Gemini Log




ふたりで生まれた意味


 カノンが逃げることも出来ないような唐突さでサガはカノンの胸倉を掴み上げた。

 「お前をこんなにも憎むために、私はお前と生まれてきたのではない!」

 生まれたきたのではないのだともう一度口にしたそれは、掠れて消え入りそうな声だった。




代替


 「カノン、何故女神に従わない。カノン、何故聖域に従わない。

 カノン、何故正しく全てを行おうとはしないのだ」

 そこでカノンが闇に入りそうな笑みで微笑む。

 「どうだ?俺のお前の物真似は」

 そっくりだろう?と云うカノンの向こうでサガが深く項垂れる。




神が離れる、神から離れる



 物言わぬ女神像の足許に平伏してサガは問う。

 「女神よ、何故私から去るのですか?それとも私があなたの傍を離れてしまったのでしょうか」

 女神像は答えない。




サガを失う



 「サガはゆっくりゆっくり俺を忘れていくのだ。

 それは一見サガが俺を失っていくように見えるが、その実、サガを失っているのは俺なのだ」




ふこうなこども・未収録


 「俺はね、サガ、お前が聖域を捨てられないことなど分かっているから、

 せめて聖域も俺も捨てられないお前でいて欲しいだけだ。

 きっとそれが俺たちのギリギリの妥協点なのだ」




真夜中の traffic lights


 サガが夜も遅くに帰宅すると、そこにカノンの姿はなかった。

 サガが帰るたびにふたりでは食べきれないほどの夕食を作り待っているカノンの姿は、

 何処を探しても何処にもなかった。

 だから仕方なくサガはふたり分の夕食が並ぶ食卓にひとりで着く。

 ふと思い出すのは、カノンに一度どうしてそんなにも料理に凝るのかと問うたこと。

 カノンは料理をしているとあっという間に時間が経ってしまうから良いのだと答えていた。

 だが既に夕食は出来上がってしまっているのだから、

 サガの時間はゆっくりゆっくり流れてゆく。そろりそろりと経ってゆく。

 一秒がまるで一分のように、一分があたかも一時間のように感じられる空間で、サガはひとり項垂れた。

 項垂れて、項垂れて、時に椅子から腰を上げ、けれど再びテーブルに肘を付き、項垂れる。

 だがやがて時計の錆びた針が午前一時を差す頃、サガはのろのろと立ち上がった。

 これ以上カノンを放ってはおけなかった。

 それはこれ以上カノンを信じることは出来なかったと同意義でもあった。

 サガの中で闇が蠢く。

 ***

 カノンを見つけたのは路上だった。

 車の影も人通りもない路上。真夜中の路上。

 ただ信号機だけが世界の天と地を決め、明かりを灯していた。

 その袂に佇むカノンにサガは「カノン」と呼びかけた。

 それは咎めるような語調だったのかもしれない。

 カノンはサガを振り返ると直ぐ様眉を微苦笑に寄せた。

 「サガか」

 「カノン。こんな処で、こんな時間に、いったい何をしているのだ」
 
 近寄って、詰め寄る。

 カノンはサガに向けていた視線を信号機が照らす先へと転じた。

 「少し気になったことがあったのだ」

 「気になったこと?」

 サガが問うと、カノンは「ああ」と頷いた。

 真夜中の信号機。車も人もいない路上にぽつり立つ真夜中の信号機。

 「こんな真夜中に、誰もいないのに、いつかこの路を渡る誰かのために、

 こいつは独りで点滅を繰り返しているのかと」

 気になったのだとカノンは最後の息で呟いた。

 サガは応えに窮する。

 ただ瞬間的にカノンの手首を握り締め、ぐいっと自らのほうへと引っ張った。

 信号機からとにかく無性に離したかった。

 カノンは驚いたような顔はしなかった。

 そのようなサガの反応を見越していたように更に微苦笑を深める。

 薄暗い世界の中で、信号機の点滅する明かりだけがカノンの顔をサガに伝えた。

 その表情を形容できる言葉をサガは知らない。

 「案ずるな、サガよ」

 カノンが云う。

 「俺はこの路を渡ったりはせぬ。渡ったりはせぬよ」

 サガは俯いた。

 信号機の明かりだけでは覚束ない足許。点滅するたびに暗闇と薄明かりがふたりの間で繰り返す。

 カノンがいつか裏切るかもしれないと先に裏切っているのはいつもサガ。

 それでも、サガはカノンの手を握る振りをして、強く彼を掴んだ。

 「帰ろう」と云ったのはサガかもしれないし、カノンかもしれない。

 「ああ」と頷いたのはカノンかもしれないし、サガかもしれない。

 ふたりは闇へと歩き出す。

 ***

 だがふとサガは真夜中にひとり佇む信号機を振り返った。

 そうして気付く。

 信号機の、その片割れがないことに。何処を探しても何処にもないことに。

 それはあまりにもふたつの信号機を隔てる路が奥深いせいなのか、

 それとも信号機が指し示す行くべき路の先が遠過ぎるせいなのか、

 はじめからもうひとつの信号機など存在しなかったのか。

 サガはぞくりとして、カノンの手を確かめるように強く強く握った。




完璧な会話


 言葉尻を捕らえて非難し合う、罵り合う、傷付け合う、傷付けられ合う。

 その頃はもう揚げ足を取り合うことしか出来なくなっていて、言葉の足りなさにまた言葉が足りなくなる。

 そうして会話が失せる。

 それは、もしくは、間違いの存在しない完璧な会話。




意地


 「同じ日に同じ腹から同じ声を上げて生まれ、

 心のどろどろしたところから魂のじゅくじゅくしたところから言葉を吐き出し合って、

 そのあまりの重みに潰れてしまいそうになりながら、

 けれどそうすることによって俺は俺の頬を打ったお前の手が震えていることを知り、

 お前はお前の頬を打った俺の手が冷たくなっていることを知り、

 そのように生きてきた兄弟ではないか、双子ではないか。

 ふたりではないか。

 俺は今更お前を見捨てて逃げてしまうような卑怯者ではないよ」

 カノンは世界に開いた海を背に、聖域の白亜を背にしたサガにそう云った。




内緒話


 さあ声を潜めて。

 神さまに聴こえないように声を潜めて。

 私以外、誰にも聴こえないように声を潜めて。

 「神さまは酷い」と云う声をどうか潜めて。

 決してその口を噤めとは云わないから、私にはもう云えはしないから、

 けれど神さまには聴こえないように、さあカノン、どうか声を潜めて。




失えないもののひとつ


 「お前が弱くなってしまったのではないよ、サガ」

 カノンはそう云って握り締められているサガの手に触れる。

 「きっと俺が一人で立つ強さを手に入れたわけでもない」

 しかしそれはどれだけ触れていても、カノンの手を握るためには開かれない。

 もう開かれはしない。

 「お前は失ってはならない、失いたくないものを、たくさん見つけてしまっただけなのだ」

 その手の中に俺は在るか?





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