Marcello*Kukule Log




同居


 背後からがばちょ。

 「なあ兄貴ぃ」

 耳朶をはみはみ。

 「今日の晩飯何がいい?」

 兄貴嘆息。

 「お前はどうしてそう鬱陶しいのだ」




同居


 明け方近く、扉が乱暴に開く音がして、雑に廊下を歩く足音がした。

 そしてまたも乱暴に寝室の扉が開けられる。

 私が扉に背を向けて眠っていると、ククールは煩く近づき、耳に口を寄せてきた。

 「おい…もう寝てんの…なあマルチェロ…」

 なにげに呼び捨てか、明日一発殴らねばな。さらに今何時だと思っているのだ、この馬鹿は。

 「ちぇー」

 舌打ちひとつ。この子供のような仕草は、酔っている証拠だろう。

 さっさと出ていけと思っていると、ククールは掛布を引っ張り、ごそごそと体を寝台に入れてきた。

 ふざけるな。

 そして背中にくっついてくる。寝返りが打てんではないか、このバカが。

 「おやすみ、兄貴」

 寝るな、起きろ、出ていけ、酒臭い、邪魔だ、蹴り出すぞ。

 さあ、どの言葉とともにお仕置きしてやるか。私は明け方思案する。




同居



 快晴の昼下がり、ふと見れば窓際の床でククールが暢気に昼寝をしていた。

 格子の影がククールに落ち、カーテンが波のように揺らいでいる。

 いつか掛け布を掛けてやったことが随分と気に入ったらしく、

 その傍にはいかにもまたしろと云わんばかりのタオルケット。

 まだ少し肌寒い風が部屋を掛け抜け、私はやれやれと腰をかがめる。




同居



 最近ククールの様子がおかしい。食事もろくにとらず、憂鬱な顔で外を眺めて過ごしてばかりいる。

 だが私にはその原因が解っていた。

 奴が頬に手をあて、頬杖をついているのがその何よりの証拠だろう。

 「ククール」

 「…なんだよ」

 頬にあてた手をぐいと引く。

 「歯が痛いのならば、歯医者に行け」

 「別に歯なんて痛くねえよ」

 ならばと私はククールにコップに並々と注いだ冷水を差し出した。

 「飲んでみろ」

 「なんでそんなもん飲まなきゃならねえんだよ」

 「いいから、飲め」

 「い・や・だ」

 「飲め」

 「……」

 私の有無を云わさぬ剣幕に押されたのか、ククールはようやくはあと嘆息して、私を見上げた。

 「こんなのしばらくほっとゃ治るって」

 「ほう。まあお前が勝手に虫歯を進行させ、その自慢の面が腫れ上がり、

 歯がぼろぼろになったところで私は全くかまわないが」

 鼻で笑ってククールを見下ろす。

 「私にまで虫歯が感染しては困るので、今後一切お前との接吻けは禁止する」

 その瞬間のククールの顔といったら、滑稽そのもの。挙句、

 「虫歯って感染するのか…!?嘘だろ…!?」

 嘘だ、と私は心中で答えてやった。

 そうして私が黙っていると、ククールが急にそわそわしはじめる。

 「…えーと…保険証は何処にしまってたかな…」

 「そこの棚の上からふたつめだ」

 少々弟の頭の程度を疑う今日この頃である。




Marcello


 まことのみことば語りてククールは、死にたる心を生かしたまえり。




同居


 昼近くになり漸く起きてキッチンに姿を現したククールにマルチェロは呆れて云った。

 「なんだ、その髪型は」

 ククールの前髪はピンで全面的に上げられていた。ククールはぺしぺしと自らの額を叩く。

 「兄貴とお揃い」

 「そうか。お前は卵を殻ごと食う人間だったかな?」

 フライパンに卵の殻ごと今にも落としそうなマルチェロ。ククールは慌てて兄に飛びついた。

 「違うよ。寝癖で前髪がへんに撥ね上がっちまって、仕方ないからこうしてんの」

 「お前の寝相では当然の結果だな」

 「あーあ、これじゃ格好悪くて外にも出れないぜ」

