聖戦後、生き返りパラレル

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  ミッドナイトチャンネル  


「なあ、悪いのだが、テレビ貸してくれ」
 深夜1時過ぎ、サガの寝室へと続く扉を開けて言うと、ベッドの上で両脚を放りだし読書に耽っていたサガは、こちらを見向きもせずに、「ああいいぞ」とだけ言った。相変わらず身内にはぞんざいな奴だと思う。しかし身内といえば記憶の限り俺しかいないのだから、他の身内がいてもぞんざいなのかまでは解らない。とりあえず俺にはぞんざいだ。
 了解の意を有り難くも頂いたので、窓際に置かれたベッドの縁に腰掛ける。が、邪魔だと一言、サガに床に小突き降ろされた。
「ここが一番見やすいのに」
 貸して欲しいテレビはちょうどベッドの直線上にある。
 サガは相変わらず本から眼を離さずに、口許の片方だけを吊り上げて言った。
「お前が貸して欲しいと言ったのはテレビだろう」
「じゃあベッドも貸してくれ」
「いやだ」
 ケチだなと口の中で言っておき、身を乗り出してテレビの電源を入れる。これではリモコンの意味がないと思った。
 持ってきたビデオテープをデッキにセットし、ビデオデッキのリモコンを探す。床の上をきょろきょろ見回していると、サガの声が降ってきた。
「なんだ、ビデオを見るのか」
「ああ、映画をな」
「リビングのビデオはやはり壊れていたか」
「ビデオも、ついでにテレビも壊れたままだ」
 つい先日バスタブをリビングに置き、互いの洗髪を試みた結果、耐水加工されていないテレビとビデオが犠牲になったのだ。えらい出費だ。どうしよう。
「次の粗大ゴミの日に処分しなければな」
 コツコツと何か硬質なもので頭を軽く叩かれる。振り返ると、サガがビデオのリモコンを差し出していた。もっと早くに出せ。
「ついでに新しいの買ってくれよ、兄さん。不便だ」
 受け取りながら、再生ボタン。
 サガはまた本を読み出したらしい。タイトルはこの角度からでは見えない。
「どうせお前が見るのは映画くらいだろう。必要ない」
 しかし画面はすぐに切れた。どうやらテープが捲き戻っていないらしい。仕方なく巻き戻す。
「じゃあスクリーンと映写機を置こう。我ながら名案だ」
「いいや。あのスペースにはリビングボードとスタンドを置く」
「置くって、もう決定なのか。テレビを見るためにいちいちお前の部屋に来るのはイヤだ」
 ベッドを背もたれに床に座る。しかし、すぐにサガの文句が飛んできた。
「カノン、私の髪を背に挟むな。痛い」
 その言葉にベッドと背の間に空間を空けると、サガは長い髪を自身の方へと引き寄せた。そして、何事もなかったかのように続ける。
「何故イヤなのだ?それほど面倒なことではないだろう?」
「面倒と言うか、喰われそうで怖い」
 わざわざ飢えた獣の檻へビデオを見に来るほどアホではない。
 俺が少しばかりおどけて言うと、サガは笑った。
「夜這いに来ているのは、お前だろう」
 違う。俺はリビングのテレビが壊れたから、仕方なく映画をここに見に来ているのだ。
「何が哀しくて兄を襲わにゃならんのだ」
 きゅるきゅるとビデオテープが捲き戻る。今度こそとビデオを再生した。
 さて、映画に集中しようかと思っていると、サガがまた話しかけてきた。まだ宣伝だからまあいいか。
「まあ冗談は置いておき、だ、カノン。いや、冗談でなくとも良いのだが」
「いや、冗談で置いておこう。むしろ冗談として捨てよう。テレビと一緒に。それで?」
「ああ。リビングにではなく、お前の部屋にテレビを置けば良いではないか?」
 紙が擦れ合う音がした。どうやらサガは本を読みながら話しているらしい。器用な奴だ。そう考えながらサガの提案について思案する。
 俺の部屋にテレビ。ねえ。
 結論は早かった。
「いや、ダメだ。テレビを置くスペースがない」
「ベッドくらいだろう、お前の部屋の家具は」
「最近増えたのだ。モーリス・ミニ・クーパーが俺の部屋を占拠している」
 そう言うと、サガは明らかに呆れたようだった。
「何故車を部屋に入れるのだ。外に置けば良かろう」
 景観問題がいろいろと発生するのを知らんのか。
 まあ他に駐車場を借りても良いのだが、車に乗るために何時間も歩いていくのは、ちょっと違うだろ。
 それに部屋を占拠しているのは車だけではない。
「ぶら下がり健康器具がすごく邪魔なのだ」
「なんだ、それは」
 問われて少し考えた。
「ぶら下がって健康になるもの?」
「私に訊くな。それで健康になったのか?」
「さあ、ぶら下がったことないから解らん」
 そう言ったところで気付いた。小さく舌打ちする。
 今度は何だと問われたので、知らない内に映画が始まってしまっていたと答えた。
 間抜けだと言われはしなかったが、そう鼻で笑われたような気がした。



