第七師団 Log




こころかくして


 「夜通しだったんだがよ」

 阿伏兎はその言葉に言外に「退いてくれ」を含ませたが、

 どうやら通じなかったか、却下されたか、どちらかだったのだろう。

 神威は床に着いた片肘だけで中途半端に上半身を起こす阿伏兎の腹から降りようとはしなかった。

 放り出した両脚の間に自分の脚を摺り寄せてくるあたり、(却下かよ)、阿伏兎は頭を擦りたくなった。

 先程床に押し倒されたときに軽く打ったらしい。

 「夜がいいって言ったのは阿伏兎だろう」

 阿伏兎に与えられた船室の時計は午前五時前だ。宇宙を航行する第七師団はこの時刻に従っている。

 「そりゃ、太陽が出ているときより合理的に進められるからな」

 複数の夜兎で構成する第七師団を戦闘に投入するのは夜がいい。

 阿伏兎が言い、神威が承諾し、つい今の今まで阿伏兎は戦場に立っていた。

 「太陽は厄介かい?」

 眉間にくちづけられながら、(疲れてる、と言ったところで無駄なんだろうよ)、阿伏兎は降参した。

 左腕があった頃は彼の細い腰を抱いてやったが、今はそうもいかない。

 上体を完全に起こす億劫をし、彼のこめかみにかかる髪を唇でよける。

 「アンタは厄介とは思わないのか」

 言うと、神威は笑った。

 「俺はお米が好きだからね。太陽がなけりゃあれは食えない」

 神威は愛だとか憎悪だとかのためには強くはなれないだろう。阿伏兎は本当にそう思う。

 そうしてそう在って欲しいとも、酷いことだが、思っている。

 阿伏兎はこの頃、神威を抱き辛くなった、と思う。

 彼が遠い昔に捨ててしまった愛だとか情だとかを注いでしまいそうになるからだ。

 きっと少し乱暴にしてやるくらいが、自分にも神威にもちょうどいい。




いつかひとりになる日が来る


 釣り糸が垂れていた。

 海に着水した第七師団の旗艦である。

 阿伏兎は傘を開いた。甲板に出る。

 神威は露出した顔や手に布を巻いただけの姿だ。海にはみ出した足をぶらぶらとやっている。

 「終わったぜ」

 阿伏兎は神威の背に立った。陽射しは後ろから差している。

 もうすぐこの惑星の陽は沈む。第七師団が動き出す。

 阿伏兎は今回動かす数隊とつい先程最終確認を終えたばかりだ。

 「ご苦労様」

 「団長にはいつになったらご参加頂けるんですかねえ」

 釣り糸が引かれる。神威はひょいと魚を釣り上げた。

 「お前に委任してある。俺はお前が上げた案を承認するか、却下するか、だ」

 「有り難いことに承認された覚えしかねえなあ」

 「不可能だと判断すれば却下するさ」

 神威が釣り上げたのはまだ小さな魚だった。跳ねる体を釣り針から外してやる。

 神威の手つきはこういうとき、ていねいだ。

 どうやらそれを腹の足しにするつもりはないらしい。

 「大きくなったらまた掛かってよ」と言いながら海へ返す。

 「興味なんざないだろうが」

 阿伏兎はその様を眺めながら言った。

 (こいつにとって、飯も戦闘も等価だ)、とは阿伏兎の確信である。

 「女とガキ以外にも狩っちゃならねえ奴もいるんだ」

 「あぁ。ビジネスだろう。教えてくれれば手は出さないよ」

 「さっきの場にいてくだされば教える手間が省けたんだがね」

 「興味がないんだよ。必要最低限のことだけでいい」

 神威はまた糸を垂らす。

 甲板は騒がしくなり始めた。ボートを降ろす作業が開始される。

 「阿伏兎」

 「うん?」

 「お前は、たとえば、魚を釣るときに釣られる魚のことを考えたことはあるかい?」

 神威の言わんとすることは阿伏兎にはよく分かった。

 「肉を食べるとき、群れのリーダーの肉かもしれないと考えたことは?」

 等価なのだ。他の種族でいうところの捕食と夜兎の戦闘は等価であるのだ。

 「だが、それは夜兎にしか分からんことだ」

 その夜兎もずいぶんと数を減らした。

 残った夜兎も、この頃は釣るには釣るが、釣った魚には家族がいたのか、と考えるようになっている。

 「お前はいずれ頭でしかわからなくなるよ」

 神威は夜兎である。きっと、たった一人残される夜兎たる夜兎である。

 彼を夜兎たらしめるため、阿伏兎は彼の言う通りになるだろう。

 そうして、皮肉なことに、阿伏兎が神威をひとりにするのだ。

 ボートは降ろされた。兵隊たちが乗り込んでいく。

 神威はまだ釣りをしていた。

 阿伏兎は彼に傘を差し掛けるまではなくとも、置いていくことも彼に情があるので出来ないでいる。




けれど胸の痛みはかんたんには癒えない



 傷付いてもすぐに癒える肌は、だからといって傷付いてもよいというわけではないはずだ。

 阿伏兎は神威の左手の甲の血をぐいと指で拭う。

 放たれた砲弾を、彼は彼の気性だとか生来の血だとかに従いこの甲で弾いた。

 右手で砲身をひしゃげさせるために、彼は左手に頓着をしなかった。

 そのまま握る。

 「俺は、アンタが夜兎じゃなかったら、やめてくれと言うんだろうよ」

 阿伏兎の手の下で、もう神威の傷はふさがってしまっている。




血を愛でる夜兎



 星の荒野の遠くでは未だ煙が立ち昇っている。月は照らさず、煙はより一層黒く濃い。

