Gemini Log




品質保持期限切れ


 虚という言葉が相応しいその部屋に今日はカノン以外のものを見つけた。

 「それは?」

 床に転がったカノン。愛でていたのは、「魚」

 床に置かれた水槽。

 カノンの眸の蒼を一匹の魚が優々と泳いでいた。

 「海に落ちていたから拾った」

 水槽に指を這わせてカノン。

 たかが魚。だと云うのに私は酷く苛々した。理由は分からない。

 それでもその存在が目障りで仕方なかった。

 「カノン」

 名を呼ぶとやっとカノンが私を眸に映す。

 カノンの眸の内の私は泳いではいなかった。

 「それは元に戻しておけ」

 頭痛がする。

 「何故だ?」

 理由は分からない。分かることはひとつ、限りなくそれが不快だと云うこと。

 「戻せ」

 口答えは許さない。そう目で云った。

 睨み合って先に折れたのはカノン。

 「分かった」

 ぽつりと云って、それでも魚を愛おしそうに眺めていた。頭痛が酷くなった気がした。

 翌日の深夜、聖域から帰ると床にはカノンしかいなかった。

 「魚はどうした?」

 問うと、「片付けた」

 カノンは口の端に小さな笑みを浮かべた。

 誰にも見つからなかったかと問うと、見つからないように「片付けた」と云う。

 違和感。酷く違和感があった。

 「片付けた?」

 「喰った」

 にやりと笑うカノンが、「美味かった」、酷く気に入らない。

 床に広がったカノンの髪。無理矢理掴み上げて、「私は戻せと云った」

 互いの息遣いが感じられるほどに唇を寄せる。

 「片付けろと聞こえた」

 そう云ってカノンは酷く気に入らない笑みを深めた。

 「お前も喰いたかったのか?」

 「馬鹿な」

 吐き捨ててカノンの髪を離すとカノンは床に転がる。無抵抗で、無防備。

 カノンに喰われた魚が泳いだ眸に私が映される。

 「喰わないのか?」

 問われて、「食欲がない」と答える

 「喰って欲しいのか?」

 問い返すと、「お前が喰いたいのなら」と応えられた

 「カノン」

 「なんだ?」

 「お前に喰われた魚は幸せか?」

 不幸というなら、私はお前を喰わない。喰えない。

 「幸せかどうかは分からないが」

 カノンは考える仕草もなく、「少なくとも俺はあれが好きだったから喰った」、私を眸に捉えた。

 「少し食欲がわいた」

 そう耳元で囁くと、「喰うなら早めにしておけ」、相変わらず憎たらしい笑みで云う。

 何故かと問うと、「もうすぐ腐るから」、相変わらず憎たらしい。

 しかし私が愛しいと思う眸で笑った。

 もうすぐ腐るなら今すぐ喰おうと思った。

 けれどカノンならたとえ腐っても喰えるとも思った。




コントラスト


 雲のない何処までも碧空の日、カノンは家にはいなかった。

 何処かと探すと、簡単にカノンの姿を見つけることが出来た。

 カノンは黒い服を着ていた。碧に映える黒。喪服のようだと思った。

 「何処へ行く?」

 カノンは何処かへ出掛けるようだった。

 「葬儀」

 カノンは微笑した。

 「誰か死んだのか」

 私の問いに、「こいつがな」、掌に包んだものを見せた。

 それはカノンの飼っていた蝶だった。カノンは蝶を海に流すと云う。

 「土に埋めないのか?」

 私が首をかしげると、「海に流す」、カノンは繰り返す。

 死者は土に還る。そして死者の骸は他の生命の糧となり、命は永遠に紡がれる。

 それは素晴らしいことではないのか?

