アラン・ゲイブリエル×エンジェル

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  Angel  


 何処にでもある手狭な部屋だった。
 簡素なテーブルでは幼い少女が白い画用紙に拙い絵を描いている。
「何をしているんだい?」
 男は始めから在ったような不気味さで、唐突にそこにいた。
 少女は顔を上げて答える。
「ママを待っているの」
「じゃあママが帰ってくるまで、俺と遊ぼうか」
 白黒男はガスコンロの前に置かれた仕込み前のトマトを手に取る。
 白い世界ではその黒が、黒い世界その白が際立つ男だった。
「何をして遊ぶの?」
 少女が赤色のクレヨンを置く。
 白黒男は手を差し出す。
「探検ごっこさ」



 知っているかい、と男が闇に手を向ける。
「ここは人間製造工場」
 原料はトマトだと云う。
「皮は皮膚、果肉は肉、種は内臓、果汁は血になるんだ」
 製造ラインにはトマトトマトトマト。
 そして人間製造機を潜り抜ければ、
「あれはだあれ?」



 黒尽くめの男が鋳造される。
 白黒男は答えた
「ロジャー・スミス。契約を忘れたネゴシエーターさ」
「誰と交渉するのか忘れてしまったのね」
「そう、そしてデカルト以前への回帰を試みるメガデウスのドミュナス」
 この喜劇の狂言回しなんだと白黒男は云った。



 トマトトマトトマトトマトトマトトマトトマトトマトトマトトマトトマトトマトトマト。
「メガデウスってなあに?」
 その中に腐ったトマト。
「IN THE NAME OF GOD, YE NOT GUILTY.」
 白黒男がぐちゃりと握り潰す。
「死刑執行人の刃に刻まれた言葉さ」



「あれはだあれ」
 次に鋳造されたのは黒尽くめの老人。
「ノーマン・バーグ。舞台裏の大道具係。劇役者もやっている」
「一人二役なのね」
「そうさ、彼は過去を仄めかす大道具係。何故なら彼は神が如何にしてメガデウスを鋳造したか知る者だからだ。そうでないと修理など出来ないだろう」
 そういう意味では、こちら側に近い人間だと白黒男は次の鋳造物を顎で指した。



 トマトが化けたのは髭を蓄えた警察官。
「彼の名はダン・ダストン。恋をした男」
「恋をするなんて素敵ね」
「素敵?」
 白黒男は嗤った。
「彼はこれを脚本だと知る男。何故なら彼はもう二度と演じられることはない終わってしまった脚本の頁を捲る行為を行うからだ。それは過去を悟り、現実を思い知る行為でもある。それが素晴らしいこと?」
 白黒男はまた嗤った。



「さあ次に鋳造されるのは、ああ、彼はシュバルツ・バルト。真実を知るマイクル・ゼーバッハ」
 包帯で巻かれた男。
「どうしてあの人はあんな格好なの?」
 少女は首をかしげる。
 白黒男はさも興味がないように答える。
「いじめられたんだ」
「酷いことをするのね」
「時に真実を知る者は気狂いと云われるもんだ。真実を知ったが故に本当に狂ったのかもしれないがね」
 気狂い男は叫ぶ、catastrophe!catastrophe!catastrophe!



「まだ終わってもらっちゃ困る」



「ところでトマトから作られた人間は、何をしたと思う?」
 同じことをしようとしたのさ。
 白黒男が示した先には別の製造ライン。トマトの代わりに鉄板とネジ。
 製造機械から鋳造されるのは旧型ロボット。
「彼らはインストルとR・フレデリック・オライリー」
「不恰好なロボットね」
「だが、その与えられた役割を忠実に果たすロボット。しかし俺は思うんだ、果たして彼らは脚本にある台詞を形にしただけなのか。彼の旋律、彼の声音を如何に表すかまで脚本に書かれていたのだろうか、とね」
 白黒男は人間製造ベルトへとさっさと視線を戻す。



 次に鋳造されたのは白い男。
「あれはだあれ?」
「彼はアレックス・ローズウォーター。神の子さ」
「じゃあえらいの?」
「神の子とは神在っての存在だ。彼は神にはなれなかった、何故なら彼がゴードンではないからだ。彼にとっての不幸はもうひとつ、神が博愛主義だったことかな?」
 闇に雪がちらつきはじめる。



 女優が踊る。
「彼女はシベール・ロアン。恋をする女だ」
「だからきれいなのね」
 はらりはらりと雪が舞う。
「彼女は永遠に恋をする女」
 女優は踊る。
「何故なら彼女は恋をしたときに時を止めたから、その恋は永遠だ。そう、彼女は男の時折開かれる脚本の過ぎ去った頁の中では色褪せず微笑んでいるんだ。そして男は雪を知った。それだけのこと」
 無骨な男が頁を遡る。



「ベックは過去よりも今を生きる男」
 金髪男。
 胸ポケットに櫛は忘れない。
「昨日の不幸に泣くより、今日の腹と明日の賭けを楽しむ男。実に模範的人間であるからこそ、彼には決定的不幸も訪れなければ幸福も訪れない」
「でもそれをしあわせって云うんじゃない?」
 少女に白黒男は黙り込む。



 そして次に鋳造された女に少女は悲鳴を上げた。
「ママ!ママ!」
「そう、君の母親の名はヴェラ。グレート・マザー」
「ママ!ママ!ママ!」
 少女は半狂乱で頭を抱える。
「その存在により子を食い尽くしてしまう母親。そして彼女はbO12、bO00番代の存在は未だ不明」
「なに?貴方は何を云っているの?ママは何処?ママは何処?」
「だとしたらbO11は誰だ?」
 少女は逃げ出した。



 その少女の目の前にアンドロイドが鋳造される。
 女性型のアンドロイドだった。
「彼女の名はR・ドロシー・ウェインライト」
 少女の背後には白黒男。
「嘘を吐けるアンドロイド」
 だが少女は首を振る。
「でも人間じゃないわ」
 白黒男は口許を僅かに笑ませた。
「知っているかい、嘘を吐くという行為は真実を告げることよりも複雑な構造と思考に基づいている。人間のみが行える行為だと思われていた」
 嘘は過去への償い。
「だが彼女はアンドロイド」
 今日の慰め。
「記憶を失ったアンドロイド」
 そして未来を生きる知恵の実。
 白黒男は少女の細い肩に手を置く。
「彼女は記憶はなくとも、人でなくとも、未来は望めることを示唆しているのだ!」



「エンジェル!」



 何処にでもある手狭な部屋だった。
 簡素なテーブルでは幼い少女が白い画用紙に拙い絵を描いている。
 ぐつぐつとトマトのスープは煮えている。
「お嬢ちゃん、何をしているのかな?」
 老人は始めから在ったような奥深さで、唐突にそこにいた。
 少女は顔を上げて答える。
「あなたはだあれ?」
「わしはゴードン・ローズウォーター。このパラダイム・シアターのオーナーじゃよ」



『そう、脚本家は別にいる』



「それでお嬢ちゃんは一人で何をしているのかな?」
「お絵描きをしているの。探検ごっこの絵よ」
「ほうほう。どれ見せておくれ。今度の劇の参考にしたいんじゃが」
「ええ、いいわよ。どうぞ」
 差し出された白い画用紙にはトマトと人間、ロボットとアンドロイド。
 そして、
「これは誰じゃな?」
 白黒男。



 少女は微笑んだ。
「わたしの天使よ」

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