Marcello*Kukule Log




Marcello


 女神よ、あなたは何処におわすのですか。




Kukule


 やさしくできない人でいいんだ。俺はそれでかまわない。

 痛くするしかできない人でいいんだ。俺はそれでかまわない。

 何もできなくなってしまう人よりはずっといい。

 やさしくしてくれなくてもいいんだ、痛くしてくれてもいいんだ、何もできなくなってしまうよりはずっといい。

 死んでしまうよりはずっといい。




Kukule



 独り立つ背中は哀しげだと人は感じるのだろうけれど、

 彼が独り立つ背はまるで一切の干渉を拒否したように、

 それは哀しげに思うことすら拒否したようにあるから、俺は哀しいと思う。

 彼の背が哀しいんじゃない。俺が哀しいんだ。




Kukule



 神さまもいない。俺もいない。誰もいない。

 それがアンタの理想郷なのか、マルチェロ。




Marcello


 「聖堂騎士とは神に連なる聖たるものを護ることによって騎士と成る。

 しかし私からは最早護るべき聖たるものは全て失せた。これより私は神と道を別つ」




Kukule


 その腕、その手は、光を望むように空へと伸ばされていたが、

 やがて圧し掛ってきた兄の影が光を閉ざした。

 その影を振り払うことよりも、

 「俺はまだアンタの傍にいたい」

 ククールは縋るように影を抱きしめ、抱きしめるようにして影に縋った。




Marcello*Kukule


 ドニの酒場、厳めしい顔付きの男たちに囲まれてククールはやや微苦笑。

 「だから、今持ち合わせがねえんだって」

 「それはここ一ヶ月聞き続けて飽きた」

 柄の悪いマスターの酒場に入り浸っちまったもんだぜ俺も、とククールは内心溜息をつく。

 「さあ、とっととツケを払ってもらおうか」

 主人と主人が雇ったのかごろつきたちに詰め寄られ、

 ククールはさすがに「お前ら、あんまりぶっさいくな顔近付けんなよ」本音を漏らす。

 そしてやはりツケで飲んでいた安酒を悠々と煽る。

 「俺だって常々払おうとは思ってるんだぜ?

 これでも神さまにお仕えしてる僧侶だし、騎士道を重んじる騎士だしな。

 ただ清貧を重んじるあまり、持ち合わせが」

 「…この間俺から散々金を巻き上げといてよく云うな!」

 ごろつきが睨んでくるが、ククールは「はあ?何のことだよ」と惚けることにした。

 確かこのごろつきからポーカーで一ヶ月間金を巻き上げ続けた気もする。

 「あの金はどうした!」

 「だから、そんな金知らねえって。

 もしかしたら俺の双子の弟だか兄貴がアンタから金巻き上げたのかもなあ。だとしたら人違い人違い」

 実のところ娼館の女の子たち全員にお酒を振舞ったら、すっからかんになっただけ。

 さていよいよごろつきの堪忍袋の緒が切れそうだなとククールが腰を上げた、そのとき、

 「ツケは俺が払うよ」

 聖堂騎士団の騎士一人が酒場の扉を押して入ってきた。

 ククールは扉の方を振り返り、その騎士が顔馴染みの男であり、

 マルチェロ付きの騎士であることを思い出す。

 「よう、でもなんであんたがこんなところに?」

 「ククール。いいからお前は外に出てろ」

 そう云って騎士がカウンターのテーブルに置いた硬貨入りの小袋はツケ代よりもやや多いだろうか。

 ククールはそれを見届けてからごろつき男の肩をぽんと叩き、「それじゃ、またポーカーしような」

 ごろつきが怒り出す前に外へ出る。

 そしてすぐに追いついて来た騎士に尋ねた。

 「あんたが立替えてくれたのか?悪いな」

 だが騎士は「まさか」と笑った。

 「誰がお前なんかのために薄給の中から金なんか出すか」

 「…トモダチ甲斐がねえなあ。じゃああの金は…聖堂騎士団の経費…」

 「それこそまさか、だろ」

 「だよなあ」

 ククールは騎士と肩を並べて歩きながら腕を組む。

 「オディロ院長…も、こういうところは厳しいからな」

 「あんまり院長に心労を掛けるなよ、ククール」

 「あーそれは分かってるんだけど」

 ククールは曖昧に返して、話を戻した。

 「…いったい誰が立替えてくれたんだ?」

 騎士は面白そうに笑むのみ。

 ***

 「団長殿!」

 ククールはノックもそこそこに団長室に入った。

 マルチェロは書き物をしていたようだが、手を止めずに眉根をしかめる。

 「なんだ、騒々しい。騒々しいのは顔だけにしておけ」

 「騒々しい顔ってどんなだよ。というか、団長殿!俺の俸が!禄が!

