第七師団 Log




おいしい関係


 「おーい、阿伏兎」

 と神威が阿伏兎の自室に踏み込んでくるのは何年経っても改善されないようなので、

 そのことについては諦めた。

 阿伏兎は枕に顔を伏せたまま「勘弁しろよ」と呻く。つい一時間ほど前に漸く眠ったところだった。

 「なに。どしたの。もう朝の八時だよ」

 神威は容赦なくうつ伏せの阿伏兎の肩に腰掛ける。

 「…この惑星では、だろ」

 「ああ、そうだったね。お前の行ったところは六時間くらいずれているんだっけ」

 「そーですよ。ご理解頂けたんなら、どいてもらえませんかね」

 阿伏兎が言うと、神威は素直に立ち上がった。

 ただ「ほら、どいてやったよ」と言う辺り、これで部屋から出て行く気はないらしい。

 阿伏兎は先手を打って神威に背を向けたが、彼はそういうことに気を回さない。

 「朝ごはんがまだなんだ」

 などと抜け抜けと言う。

 「物資補給の関係で食堂が開いてないんだよ」

 「あー」

 そうだった、と阿伏兎は半ば眠りながら思い出した。

 他の師団も乗り入れるこの中継惑星で第七師団も今次の航海に必要な物資を積み込んでいるのだ。

 「外に食べに行って来い」

 阿伏兎は手をちょいちょいと振って追っ払おうとしたが、

 その神威は今度はベッドに膝をついて覗き込んでくる始末。

 「そのつもり。地球のごはん屋さんがあるんだって。だからお前を誘いに来てやったんじゃないか」

 「そりゃどーも。お気遣いだけ頂いときますよ」

 「じゃあ一人で行ってもいいんだね?」

 その言葉に阿伏兎は億劫げに目を開いた。上半身を起こす。

 「云業は?」

 「出てる」

 「他の奴、じゃダメか」

 他の師団も乗り入れている惑星だ。荒くれ者もいるだろう。

 神威のことは全く心配ではなかったが、彼が起こすかもしれないトラブルを思えば胃が痛んだ。

 のそり、とベッドから降りる。

 「行くの?」

 そういう神威の問いに阿伏兎は大きく欠伸をしながら、「…十五分だけ待っとけ」とシャワーへ向かう。

 その背に呼びかけられた。

 「阿伏兎」

 「あー?」

 「余程吹っかけられない限り、おれはごはんがあるところで暴れたりしないよ」

 「はあ」

 阿伏兎は曖昧に頷いた。彼が言おうとしている意図が掴みきれない。

 それに気付いたらしい神威は付け足した。

 「だから、言っただろう。おれはただ地球のごはんを一緒に食べに行かないかって誘いに来たんだ」

 きっとおいしいよ、などと言う。

 「…そりゃ光栄だ」

 不足している睡眠のことを阿伏兎は少しだけ忘れた。




手を合わせる


 「阿伏兎、阿伏兎」

 ラウンジで書き物をしていた阿伏兎に、「手合わせをしよう」、と神威が寄ってきた。

 阿伏兎はちらりと神威を見上げ、それから向かいに座るよう空いた左手で示す。

 そうしてそのまま左腕の肘をテーブルの真ん中に置いた。

 「なに?」

 「手合わせ」

 「握ればいいのかな?」

 神威の左手が阿伏兎の左手に合わさる。その瞬間、きゅっ、と阿伏兎は手に力を込めた。

 とん、とかんたんに神威の手が腕はテーブルに倒れる。

 「なにこれ」

 神威は阿伏兎の手に腕を素直に倒されたまま首を傾げた。

 阿伏兎は書き物を続けている。神威のほうはちっとも見ない。

 「腕相撲」

 「手合わせ?」

 「そーだ」

 「ふーん」

 神威は押さえつけられている自分の手をまじまじと見下ろした。

 その神威に、漸く「なあ」と阿伏兎が自ら声を寄越してくる。見れば彼は顔を上げていた。

 「いつもこれくらいかんたんにアンタを押さえ込めたらいいんだけどな」

 そうは言いながら自ら手を退けるところが如何にも阿伏兎らしいのだ。




多情雨



 雨か、と阿伏兎は番傘を叩く微かな雨音で気付いた。

 頭上に翳していた傘を、これまでもそうしてきたように、下ろす。

 開きっぱなしの傘に溜まるような雨ではない。

 「濡れるよ」

 後ろから声を掛けられた。振り向くと神威は傘を差している。

 阿伏兎は何事か言おうとしたが、

 「雨は雨だよ」

 神威がそうさらりと言うので、阿伏兎一人が感傷に耽るのはどうも憚られる。

 「お前は多情でいけないね」

 阿伏兎が傘を肩にかけると、神威はそのあと、

 「空からもしキャンディでも降ってきたなら、おれも見上げることにするよ」

 と少しふざけた様に笑った。




キス



 (ああ、なんてこった)、阿伏兎は胸中嘆いた。だが若い頃から顔には出ない。この頃は特に出なくなった。

 目だけを逸らせば彼越しに無機質な天井が見える。

 「なにしてんだ」

 そう言おうものなら、彼の舌が咥内に無遠慮に踏み込んでくる。

 実際彼は唇を触れ合わすだけでは物足りないのだろう、気性その通りに彼は一方的をひどく嫌う。

 彼、神威は首を傾げた。キスってこういうものだろう、などとさらりと言う。

 「ちがうの?」

 阿伏兎はやはり胸中嘆息した。

 世渡りは下手だと言うが、神威は阿伏兎の御し方はよく分かっている。

 そう言われてしまえば、「…ちがわねえけど」としか言いようがない。本当にない。




落っこちたのは


 「うーん、絶景だね」

 まるで身包みを剥がれたような鉄筋だけ残った廃墟のてっぺんに立った神威は額に手を翳す。

 阿伏兎は根っこで空を仰いだ。まだ陽は高い。

 つい先程まであの空に突き刺さるように鉄筋の森が群生していたというのに、

 今は神威の言うよう見晴らしがとてもいい。

 こきり、と首の骨を鳴らす。

 「団長」

 遥か高いところにすっくと立った彼はご機嫌だ。

 足場の不安定さなど気にも留めないし、落っこちたとしても途中で一回転くらいはするだろう。

 詰まるところ、阿伏兎が心配するほどのことなどないのだ、彼の身に。

 とは分かりつつ、阿伏兎はもう一度、「団長」と言った。

 「落っこちるぞ」

 たとえば小さな子どもがいて、無邪気に高い塀の上を歩きたがったり、

 飛び石をぴょんぴょんと飛びたがったり、たぶんそれと同じなのだ。

 危ないからやめなさい、怪我をしたらどうするの、と言う大人と阿伏兎が同じなのだ。

 すたり、と神威が真横に着地する。

 阿伏兎は空を見上げる意味をなくしたので、今度は横を見遣る。

 「阿伏兎はさ」

 なんて子どものようではない無邪気さで笑って言う。

 「おれのこと、愛しているんだね」





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