 「こいつの命で生かされる命があっても」

 カノンは呟く、「それはこいつではない」

 黒い服を着た。喪服を着た。さっき俺の飼っていた蝶が死んだから。

 ひっそりと葬儀をしよう。飼っていた蝶のため。

 その途中サガに逢った。土に還さないのかと問われた。

 土には還さない。他の生命の糧になどしない。

 そっとそっと海に流そうと思う。

 「安心しろ」

 俺は云った。

 「お前が死んだら土に埋めてやる」

 死して尚、他の者のために。

 「俺の死体は海に流してくれ」

 俺は笑って、お前も行くかと問うたら「行こう」とサガは頷いた。

 碧い空。蒼い海。狭間には黒服のカノン。と。死んだ蝶。

 カノンと私の距離は近いようで遥か遠くに離れているようにも思えた。

 風がカノンの髪を浚い、掌の蝶の羽根を揺らす。

 カノンは愛おしげに、それは愛おしげに、蝶に接吻けをした。

 それは綺麗な世界だった。神秘的な世界だった。

 永い永い接吻けのように思えて瞬きのようにも感じる。

 碧い空。蒼い海。蝶に接吻けをする黒服のカノン。私は言葉を失った。

 やがて慈しむかのように接吻けられたくちびるが離れ、そっとカノンは蝶を海に流した。

 波に浚われ、蝶は海に消えて逝く。

 カノンはいつまでも波間に揺れる羽根を見つめていた。

 蝶が消えてもカノンは愛おしげに海を眺めていた。

 「きれいな空だ」

 私は碧い空を見上げた。風が私とカノンの髪を撫でる。

 「そうだな」

 晴れやかな碧い空。静かなる蒼い海。喪服のカノン。

 美しいコントラスト。きれいな世界。

 不意に「あの蝶が」、カノンが呟いた。

 「この空に舞っていたなら」

 もっと綺麗な世界だっただろうに。

 そう呟いたカノンは少し哀しげに微笑み、微笑みを残したまま静かに眸を閉じた。




あばよ


 目も眩む青い空の下、乾いた広大な砂漠で、俺たちは再び出逢った。

 こんなにも広い砂漠でまたお前と逢うなんて。

 けれど目と目が合ったのに、何も云わず、俺たちは擦れ違った。

 もう二度と逢うこともないだろう、そんなことを想いながら。

 それは夢だった。兄の夢。サガの夢。

 目覚めは最悪。気怠い気分。

 離れたのに、捨てられたのに、サガ、俺は今でもお前を夢に見る。

 愚かと笑うか?

 遠くに聴こえる波の音。誰もいない海の底。俺はただひとり、海底で大の字に寝転ぶ。

 海の底には俺ひとり。けれど決して孤独ではない。

 サガ、お前は俺を捨てたけれど、俺はお前を捨ててはいない。

 お前という存在が常に俺の何処かに在るから、俺は孤独ではない。

 寧ろ孤独になったのはお前。俺を捨ててしまったせいで、お前は独りになった。

 海底から見上げた空は、空の碧と海の蒼が重なった青空で、夢の青空を思い出す。

 俺とサガはあんなにも広い砂漠で再び出逢った。

 どのくらいの確率なのだろう?偶然?否、必然?

