13年前
Gemini log 01
■孤独の欠片が埋まる0.3秒の世界
「ただしさなど人がふたつ在れば、ふたつ在り、みっつ在れば、みっつ在るものだ。異なるものだ。そういうものだ。そうして人は自らの領域を知り、己と他を分かつ線の存在を知り、完全には逃れられない孤独を知るのだ。だが我らはどうだ。同じ姿形を持ち、同じ声で話し、同じように振舞う。その分だけ我らはきっと孤独からは遠い。それは幸福なことだ。だが、だからこそ我らは異なるただしさを見つけるとき、途方もない孤独を感じるのだろう」
そう呟いてサガが眸を伏せる。
カノンはそれより僅かに遅れて眸を同じように伏せる。
その僅かな誤差にさえ孤独の欠片が埋まっている。
■埋められないもの
「俺とサガには決定的で、根本的で、決して埋まらない違いがあるのだ。それはつまり、お前に、俺がお前を追うようなどうしようもなさが、完全に欠如していることだ」
そう静かに呟いたまま、それっきりカノンは何も言わなくなった。
■夕暮れ散歩
手を繋いで歩くのだ。ふたりで夕暮れに歩くのだ。
一緒に歩くのは簡単なようで難しい。歩調を揃えるのは難しい。だから手を繋いで歩くのだ。
例えどちらかが早くその一歩を踏み出してしまっても、例えどちらかがその一歩を踏み出せなくとも、そのことに気付くために手を繋いで歩くのだ。
そうしてお互いへの思いやりは欠かせない。
手を繋いで歩いていることを忘れてはいけない。一緒に歩いていることを忘れてはいけない。
手を繋いで歩くのだ。ふたりで夕暮れに歩くのだ。
夜の闇にあなたが沈みませんようにとお祈りを捧げながら。
■選択肢
サガという名が十二使徒に列せられた日、その彼は夜遅くに帰って来た。
ふたりでテーブルについて、押し黙る。
まずはカノンが口を開いた、おめでとう、と。その顔を綻ばせ、眼を細める。
サガは応えなかった。彼は、カノンは解っているのだろうか。今彼の顔に浮かぶ微笑は、彼が最も嫌うサガの微笑と同じであることを。
それから闇が更け、空が白み、夜が明けた。何度も陽が昇り落ちた。繰り返し月が来て去った。
やがてカノンは二言めを口にした。
「お前は、この俺が否定される世界を選択したのだ」
サガはやはり何も応えなかった。
■寂しがりやの子ども・臆病な大人
手を繋いでも俺たちは指を絡ませない。掌と掌を重ねることを俺たちは手を繋ぐと言う。
だって指まで絡めてしまったら解き難いじゃないか。
いざというとき、すぐに解けるように、離せるように、ひとりで走って先へ進めるように、掌と掌を重ねることを俺たちは手を繋ぐと言う。
俺たちはそれでも手を繋ぐし、繋ぎたいと思うし、掌をやわらかく重ねることを手を繋ぐと言い続けるだろう。
俺たちは寂しがりやの子どもで、ふたりが怖い臆病な大人なのだ。
■寂しさ2倍
ひとりでいたら、ひとりぶん寂しい。ふたりでいたら、でも半分にはならない。
ふたりでいたら、お前の分も寂しくなるよとサガが寂しそうに微笑むので、だから俺はぽつりと呟いた。
じゃあふたりでいる意味なんてないじゃないか、と。
■個人誌「にごりみず」未収録
カノンとクローン人間について話したことがある。なに、難しい話ではない。戯れの話だ。
声を立ててふたりで笑って話した。その最後にカノンがぽつりと言ったことは、
「クローンはクローンのために生きることはないのだ。オリジナルのために生まれ、生かされる。死んだオリジナルに代わって生きるわけじゃない。オリジナルが死なないために、皮膚を臓器を差し出して、クローンがオリジナルの代わりに死ぬのだよ」
そうしてそれから、非難の目を私に向けた。
「俺は一度たりともお前が死ねば良いと思ったことはない」
それはまるで私がカノンが死ねばいいと思っているとでも言いたげだった。
■信仰心よりも大切なもの
「神さまなんかより、お前はお前のこと信じてやんなよ」
カノンはぽつりとそう呟いた。
■眩暈
光溢れる世界に唯一開け放たれた窓の枠に両肘を着き、
「いってらっしゃい、兄さん」
少しだけ口許を上げてみせるカノンに私は深い憤りを覚え、私に降り注ぐあまりの光の渦に、私は眩暈を感じるのだ。
■2006双子誕1
俺たちは秒にして、1未満。彼が眸を伏せればその哀しみを、彼が苦笑を浮かべればその僅かの幸せを、逆も然りで、解かり合う。
ふたりだけの永遠は瞬きにさえ潜んでいる。
けれど1という永遠を望まず俺たちは、サガとカノン、2という苦痛にこそ輝く可能性を求めた。
■2006双子誕2
私たちは個にして、1未満。彼が眸を伏せればその希求を、彼が苦笑を浮かべればその諦観を、逆も然りで、解かり合う。