 映画も三分の一が過ぎた頃、小腹が減ってきた。深夜の不思議。
 何かないかとサガに問うたが、何もないと言われたので、自力で解決しようと思った。
「あ。カップラーメンがあった」
 呟くと、サガは「あれか」と溜息を吐いた。
「ああ、あれだ。まだ大量に残っているのだ」
 これまた先日、ふたりで運試しとばかり片っ端から懸賞に応募した結果、俺がカップラーメン1年分を当てたのだ。因みにサガも何かに当たっていたが、忘れた。俺は月の土地が欲しかったのに。残念だ。
「隣近所に押し付けたが、まだ百食以上残っているのだ」
 カップラーメンが詰まった段ボール箱はやはり俺の部屋を占拠している。邪魔過ぎだ。
「ではそれを食べれば良いではないか」
 サガが言うが、いまいち俺は気が乗らない。理由は至極簡単だ。
「あれな、不味いのだ」
「しかし腹が減っているのだろう?」
「確かに」
 サガはどうだか知らないが、俺は特に味への拘りはない。美味いか、不味いかくらいは感じるが、とりあえず食えるか食えないかが重要なのだ。
 立ち上がり、扉の前まで行って、ふとサガを振り返る。
「お前も食うか?」
「もう二十食以上協力した」
 相変わらずサガはこちらを一瞥たりともしなかった。
「あ、そ」
 サガの部屋を後にしながら、思い出してビデオの一時停止をサガに頼む。
 背後からサガの溜息が聞こえた。



「やはり、不味い」
 定位置に座り直しながら、カップから麺を啜り上げる。
 一時停止になっていたビデオを再び再生し、プラスチックのフォークで麺を掻き回す。
 すると間髪入れず、サガの説教が飛んできた。
「カノン。食べ物を粗末に扱うな」
「へいへい」
 最近解ったことだが、こういうお説教には適当に頷いておくのが一番だ。もっと早くに気付けば良かったと心底思う。
「しかしどうしてこう、不味いのだろう、これ」
 それとも、俺の舌がおかしいのだろうかと不安になる。
 それでも麺をフォークで捲いていると、斜め上にサガの気配を感じた。どうやら僅かにこちらへと身を乗り出しているらしい。
 何かと振り返ると、サガは少しくれと言い出した。
「さっきは要らないと言っただろう。欲しいなら作ってやってもいいぞ」
 その薄く開いたくちびるの間にフォークを持っていきながら言う。
 だがきっと要らないのだろうなと解ってる。
 サガは一口味わった後、ぺろりとくちびるを舐めながら、美味くないなと言った。
「な、やはり不味いだろう」
「ああ、やはり美味くないな」
 読んでいた頁を伏せていた本を手にしたサガを視界の端からアウトさせ、テレビの方を向き直り、三口目の麺を口に運ぶ。
「じゃあ、残りのやつは明日炊き出しでもするか」
「炊き出し、か」
 また鼻で笑われた。
「お前も手伝ってくれよ。サガさま効果で雑兵共にさばけるかもしれん」
 しかし、サガは即決。
「お断りだ」
「意地悪。なんでだよ」
「そんな不味いものを私の名で配ったら、私の名に傷が付くではないか」
 はじめて不味いと口にしたサガに思わず笑ってしまう。
「お前のそういうところを、お前を崇めてる奴等に見せてやりたいものだ」
 一気にスープを飲み干した。やっぱり不味い。