 否、肉体を分かち合った故。

 運命とか宿命とかそんな曖昧さに縋りたくはないけれど、

 俺とサガが出逢うのは互いに惹き合う魂があるから。

 今想う。俺たちは同じ道を歩んでいたわけではない。

 あの砂漠で何度も何度も気が遠くなるくらい、出逢っていただけのこと。

 それこそ共に同じ道を歩んでいると錯覚する程に。

 そして今は逢えない。それだけのこと。

 寧ろ逢わないのが当然。あの砂漠は広い故。だからこそ逢えていたあの頃は奇蹟。

 奇蹟の日々だった。

 ゆらめく海面に映る空。サガ、お前は空を見上げてその碧さを憂えているだろう。

 サガ、俺はこうして海に揺れる空を見上げて、やっとお前には無くて、俺だけにあるものを見つけた。

 お前は永遠に空の碧と海の蒼が重なる、この青い空を知らずに生きるだろうから。

 サガ、やっと俺はサガでなくカノンになれた。

 俺は碧と蒼が揺れるこの世界で俺なりの最高を行く。

 お前は碧い空の下でお前なりの最高を行けばいい。

 常に最前線で常に最善を尽くして戦おう。

 俺たちは戦わなければ潰される。そうして過去も生きてきた。そうして現在も生きている。

 そして未来も戦い抜いて生きるだろう。

 今閃く。嗚呼、そうか。戦地が違ったのだな、俺とサガ。

 眸を閉じる。碧も蒼もない世界。在るのは目も眩む青い空、乾いた広大な砂漠。

 俺とサガは魂に惹かれてまた出逢う。

 目と目が合って互いの眸に映る姿は昔と少し違う。

 何も云わずに通り過ぎようとしたお前に俺は高らかに告げよう。

 「あばよ」

 魂までも分けた人よ。

 「あばよ」

 今日俺はひとり旅に出る。




予感


 「なあ、サガ」

 暗がりの部屋。床に広がったサガの髪を引っ張って俺。

 「やらせてくれ」

 囁く。

 サガは眉根を寄せたが俺は繰り返す。

 「やらせてくれ」

 くちびるが触れる程に寄せて、「やらせてくれ」

 今すぐ。今ここで。

 「何を云っている?」

 サガは近付きすぎた顔を引いて問う。

 やらせてくれでは通じない?俺は更にくちびるを寄せた。

 「抱かせろと云っている」

 お前に挿れたい。

 「莫迦な」

 サガは吐き捨てた。拒否した。

 刹那、俺はサガに接吻けた。くちびるを重ねるだけでは足らず、舌を押し入れてサガのそれを絡め取る。

 しばらくして、「俺が本気だと分かったか?」、くちびるを離すとぷっつりとふたりを繋ぐ唾液が切れた。

 サガは俺を睨んでいた。

 「私は誰も受け入れないと知っているだろう」

 サガが云う。

 知っているさ、だからお前は俺を抱くのだろう。

 サガは俺が欲情していると思ったのか、今度はサガが接吻けてくる。

 舌で俺のくちびるを開こうとしたので俺はサガの舌を噛んだ。

 「違う」

 欲情しているのではない。お前に抱かれたいのではない。

 「俺がお前を抱きたいのだ」

 「何故?」

 サガが問うた。

 「私に抱かれることが嫌になったのか?」

 「それも違う」

 俺はサガの肩を床に押し付けた。意外にも抵抗はなくて、サガの体はあっさりと俺の体に組み敷かれる。

 「やらせろ」

 このまま無理矢理犯してやってもいい。

 サガの頬を指先で撫でる。瞼に接吻けを落として、そのままくちびるを重ねた。

 くちびるを押し開いて舌を絡ませ、手はサガの衣服を乱す。瞬間、

 「カノン」

 手首を取られた。

 目と目が合って、サガの眸に拒否の意思が見えて、反射的に俺は密着していた躰を離した。

 俺の重みから解放されたサガは上半身を起こして俺と向き合う。

 「カノン」

 サガの手が俺の髪を梳く。

 「どうした」

 至近距離で見つめられ俺は目を逸らす。

 「予感が」

 俺が呟くと、「予感?」、サガが繰り返す。

 そう、予感。予感がするのだ。「お前に」、サガに捨てられる、そんな予感がする。

 「愚かな」

 サガは苦笑した。苦笑しつつも俺を抱きしめた。

 サガの腕の中は温かく、だからこそ怖い、いつか俺を抱かなくなる日が来るのではないかと思うと。

 俺を抱くサガ。いつでも俺を捨てれるだろう。

 俺を抱くか否かもお前に委ねられている。俺はお前の決定に従うしかない。

 お前が手を離したら俺は二度とお前の腕の中には帰れない。

 だからこそ俺はお前を抱きたかったのだ。

 「抱いてくれ」

 抱かせてくれないのなら、せめて抱けよ。抱いてくれ。その嘘だらけの腕で俺を騙せ。

 騙してくれ。