 異様に少ないんですけど、こんなんじゃ最低限度の文化的生活ができません!」

 「ああ、そのことか」

 マルチェロはペンを止める。そして俸給の詳細が書かれている紙を持ったククールを見遣った。

 「私が代わりに支払ってやったお前のツケ代を引いたのだ」

 「げげっ、団長殿が!?」

 紙とマルチェロの顔を見比べるククール。

 「…で、でもツケ代を引かれてるとしても…これはちょっと少なすぎだと思うんですが」

 「利息代も引いている」

 「りっ、利息!?いやでも利息代にしても…グレーゾーン以上つーか…」

 「ついでに云うと、お前がなかなか金を返さぬから、利息がツケ代を上回っていてな。

 全額を一気に引くと更に借金をすることになるだろうから、三度に分けて俸禄から引くことにした。

 神に感謝しろ」

 「いったい何をどう感謝していいのか全然わかんないんですけど。

 つーか三度に分けられると、更に利息が増すんじゃ?」

 「雪ダルマ式に増えるな」

 「マ・ジ・か・よー!いいい今すぐツケ代全額払うから、利息は勘弁してくださいほんと勘弁してください」

 「返してくれるのはいいが、返すほどもお前の給与はないぞ」

 「ああそうか!つかよく見れば利息がなけりゃ全額返せるんですけど、この利息やっぱりおかしいって!」

 「まあとにかく暫くは大人しく修道院で慎ましく生活するように。

 お前は放っておくとろくな金の使い方をせんから丁度良いだろう」

 「何が丁度良い、だよ。そんなこと云って団長殿はただ金儲けがしたいだけじゃないですか!」

 「賭け事で収入を得るよりは安定した収入だろう?」

 マルチェロは「早く全額返さないと利息は1日ずつ増額していくぞ」と口の端で笑った。




Kukule


 ククールは騎士の一人に肩を貸してもらいながら裏口を通り修道院へと帰還した。

 ククールたちと同じく魔物討伐を命じられた他の騎士たちは通常通り正門から帰還しているだろう。

 ククールが脇腹に怪我を負ったため、

 彼とそれを支える騎士のみ巡礼者の目に付かないようにと裏口を使用した。

 ククールの騎士服に滲む血の濃さと染みの大きさに眉を顰めながら数人の騎士が寄って来る。

 中には治癒呪文を唱える者もいたが、ククールは手を上げ、留めた。

 「いや、もう自分で傷は塞いだから平気だ」

 だがその額には脂汗が浮いている。

 まだ傷跡が痛みを伴った熱を持ち、疼いていることは容易に想像が出来た。

 「大丈夫か?」

 騎士たちが口々に問う。

 ククールはいつものように軽薄な笑みを作った。

 「おいおい、あんまり騒ぐなよ?折角裏口から帰って来たのに、巡礼者たちにばれちまうだろ」

 たかが魔物討伐で聖堂騎士団員が怪我を負ったなんて風評が流れたら団長殿の機嫌が悪くなる。

 ククールはそう云って肩を貸してもらっていた騎士から離れた。

 少々よろめいたが、あとはしっかりと立つ。

 肩を貸していた騎士はそのようなククールに「すまない」と呟いた。

 ククールは「気にすんな」と彼の肩を叩く。

 他の騎士たちは怪訝そうに二人を交互に見遣り、それに気付いた肩を貸していた騎士は魔物討伐の際、

 魔物の爪に危うく貫かれそうになったときククールが庇ってくれたことを話した。

 その声は罪の意識からか低く、小さい。

 「あのなあ」

 ククールは溜息。

 「よく考えてみろよ。俺は脇腹を掠られただけで済んだ。

 でもアンタのあのときの立ち位置だったら、受け身もできねえし、うまくかわすことも絶対にできなかった。

 下手したら死んでたんだぜ。わかるか?つまり俺とアンタじゃ受ける傷の程度が違う。

 葬儀とかもめんどくせえしな、だからああしただけだ」