ふたりだけの全は瞬きにさえ潜んでいる。
けれど1という個を望まず私たちは、サガとカノン、2という個々にこそ眩しい未来を望んだ。
■2006双子誕3
俺たちは時にして、永遠。彼が眸を伏せて伝える苦しみを、彼が苦笑を浮かべて伝える痛みを、逆も然りで、解かり合えない。
気が遠くなるくらい瞬いたとしても永遠には届かない。
けれど2というを可能性を望まず俺たちは、ふたりでひとつ、1という永遠に喪失からの救いを求めた。
■2006双子誕4
私たちは個々にして、2。彼が眸を伏せて伝える憤りを、彼が苦笑を浮かべて伝える寂しさを、逆も然りで、解かり合えない。
気が遠くなるくらい瞬いたとしても永遠には届かない。
けれど2という個々を望まず私たちは、ふたりでひとつ、1という二進法を世界の法則と信じた。
■早期治療勧告
カノンが夏風邪を引いた。先週は咳だった。一昨日は咳に加えて喉が痛むと訴えた。
昨日は咳と喉の痛みと熱があると言った。今日は咳と喉の痛みと発熱と頭痛・嘔吐・意識混濁。
今日こそは病院へ連れて行かねばならないと思いながらも、連れて行くには今日この日まで築いてきた全てを崩して行かねばならない。
明日にはきっと良くなる。明日にはきっと少しくらいは良くなる。だから明日まで待とう。明日には、明日には。
そうしていよいよカノンの病状は重く悪くなるばかり。
■ふたりで生まれた意味
カノンが逃げることも出来ないような唐突さでサガはカノンの胸倉を掴み上げた。
「お前をこんなにも憎むために、私はお前と生まれてきたのではない!」
生まれてきたのではないのだともう一度口にしたそれは、すぐにでも掠れて消え入りそうな声だった。
■完璧な会話
言葉尻を捕らえて非難し合う、罵り合う、傷付け合う、傷付けられ合う。
その頃はもう揚げ足を取り合うことしか出来なくなっていて、言葉の足りなさにまた言葉が足りなくなる。
そうして会話が失せる。
それは、もしくは、間違いの存在しない完璧な会話。
■意地
「同じ日に同じ腹から同じ声を上げて生まれ、心のどろどろしたところから魂のじゅくじゅくしたところから言葉を吐き出し合って、そのあまりの重みに潰れてしまいそうになりながら、けれどそうすることによって俺は俺の頬を打ったお前の手が震えていることを知り、お前はお前の頬を打った俺の手が冷たくなっていることを知り、そのように生きてきた兄弟ではないか、双子ではないか。ふたりではないか。俺は今更お前を見捨てて逃げてしまうような卑怯者ではないよ」
カノンは世界に開いた海を背に、聖域の白亜を背にしたサガにそう言った。
■失えないもののひとつ
「お前が弱くなってしまったのではないよ、サガ」
カノンはそう言って握り締められているサガの手に触れる。
「きっと俺が一人で立つ強さを手に入れたわけでもない」
しかしそれはどれだけ触れていても、カノンの手を握るためには開かれない。
もう開かれはしないのだ。
「お前は失ってはならない、失いたくないものを、たくさん見つけてしまっただけなのだ」
その手の中に俺は在るか?
■低体温症
外の世界から帰って来たサガの手をカノンは取って温める。
少しずつ伝わる熱。移る冷めたさ。
「お前の手が少し冷たくなってしまったな」
サガは憂いに眸を伏せたが、カノンは尚その手を離しはしなかった。
「お前の手がとても冷たくなってしまうよりは良いよ」
もう熱の戻らぬ低体温。
■八方塞がり
不意にカノンが声を静めた。
「もうよそう、サガ。昨日を罵り合っても、もう今日は訪れてしまっている。明日を責め合っても、俺たちを残して夜は明けてしまうのだから」
■みちはずれ1
石ころを蹴りながら歩いていたカノンが少しずつ少しずつ道から外れて行ってしまうので、サガは「カノン、カノン、何処へ行く」とカノンの背を追いかけた。
やがてサガが踏み入ったのは道から外れた暗い森。
漸く振り返ったカノンは石ころをサガへと蹴りながら、半分だけ喜んだような、もう半分は悲しんだような、そんな顔で笑った。
「サガよ、お前まで道を外れてしまってどうする」
石ころはサガの爪先で少しだけ跳ね返った。
■みちはずれ2
「どうして俺がこうして道を外れてやったのか、お前にはわかるか?お前が歩もうとする道を、お前が歩みたいと思う道を、二人で歩いてしまったなら、ジェミニが一人ではないことが知られてしまうからだ」
だから道から外れるしかなかったのだとカノンは、もう一歩も道から遠のいてしまったら、真っ暗な海へと落ちていってしまうような世界の淵で、そのときになって初めて私を恨む顔をした。
■みちはずれ3
