Gemini Log




フェイスウォッシュ


 朝、洗濯籠を右腕に抱えて、なにげなく洗面所を通りかかったなら、カノンが洗顔をしようとしていた。

 鏡を覗き込みながら、右手で前髪を掻き上げ、台に転がった色とりどりの髪留めを手探りで左手で拾う。

 それで右手で押さえていた髪を挟んだなら、次はその横の髪を同じように右手で押さえ、

 何度も同じような作業を繰り返す。

 おまけに留め損なった髪の一房が時間と共に落ちてくるものだから、

 カノンはいそいそとその髪をまた髪留めで留めるのだ。

 前髪を全て留めたなら、鏡で入念にチェック。赤・黄・青・緑の髪留めが鏡の中で躍ってみせる。

 そのあまりにも真剣な姿に笑いが込み上げた。私が苦笑していると、

 「煩いぞ、サガ」とカノンが振り返りもせずに、鏡を覗いたまま云う。

 そしてやっと蛇口を捻り、顔を水で濡らし、洗顔石鹸を泡立てて、Tゾーン、Uゾーンを丹念に洗ってゆく。

 指先が円を描くように肌を滑る。また鏡を覗いて、洗い残しがないかのチェック。

 満足に洗い終わったなら、また蛇口をひねって、流れ出る水を手で掬う。

 ばしゃりとやろうとカノンが腰を屈めた瞬間、「あ」、長い後ろ髪が洗面台に浸かった。

 「…………ぷ」

 あれだけ念には念を込めて、髪が水で濡れぬようにしていたというのに、

 最も厄介な後ろ髪を束ね忘れていたらしい。

 もうどうしようもない。苦笑などで終われるものか。私は声を立てて笑ってやった。

 「う…るさい!」

 カノンはそう云いながら、もう髪が濡れるのもお構いなくばしゃばしゃと顔を洗い始める始末。

 仕方なく空いている左手でカノンの後ろ髪をまとめて持ってやることにした。

 「お前は本当に見ていて飽きぬな」

 「煩い」

 「先程からそればかりだ。私がお前を可愛いと云っているのが解らぬのか?」

 「可愛い違いだろう。愛玩動物のような可愛さを求められても嬉しくないわ」

 洗濯籠を降ろして、傍のタオルを取ってやる。

 それを受け取って顔を拭いたカノンは、私の手を振り払って漸く振り返った。

 「いい加減に離せ」

 髪のことを云っているらしい。

 「前言撤回だ。可愛くないな、お前は」

 溜息を吐いて、離したなら、カノンはいきなり顔を寄せてきた。

 くちびる寸前で、接吻けの音をカノンのくちびるが鳴らす。

 「お礼」

 カノンは特に表情をその不機嫌なまま変えることもなく云った。また笑いたくなる。

 「サガ」

 咎めるようなそれに、私はカノンへと手を伸ばした。

 「待て、カノン」

 右手でカノンの体を引き寄せ、左手で髪留めを取り払う。

 羽根が舞うように落ちてきた髪に手を通しながら、私は云った。

 「カノン、礼はないのか?」

 「ああ…、そうだな」

 今度はきちんとくちびるを重ねて欲しいものだ。




寝言睦言


 ふたりで黙々昼食を食べる。不意にサガが云った。

 「カノン、昨日夢を見なかったか?」

 「なんだ、藪から棒に」

 「いや、なに、そう思っただけだ。違うのならいい」

 ふたりでもぐもぐ昼食を食べる。不意にカノンが思い出したように云った。

 「そういえば、見た気がする」

 「ああ、やはりな」

 サガが笑うので、カノンは首を傾げた。

 「何故解った?」

 「それは」

 「それは?」

 サガがにやりと意地悪顔。

 「お前が私の名を寝言で呼んでいたからだ」

 顔面蒼白。

 「う…嘘だ!」

 「嘘ではない。サガ、と実に可愛かった」

 「嘘だ、嘘だ、嘘に決まっている。その冗談は質が悪いぞ、サガ!」

 「まあお前にとっては、質の悪い真実だな」

 サガはフォークにパスタを巻き付けた。




グッドナイト



 眼を薄く開けると、サガが眼前10cm先で眠っていた。

 サガの背後の窓に掛けられたカーテンの隙間から零れてくる薄明かりは夜明けを教えている。

 閉じられた眸は、その寝息に合わせて僅かに揺れ、体はゆっくりと穏やかな上下を繰り返していた。

 抱き寄せられるようにして回された腕が重い。

 カノンが溜息をつけば、サガの前髪が揺れる、そんな距離。

 「サガ…」