 「しかし」とそれでも口を開きかけた騎士にククールは背を向けた。これ以上はごめんだ、そういう意。

 宿舎へと歩みを進める。しかし途中でひらひらと手を振った。

 「ま、どうしても命の恩人の俺に礼がしたいって云うなら、ドニ酒場のツケを払っといてくれ」

 「ククール!」

 近くの騎士がククールに駆け寄った。耳打ちをする。

 「マルチェロさまに報告したほうがいいか?」

 ククールは歩みを止めなかった。

 騎士はククールと同じ速さでその横を歩く。

 「その傷じゃ明日の訓練が辛いだろう?云えばなんとか考慮してもらえるかもしれない」

 しかしククールは云った。

 「いや、いいよ」

 宿舎の扉を開く、その隙間はククール一人が入れるだけ。騎士はここまでなのだと悟った。

 ククールは呟く。

 「云ってどうなるわけでもないしな」

 扉は重い音を立てて閉まった。

 一人になったククールは脇腹に手を当てる。

 「ちょくしょう、痛ぇよ」

 傷の痛みは随分と治まっていた。




Marcello*Kukule


 いつものような気楽さでその日もククールは騎士団員に課された訓練を休み、ドニの酒場へと赴いた。

 翌日もいつもと同じような怠け癖。翌々日もここ数年変わらぬやや人嫌いの傾向。

 そのようにして一週間と少しをドニの酒場と娼館、安宿を行き来して過ごし、

 漸く騎士団宿舎に帰ると、騎士団長マルチェロに左頬を強く打たれて背中から倒れた。

 石畳さえもククールを歓迎してはくれない。

 周囲の騎士たちは静まった。非は明らかにククールにある。

 横向けに倒れたままのククールにマルチェロは云った。

 「聖堂騎士団員ククール。貴様は死にたいのか」

 剣はこの一週間でずしりと重くなってしまった。

 もしもこの人にとって自分が騎士団員というだけの存在ならば、どんなに良かっただろう。

 ククールは打たれた頬よりも、切った内側の傷から滲む血に苦い顔をした。




Marcello*Kukule


 ククールがオディロ院長と日向ぼっこをしながら新たなだじゃれを考案していると、

 騎士が一人早足で橋を渡ってきた。

 老院長に軽く頭を下げた騎士はククールに向き直り、騎士団長の居所を知っているかと問う。

 急使がサヴェッラよりやって来たらしい。

 「でも丁度マルチェロさまは少し時間が空いたからと休憩に行ってしまわれたんだ」

 騎士は慌てた様子で辺りを見回した。

 ククールとオディロ院長は顔を見合わせる。

 それからククールは修道院の外に広がる森とその中を縫うように流れる小川を指差した。

 「たぶん団長殿なら向こうにいるぜ?本でも読んでるんじゃねーの」

 「向こうか、じゃあ見てくるよ。助かった。ありがとな、ククール」

 騎士は余程慌てていたのか、オディロ院長に頭を下げることを忘れて、また橋を渡って行った。

 それについて老院長は気にした様子もなく、だじゃれ本の代筆しているククールに目を遣った。

 「よくわかるのう、マルチェロの居場所が」

 云われてククールは苦笑した。

 「ん。実は俺の秘密のさぼり場所なんだ」

 ペン先がきゅっと鳴る。

 ***

 修道士見習いの子どもたちとオディロ院長が聖書を読み解きながら日向ぼっこをしていると、

 マルチェロに耳を引っ張られたククールが通り掛った。

 オディロ院長の柔和な微笑みにククールは気付いて肩を竦める。

 「というわけで俺もすぐに見つかっちまうんだよなあ」

 マルチェロはお前は目上の者に対する口の利き方も知らないのかとすぐにククールを叱り付けた。





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