シンプルマインド
さあもう一息だ。という瞬間が一番好きだ。
戦い、争い、息の根を止め合う。時を忘れる。
その内に、ついに僅かに速さと力が上回る瞬間がなによりもたまらない。
神威はいつだって笑顔で送ってやるが、
(そいつが俺の流儀だ)
ほんとうにうれしくて笑っているときだってある。
さあもう一息だ。
神威はやりあっている奴の、
(あり。阿伏兎にちゃんと名前を聞いたのに忘れちゃったな)
蹴りを肩で流して、懐に飛び込む。
見上げれば目が合った。その目に驚愕はあったが、怯んではいない。
こいつは強い。久しぶりの強い獲物だ。
たのしいじゃないか。うれしいじゃないか。
くちびるが綻ぶ。
さあ、顎を砕いてやろう。
さあ、首をへし折ってやろう。
さあ、狩ってやろう。
左手で相手の喉を捕らえる。間を置かずきりきりと締め上げる。
右の拳を繰り出した。
速さも力も神威が上回っている。
いける。やれる。狩れる。
神威がそう思った瞬間だった。
神威の拳と相手の顔の間に、ぬっと手が現れる。結果として神威の右拳が打ったのは、その手だった。
「そこまでだ」
手がのそりと引く。阿伏兎だ。
興が覚めた。神威は左手で掴み上げていたものをぽいと放り出す。どさりと音がした。
阿伏兎を見上げた。
阿伏兎は神威に打たれた手が痛むらしい。こきこきと指を動かして具合いを確かめている。
神威はにこやかに笑った。
「殺しちゃうぞ、阿伏兎」
血がぐるりと回る。
阿伏兎は知っていて取り合わなかった。無精な阿伏兎がよくすることだ。
「殺すなよって言ったろう」
阿伏兎は足元に横たわる奴をちらりと見下ろした。
喉を少し潰してしまったらしい。息がうまくできないようだ。浅い呼吸を繰り返している。
神威は惚けることにした。よくすることだ。
「言ってたっけ」
阿伏兎はやはり知っていてため息をついて見せた。
「言ったんだよ、団長。こいつは、この星のいっとう偉い奴でね。ただ強いってだけじゃない」
阿伏兎はいっとう偉い奴などと言っておきながら、そいつの襟足を無造作にむんずと掴む。
「俺たち春雨はビジネスをしに来ているんだ。テンセイキョウの種を仲良く蒔きましょうってな」
ビジネスは相手がいないとできんだろ。と阿伏兎が言う。
神威は首をすくめた。
「ビジネスってやつはややこしくて難しいね。俺は戦ったあとに生まれるものになんて興味ないや」
「そうだろうよ」
「それじゃあそいつをよこしてくれ。続きがしたいんだよ、阿伏兎」
神威が言うと、阿伏兎は「やれやれ」と空を仰いだ。
それから神威の前にぷらりと獲物をぶら下げる。
「戦場と寝床と米をご自分で調達できるなら、どーぞ」
ほれ、と阿伏兎が言う。
神威は考えた。
寝床も米も戦場だって阿伏兎なら調達してくれる。
(そういや阿伏兎はおれが春雨を離れたらついて来ないんだっけ)
だが、ともかく、いっとういい戦場を得るには春雨にいるほうが都合がいい。
それくらいのややこしさくらいは神威だって必要があれば考える。
神威は笑顔を引っ込めた。
阿伏兎はずるずるとビジネス相手を引きずり出す。それからぼやいた。
「あーあー団長がついて来るとすぐこれだ」
その背を呼ぶ。
「おーい、阿伏兎。帰んないの」
「あのなあ。ビジネスをしに来たって言ったろ。帰ってどうする。このすかぽんたん」
ああくそめんどくせえこった。
そういうわけで団長、これ以上アンタのめんどうまでは見切れないんでおとなしく先にご帰還願えますか。
阿伏兎がそう言うので、
(せっかく阿伏兎が面倒事をしてくれるって言うんだ)
神威は先に帰ることにした。
傘を開く。
もうだれもいなくなった、
(俺がだれもいなくしたんだけどね)
戦場をぷらりぷらりと歩く。
(戦場はこうでなきゃ)
戦場には思惑も情もいらない。思惑や情はちょいと複雑過ぎる。
複雑であるということは脆いということだ。ひとつ綻びると崩れていくのが止められない。
(そいつは弱いということだ)
父も師も弱くなった。
阿伏兎はきっと神威に出会ったときから弱くなった。
(困ったな)
神威はくるりと傘を回した。
だからといって戦場がかわるわけでもない。神威だけがいる。戦場に立っている。
(このままじゃ強いやつがだれもいなくなるじゃないか)
神威はひとりぼっちの憂いさえ、ごくシンプルにできている。
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