Gemini Log




やさしさが詰まった「愛しているよ」


 あなたの愛していないくせにの「愛しているよ」という嘘は、あなたの痛いくらいの優しさが詰まっていて、

 わたしはその棘にくちびるを噛みしめながらも、それなりに好きでもありました。




クローバー畑


 ふたりでクローバー畑に出掛けた。白い花が咲いていた。

 カノンが驚いたように云った、「花冠の作り方を知らないのか」と。

 私が知らぬと答えたなら、カノンは仕方ないなと花を摘み、花冠を編み始めた。

 その手先を眺めながら、そういえばと思い出す。

 「シロツメクサだ」

 「なにが?」

 「この花は、硝子製品などを送るときに箱に詰められた花なのだ」

 カノンはふぅんと興味薄。花を摘んでは、その冠を編み続ける。

 やがて花冠が円を描いたなら、しかしカノンはそれを手にしたまま途方に暮れる。

 「シロツメクサか」

 「うん?」

 「そんな冠はお前には似合わぬな、サガ」

 そう眼を伏せたカノンは、花冠を己に冠した。

 「どちらかと云えば、俺に似合う」

 硝子が割れぬように敷き詰められるシロツメクサ。

 カノンが何を云おうとしていたのか、解らぬ私ではなかったが、私は解らぬ振りをした。

 あれから少し経って、私はクローバー畑でシロツメクサを摘んでいる。

 ひとりでシロツメクサを摘んでいる。

 のろのろシロツメクサを摘んでは、カノンの遺体が横たえられた棺桶に詰めている。

 花冠は相変わらず編めない。あのときカノンが編んだ花冠は枯れてしまい、今は私の頭上に。

 ああ、カノン。お前にはシロツメクサがよく似合う。

 お前の遺体がもうこれ以上傷付かぬように、私はシロツメクサを摘まなければならない。

 枯れてしまった花冠の下で。




精一杯生きたのです



 愛も憎しみも喜びも哀しみも快楽も苦痛も、これでもかとぶつけあい、引裂きあい、掻きむしって、

 喉が枯れるくらいに笑って泣いて叫んで、時に子守歌を唄うように慰めあい、

 時に涙が零れるくらいに踏みにじりあった。そうして生きて、生きて、生きて!

