Gemini*Gemini




時にはそれを弾丸に代えて撃ち抜け



 玄関から続く廊下に身を横たえていたなら、サガに邪魔だと踏まれた。

 けれど、内臓を圧迫されながら感じるのだ。

 この世界に俺は独りでないのだと、何処か陶酔したように感じるのだ。

 だからサガはやさしい。

 俺に孤独を決して与えようとはしないからサガはやさしい。




 サガは一頻り俺を踏み終えた後もやさしい。

 内臓圧迫死寸前か、はたまたある種のエロスにも似た高揚感に犯されて動けない俺を

 必ずその腕で抱き上げ、ベッドへと連れて行ってくれる。

 そして呼吸困難に陥っている肺に接吻けて酸素を供給してくれる。

 だからサガはやさしい。




 それから無数の接吻けを甘受する。

 髪、額、こめかみ、睫毛、瞼、眼、鼻、耳、頬、くちびる、顎、首、鎖骨、肩、胸、脇腹、

 腹、へそ、二の腕、手首、手、指、爪、下腹部、腰骨、内股、太股、膝、足首、甲、指先、踵。

 そして俺たちはセックスをした。

 それはごく自然な流れのように思えたし、事実ごく自然な流れであった。

 たぶん俺たちは何処までが接吻けで、何処からがセックスかよく解っていなかったし、

 何処までが許されて、何処からがいけないことなのかもよく解っていなかった。

 サガの接吻けがいつもやさしいことだけが鮮明だった。




 ある日のセックス中、是非甘い言葉を囁いて欲しいと云ってみたら、

 サガがどのような言葉が良いのかと訊ねてきたので、その日から俺はポルノ劇の脚本家になった。

 サガがいない昼間に、いつものように玄関から続く廊下に寝転がり、ガリガリとペンを走らせた。

 その内にサガが帰ってきて、また俺を踏みつけ、嗚呼恍惚。

 サガは頭が良かったから、一度目を通しただけで何もかも脚本通りにしてくれた。

 脚本の通りに甘い言葉を耳元で囁いてくれた。

 愛しているだの、愛しているだの、愛しているだの。

 お前が好きだの、お前が必要だの、お前が大切だの、やはりお前を愛しているだの。

 サガの囁きは、とろけるように甘かった。

 そうして欲しいと云う俺の望みを叶えてくれるから、サガはやさしい。




 そんなある日のことだった。ざんざん雨が降っていた日のことだった。

 その日もサガが俺の耳に甘言を囁きかけながら、ふたりで睦み合っていた。

 ただ雨の音が少々耳障りで、俺は呟いた。

 今日はよく降るな、と。

 するとお前は、しかし何の躊躇もなく囁いたのだ。

 愛している、と。




 サガはやさしい…?




 確かに次の台詞は、愛している、だったかもしれない。

 愛しているよ。大好きだよ。大切にしているよ。愛している。愛している。

 しかし、嗚呼、嘘だと解った。所詮台詞だと気付いた。

 こんなにもやさしく甘く囁かれているというのに、

 けれどサガが口にする何もかもが台詞に過ぎないと目覚めたから、鋭く胸に突き刺さる。

 あまりの痛みにのたうち回る俺を見下ろして、漸くサガは困ったような顔をした。

 困ったように、心配げに、まるで非は己に在るかのように哀しげにサガは俺を見ていた。

 サガは、こんな時にまで、やさしい。




 どれだけ望んだ言葉を云われても、思い通りの言葉を云われても、

 それは俺が云わせている言葉だから、誰よりそれが嘘だと解っているから、バカだね。虚しい。

 何を云われても、愛していると何度囁かれても、それはお前の言葉じゃないんだ。

 俺は脚本を投げつけて、叫んだ。

 云えよ。さあ云えよ。

 本当は愛してなんかいないって云えよ。

 愛してなんかいないのだろう?

