あかりのひと
「迷子になっちゃうよ」
どうして夜なのに傘なんか差してんだ、と問うた阿伏兎に振り向いた神威は口許だけで笑った。
「だれが」
「阿伏兎が」
そのままひょいとまた夜を遠くに駆けてしまう。
阿伏兎は頭を掻いてから、夜にぼんやりとひとつ赤く灯る傘を追いかけた。
(あれが、少なくとも俺の行き先だ)、などと考えながら。
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もうずっと
笑っている、と分かったのはつい今しがた噛み付いた肩が上下に揺れているからだ。
おれがそうしているように、阿伏兎の手がおれの後頭部を鷲づかみにする。
「乱暴だね」
「どっちが」
引き離された肩には噛み跡が残る。
「なあアンタ」
「うん?」
今度はもう千切れてしまって半分になった耳に噛り付く。阿伏兎はまた笑った。苦笑いだ。
「最近、噛み癖がひどいぜ」
妹に俺を食われたのが気に入らないのかい、おにいちゃん?
首筋にくちづけられる。おれは「まさか」と可笑しくて笑った。阿伏兎を抱きしめる。
「阿伏兎のおいしいところは、もうずっと昔におれがもらってるよ」
ほかのだれかにあげられるところなんて、ない。
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結局俺ァあんたさまには弱いんだ
「女を抱いてきたね」
停泊する艦に戻ったのは夜明け前だった。だが神威は起きていたらしい。
「子供は寝る時間だろ」
阿伏兎は仕方なしに足を止め、神威を見遣った。夕方に別れた時のままの格好だった。
「さっきまで、じじい共の話し相手さ」
そう言う神威は、また「女を抱いてきただろう」と繰り返す。どうやら有耶無耶にさせてはくれないようだ。
阿伏兎は「偶にはな」と頭を掻いた。
その言葉に続けるように「女によくしてもらいたい?」と神威が言う。
「アンタとじゃ、そういうわけにもいかんだろ」
「うん。別に責めてるわけじゃないよ、阿伏兎」
神威の腕がするりと阿伏兎の首に回される。
(おいおい、今からするのか、勘弁してくれよ)、と阿伏兎は後ずさりをしたい思いだったが、
「でも、おれも阿伏兎によくしてもらいたい」
掴んだ腕を外せず、離せずにいる。
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ゆびすい
「あり?」
目の前が赤くなったと思ったら、何も見えなくなった。
とりあえず振り返り様に背後の気配に神威は蹴りを放つ。
だがそれは「おいおい」という声とともに止められた。阿伏兎だ。足の甲にある感触は腕。
神威はとっ、とっ、と跳ねて引いた。
「阿伏兎。危ないよ」
「ああ、今危ない目に遭わされた」
手が伸びてくる。無造作にぐいと顔を拭われた。
「返り血、ついてるぜ」
親指の腹を見せられる。何度か瞬きをして、漸くその赤が見えた。
折角なので、にこ、と笑い、ちゅ、と親指に吸い付いた。
阿伏兎は困ったような、もう諦めたような顔をしている。
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戦わずしては生きられないというのに
「ねえ阿伏兎。
夜兎は生きるために呼吸をしているんじゃないんだよ。
戦うために、生きているんだ。
体が頑丈なのも、殺しに長けるのも、戦場で生き延びるためじゃない。
より多く戦うためだ。
戦うために、おれたちは生きるという手段を選んでいるだけなのさ。
ここまでは理解できる?」
問われて「ああ」と阿伏兎は頷いた。理論ならそもそも阿伏兎のほうが上なのだ。
神威は怒っているわけでも、阿伏兎を蔑んでいるわけでもないのだろう。
ただ忠告のつもりなのだ、きっと。
「阿伏兎。残り少ない夜兎っていうものを大事にしたいなら、お前自身の生き方も選択しなきゃネ?」
阿伏兎の左腕はもう半分以上もなくなってしまっている。
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