 嘘と知っているけれど騙されてやる。この確信的な予感から逃れたいから、「抱いてくれ」

 この予感ごと抱いて、この予感さえも騙して。

 離れるにはまだ恋しい魂の片割れ故に。




セイシ


 薄暗い空間の床に私は仄かな光を見つけた。

 何かと思いそれを拾い上げると、それは黄色の花だった。

 何処にでも咲いているだろう花。しかし床に落ちているのは酷く不自然なこと。

 即ち誰かが放置したのだ。

 思い当たるのはただひとり、「カノン」、名を呼んで薄暗い部屋に気配を探す。

 「カノン」

 「聞こえている」

 薄闇が蠢いて、床に四肢を横たえていたカノンは気怠げに私を見上げた。

 「これは?」

 花について問うと、「先程まで外出していてな」

 草原にて夢現を漂っているとふとこの花が目に付いたと云う。

 「気が付けば手折っていた」

 「無意味な殺生をするな、カノン」

 「意味のある殺しなら良いのか?」

 揶揄するカノン。

 「少なくとも、この花を手折ったことに意味はあるまい」

 「答えになっていないな」

 そう吐き捨ててカノンは私の手から花を奪った。黄色の花。いつしか綿毛に姿を変え、風に舞う花。

 カノンは花に接吻け、「サガ」、私を呼ぶ。

 「知っているか?」

 カノンのくちびるが花びらに触れ、舌が茎を辿り、無情に手折った傷痕をカノンは顔を傾けて咥えた。

 「この花の茎は白くて苦い汁を出すのだ」

 音を立てて啜り上げる。そんな仕草をして、「まるで精子だ」、カノンは花を床に落とした。

 「カノン」

 私を見上げるカノンに接吻ける。

 「サガ」

 何度もくちびるを重ねる合間に、吐息混じりにカノンが私の名を呼ぶ。

 私を呼んで、私の首に腕を回し、まだ足りないと私を求める。

 花は床で淫らに蠢くカノンに押し潰された。

 しかし、唐突に、「サガ」、繋がりを得ようとした私をカノンは言葉で制止した。

 「知っているか?」

 カノンの眸が私を映して、カノンの眸の中の私がカノンを眸に映して、哀しげに、何処か諦めたかのように、

 「人の染色体は46本なのだ」

 カノンが云うが、私にはカノンの意図することが分からない。

 分からないまま腕の中のカノンをただ見つめる。

 「精子には23本、卵子にも23本」

 23+23=46

 この単純明快な式によって人は成り立っている。

 「カノン」

 ようやくカノンの真意が分かって、接吻けて次の言葉を遮る前にカノンは私から目を逸らした。

 「俺たちは何処まで行っても23本でしかないのだ」

 精子と卵子で46本の染色体。精子と精子では46本には成り得ない。

 カノンの23本の染色体。私の23本の染色体。決して46本になれはしないのだ。

 「こんなセックスでひとつになれるなど錯覚なのだ」

 カノンは云う。

 「ひとつになれはしないのだ」

 カノンの23本の染色体が泣いている。私の23本の染色体が泣いている。寂しいと泣いている。

 けれど決して出逢うことのない染色体。混ざり合えない精子と精子。

 「カノン」

 それでも、

 「サガ」

 私はカノンの内に入り、カノンは私を受け入れる。貫くことで満たされて、貫かれることで満たされる。

 それが寂しさを紛らわす一瞬の快楽でもいい。それで錯覚できるのならそれでいい。

 それで刹那にでもひとつと思えるなら、それでいい。

 錯覚。虚偽。嘘。

 全て私の好むものではない、否、私にあってはならぬものだが、これはふたりの世界故、

 お前とひとつになれると錯覚していよう。

 46本になれぬ染色体には目を瞑り、混ざり合えぬ精子のことなど考えない。

 「カノン」

 染色体も精子も所詮躰という容器とその中身。

 混ざり合い、ひとつになりたいのは魂。心ひとつになれたなら寂しさに泣くこともないだろう。

 カノンは苦笑した。

 「ひとつになるのは体より難しいな」

 ひとつにはなれない。ひとつになれたと錯覚することはあっても。

 心も体も魂さえも何もかもが寂しいと泣いている。

 故に錯覚が必要なのだ。寂しさを埋める錯覚が。

 故に故に私たちは錯覚を得るため夜毎睦み合う。

 たとえばあの花の種から2つの芽は出るのだろうか。そんな疑問を隠して。




ハッピーエンドは望まない


 「今日は哀しい日だな」

 お前は云ってその腕に俺を抱き留める。

 何が哀しいのだ、サガ。ふたり、生を受けたこの日を哀しいと云うか。

 何故哀しい?お前が生を与えられたこと?俺が生を与えられたこと?

 それとも、ふたり生を与えられたこと?

