、懸命に、言うようなことじゃない。
手を伸ばしてサスケの背を二度三度さする。
「なあサスケ」
おれにとっては、お前のことくらい、とてもとても容易いことなんだ。