山茶花の庭



 今日の任務を恙無く終え、サスケが辿る日暮れの里は赤黄に染まる落葉の頃を迎えていた。時おり吹く北風は早くも冬の気配を孕ませ、はらりひらりと並木道の木の葉を散らしている。
 サスケはふと頭上でかあと鳴く烏の声に顔を上げた。近くの空を黒い鳥が一羽、舞っている。あれは確か兄の使役する烏だ。目を細める。どうやら彼は降り処を探しているらしい。
 普段は兄にべったりでこちらには見向きもしないくせに。
 そうは思うが、身内として放っておくわけにもいくまい。何よりあの烏は兄のものだから、サスケに用があるのだろう。
 夕暮に賑わう雑踏を避け、通りの端でサスケは彼に肩を差し出てやった。すると、こちらを気にかけていた彼はすぐさま気付き、如何にも仕方がないといった様で降りてくる。
 がしりと脚に掴まれた肩が痛い。どうも互いに虫が好かないのだ。昔から。
 彼は鷹のにおいを纏わせるサスケが気に食わないのだろうし、サスケはサスケで横柄な態度を取る烏にわざわざ好意的になってやろうとも思わない。そもそもこの烏は主人である兄にしか懐いていない上、その兄が何かと重宝し可愛がるものだから、こいつは我が物顔で兄の肩に居座り、挙句時にはサスケを牽制する素振りさえ見せるのだ。
 兄に苦言を呈したことも二・三度のことではない。だが、結局「お前の気のせいだろう」と額を小突かれ、相手にもされなかった。
 絶対に気のせいじゃない。
 烏の脚に結ばれた紙片に気付き解いた途端、これでお役御免だとばかりさっさと飛び去っていった烏の後ろ姿にサスケはそんな思いを一層強める。
 その烏の彼が運んできたものは丁寧に折り畳まれた小さな紙片だった。勿論、送り主は兄のイタチだろう。
 いったい兄はわざわざ何と書いて寄越したのか。急を本当に要するものならば分身でも遣わすだろうに。
 サスケは訝しみながら、紙片を開いた。
 一目見て、眉を顰める。
「……」
 初めに思い浮かんだのはこれは暗号か何かだろうかということだった。それとも炙り出しでも仕込んだか。
 悩み、考え、ぐるりと思考が一周したところで、なんだか阿呆らしくなった。
 ふっと吹いた小さな火で手紙を燃やす。

