ライオン・マン
戦争の喧噪があった。
空から降りる戦艦。迎撃の砲。飛び交う弾丸。怒号と悲鳴。
そのような夜を切り裂いて神威が跳躍した。
瓦礫と化した街の上から、未だ撃ち合いの続く地上へと降り立つ。
(おうおう、今夜も暴れてやがる)
兵らへとまさに躍りかかる神威を視界の端に捉らえ、阿伏兎は思った。
思いながら、背後から襲って来た兵を振り返りざまに蹴り倒す。
そうしてもう一度神威を探せば、彼は地を蹴り、高く飛び上がったところだった。
頭上から砲弾を浴びせようとしている兵を始末するためだろう。
そのまま一気に体を捻り、蹴りを繰り出そうとする。
だが、「団長!」、阿伏兎は声を上げた。
同時に散発的な銃撃音が響く。
ぱん、ぱん、と神威の胸の辺りから血が吹き出した。それがぽっかり浮いた月にいやに映える。
(撃たれた)
阿伏兎は神威の背後を見遣った。小銃を手にした蛮族の兵。手は震えているようだった。
「団長、平気か」
神威は僅かに体勢を崩していた。だがすぐに空中で立て直す。
そうして狙いを神威に定めようとしていた砲弾兵をその砲筒ごと蹴り飛ばした。
頭骨がひしゃげ、壁に叩きつけられる兵。凄まじい音と共に建物の一角が崩れる。
その土煙の中、神威は再度跳躍した。恐怖にひきつる小銃の兵へと踊り掛かる。
「あーあ、一張羅が台なしだ」
神威は胸元を指で摘んだ。穴がふたつ。血も染みている。
阿伏兎は手近な壁に傘を立て掛けた。外套を取り、椅子に投げる。
「傷は」
「たいしたことないよ」
神威は手早く上を脱いだ。傷の具合を見るためだろう。無造作にベッドの脇に服を落とす。
阿伏兎はそれを拾い上げながら、その背を見遣って、「おい」、と首を傾げた。
「銃創、四つあるぜ」
指摘すると、神威は「やっぱり」と言った。
「二発、貫通していないみたいだ」
ごろごろする。などと言う一方では、けろりとしていた。
阿伏兎の気掛かりも、(血、拭かねーと、スプラッタだ)、床や壁に血が付かないか、そういうことだった。
神威の服を空いた椅子に掛け、布か何かを探す。
だがその途中、「阿伏兎」、と呼ばれた。
見遣れば神威は背を向けていた。手で束ねた髪を前へと垂らしている。
項が白かった。背も白かった。それに、細い。
「取って」
赤い傷が、赤い血が妙に目につく。
「医務室があるだろ」
阿伏兎はがりがりと頭を掻いた。 (めんどくせえな)、が本音だ。
だが神威は取り合わなかった。いつものことだ。
それどころか、「阿伏兎で事足りるよ」、とさっさとベッドに上がり、胡坐をかいてしまう。
仕方なく阿伏兎もベッドに腰掛けた。きしり、と硬いスプリングが軋む。
阿伏兎は強い酒を指にかけた。
「で、どれに弾がまだ入ってんだ」
濡らした布で血を拭ってやる。背の銃創は四つもある。
神威は首を傾げた。
「さあ」
「さあって」
(しゃーねーな)、舌打ちをひとつして、右手を神威の胸に回した。
「失礼しますぜ」
わざと保っていた距離がぐっと縮まる。彼の肩ごしに傷を覗き込めば尚更のこと。
そのまま彼の胸の傷をまさぐった。同時に左手をわきに添え、指で背の傷も探る。
神威は可笑しそうに低く笑った。
「阿伏兎、やらしい」
(こいつァよ)、阿伏兎は手を休めることはなかったが溜息をついた。
「やめてもいいんだぜ」
すると神威は、「怒るなよ」、とまた笑う。
それから、「ねえ、阿伏兎」、と言った。
「あん?」
答えるが、(お、あった)、阿伏兎は銃弾を見つけたところだった。神威の言う通り、二発取り残されている。
内臓を傷つけてはいない。それどころかもう弾を取り込むように新しい肉が、皮膚が張りかけている。
(若いねェ)
阿伏兎は結局何かを言おうとする神威には構わずそういうことを考えていた。
だが神威もまたそういう阿伏兎には構わないのだろう、何かを話している。
阿伏兎が聞き取ったのは、「銃火器は好きじゃないよ」、というところからだった。
「あれはかんたんに殺しをし過ぎる」
「アンタだって、そうだ」
手を離す。体も離す。
代わりに指先を背の傷にのせた。ここにももう新しい皮膚が張りかけている。
「容易に、ってことさ」
「分かってるさ。怒るなよ」
阿伏兎は、(少し、破らなきゃなんねーな、こりゃ)、無造作にその傷に酒をかけた。
だが神威は少しも気にした風がない。
「花には花の」、などと神威は似合わないことを言った。
「花には花の、虫には虫の、ライオンにはライオンの生き方がある。
だけど、こいつはかんたんに花を虫に、虫をライオンにしてしまう」
とんとん、と神威は弾丸の詰まった胸を指で叩いた。
(弾が動いたらどうすんだ)、という阿伏兎の内心を神威が汲み取ることなく、
「おれはね、阿伏兎」、と言っている。
「不相応、って言いたいんだ。張りぼてに用はない。おれはライオンとやり合いたいんだよ」
阿伏兎は、(こいつは使わないんだろう)、と立て掛けた番傘を見遣った。
(理解も、納得もできるが)、不要なのだろうとも考える。
「指、入れるぞ」
(今は廃れた親殺しまでやってのけようとするこいつは、
不相応な銃火器を持ち出してまで、虫がライオンの張りぼてを被ってまで、背中に庇いたい者がいる、
そういう思いを持たないんだろよ)
阿伏兎は無骨な指で神威の中を探った。くちゅ、くちゅ、と肉が鳴る。
は、と神威がささやかに息を漏らした。
「アンタはライオンじゃない」
さすがに、じわり、と汗が浮く白い項を阿伏兎は眺めた。
「ライオンだって、化け物とやり合うときには、化け物の張りぼてを被るだろうよ」
一際ぐちゅり、と奥まで突き込む。
「あ…」と跳ねる背。転がり落ちる銃弾。一筋の汗。
「虫も、ライオンも、そうかんたんに背を撃たせやしないさ」
護るものが虫にも、ライオンにもあるだろう。だから、(アンタはライオンじゃない)。
(無防備にも程があるぜ、団長さん)
そういう阿伏兎はこの頃、背に傷を負っていない。
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