現代パラレル

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  リハビリテーション 03  


 電車は陽が落ちる前にその街に俺を届けた。
 聞き慣れない駅名のアナウンスに腰を浮かす。
 スポーツバックを肩に掛け、降り立ったその街は、あの日に似たオレンジ色に包まれていた。
 駅の周りには夕日の色をした窓が並ぶビル群。 賑わうスーパー、学校帰りの学生やサラリーマンが引っ切り無しに出入りするファーストフード。カフェでは女性たちがお喋りに花を咲かせている。
 駅前で案内板の地図を見かけ、ポケットの中を探り、「別腹の兄」の住所を確認する。彼はどうやら駅前ではなく、そこから少し歩いた住宅街のマンションに住んでいるらしい。
 だいたいの方角を定め、俺は歩き出した。
 迷ったっていい、と思った。何時に行くとも今日行くとも、何も伝えていないんだ。いきなり行くんだ。
 迷ったって、驚かれたって、嫌な顔されたって、追い返されたって、それは仕方のないことだろう?
 それから何度か道を曲がり、ちょうど夕日が沈むので公園のベンチで眺めて、寒くなってきたので自動販売機で紅茶を買い、飲みながら歩いてようやく彼のマンションを見つけた。
 外から見上げる。
 ざっと何階あるのかを数えて、七階くらいで諦めた。
 エントランスは橙色の明かりで包まれていた。それに惹かれるように傍へ行く。
 けれどガラス戸はかんたんには開いてくれはしなかった。
 温かそうなエントランスと、夜になり一段と冷えてきた外をオートロックが無感情に隔てている。
 寒いな、寒いな、寂しいな。マッチ売りの少女はきっとこんな気持ちだったに違いない。
 俺はマッチを擦る代わりに、オートロックに彼の部屋番号を打ち込んだ。
 1001。たぶんこれ。10階の1号室。
 見上げても見えなかったその部屋に彼はいるのだろうか。今ひとりだろうか。何をしているのだろうか。
 どんな顔をしていて、どんな目で俺を見るだろう。
 呼び出しのブザーの前で俺の指はまだ迷う。
 俺は生まれてこの方、告白をしたことがない。
 「かわいいね」「好きだよ」はきっと人よりも多く口にしてきたが、あれは会話の潤滑油のようなもの。
 これは告白じゃないから、好きだ何だを言うわけではなかったが、彼から「お前なんか嫌いだ」と振られることは大いにあるのだ。
 ぎゅっと両手を胸の前で組んで「好きなの」と言ってくれたあの子、震える手を背中に隠しながら「実はアンタが好きだったのよ」と目を逸らしたあの子、応えてあげられなくてごめん。
 でも今君たちの勇気に敬意を表したい。
 期待しただろう、でも同じくらい怖くて仕方なかっただろう。
 どきどきしただろう、胸が痛かっただろう、苦しかっただろう。
 今度告白されたら、「ごめんな」に「ありがとう」も加えよう。そんなことを思った。
 ブザーを鳴らす。
 大丈夫、大丈夫。
 俺は「別腹の兄」の弟だけれど、一度も会ったことはないし、突然押しかけて来たわけだし、彼は俺のせいで家を追われてきっと苦労をしただろうし、借金もあるし、それから極め付けにおれは大学まで落ちたんだ。
 大丈夫、仕方ない。
 彼に戸惑われたって、驚かれたって、嫌な顔されたって、追い返されたって、大丈夫。
 仕方がない要素をこれだけ背負ってちゃあ、うん、仕方ない。
 永遠かのように思われたブザー音が止み、ややあってから「はい」と声がある。
 俺はガラス戸の向こうにあるカメラに向かって、結局半分も飲めなかった紅茶の缶を持つ手とは反対の手をひらひらと振った。
 出来るだけ、愛想良く、だけど軽薄に。
「アンタの腹違いの弟なんだけど、覚えてる?」
 はじめまして、兄貴。

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