現代パラレル
リハビリテーション 05
受かった。心にぽとりと落ちたのはそういう、それだけの事実だった。
合格者掲示の前は受験生とその家族や友人で混み合っている。人混みを避けようと時間をずらして掲示を見に来たが、まだ混雑はおさまっていなかったらしい。
叫ぶ者もいれば静かな者もいる。大いに喜ぶ者もいれば、泣き崩れる者もいる。唇を噛み締める者の隣では結果は当然だと達観した顔の者もいた。
だが、ここにきても俺はまだどこか他人事のように思えてならなかった。相変わらずの「ふーん」という気持ちと顔を変えることができない。手を突っ込んだ上着のポケットの中では受験票が折れ曲がっている。
合格者の方はこちらに、という大学職員の声に踵を返した。
すると、あちらこちらで受験生たちが耳に携帯電話を当てていることに気がつく。
もしもし、合格したんだ。
もしもし、不合格だったよ。
もしもし。もしもし。ねえ、もしもし。
きっと一緒に来ることができなかった両親や遠くに住む祖父母、親しい誰かに今を伝えているのだろう。
そこでふと思い立つ。マルチェロのことだ。
彼は一応別腹だけれど俺の兄貴で、ついこの間から保護者にも多分当たる。この私立大学を受けろと勝手に決めてきたのも彼だ。
連絡をしたほうがいいのかな、と迷った。
だが、今日は平日だ。仕事の日だ。挙句彼は受験生受け入れる大学側の人間だ。この時期は忙しいに決まっている。数百人・数千人といる受験生の内の一人にすぎない俺に構っている時間はないだろう。
受験のその日も、合格発表の今日も、彼は俺より先に家を出ていた。
ただリビングのテーブルに電車賃と今日一日の食事代が置かれていた。
メールは打てない。
親に与えられた携帯電話は疾うに金がなくて解約してしまっていたし、いかがわしい関係のおねーさんやおじさん達から連絡用にと渡されたものも、やはり家を出るときに「もういいや、バイバイ」の一言を添えて返してしまった。
俺には与えられたものだけがあったのだ。そういうことが今更のように身に染みる。
俺は何ひとつ自分のものなんて持っていなかった。与えてくれる人がいなくなれば、与えてくれる人を拒んでしまえば、あっという間にこの様だ。
公衆電話も目に入ったが、そういえば彼の電話番号もメールアドレスも知らない。
それじゃあ仕方ない。
そんないつもの答えにたどり着く。悩んで損した。
けれど消極的な解決方法を見つけた俺の足取りだけは少し軽くなる。
俺は合格証だとか入学手続き書類だとかを受け取り、きっと春になれば通うことになるだろう大学を後にした。
そうしてそれらは、今朝彼が金を置いて行ったテーブルの上にのせておく。
この家が、このテーブルが、携帯電話のようにその時その場でとはいかないけれど、俺と彼をなんとか細々繋いでいるのだ。
もしもし、アンタが受けろって言うから、俺、ちゃんと大学を受験して来たよ。
もしもし、それでさ、合格したんだ。
まるでそう留守番電話に吹き込んでいるかのようだった。
その返事は翌朝にあった。
留守番電話のメッセージランプが光る代わりにテーブルから書類が一式なくなり、今日一日の小遣いが置かれている。
握れば、紙幣はくしゃりと折れた。
もしもし、兄貴。
たまにはアンタの声が聞きたい。