 「今日は哀しい日なのだ」

 その憂いの眸は今何を映す。

 腕に抱かれた俺にはお前の眸に映るものさえ分からない。

 「カノン」

 ただその声に確かにお前が哀しんでいることを悟った。

 「私は時折酷く哀しいと思うのだ」

 生を哀しむか、サガ。お前は不器用な故、哀しい生き方しか出来ないのだ。

 お前の生は哀しい。お前の生は苦しい。お前の生は痛みばかり。

 しかしそれを選んだのはお前。それを分かち合う者を切り捨てたのもお前。

 「お前は愚かだ」

 吐き捨ててやると、「そうかもしれん」、サガがより強く俺を抱く。

 愚かだ。お前は愚かなのだ。サガ、お前はこの生に憂いと哀しみしか見出せずにいる。

 それはお前が完璧を目指す故、幸せを願う故、ハッピーエンドを望む故。

 「俺たちが生を受けたこの世界は常に哀しいのだ」

 お前独り足掻いてどうなる。ふたりで足掻いてみるか?

 しかしお前は俺を切り捨てたのだったな。

 なあサガ。哀しみが在れば喜びが在り、喜びが在れば哀しみが在る。それがこの世界なのだ。

 お前は何もかもにハッピーエンドを望むけれど、俺はいらない。ハッピーエンドは望まない。

 なあサガ。少しずつ小さな小さなハッピーを重ねていけばいいではないか。

 こんな世界でも、こんな日々でも。

 決してハッピーエンドにはならないが、わずかなハッピーで喜びを感じろよ。

 けれど、「今日は哀しい日だ」、

 お前がそう云うから、お前がそう云って哀しみを共有しろとばかりに俺を強く強く抱くから、

 俺はお前の肩に顔を埋めた。

 一緒に生まれたのだから仕方ない。

 たとえお前が外を望み、俺を切り捨てたとしても、元は同じなのだから仕方ない。

 いいさ。

 お前の哀しみを俺に分けてくれ。




目隠しプレイのバランスで


 俺たちは危うい均衡をなんとか保っているだけなのだ。

 少しでも揺らいでしまったら崩れ落ちてしまう。だからもう何も云わない、もう何も訴えない。

 俺たち、ふたりだけの世界。

 どうせなら俺とサガふたりだけなのだから、せめてこの身を擦り寄せていたかったけれど、

 心はいったい何処へ行ったのだろう。

 世界の片隅でサガが独りで苦しんでいる。サガが独りで嘆いている。

 けれど心が遠く彷徨う俺はお前に掛ける言葉さえ見つからない。

 だってお前が俺の心を求めないから、お前が彷徨う俺の心を捕まえてくれないから、

 もうどうしようもないではないか。

 だからただ日を送る。静かに静かにお前との時間をやり過ごす。

 お前が笑おうが怒ろうが俺にはもうどうでもいいことで、

 俺が生きようが死のうがお前にもどうでもいいことで、

 愛やら憎しみやら実はどろどろしているけれど、素知らぬ振りして体を繋げて慰める。

 きれいなサガなんて嘘っぱち。誰もがいかさまに騙されている。

 ホントは弟とセックスして、支配欲と快楽を満たす奴。

 こんなにふたり堕ちたのはお前が俺を許してしまったせい、俺がお前を許してしまったせい。

 もうこうなれば転がるように堕ちていく。

 「サガ」

 俺がサガに躰を擦り寄せて、「どうした、カノン」、サガが俺を抱きしめる。

 好きも嫌いも飛び越えて、笑いも喜びも何もなし。

 それでも哀しみをふたりで挟んで抱いて、お前がいるから俺の存在に意味がある。

 「挿れてくれ」

 ひとつになれる、その時だけは危うい均衡も目隠しプレイで目を逸らす。




頭痛


 空が白み始める頃にお前は俺を夢から連れ出すね。

 目覚の接吻けなどとっくの昔に自然消滅、朝はパントマイムから始まる。

 夜には摺り寄せ合った肌も今はただ不快で、

 ベッドの周りに脱ぎ散らかした衣服を拾い集めるサガはシャワーの権利を主張する。

 どうぞご勝手に。俺はまだ眠い。だからいちいち起こしてくれるなよ。

 俺が気付かぬようにベッドから抜け出せ。余計な情を掛け合いたくはないだろう。

 起き抜けから嘘を吐けるほど俺も出来ちゃいない。

 だと云うのに、サガは再び微睡み掛けた俺をわざわざ起こしにやって来た。

 乾ききっていないサガの髪が素肌に吸い寄せられて絡み、「冷たい」、呻く。

 けれどサガはそれには応えず、「行って来る」だけを云い残す。

 絡み付く冷たい感覚までもがあっさりと俺に背を向けて、離れた。

 「行くなよ」

 俺を振り払った髪を掴んで、「行くなよ、サガ」

 振り返ったサガに、「頭が痛い」、訴えるとサガは俺の額に手を伸ばしてきた。

 「熱はない」

 「頭痛がする」

 顔を背けてサガの手を振り払い俺は笑った。

 「お前、揺らし過ぎ」

 俺の体のこと考えてる?