 芋を買ってこい

 兄の筆跡で丁寧に認められていたのは、たったそれきりの、そういうことだった。


 庭にはぽつねんとしゃがんだ兄の後ろ姿があった。その肩越しには集落の門を潜った辺りから見え始めていた落ち葉を焚く煙が風に煽られ高い空まで立ち昇っている。胸の奥がきゅっと締めつけられるのは、独特のにおいの中にどこか懐かしさが隠れているからだろうか。厭う者も中にはいるが、サスケはこの落ち葉焚きのにおいが好きだった。
「兄さん」
 熊手を傍らに火の番をしていた兄に声を掛ける。振り向いたところで、ざるに載せたさつまいもを差し出した。
「買ってきたぜ」
 だが、兄の目線はさつまいもにはない。同じようにざるに載せられた真ん丸の栗を一つを取り上げる。
「なんだこれは」
「栗だ」
「…見れば分かる。オレはどうしたんだと訊いている」
 嘘を吐け、と思う。さっきはなんだと訊ねたくせに。サスケは閉口したくなるのをなんとか堪えた。
「貰い物だそうだ。母さんがこれもついでに焼けってよ」
 台所の母にじゃがいもを預ける代わり渡されたと説明すると、イタチはますます首を傾げた。
「じゃがいも?」
「…アンタ、芋としか書いて寄越さなかっただろうが」
 お蔭で八百屋の店先で思い悩まされた上、結局じゃがいもとさつまいもとをそれぞれ家族分だけ買って帰る羽目になった。一言焼き芋をすると書き添えてくれたなら、こんなことにはならなかった。
「明日はコロッケらしいぜ」
 多少皮肉交じりに言ってみる。だが、栗をざるに戻し、今度はさつまいもを手に取った兄は、まるで刀か苦無かにするようにその大きさや形を検分し、焚火の中から枯枝を一本抜き取った。灰を掻き分け、芋を埋めるための窪地を作る。
「オレは好きだけどな、母さんのコロッケ」
 今度こそサスケは兄の言にむっつりと押し黙った。オレも好きだけど。母さんのコロッケ。けれど、不平を零したいのはそこじゃない。
 勿論、昔からサスケを受け流すことに長けていた兄だ。分かっていて話を逸らしたに違いない。腹立たしいことこの上ないが、いつの間にかイタチとはそういう兄だと諦めもついていた。
「アルミホイルに包んでもらった方がいいか?」
 サスケは兄の肩越しに灰に埋められる芋を見つめて問うた。だが兄は「いや」と手を止めず、さつまいもに灰を被せる。
「このまま埋めた方が美味い」
「そういうものか」
「そういうものさ」
 次いで母に差し入れてもらった栗も火に入れる。
 そうして後は待つだけかと思いきや、イタチはサスケに熊手を取らせた。訝しんでいると、落ち葉はこれだけでは足りないから、もっと掃いて集めて来いとも言う。兄さんがしろよと返すと、オレには火の番があるとにべもなく断られた。確かに不慣れなサスケには火の加減が分からない。
「…くそ」
 なんだかいいように使われている気分だが、兄の言うことは尤もだ。仕方なしに押し付けられた熊手を手に庭の木立へと分け入る。
 けれど、掃いても掃いても足許の落ち葉は尽きなかった。ざくざくと無造作に手を動かすサスケをあざ笑うように後から後から降ってくる。払えども、また一片。集めども、また二片。これじゃあ兄の名と同じ、鼬ごっこだ。
「兄さん」
 少し離れたところの兄を呼ぶ。「なんだ」といういらえの声は、二人の離れた距離を慮ってか、普段物静かな兄にしては少しばかり大きかった。サスケもまた同じ大きさで返す。
「きりがねえぞ、こんなの」
「当たり前だ。焚き火に足す分だけでいい」
 そこではたと気が付く。
「…庭掃除を母さんに頼まれたんじゃないのか」
「そんなことを言ったか?」
「いや…」
 なんだと拍子が抜けた。そういえば母は父に比べれば兄弟を分け隔てなく育てたが、それでも十にも足らず忍となり暗部となった兄に家の手伝いを強いることなどほぼほぼなかった。ということは、兄は自ら箒を手に取ったのだろうか。わざわざ焼き芋のために?口寄せの烏で文まで飛ばして。
「なあ」
「うん?」
「どうして突然焼き芋なんだ?」
 焚き火をする兄の傍らに集めた落ち葉を掃き寄せながら、サスケは胸に浮かんだ疑問を口にした。焚き火や焼き芋が兄の趣味だとか好物だとかは聞いたことがない。だから、滅多になく箒を取っている姿と合間って、てっきり母に庭掃除を言い付けられたのだとばかり思い込んだ。