 とククールはマルチェロの背にもたれ掛かる。

 見事にフライパンの上で卵を割って見せたマルチェロが肘で邪険に扱うが、まったく気にした様子はない。

 「あ、でもアンタの背の高さからすると、これって丁度デコチュウしやすいよな?」

 じゅっと卵が香ばしい音を立てる。隣でスープがことことと出来上がりを知らせる。

 テーブルの上にはサラダとパン。

 「なあ聞いてる?」

 とククールが肩越しにマルチェロを振り向いた途端、マルチェロもククールを振り返った。

 ドキリとして、しめしめと目を瞑る。しかし神経を集中した額には何も降ってはこなかった。

 「…ん?」

 目を開ければテーブルの上の真っ白なお皿に焼きたて卵を移す兄の姿。「飯だ」と云う。

 がっかりするククールにマルチェロは、「朝飯か昼飯か、迷う時間だな」、イヤミひとつ。




同居


 掛布がもぞり。ふたりぶんもぞり。

 ごそごそごそ。

 「あん…ああっ…っ」

 膝の形が浮かび上がってもぞもぞもぞ。 

 「ん…や…ん…んんんっ」

 背中の形が一段と早まってギシギシギシ。

 「っあ、マルチェロ…っ」

 掛布から白い腕の片方が落ちてバサリ。それを追って逞しい腕が絡み付いてするり。

 「あっ、あっ、あっ」

 ギシギシギシ。

 比例して掛布の外では手に握ってギュ。

 「あ…も、ダメ…」




Marcello*Kukule


 彼は理解に苦しむといったように弟を見た。

 ククールは云う、「簡単なことさ」と。

 「俺の愛が、アンタが俺を憎むより、いつもいつもほんの少しずつだけ上回っていたんだ」

 それだけのこととククールはまるで真理を見つけた探求者のようにマルチェロに微笑んだ。




同居


 「なあ、今日の晩飯なんだけどさあ」

 とキッチンより繋がる居間を振り返り、ククールは声を潜めた。

 窓際に置いた長椅子にその長身を横たえ、重そうな本を胸に兄は眠っていた。

 なんだ寝てんのか、そう思うが苦笑が浮かぶ。

 兄はなかなかこの生活を気に入ってくれているのかもしれない。

 ククールはそっと傍に寄り、兄の手の下より本を抜き取った。

 少し捲ってみたが興味がそそられないので手近なテーブルに置く。

 「今日の晩飯どうすんだよ」

 そう声には出さず問いながら、ククールは腰を下ろし本の代わりに自らの頬を兄の胸に乗せてみた。

 すると兄の手がククールの髪に伸び、

 「…重い」

 振り払おうとするから、ククールは笑ってやった。

 「俺の脳もあの本よりはいろいろ詰まってんだよ」

 「質はどうか知らんがな」

 兄は諦めたようにまた眠りへと落ちていった。





同居


 マルチェロが突然なんとか美術館に行くと云い出したときには、思わずはぁ?と云っちまったね。

 毎日インドアにも読書や物書き(何か悪巧みしている予感がぷんぷんするぜ)に耽り、

 俺がどれだけ外へ誘い出しても邪険にしていたあの兄が、

 自ら出掛けると言い出したんだから驚いても当然だろう?

 とりあえずいそいそと上着をはおり、髪の毛を整えていると「お前も来るのか」とすごく迷惑そうにされた。

 「美術館だろ?俺、昔から芸術には興味があって」と云うと、マルチェロは鼻で笑った。

 「ほう。主にどのような絵に関心を?」

 目が意地悪に光っている。すげえ愉しそうなところがこの人サドだと思った。

 「えー…ああ、裸婦とか?」

 「……」

 「俺スレンダーな娘も好きだけど、ふくよかな女の子も好きなんだ」

 兄貴はどっちが好き?と意地悪返しに道すがら問いつづけてやったら、ぶん殴られた。

 草むらで鼻血たらして倒れてる可愛い弟を置いてスタスタ行ってしまうアンタはホントに俺の兄貴かよ!?