 どうせ俺はお前の快楽を満たす玩具で、お前の苦しみを紛らわすだけの存在。

 「それはすまなかった」

 だから通り一遍の言葉しか返さない。

 お前は俺に快楽を与えてくれるけれど俺の苦しみを重くするばかり。

 「今日は一日安静にしていろ」

 やっぱりな。俺の頭痛くらいではお前を引き止められないね。俺はサガに背を向ける。

 「さっさと出て行けよ」

 時間に遅れるぞ。そう云ってやると、サガは部屋から気配を消し、しかしすぐに戻ってきた。

 「鎮痛剤だ」

 錠剤と水を差し出される。

 「いらん」

 「飲め」

 己のせいと分かった途端、外面だけの心配をし出すお前が滑稽で堪らない。笑えるな。

 「じゃあ、飲ませろ」

 ちろりと舌を出してやるとサガは顔色ひとつ変えないで、水と錠剤を口に含んだ。

 そのまま俺に接吻けて、抵抗しないでいると巧みな舌使いで鎮痛剤と水を流し込まれた。

 乱暴なテクニシャンめ。体を離すサガを見上げて思う。

 そんな俺を知ってか知らずか、「行って来る」、何事もなかったかのように云うサガに、

 「さっさと行けよ」

 俺もまた同じように云う。

 今度こそ本当に出て行ったサガの後ろ姿を窓から眺めて、俺は鎮痛剤を外へと吐き飛ばした。

 俺は薬中ではないのでな、痛くもないのに鎮痛剤など飲まんのさ。

 「バカめ」

 俺はサガに背を向けて笑った。

 あれくらいで頭痛になっていたらお前の相手は務まらんよ。




一方通行の愛だから


 こんなに爛れた関係は今に始まったことではない。

 背徳の睦み合いは神の光届かぬ深夜2時。悪魔に捧げられた祭壇で体を繋げる。

 もしかしたら神と悪魔は表裏一体で、これは神の祭壇なのかもしれない。そんなことを考える。

 神の祭壇の上でならこの行為は更にふたりの快楽を深くする。

 罪と知って重ねる罪はどれほど重い罪なのだろう。そうしてそれは酷く甘美なのだ。

 俺たちのセックスはとにかく攻撃的だった。

 互いの譲らぬ気性故か、それとも複雑に絡み合いすぎた糸故か、獣が獣を喰らう様だった。

 甘事よりも悦楽を求めた。緩急よりも激しさが全てだった。

 噛み付くように接吻けし、奪うように舌を混ぜて、痺れが理性を腐らせて、

 生まれた肉欲が体を犯してゆく。

 その上お前にまで犯されて俺の熱は急上昇。粘膜が淫乱に喘いでる。

 とろとろにとろけて、粘液が混合していく。

 びくびくよがって、浮つく熱が血液を介して拡散される。

 「カノン」

 耳朶をくちびるでなぞられて、サガ、そっと想う。

 サガと声を上げて呼ばないのは、乱れた呼吸と喘ぐのに忙しいせいにしておこう。

 名を呼んでしまったら還れない。

 お前を挟む両脚とシーツを辿る両腕が行き場をなくして悶えてる。

 切り取られた視界にはサガのみ映り、より深く俺を求めて穿って揺する。

 本当はこの爪先まで悦楽に浸った両脚をお前の体に絡めてみたい。

 本当はこの震える腕でお前の首にしがみついてみたい。

 でもしない。

 そんなことをしてしまったらお前を闇に引きずり込んでしまうから。

 互いに一方的な行為だからこそ、まだ還れる。まだ還れるのだ。

 けれど本当は触れてみたかった。

 「カノン」 

 サガの動きが焦らすように緩慢になって、「やめるな」、俺は訴える。

 その俺の手を取ってサガは自らの首に絡ませた。