 それでも別れたのだから、仕方ないじゃないか。仕方ないじゃないか。




結んで開いて



 きゅうと互いの手を握り合って、結んで、近寄りすぎたから、開いて、

 幸せだから思わず、手を打って、もっとやっぱり傍にいたくなって、結んで、

 それでは辛すぎるから、また開いて、距離が掴めなくてあなたを振り払うために、手を打って、

 哀しく涙を流すあなたに手を差し伸べず、この手を胸に。







 届かないものばかりを欲しがって、その手にあるものには見向きもしない。

 そのうえ何かを捨てて得たものさえ、そのたったひとつの埃のためにまた捨ててしまうのだろう。

 つまりカノンの中のサガはそういう兄であったし、サガであった。




遠い雨


 もうその頃には虚ろでした。あなたの声を聴きつつも、虚ろでした。

 あなたの言葉が、何処か遠くに降る雨のようでした。

 それでいてその雨は、決してこちらへ来ず、もっと遠く離れていくと知っているのだから、

 虚ろになるというものです。




あなたに続く「さよなら」を


 好きだと云っては拒否されて、嫌いだと云っては哀しまれて、

 ちょっと気を惹こうとすれば憎まれて、付いていこうとすれば見捨てられ、

 去ろうとすれば引き止められた。

 なんとか救いたいと伸ばした手は振り払われて、挙げ句の果てには殴られて、殺され掛けた。

 これで恨みに思わなければ聖人か何かだとカノンは思う。そうして彼を呪って13年。

 実はもっとずっと、恨んでいたのだけれど、とにかく13年。

 彼を恨み、呪い、憎み、眼にもの見せてやろうと思い立ち、

 けれど結局それはただ彼に認めて欲しかっただけなのだ、このカノンという存在を。

 彼にとって重要な、大切な、かけがえのない、代わりのない、そんなカノンになりたかった。

 「カノン、お前は私のただひとりの弟なのだよ」と云って欲しかった。

 「カノン、神も他の誰も、お前の代わりなど出来はしないのだよ」と想って欲しかった。

 愛しているなどと、そんな言葉を掛けられながら捨てられるよりは、

 何の言葉もなくて良かったから、認めて欲しかった、見て欲しかった。

 この13年、いや28年が云ってしまえばそれだけのこと。

 眼の前に広がる海より打ち寄せる波が穏やかな風を運んでくる。

 胸から流れ落ちる血を彼方へと浚ってゆく。

 まるであの海の彼方へ落ちようとしている夕陽まで続いているようだった。

 カノンの喜びも哀しみも、やさしさも痛みも、そうなのだろう。

 幸せそのものでさえ、彼の元へ続いているのだろう。カノンは黄昏の海を眺めて想う。

 幸せなことを思い出してみれば、やはり思った通り、ふたりでなにげない話をしたこと。

 昨日は晴れ、明日は雨、今日は曇りで、何をして過ごそうか。そんな他愛もないこと。

 そんなことが幸せだった。そう、幸せだった。

 胸に手を当てれば、もう出血が止まる頃。もう夕陽へとこの血は続きはしない。

 打ち寄せる波へと投げ出した両脚に力を入れる。

 体の至る所に痛みがあったが、この痛みはもう彼へと繋がりはしない。

 立ち上がり、行くところでさえ、彼のためではない。

 これが痛みで、こうして再び立ち上がる力が、カノンなのだと思った。

 「バイバイだ、サガ」

 胸の傷痕から最後の血が滴る。波が浚い彼方へ、彼方へ。

 あなたのために流す血はそれが最後。

 背を向ければ、波風がカノンの髪を前へ前へと押しやった。

 けれど、いつか、いつかまた、あなたの痛みを痛いと感じ、あなたの喜びを嬉しいと想い、

 あなたの哀しみを哀しいと思いたい。

 そして何より、わたしの幸せがあなたに続く日が訪れますように。

 いつかはサガとカノン、そんなふたりで会えますように。

 「またいつか」

 またいつか、明日の天気を憂いても、今日をどう過ごすかをふたりで話し合えますように。
 
 「それまでは、さよならだ」




潰えるとき


 どうせ死ぬならお前を見下ろし、お前を嘲笑いながら死にたかった。

 何故か海底に雨が降る中、俺は性懲りもなくそんなことを考えながら、

 抜けて落ちていくお前への憎悪やら愛やらに泣いていた。




保身

 
 手を伸ばしても届かない世界にお前はいる。

 いいや、手を伸ばせば届くというのに、お前がいる世界が暗い闇に堕ちた世界であるから、

 私はこの手を伸ばしたくはないのだ。

 「私はなんと醜いのだろう」

 お前が伸ばすその手を取ってやれずに、

 私はお前の手を取らなければならなかった手で、顔を覆って我が身の醜さをを嘆いている。




爪痕断片


 目覚めると、そこは見慣れた光景であった。

 見慣れた天井、見慣れた掛布、見慣れた窓から差し入る月明かり。

 だというのに、サガは違和感を感じてベッドから降りた。

 一瞬視界が闇に落ち、まるで内臓から何かが這い出そうとしているような感覚に囚われる。

 反射的に口許を片手で押さえ、もう片方の手をナイトテーブルにつき体を支えた。

 サガはどれくらいそうしていただろうか、暫くしてキィと扉が開いた。

 胸の悪さに細めた視界の先で、月光が廊下まで伸びて行く。それはカノンだった。

 「…サガ、今何か物音がしたが…」

 カノンは顔だけを覗かせ、云った。その表情はよく見えない。

 「いや…なんでもない」

 サガは云いながら、口許を覆う手と体を支えていた手を下ろした。

 「そうか」

 カノンは部屋へと入って来ようとはしなかった。

 すぐに立ち去るのかと思ったが、まだ扉の隙間からサガの様子を伺っている。

 「…カノン、どうした」

 何かまだ用があるなら入っておいでと云う。しかしカノンは扉を閉めようとする。

 「いや、別に、何も…ない」

 その言葉に、サガは扉に寄り、開いた。

 カノンは一瞬抵抗を見せたが、すぐに大人しくサガに全身を晒した。

 今日は珍しく長袖のシャツを着ていた。それに気付き、サガはまた違和感を感じる。

 今日…?

 「別に何でもないのだ」

 お前も何でもないのならそれでいい、そう云うカノンの言葉をサガは何処か遠くに聞いていた。

 今日…?

 「カノン、今は何時だ?」

 問うとカノンはサガから眼を逸らし、窓の外に視線をやった。

 「…夜だな」

 「そんなことは解っている。

 カノン、私はいつここに来た?私はいつ眠った?今は何時だ?今日は何日なのか?」

 「…云っている意味が解らぬ」

 カノンは再びサガに視線を戻し、怪訝そうな顔をする。嘘だとサガは思った。

 怪訝そうに眉根を寄せる仕草は嘘だとサガは思った。

 「私がお前に今日は帰らぬと云い出掛けたのはいつだ?

 今日か?昨日か?今日だったとしたならば、何故今私がここにいる!」

 「そんなこと知らぬ」

 「カノン、私はいつここへ来た?」

 「知らぬ」

 「カノン、云え。お前は知っているはずだ」

 「知らぬ」

 「カノン」

 「知らぬ」

 「カノン!」

 ついに声を荒げたサガは、徐々に扉へと後ずさりを始めていたカノンの腕を取った。

 「っあ!」

 カノンが苦痛に顔を歪める。

 「カノン、答えろ、カノン!」

 「い…!離せ、サガ!」

 「カノン!」

 ギリギリと腕を絞め上げる。離せばカノンは逃げると思った。

 「離せ…サガ…!離してくれ…っ」

 カノンの声が途切れる。

 不意にサガはカノンを掴んだ掌が湿っていることに気付いた。

 恐る恐る掌を見ると、それは赤黒くぬめり、カノンのシャツは血が染みていた。

 肉皮が裂けるほど強く掴んだ覚えはない。

 サガは血の浮き出した腕を隠すように抱いたカノンに再び手を伸ばす。

 「触るな…!」

 身を引くカノン。その手首を掴み、長袖を捲り上げると、そこには包帯が巻かれていた。

 血がどろりどろりカノンの腕を伝い流れている。

 「カノン…それは…どうしたのだ…?」

 「なんでもない」

 「なんでもないはずなかろう!」

 カノンは逃げようとしたが、サガは手首を掴んで離さない。

 「誰にやられた!?私と同等の力を持つお前に傷を付けれる奴など…」

 カノンに傷を負わせることが出来る者などそういるはずがない。

 そう云おうとして、サガは云えなかった。内臓が軋む。

 この世でカノンを知り、カノンを傷付けることが出来る者は、それは、

 「サガ」

 カノンの言葉に心臓が跳ね上がった。サガに手首を掴まれたまま、カノンは俯く。

 「俺は…俺は何も知らぬ。何も知らぬのだ」

 それはまるで呪いのように、それはまるで祈りのように、それはまるで免罪符のように、

 カノンの腕を伝った血が、サガの手に辿り着く。ぽたりぽたりとふたりの手から血が零れ落ちる。

 頭の片隅で、誰かが笑っている気がした。





             back or next