 アドリブひとつ出来ないのが、そのいい証拠ではないか。

 云えよ。さあ云えばいい。

 本当は憎んでいる。本当は嫌いだ。お前には吐き気がする。邪魔で仕方ない。

 要らない。お前なんか要らない。何処へでも行っちまえ。

 さよなら。バイバイ。もう二度と逢わない。もう二度と眼の前に現れるな。

 ていうか死ね。死ねよ。お前なんか死んでしまえ。

 お前が死ねば楽になる。助かる。

 救われるって云えよ。

 その言葉に撃ち殺されたっていいんだ。

 お前のホントが聴きたいだけなんだ。

 こんなやさしい嘘で積み上げる世界なんて、意味がない。

 積み上げれば積み上げるほど、それ以上に惨めなだけだ。

 いくら麻薬を与えられ、気持ち良くなったって、本当は心身ボロボロ。

 最期は干涸らびて、頭狂って、死ぬんだ。

 なんだよ、お前サドかよ。

 俺をボロボロにした挙げ句に殺したいの?

 それとも時には、たった一発の銃弾を撃ち込むことが本当のやさしさだってことを知らないの?

 そう泣き叫んで、サガの首を締め上げて、漸く聞き出した言葉は、




 「解らない」




 だった。

 絞り出すようにそう云ってくれたサガは、何よりやさしいのだと思った。




 結局俺たちは解っていなかったのだ。解らなかったのだ。解らないのだ。

 くちびるとくちびるの距離。身体と身体の距離。心と心の距離。

 やさしさとはいったい何なのか。

 俺たちには解らないのだ。ずっと。ずっと。たぶんこのままなら永遠に。

 床には測り間違えた距離を丁寧に書き込んだ白い紙が落ちている。

 ああ、違う。

 距離は測り間違えたわけじゃない。

 本当の距離が解っていたから、恐る恐る測り間違えた振りをして、嘘を吐いたのだ。

 それはやさしい嘘だった。

 だが、やさしさとは何かを解らない俺たちは、それがやさしい嘘だとは解らなかった。

 だから、ほら、嘘だから、いくらやさしくとも結局は嘘だから、

 涙ひとつでインクは滲んで、白が黒に染まってしまう。

 その涙を拭おうとしてくれるサガはやさしい。

 けれど、やさしいけれど嘘だから、本当の距離を認めた俺にはもうその手が届かない。

 それでも俺は思うのだ。

 サガの俺の頬に触れようとするその手はやさしい。サガはやさしい。




 サガよ。お前はやさしいから嘘を吐く。やさしい嘘を吐く。

 お前の嘘には、俺への精一杯のやさしさが込められているとちゃんと解っている。

 サガよ。俺はやさしいから騙される。やさしい嘘に騙される。

 俺の嘘には、たぶんお前への精一杯の何もかもが込められているとお前もちゃんと解っている。

 サガよ。けれど俺はお前以上にはやさしくなれない。

 サガよ。俺は俺が惨めなことに耐えられない。哀れでならない。こんなのは嫌だと叫びたい。

 サガよ。俺は、本当は、俺自身にやさしくしてあげたかったのだ。

 サガよ。お前はやさしい。やさしいけれど、それでは足りない。どうしても足りないのだ。




 サガはそれからまた俺の身体全てにやさしく接吻けてくれた。

 髪、額、こめかみ、睫毛、瞼、眼、鼻、耳、頬、くちびる、顎、首、鎖骨、肩、胸、脇腹、

 腹、へそ、二の腕、手首、手、指、爪、下腹部、腰骨、内股、太股、膝、足首、甲、指先、踵。

 やさしくやさしく、これまでにないほどやさしくやわらかく接吻けてくれた。

 セックスもした。これまでにない、これからもない、やさしいセックスをした。

 お前との距離を解ってしまったから、もう何もかも届きはしないけれど、

 それでもやさしさだけは嘘ではないから、俺は歓んで犯された。




 翌朝お前は消えていた。

 愛しているとはもう何処からも聞こえない。

 俺は漸く独りを感じた。

 同時に、俺たちがふたりでいたことを、ふたりでいた時よりも深く感じた。

 嘘は終わった。

 お前はやさしかったから、最期の最期に俺の望みを聞き届け、お前は俺に嘘を吐かなくなった。

 爽やかな朝だった。

 お前のいない朝だった。

 お前の最期のやさしさが俺にくれた、嘘のない独りの朝だった。






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