 「構わない」

 そうしてサガは少し微笑んだ。

 嗚呼、名前をバカみたいに呼んでやろう。

 「サガサガサガ」

 嗚呼、脚も腕も絡めてやろう。

 還れなくとも構わない。引き返せなくともそれでいい。お前がそう云うのなら。

 悪魔への供物はひとりでいいのに、大サービスでふたりになった。

 こうなったら何処までも。

 体が疼く。体が仰け反る。脚と腕と体でお前の体を締め上げて、ふたり快楽を貪り合おう。

 波間をするすると擦り抜けて、熟練サーファーのようにかいくぐる。

 高い波をやり過ごし、まだまだ足りぬと獣が獣を求めてる。

 とろりと溶け合う感覚にふたりで浮いた原始の海を思い出す。

 もうあの海のように溶け合うことはないけれど、ならば溶け合う感覚と共に、せめてあの深海へ。




空腹と飢餓と食糧不足


 わざと爪を伸ばしてみた。ついでにヤスリで研ぎ澄ます。

 獲物を狩るのに爪は要らない。獲物は、ほら、誘えばすぐに落ちる。

 喰い殺してその血肉を貪りたいほど愛しているなんて、憎しみの延長上、独占欲のなれの果て。

 きっと世界はふたりのものだった。あの頃は世界をふたりで形作っていた。

 俺はサガのもので、サガは俺のものだった。

 抱き合うのもふたりだったからふたりで抱き合った。

 世界がサガを選んだことなどどうでもよかった。どうでもよかったのだ。

 ただサガが俺より世界を選んだことが胸に突き刺さった。

 痛いなんてものではない。あの脱力感、喪失感、虚無感。憎いよりもただ哀しかった。

 お前は俺のものではなくなった。なのにお前はまだ俺を欲しがる。

 哀しいなどという感情に耐え切れなくてそれを憎しみとすり替えた。

 心の痛みを肉体の痛みに変換し、嗚呼、快楽を貪り尽くす。

 誤魔化して誤魔化して、ふたりが吐息混じりに吐き出すのは嘘嘘嘘。

 爪がサガの背に喰い込んで、セックスに溺れる振りして掻きむしる。

 「たまには俺を入れてくれ」

 お前ばかりが俺を犯すのは不公平。爪の先くらいお前の中に挿れてくれ。

 いくら爪を研いだとしてもそれがお前を殺すためでないことが惨めだな。

 結局俺はお前を殺して喰らうことが出来なかったから、お前は俺のものでなくなったのだ。

 変換作業が上手くいかない。

 世界が俺を見捨てても笑い飛ばす自信はあるが、どうしてお前のこととなると、

 こんなにも苦しいのだろう、哀しいのだろう。

 お前だけだ。俺をこんなにも啼かして泣かすのは。

 「足りない」

 官能的に腰を振る。

 「もっとくれ」

 もっと激しく、もっと突いて抉って貫いて。

 痛いのはセックス。泣いているのはそのせい。

 サガは知ってか知らずか、俺の涙が終わるまで何でも俺を貫いて、

 セックスの後は決まってサガの背に指を這わす。

 俺の爪の痕。俺が掻きむしった痕。

 深く抉られた傷痕を舌でなぞって、苦痛の声を漏らすサガがたまらなくイイ。

 爪の痕に爪を立て、抉って滴る血を啜る。

 これくらい許せよ、サガ。

 お前ばかりが俺を喰らって俺は腹が減っているのだ。

 俺とてたまにはお前の内が欲しくなる。

 俺がお前に刻んだ傷痕はそれだけで俺を満たしてくれるほど蠱惑的。





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