「…オレはうちはの家のことはあまりできないからな」
 ふと兄はサスケが掃き寄せてきた落ち葉を火に入れながら、口角を上げた。
「だから、頼まれなくとも、せめてこれくらいはという気持ちもあるにはある。が、焚き火は今日突然に思いついたんじゃないさ」
 そうだろうか。あまりそうとは思えない。
 サスケが集めた落ち葉の山にもういいかとイタチの傍らから立ち去らないでいると、イタチもまたその場に立ち上がった。サスケが少し持て余していた熊手を受け取り、その柄の上に両手と顎を置く。そうすることで、ほんの少しだけ二人の背の距離は縮まる。向かい合わせた顔を、眸を、覗き込まれているようでサスケはなんだか落ち着かなかった。幼い頃は気付きようもなかったが、兄は時折こうしてサスケにだけとても甘い顔を見せるのだ。この頃知った。
 こちらを見つめたまま話し出さない兄にぼそり「なんだよ」と悪態を吐く。そうでもしなければ間が持ちそうになかった。すると、イタチが可笑しげにふふと笑う。
「オレはずっとしたいと思っていたよ」
「…焼き芋をか」
 やはりどうも腑に落ちない。怪訝な思いがまた振り出しへと戻る。だが、イタチはいともあっさり「ああ」と頷いた。
「お前とな」
「オレと?」
「約束しただろう」
 覚えていないかと問われ、数瞬躊躇う。それから、
「覚えている」
 とサスケは正直に答えた。
 ただそれは本当に他愛のない十年も前の話だ。きっと兄はもう忘れてしまっているのだと決め込んでいた。
 焚き火から細い煙と芋が温かく膨れるにおいが立ち上る。その根元をサスケは見つめた。
「…そんなの、山ほどあるだろうが」
「ああ。そうだな」
 サスケと約束をするのはいつもイタチの方だった。
 許せ、サスケ。また今度だ。何度、幾度、兄はそんないつとも知れない約束だけを残してサスケを振り切って行っただろう。集めた落ち葉の数よりも、もしかすればこの庭に敷き詰められた枯れ葉の数よりも、多いのかもしれない。
 何も知らないでいた頃は、いつまで経ってもサスケが一生懸命集めた落ち葉を火に焚べてくれない兄を不満に思い、あれこれ不平を並べ立てることもあった。兄さんのうそつきと唇を尖らせたこともある。
 だが、「うちはの家のことはあまりできないからな」と呟く兄のわけを、うちはや里のわけを、朧気ながらも理解し始めた今はもう、まだなのかと兄をせっつくことはない。それよりも、集めた落ち葉はこれだけで足りるだろうか、庭の枯れ葉は尽きてしまわないだろうかと、そういうことばかりが気に掛かる。火に焚べてしまったら最後、葉は燃え尽きて形をなくしてしまうのだ。
「…兄さん」
「うん?」
「いや…」
 全てを果たしてくれなくていい、と思う。
 急いてくれなくていい。
 数ある約束のひとつくらいはそのままにしておいてくれないか。
 あの約束はまだだろうか。もしかしたら明日には。そんな風な期待を持って兄のことを、イタチのことをもう少しだけサスケは待っていたいのだ。
 決して口にはできない思いだからこそ、例えばあの芋が焦げたり固かったりしてはくれまいか、などと願ってしまう。
 だが、イタチは火の加減がうまかった。
「頃合いだな」
 と灰の中から掘り起こし二つに割って渡された焼き芋は、黄色にふっくらと膨らみ、ほくほくと美味そうな湯気を立てていた。受け取って兄に倣い灰を払う。皮を剥いて一口含めば、なんて甘くてやさしい。温かい。文句のつけようもない焼き芋だ。
「……」
 二口、三口、ただ黙って食べる。美味いなと言われたら、そうだなと認めざるを得ない。燻る火がまた一枚落ち葉を燃やした。
 けれど、イタチは本当に火の扱いに長けていた。
「サスケ」
「ん」
「またしような」
 そんなことをさらりと言って、吹き消えかけていたサスケの胸の明かりにそっと温かな火を灯すのだ。
 サスケは口許の芋から目を上げた。隣の兄は幼いサスケが慣れ親しんだ兄の顔をしていた。翻って自分はどうだ。果たして弟の顔ができているだろうか。
「…焼き芋ひとつに十年もかかった奴がよく言うぜ」
 今年も山茶花の庭に赤黄の木の葉が一片二片と舞い積もる。


「ずっと昔に兄弟が約束をした話」