少しずつ少しずつサガから離れるように遠のくように後退りをするカノンの踵の重さに、その存在の重さに、足元の崖は耐え切れず、ぱらぱらとまずは小さな砂を散らし、やがてはからからと小石が真っ暗な海へと落ちてゆく。
サガは蒼褪めた顔をしてカノンに手を伸ばした。出来得る限り、肩が、筋が、肘が、指先までも痛むくらいに伸ばした。
「カノン、お願いだからそれ以上は行くな」
戻ってきておくれと訴える。
だがその手は、指先は、カノンには届かなかった。カノンの眸がサガの手を拒否していた。
「言っただろう」
カノンが言う。
「神へと通じる道は二人では歩けぬと」
初めから全てを諦めたかのように、見抜いたかのように、悟ったかのように、
「それとも、サガよ」
それでも小さく僅かに期待を寄せて、
「俺にあの眩しい光に溢れた神の道を譲るとでも言うのか」
カノンがそのように言う。
■みちはずれ4
「それともサガよ、お前は神在りし道をこの俺に譲るとでも言うのか?」
カノンがそう言った後、時は過ぎた。
カノンへと差し出したサガの手はそれ以上伸ばされることなく、カノンは次第に大きく崩れ始める崖の上にアンバランスに立ち尽くす。
やがて陽が海に落ちてその炎が消え、夕闇が東の世界より押し迫る頃、カノンへと伸ばされたままのサガの手、その指先がぴくりと動いた。内側に。
カノンは「それがお前の答えなのだろう」と訊ねるわけでなく、断定して笑った。
「本当にバカだよ、兄さんは。たったこれだけのことに、そんなにも迷い迷って、ほら、もう夜が訪れてしまった」
神に至る道さえ終に夜に閉ざされる。
■かくしごと
いつまでも隠し通せるわけがないのだと、互いの目に映るカノンとサガを見合いながら、いつまでも隠し通そうと、自分の目に映るサガとカノンを瞬くことで閉じ込める。
■力こそ正義の瀬戸際で
内側からは解くことの出来ない鍵がかけられた扉を、ある日振り上げた拳で叩き、力いっぱい蹴り飛ばしたなら、扉を破るまでは、開けるまでは叶わなかったが、鍵が緩んでカタカタと鳴り出した。
振り上げた拳がもし震えていなければ、本当は力いっぱいで蹴り飛ばしていなかったとしたら、今度はこの鍵がガタガタと鳴り出すのではないかと、そんなことを先程よりは震えの収まった拳を胸に抱きながら考えている。
■力こそ正義の瀬戸際で 2
「このような俺だって思う。世界が、神だとか、愛だとか、正義だとか、そんなものを見せて翳して説けば救われるならばご機嫌だ。だが、そうではなかった。そうではなかったからこその聖闘士ではなかったのか。そうではなかったからこその、力なのではないか。時々俺は思うのだ。俺はきっとお前よりも正しく聖闘士の本質を知っている。そうしてお前は聖闘士の本質に気づき始めている。力尽くの正義を遠ざけようとしながらも、その最も際にいるのが俺たちなのだとお前は踏み外しそうになってから漸く気づいた」
■力こそ正義の瀬戸際で 3
「アテナを殺せだと」と振り上げた拳で頬を打って以来、牢に体を押し入れて以来、あれだけ、どれだけ、言葉を尽くしてもどうにもならなかった弟がどうにかなったのだと、この拳で、この手のひらで、この力で、どうにかできるものがあるのだと、そういうことを私は考えている。
■お前の手は哀れ
ふっと吐いた息のあと、ふ、は、は、は、とさも可笑しげにカノンは笑った。
「全知全能のお前にも出来ぬことがあると知れ」
額に手をあて、あ、は、は、は、と笑う。
「全知のお前にも守れぬものがあると知れ。全能のお前にも変えられぬ心があると知れ」
それからぴたりと笑いは止んで、カノンの目がサガの手を映す。
「お前の手は哀れ、神も、俺も、殴ることが出来ない」
■相互認識についてのある見解
「私の言うことを聞かせたかった」
取調室Aでサガが項垂れている。
「俺の言うことを聞いて欲しかった」
取調室Bでカノンは悲嘆に暮れている。
■人の上に立つということ
ついに上り詰め様としていた階段の、その途中で、サガは項垂れて顔を覆っていたのだ。
救えるのと救えないのと、切り上げるのと切り捨てるのと、もしも選べるのなら、もしも選んでいいのなら、救えるのがいいだろう、切り上げるのが欲しいだろう。
「だが、それが人の上に立つということだ」
と、おれがもうサガも遠くなった下のほうから叫んでいる。
「それが黄金十二星座を司るということだ」
と、おれがもうサガも見えなくなったところから声を枯らしている。
サガは未だ階段の途中で立ち尽くしている。
■兄弟の永続性
我らは、永遠に同じ姿を持ち、永遠に同じ声で語り合い、永遠に兄弟なのである。