後天性帰巣本能
「粗方は片付けた」
阿伏兎が戻ったのは、まだ朝のことだった。第七師団が降りてから四時間と経ってはいない。
神威は台地の上から星を眺めていた。
彼も短い間は戦場に立っていたはずだ。ところどころ衣服に砂埃がまとわりついている。
「まだ動いてるよ」
神威が言ったのは、阿伏兎が受け持った地区のことだろう。阿伏兎はとんとんと肩を傘で叩く。
「粗方、って言っただろう」
すると神威は目だけを出した顔でふいと阿伏兎を見た。それからまたすぐに星を眺める。
「いいよ」と言う。
「容赦してあげる」
それを聞いて阿伏兎は傘を差した。
砂埃に霞んだ陽が高く上がっている。顔まで覆った神威とは違い、阿伏兎には傘が必要だ。
「そろそろ引き上げさせといて」
神威が言った。
振り仰いだ空には陽を隠すように新たな船影が降りている。
制圧部隊か。阿伏兎は思った。
(あれには容赦がない)
女こども殺しは趣味じゃないと言う神威が見逃した、
(と言うよりも、わざわざ追い掛けなかった、だけだろうがね)、女こどもまでを狩り出す。
(俺たちは戦争をしているんだ)
そういうことも戦争には必要だと思うのではなく、そういうことが戦争なのだと阿伏兎は思っている。
だから阿伏兎も、もちろん神威もそうすることに異論はない。
「でも、第七師団はこれでお役御免だ」
神威は空を仰いだ。髪も衣服もはたはたと風に煽られている。
第七師団は制圧をしない。できるが、しない。すると効率が良いが、決してしない。
「上はアンタに手を焼いている」
阿伏兎が言うと神威はまず髪を抑えた。それから阿伏兎を見て、目を細める。
「つまんないから、きらいなんだよ」
神威は開戦の瞬間が好きだった。
さあやるぞやるぞと双方なっているのが好きだった。対峙し、拮抗し、戦い合うのが好きだった。
(だから制圧戦は趣味じゃない)
神威はそうは思ったし、阿伏兎にもそう思われているだろうと分かっているから、違うことを口にした。
「阿伏兎、資質なんだよ」
神威は体ごと振り返った。そのまま歩き始める。
髪も衣服もまたはたはたしたが、煽られるままでいいやと神威はそういうことに頓着をしない。
「下に手を焼くのは、上に立つ資質がないからさ」
神威が言うと、阿伏兎は幾分つまらなそうだった。不服そうでもあった。
「上下という箍が外れているアンタの上にはだれも立てないだろうよ」
「そんなことないよ」
だが阿伏兎は「そうかね」と懐疑的だ。
神威は笑った。そうだよ、と言ってやる。
「少なくともおれはお前の上で、お前はおれの下だ。おれの箍が全部外れてるわけじゃない。
それにさ、阿伏兎」
神威が阿伏兎とすれ違う。
だが神威は止まりはしないので阿伏兎が目で、
目では足りなくなれば顔で、顔で足りなくなれば体で追うしかない。
「おれはお前に手を焼いたことはないよ」
おれはけっこうお前の上にはふさわしいだろ、と神威はけらけら笑った。
阿伏兎は頭をがりがり掻いた。そうしたところでなにかよい建前が思い浮かぶわけでもない。
「阿伏兎」
「うん?」
「引き上げよう」
神威は笑いを引っ込めていた。
あっという間に遠ざかる。名残などというものはきっと神威にはないのだ。
「第七師団は三十分以内に戦艦に完全撤収。
負傷者の手当、被害状況と要補給物資のリストアップ。
それに制圧部隊がうるさくするだろうから、各地区の地図とだいたいの占拠制圧率を引き継いでおいて。
同時にできるのなら良し、できないのなら撤収作業と引き継ぎを優先すること。
何人か使ってもいい。
おれには一時間後にできたのか、できなかったのかだけ報告してくれればいいよ」
阿伏兎はまた頭を掻いた。どっと溜息が出る。
おれはお前に手を焼いたことはないよ。と神威は言ったが、
(そりゃそうだろ。俺がアンタに手を焼いているんだ)
それでも足が神威へと踏み出る。
神威が言った通り、(俺の上には団長がふさわしいんだ)、阿伏兎はもうそこへしか帰れない。
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