 この腕をなんとかしてくれと云おうとしたのに、サガが僅かに眉間に皺を寄せてまた眠ろうとするから、

 カノンは苦笑した。

 「お前にも可愛いところがあるものだ…」

 カノンが体を寄せれば、サガが無意識にその腕を狭くする。

 そんなところにまたカノンが忍び笑いをすれば、サガはくすぐったいのか身を捩る。

 好きすぎるのも困りものだ。そんなことを想いながら、結局サガの腕の中で夢を見る。




グッドモーニング



 静かに寝息を立てる、そのくちびるにくちびるを触れ合わせる。

 もう8時間も眠っているカノンのくちびるは乾いていた。

 舌でちろりと舐めてやれば潤いを取り戻し、カノンは身を捩る。

 僅かに空いたふたりのくちびるの隙間で漏れるカノンの声。それは言葉にもならない声。

 ん…というその声をカノンに返すように接吻ける。

 くちびるを覆うようなそれに、またカノンは体を動かした。

 私のくちびるの中で薄く開いたカノンのくちびるに舌を差し込む。

 激しくなく、濃厚でなく、ただ緩やかに舌に舌を触れ合わせ、

 するとカノンの右手が、彼の顔横についた私の左手首を探し彷徨いだしているのに気付いた。

 やがてカノンの右手は私の左手を見つけ、握るほどでなく触れる以上で撫でられる。

 右手も顔横についてやれば、カノンの左手が同じように鬼ごっこ。

 そこに気を取られていた私の舌にカノンのそれが絡み付いてくる。

 視線を戻せばカノンは未だ寝顔と変わらない。夢から抜け出したところ。

 気分が頗る良いのでカノンの緩慢な舌先の艶事に応えてやった。

 舌をカノンの寝惚けの遅さにあわせて絡め、溢れそうな唾液を啜ってやる。

 「ふ…ん…ん…」

 時折漏れ聞こえる声。そして私の両腕を徐々に這い上がってくるカノンの右手と左手。

 それはたどたどしくも、だからこそ艶やかで、煽られた振りをして少しだけ激しく濃厚に接吻けを。

 そのせいか、「ん…ん…ぅん…」

 カノンの親指を除く8本の指が二の腕に立てられる。しかしそれも私に僅かの痕を残すのみ。

 寝起きの悪さに笑いたくなるのを堪えて、ちゅくちゅく。

 やがてカノンの両手が私の項で組み合わされたなら、「サガ…」

 やっと眸を伏せがちにも擡げる。そのまま両手に体も顔も引き寄せられた。

 「…朝からやらしい」

 くちびる寸前で掠れた声で囁かれる。

 「お互い様だ」

 弧を描いたくちびるを再び覆うように接吻けた。




お揃い


 カノンの視線が宙を泳いでいる。私の眼を見ようとして、けれど見れない、そんな風。

 私がカノンの眼を追うと、カノンの眼は瞬いて反対へするり。

 口許だけが引きつったような笑いを浮かべていた。

 「サガ…お前に謝らなければならないことがあるのだ…」

 そう云うカノンの手にはきちんと畳まれた一枚のシャツが乗っている。

 私が黙っているとカノンは申し訳なさそうにそのシャツを私に差し出した。

 「…これは?」

 見覚えのある私のシャツではあるが、この色に覚えはない。

 つまり、「俺のジーパンが色落ちしてだな…お前のシャツが犠牲に…」

 見ればカノンのはいているジーパンも青ならば、差し出されたシャツもまた青。

 「うっかり一緒に洗ってしまったのだ、すまぬ…」

 差し出されたシャツを手にとって広げる。

 カノンの眼は相変わらず泳いだまま。時折私を伺うように盗み見をしているのが解って可笑しい。

 「ああ、これは見事に青だな」

 体に合わせて見下ろし、呟く。すると漸くカノンと眼が合った。

 「あの…やはり怒っているか…?」

 「…いいや」

 お前のジーパンとお揃いの色だな。口の端を上げて私が云うと、カノンはまともに顔を歪めた。

 「な、なんだ、それは!嫌味か!?」

 「いいや、私はただ思ったことを述べたのみ。ほら、揃いの色ではないか」

 「嫌味にしか聞こえんわ!解った!明日新しいのを買ってくれば良いのだろう!?」

 「そのようなこと一言も云っておらぬ」

 そう云っているというのに、カノンは何故か明日新しいのを買ってくるとばかり云う。

 そしてそのまま逃げるように部屋から出て行ってしまった。

 思わず笑いが漏れる。今更お揃いなど、双子らしいことは恥ずかしいか、カノン?




