苦痛の正体
病床であまりの痛みにのた打ち回る彼を見下ろしてサガは思う。
嗚呼、いっそ。嗚呼、いっそのこと。
だがサガの手からは黄金の短剣が零れて落ちる。
「苦しむお前を救えぬこの苦しみから逃げたいと思っているのは、誰でもない、この私なのだ」
闇に染まりかけた前髪を両手で覆う。
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影ごっこ
人間には影がある。
真昼には短く、夕方になれば長く伸びる影がある。
だが俺たちには影がなかった。人間には必ずあるはずの影がなかった。
だから幼い頃の俺たちはふざけあって、こう云いあった。
「こんなにもふたり、姿形がそっくりなのは、それはきっとお前の影であるからだ」
真昼には短く、夕方には長く、そんな融通の利く影ではなかったけれど、
人間には必ず影があるように、サガには俺が、俺にはサガがあったのだ。
そんな幼さを最初に忘れたのはきっとサガ。
真昼には長く、夕方には長く、
そして夜には世界の全てとなってしまう暗い影を見つけてしまったのもきっとサガ。
だがサガは今も俺と影ごっこを続けている。
俺がついに耐え切れず彼の足許から伸びる影を踏んでしまうまで。
夜になってしまう、そのときまで。
「俺が兄さん、兄さんの影なのだよ」
俺は夕刻に彼に呟く。
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闇がいずるとき
「光は影を生み出すことが出来るが、影は決して光を生み出せぬのだよ」
お前は消えるのだと赤い眼を持つサガはサガの首をキリキリ締めた。
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低体温症
外の世界から帰って来たサガの手をカノンは取って温める。
少しずつ伝わる熱。移る冷めたさ。
「お前の手が少し冷たくなってしまったな」
サガは憂いに眸を伏せたが、カノンは尚その手を離しはしなかった。
「お前の手がとても冷たくなってしまうよりは良いよ」
もう熱の戻らぬ低体温。
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みちはずれ1
石ころを蹴りながら歩いていたカノンが少しずつ少しずつ道から外れて行ってしまうので、
サガは「カノン、カノン、何処へ行く」とカノンの背を追いかけた。
やがてサガが入ったのは道から外れた暗い森。
漸く振り返ったカノンは石ころをサガへと蹴りながら、
半分だけ喜んだような、もう半分は悲しんだような、そんな顔で笑った。
「サガよ、お前まで道を外れてしまってどうする」
石ころはサガの爪先で少しだけ跳ね返った。
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みちはずれ2
「どうして俺がこうして道を外れてやったのか、お前にはわかるか?
お前が歩もうとする道を、お前が歩みたいと思う道を、二人で歩いてしまったなら、
ジェミニが一人ではないことが知られてしまうからだ」
だから道から外れるしかなかったのだとカノンは、
もう一歩も道から遠のいてしまったら、真っ暗な海へと落ちていってしまうような、
そのときになって初めて私を恨む顔をした。
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みちはずれ3
少しずつ少しずつサガから離れるように遠のくように後退りをするカノンの踵の重さに、その存在重さに、
足元の崖は耐え切れず、ぱらぱらとまずは小さな砂を散らし、
やがてはからからと小石が真っ暗な海へと落ちてゆく。
サガは蒼褪めた顔をしてカノンに手を伸ばした。
サガに出来得る限り、肩が、筋が、肘が、指先までも痛むくらいに伸ばした。
「カノン、お願いだからそれ以上は行くな」
戻ってきてくれと訴える。
だがその手は、指先は、カノンには届かなかった。カノンの眸がサガの手を拒否していたからだ。
「云っただろう」
カノンが云う。
「神へと通じる道は二人では歩けぬと」
初めから全てを諦めたかのように、見抜いたかのように、悟ったかのように、
「それとも、サガよ」
それでも小さく僅かに期待を寄せて、
「俺にあの眩しい光に溢れた神の道を譲るとでも云うのか」
カノンがそのように云う。
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みちはずれ4
「それともサガよ、お前は神在りし道をこの俺に譲るとでも云うのか?」
カノンがそう云った後、時は過ぎた。
カノンへと差し出したサガの手はそれ以上伸ばされることなく、
カノンは次第に大きく崩れ始める崖の上にアンバランスに立ち尽くす。
やがて陽が海に落ちてその炎が消え、夕闇が東の世界より押し迫る頃、
カノンへと伸ばされたままのサガの手、その指先がぴくりと動いた。内側に。
カノンは「それがお前の答えなのだろう」と尋ねるわけでなく、断定して笑った。
「本当にバカだよ、兄さんは。
たったこれだけのことに、そんなにも迷い迷って、ほら、もう夜が訪れてしまった」
神に至る道さえ終に夜に閉ざされる。
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約束破り
「俺が約束破りで良かったな」とカノンは窓辺で口角を上げた。
嘲笑っているのだ、掛ける言葉もなく、ただ立ち尽くすしかないサガを。
仕方なくカノンは手を犬か何かを追いやるような仕草で振った。
「ほら、さっさと聖域へ行け。ジェミニさまをお呼びなのだろう、聖域は」
もう一度カノンは「俺が約束破りで良かったな」と云った。
「俺はお前が約束を破ることを責められない」
そのためにお前は私との約束を次々と破るのか、そう問えずサガはカノンに背を向ける。
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八方塞
不意にカノンが声を静めた。
「もうよそう、サガ。
昨日を罵り合っても、もう今日は訪れてしまっている。
明日を責め合っても、俺たちを残して夜は明けてしまうのだから」
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