 そんなこんなでなんとか美術館。どこかの王室所蔵のコレクション展とかで、館内はがらんと空いていた。

 俺たち兄弟の他にはじーさん一人、自称芸術家くさいの一人、お宝そっちのけでいちゃつくカップル1組。

 チケットとパンフレットを買い与えられ、

 兄貴はこれでおもりの役目は済んだとばかりさっさと一人でお宝鑑賞。

 仕方なく俺もお宝を拝見させてもらうことにした。

 絵画や彫刻、宝石、貴重ぽい書物、豪奢な剣や弓、

 戦場でこんなの着たら目立つだろう金ぴか鎧などなどが目白押し。

 「は〜ん」

 壁に飾られた宗教画を芸術家気取りで顎に手を当て見てみたが、

 上手ということ以外はさっぱりわかんねえ。

 パンフレットを見てみたが、そもそも描き方の手法を教えられても意味不明だよな。

 チラリと館内に視線を走らせれば、やはり絵画を眺めるマルチェロの姿。

 背筋を伸ばし、胸を張り、堂々とした様子で絵画に見入っているその目は芸術家のものでなく、

 むしろ鑑定士のような情熱的でありながらも何処か冷ややかなそれ。

 まさか値踏みなんかしてんじゃねーだろな。いや、すごくしてそう、あの兄貴だから。

 なんて思っていると、そこらにいたじーさんに話し掛けられて熱心に話し始める。

 漏れ聞く話は画家がどうしたの、筆遣いがどうしたのと俺の知らない世界。つまんねえの。

 一通りお宝を見終わった俺は部屋の中心にあった長椅子に腰を下ろした。

 芸術家気取りは宝剣を眺めながらひとりでぶつくさ云ってるし、

 カップルは子供の天使画を眺めて可愛いとか抜かしてる。兄貴はじーさんと愉しくお喋り。

 俺は仕方がないのでパンフレットの次回展示予告などを読んでみた。

 うん、興味なし。でもなあ、兄貴がまた来たいって云うなら来てやってもいいな。

 …あれ、そもそも俺って誘われたわけじゃなかったっけ。

 などとあれこれ思考を巡らせていると、俯いた視線にこつり黒靴。

 見上げればマルチェロが軽く嘲笑していた。

 「もう飽きたのか?」

 「…もー見終わった?」

 「いいや、あと三分の二くらは残っているな」

 はあ?今まで何してたんだよ。

 「それで裸婦画はあったのかね?」

 また愉しそうに目が細くなる。死ね。嘘、死んじゃやだ。

 「…なかった」

 「それはそれは」

 とあまりに愉しげな兄貴にさすがにむっとしたので、

 「…でもさ、あっちのアレ、修道院にいたころ、何処にのお貴族さんちで見た覚えあるぜ?」

 などと強がりを云ってみた。

 いやホントに見たことあるんだよな。すげえ自慢されたことしか覚えてないけどよ。

 するとマルチェロはマイエラ修道院に寄付されたものも何点かあるぞと物騒なことを云い出した。

 なんで寄付されたものが王室に流れているのか、その辺は内輪の平和のために追求しないでおこう。

 「ほら来い」

 ぐいっと無理矢理立たされる。

 そして先ほどカップルが可愛いなどと云っていた子供天使画の前に立たされた。

 「いーよ…俺、これもう見たよ…」

 好きなだけ見てていいから。ちゃんと待ってるから。

 せめて座らせてくれ!と思っていると、

 兄貴は偉そうな口ぶりで(いつもそうだけど)絵画について説明をはじめてしまった。

 ああでこうで、なんたらかたら。一瞬げっそりしたが、もしかしてと思い直す。

 これって一応俺に気を遣ってくれてんのかな。

 そう思えば意味不明の単語も、甘い囁き声に聞こえる不思議。

 ふんふんと調子よく頷いたなら、兄貴もご満悦のご様子。芸術鑑賞最高。

 次の展示会も絶対来ようなと兄貴の腕にぴっとり寄り添ったなら、

 高速で解かれてしまったが、こんな休日もたまにはいいかなと思った






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