1-1_繭の中、



 初夏、木漏れ日の優しい光が降り注ぐ明るい森にイタチが幼い弟を連れてやって来たのは、今日もまたアカデミーから帰るイタチを今か今かと待ち構えていたサスケが引き戸を開いた途端に飛び付いてきたからだった。
 「宿題」と母は口を酸っぱくして言うものの、それはイタチの事情で、まだ二歳のサスケは朝からずっとお利口に兄のイタチが帰って来て遊んでくれるのを待っていたのだ。一族で、集落で、二つになったサスケと同じ年頃の子は可哀想に誰もいない。イタチと手裏剣の玩具と怪獣と、それが小さなサスケの遊び相手だった。
「もういいかい」
 木の幹に伏せていた顔を上げ、イタチは林立する辺りの木々を見回した。若葉のにおいを連れたそよ風が吹き抜け、茂みを揺らす。どうやらサスケは上手く隠れたらしい。とはいえ気配を探れるイタチに掛かれば木陰や藪の中に姿を潜ませただけのサスケなんて一捻りだ。すぐに見つけてしまう。
「サスケ?」
 大体当たりを付けたイタチは、それでもなるたけゆっくりサスケが隠れた森へと分け入った。
 かくれんぼはもちろん児戯だ。だが、父や兄の話、それに巻物で眺める忍の身のこなしに何処か似ていると思っているのか、サスケは随分とこの遊びを好いていた。
 そうして、いつだってイタチがサスケを探す鬼だった。
 所詮まだ小さな弟の他愛ない子どもの遊びだ。特段何か不平があったわけではない。けれど、あんまりにも頑なにサスケが鬼の役を拒むものだから、いつだったかイタチは一度だけ不思議に思って、どうしてお前はそんなにも鬼になるのをいやがるのかと訊ねてみたことがある。あのときは確か雨降りの日で、仕方なく部屋で積み木を積んでいたサスケは、兄の問いかけにあっさりと答えてくれた。
「だって、兄さんはずるいことばかりするから」
「ずるいこと?」
 合点がいかず、イタチは首を傾げた。サスケの言い分はイタチには全く心当たりのない話だった。そもそもかくれんぼを初めてサスケとしたときからずっとイタチが鬼なのだから、サスケの言うずるいことなんてイタチにはしようがない。けれども、サスケはあたかもそんなことをされたことがあるようにイタチに向かって口を尖らせるのだ。
「そうだよ、兄さんはずるいんだ。せっかくおれが兄さんを見つけても、ただの分身だったり、ひどいときには、おれのおでこを小突いて逃げたりするんだ。いやだったのに、もうおしまいにしてほしかったのに、兄さんは勝手をして、ずっとおれを鬼にするんだ。だから、今度は兄さんがおれの鬼。兄さんがおれを追いかける番なんだよ」
 積み木の砦が築かれる。お城でないところが名門と名高い忍一族の子どもらしかった。
 サスケを探し歩く森でイタチは膝を擽る下草を踏んだ。夏のにおいがいっそう強くなる。
 あのときのサスケが言ったずるいことは、繰り返すがずっとイタチが鬼なのだから、したことはなかったけれど、なるほどもし自分が鬼でなかったならば、そうしてサスケが鬼だったならば、いかにもしそうなことばかりだとすとんと腑に落ちた。きっと聡いサスケにはイタチの大人になりかけた心の正体を見破られていたのだろう。
「サスケ」
 やがてイタチは木の根もとに覗く子どもの丸い足を見つけた。呼びかけ、ひょいと幹の裏に回り込む。
「見つけた」
 イタチが言うと、見つけられたサスケは無邪気に笑ってすぐさまこちらの腕の中に飛び込んできた。
「見つかった!」
「お前…」
 ぎゅうと嬉しげに腰に抱き付かれ、思わず苦笑する。
「かくれんぼは見つかったら負けだってちゃんと分かっているのか?」
 いつまでもイタチと二人きりのかくれんぼならいいけれど、サスケだっていつか大きくなり、集落を出ていく日が必ずやってくる。けれど、
「分かってるよ」
 サスケはとても利発な眸で頷いた。
「でも、兄さんがおれの鬼」
「おい、サスケ」
「ちゃんと十を数えるまで来ちゃだめだからね」
 イタチの腕の中からまたするりとサスケが逃げる。引き留める間もなく、小さな弟は森の奥へと身を翻してしまった。
 残されたイタチはやれやれと天を仰ぎ、たった今までサスケが隠れていた木の幹に顔を伏せた。
 そうして夕と夜が入り交じり、一番星と膨れた月が藍色の空に昇る頃、イタチは遊び疲れたサスケを背に負って家路についた。うちはの集落に続く里の小道を辿る。南賀ノ川の土手沿いまで来れば、里中の賑やかなざわめきはぷつんと途切れ、辺りはもうひっそりとしていた。
「ねえ、兄さん」
「うん?」
 背中のサスケが夜の月を見上げる。
「いつになったら黄色くなるのかな」
「黄色?」
 どうもまたおかしなことを言い始めたなとイタチは内心首を傾げた。おぶってやっているためその顔は見えないが、ずっとはしゃいで遊んでいたのだ、サスケはもう疲れて半分は夢の中なのかもしれない。
「それっておとぎ話か何かか」
 小さく笑う。すると、幼い弟はむすっとして、すぐにむきになった。
「違うよ、本当のことだよ」
「へえ」
「兄さん、またおれを信じてくれてない」
「そんなことないさ」
「でも」
 食い下がる弟にイタチは言った。
「他でもないお前の言うことなら、おれはちゃんと信じるよ」
 だが、もう一度見上げる。
 夜の空に掛かるのは何ら変哲のない、いつもと同じ赤い丸い月だった。