 深夜三時近くになった頃、サガが寝転がる気配がした。映画もいよいよ佳境だ。
「これはどういう話なのだ?」
 振り返ると、片腕を枕にテレビを眺めていた。
「寝るのか?」
「いや、体を横にしたかっただけだ」
「もう歳だからなあ」
 そう言うと、後ろから回された手に頬を抓り上げられた。手加減してくれていると解っているが、痛い。
 仕方ないので素直に謝る。
「ごめんなひゃい」
「宜しい」
 解放された頬を撫でる。
「スナイパーの話だ」
「スナイパー?」
「ああ、スナイパーの話」
 この映画にはたった一画面しかない。狙撃銃のスコープ越しに覗いた出窓のある部屋が唯一の場面。
 スナイパーの標的はその部屋の住人で、その住人の日々をただ映している。
 それがこの映画の全てだった。
「そいつを殺さなければ、スナイパーが殺される。そういう設定なのだ」
 スナイパーを雇った奴からは報酬は出ない。
 いわばスナイパー自身の命が彼の報酬だ。命の期限は一週間。
「つまり、このスナイパーは己が生きるために、この住人を殺すということか?」
「ああ、でもちょっと違う。この映画の面白いところはそこではない」
 部屋の住人は最低な奴だった。
 月曜日に物を盗み、火曜日に人を殴り、水曜日に薬をやって、木曜日に強姦、金曜日に金銭絡みで人を殺し、土曜日に享楽殺人。正直、こんな奴、死んでもいいんじゃないかと思う。
「そんな住人の一週間をスナイパーはずっと見てるわけ。というかトリガーに手を掛けている時点で、狙ってると言う方が正しいかもしれない」
 けれど最後の日曜日、出窓に置いてあった植木鉢の花が枯れていることに住人が気付き、水をやる。
「で、スナイパーはどうしたのだ?」
「さあ」
「お前は何度もこの映画を見ているのではないか?」
「見ている。だが殺したかどうかは解らない」
 ついに運命の日曜日、穏やかな殺人決行日。
 スナイパーがトリガーを引き絞る先で、住人が花に水をやる。
「なあサガよ」
「なんだ?」
「俺は何度も何度もこの映画を見るたびに考えるのだ。俺がこのスナイパーならばどうするかと」
 時に俺はこの住人を殺すことに思い至る。
 時に、自らの頭を撃ち抜くことに思い至る。
「そして今は」
「今は?」
 雇い主を殺しに行こうと思ってる、そう言うとサガは声を立てて笑った。
 名案だと言う。
「カノン」
「なんだ?」
 少しだけ振り向くと、サガの体が壁際へと離れていた。
「良かったら、ベッドも貸してやろう」
 サガがそう言うので、素直にお邪魔することにした。
 時折サガの指が俺の髪を梳いたり、その髪を耳に掛けたりしてくる。
 お前ならばどうすると問うてみた。
 サガは少しも考えた様子なく即答した。
「私は部屋の住人だ。そしてお前がスナイパー、違うか?」
 なんとなくその通りだと納得した。納得したと同時に欠伸が出た。もう眠い。いつもならば眠気など起こらない映画であるはずなのに、今日は眠い。
「電気を消すか?カノン」
「ん…」
 部屋が急に暗くなる。テレビだけが異様に明るい。
「カノン」
 落ちていくような意識を受けとめられる。
「私も一緒にその雇い主とやらを殺しに行こう」
 乾いた銃声。
 映画は暗転、真っ暗闇。
 スナイパーはいったい誰にその銃弾を放ったのか。
 今夜はきっとあの古ぼけたパステルブルーの空だと思う。

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