 阿伏兎は瓦礫に腰掛けた。つい先程阿伏兎が瓦礫にしたこの星の誰かの住処だ。

 あの煙もこの星の何かを、誰かを、焼いているのだろう。

 その折、不意に頭上の僅かの月明かりさえ翳った。

 「監査しちゃうぞ」

 顔だけで仰ぐ。神威であった。そも神威でなければ阿伏兎はとっくに飛び退いて、首くらいは絞めている。

 「アンタに言われたかねえなあ」

 「俺も今日はビジネスってやつに励んでるさ」

 神威は言って、阿伏兎に顔を近付けた。

 そうして神威らしく強引に舌でもって阿伏兎の口に割って入る。

 阿伏兎は眉根を寄せた。不躾に神威の顔をぐいと押して避ける。

 だが、なにも神威との行為を嫌ってのことではない。

 「口の中、切れてるぜ」

 阿伏兎は喉を濡らす神威の血に僅かに咽る。神威は笑った。

 「なかなか愉しい相手だった。今夜は気分がいい。俺はご機嫌なんだ。

 だから阿伏兎にもお裾分けしてやるよ。俺の血が好きだろう?」

 喉に染み入る神威の血が阿伏兎に眩暈を引き起こす。




種の保存


 「残しといたぜ」

 旗艦に戻った神威に阿伏兎は労うでもなく、そう言った。

 窓の外の星が遠のく。つい先ほどまで神威が立っていた星だ。

 空へ上がれば、星を焼いた煙ももう見えはしない。

 体を離れた魂はその亡骸を焼く煙を伝って空へと昇る。そうして、やがては星になる。

 そんなきっと残された者の哀しみを癒す言い伝えは、

 宇宙に生命が乗り出すようになってからお伽話になってしまった。

 魂が伝う煙は空高くに昇るまでに途切れて消えてしまうのだ。

 神威は阿伏兎が顎で示したものを見遣った。果実だ、それも新鮮な。

 「積んだの?」

 「さっきな」

 そういえば阿伏兎には今回補給を頼んでいた。

 雷槍と言えば聞こえはいいが、どうもこの師団は交渉や補給に優れるものが少ない。

 果実を手に取る。それはまだ皮のぴんと張った、けれど瑞々しい色をしている。

 宇宙を行き来しているとなかなか口に出来ないのは、こういう生命の息吹を未だ宿したものだ。

 「おいしそうだね」

 「ああ、美味かった」

 どうやら阿伏兎はもうそれを食べていたらしい。

 補給リストを捲りながら(紙媒体を好むアナログ派だ)、齧ったのだろう。

 神威もそれに倣った。一口でいくにはそれはさすがに大きかったので、歯を立てて齧る。

 しゃく、と果汁が果肉から溢れた。甘酸っぱい、生命の美味みだ。

 ところで、もし神威が阿伏兎なら、残らずその果実らを平らげていただろうと神威は思う。

 神威はリストに何事かを書き付けている阿伏兎を眺めた。

 阿伏兎は神威に投げられた職務には悪態をつくが不真面目にはしない。

 夜兎族らしからぬところが、果実のこともそうで、阿伏兎にはある。

 「阿伏兎は残すことが好きだね」

 それは神威からしてみれば理路整然とした結論だったのだが、

 阿伏兎からしてみれば素っ頓狂な話だったに違いない。

 「話が毎度のことながら見えねえ」と、漸く神威が戻って以来こちらを向く。

 「果実もそう。子孫もそう。つくづく阿伏兎は残すことが好きだね」

 夜兎は種族として自己本位なところがある。

 たとえば食物は他には残さない。

 大食らいのため残せないという見方も出来るが、

 他に譲るつもりがあるならば根こそぎ食べたりはしないだろう。

 夜兎にとって「共存する他」はきっと不要なのだ。突き詰めれば同族、女であったとしても要らない。

 それが種の保存を本能にして生まれた生命と、闘争を本能として生まれた戦闘種族の差であり、

 互いに理解がどうしても及ばない領域だった。

 「だった」というのは、この頃の夜兎は、神威の見るところ、

 どうも種の保存を第一とする生命に惹かれているきらいがあるからだ。父親、妹、師、それに阿伏兎。

 神威は残りの果実を一口でいった。しゃくしゃくと噛み砕いて喉を鳴らす。

 阿伏兎は「種は?」と訊いた。

 神威は「一緒に噛んで飲んだよ」と答える。

 阿伏兎はきっと種は食べなかっただろう。性交の時も阿伏兎は神威にせがまれて種を出す側なのだから。

 だが果実の種も、阿伏兎の種も、出したところで育つ土はない。

 「俺は種を飲むのが上手だからね」

 「アンタの冗談は笑っていいのか分からんね」

 阿伏兎は寂しいと神威は思う。

 彼は夜兎の本能を愛しながらも、生命をも深く愛してしまっている。

 もう彼自身は彼の愛した夜兎ではないのだ。

 その阿伏兎は神威を寂しいと思っているはずだ。

 生命に惹かれる残り少ない夜兎族の中で、神威だけが夜兎として生きている。

 それを孤独だと阿伏兎なら思うだろう。

 しかしそれらは、阿伏兎の思いごと、太古の夜兎の血を宿した神威が想う範疇ではない。

 連絡が入る。阿伏兎が取った。

 「遠くで星が爆発したんだとよ」

 何気ない口調に神威は宇宙を窓の外に見る。

 星ですらその死から新しい命を紡ぎ、宇宙は今も膨張している。

 それもやはり神威のなにかしらが及ぶところではない。





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