溺愛死


 「最近俺は幸せなのだと思う」

 「そうか」

 「ああ、そうだ」

 昔はあんなに刺してやりたいと思っていたのに、今はこの腕の中で死にたい。




時々やさしい1


 湯上がりに、ペットボトルを冷蔵庫から取りだしてソファに座り飲んでいたなら、咳き込んだ。

 その途中で部屋に入ってきたサガが、その辺に放り出していたバスタオルを拾って、髪を拭いてくれた。

 「風邪か、カノン?今日は温かくして早く寝るのだぞ」

 なんだかサガは勘違いをしているらしい。

 たんに水がへんな器官に入って咳き込んでいただけなのだが。

 今日は温かくして早く寝よう、口が滑ってホントのことを云ってしまうその前に。




三択人生


 「もう昔のことだが、未来の俺はどのようになってるかといろいろ想像したことがあった」

 「例えばどのような?」

 「1、28歳になった俺は結婚していて、そろそろ息子が生まれそう。

 そういうささやかだが幸せで平凡な俺」

 「ありきたりな発想だな」

 「2、世界征服を成し遂げ、俺、王様」

 「物騒な」

 「煩い。人のこと云えないだろう、お前も」

  「で?」

 「で。なんとなくこれが一番あり得るなと思っていたのだが、3、サガとやっぱり一緒に暮らしてる」

 「当たっているではないか」

 「予想を超えない人生ってつまらん」

 「紆余曲折、いろいろあったがな」

 「あんなに冒険したのに、結局収まるところは一緒かと自分つっこみを入れたくなる人生だ」




午前七時三分


 朝起きて最初に見たものが食い散らかした酒のつまみだった。次に感じたものが肌寒さ。

 どうやら俺はテーブルに突っ伏して眠っていたらしい。顔を上げると、ピリリと脳みそに痛みが走る。

 テーブルの上には昨晩サガと飲み明かした残骸が転がっていた。

 酒やらつまみだけではなく、映画のDVDパッケージやら、テレビのリモコンやら。

 開きっぱなしの雑誌に、何故か紙飛行機状のチラシ。灰皿がひっくり返っているのが絶望的だ。

 だが肝心なものがない。

 辺りを見回すと、テーブルの向こう側に置いてあるソファの上にそれはいた。

 サガはソファで、惰眠を貪るってのがぴったりなくらいに寝入っていた。

 その床には懲りずにグラスが置いてある。まだちょっと酒が残っていた。

 そうだ、と明け方の記憶を手繰り寄せながら、髪を手櫛で撫でつける。

 俺の最後の記憶では、サガはテーブルの椅子に座って酒を飲んでいた。

 ということは俺が突っ伏したあと、ソファに移動してDVDでも見ていたのだろう。

 つーかまだテレビ付いてるし。

 さては途中でサガもダウンしたなと思いつつ、とりあえずキッチンへ向かう。喉がカラカラだ。

 冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを取りだし、一服。やれやれ、あの汚い部屋を片付けなければな。

 などとシンクにもたれ掛かりながら考えていると、サガがのろのろやって来た。

 「あー、起きたか」

 ペットボトルを差し出すと、サガはグラスをシンクに置き、それを受け取った。

 二口ほど呑み下し、やはり一服。

 「今、何時だ?」

 問われて時計を振り返る、午前7時3分。サガは早起きだなと苦笑した。

 早起きというか、寝不足というか、ほぼ貫徹?

 「サガよ…あの部屋、どうする?」

 「どうするもこうするも片付けるしかないだろう」

 「うう…やはり…」

 今はなんかもう全てにやる気が起こらん。けれどきれい好きのサガは、きっと片付けろと云うのだろう。

 俺がげっそりしていると、サガは冷蔵庫にミネラルウォーターを仕舞い、振り返った。

 「とりあえず、もう一眠りだ…」

 「はあ?今から片付けるのではないのか?」

 「お前が今から片付けたいならば、そうすれば良い。私は寝る」

 「冗談ではない。俺も寝る」

 そんなわけで汚いリビングを素通りし、

 なんかそういう気分でもないのにサガの部屋にお邪魔して寝ることにした。

 サガが珍しいなという風に俺を見て少し意地悪く笑ったので、云ってやった。

 「今日のサガは俺好みなのだ」

 「なんだそれは」

 「昼まで起こすなよ」

 「そちらこそこの間みたく、私を蹴ったら許さぬからな」

 「あれは寝相、不可抗力だ」

 掛布を取り合い、背中を向け合って、おやすみなさい。

 どうせすぐにサガが反転、俺の体を抱き寄せるのだろうけど、まあいいさ、今日は許す。

 だってな、サガのだらしない処とか、俺くらいしか拝めない。そういうのは特別ぽくて、ちょっと嬉しい。




時々やさしい2


 物置の掃除をしていたら、埃が立ちこめて仕方ない。仕方ない、一度外へ出よう。

 するとばったりカノンに会った。

 この弟は手伝いもしないで、と云おうと思った瞬間、埃のせいだろう、くしゃみが出た。

 カノンは珍しそうに見ていたが、やがて何を勘違いしたのかこう云った。

 「…風邪か?物置の掃除なんぞしてないで、さっさと寝ろ」

 あとは俺がしておいてやるから、その一言が足りぬなあ、カノン。





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