Marcello*Kukule Log




Marcello*Kukule


 マルチェロは俺のことを酷く嫌っているのに、関係を持つときには必ずまずはキスをする。

 それはもちろんこれっぽっちも情を含んじゃいない。愛情も哀情も含んじゃいない。

 彼はただただ5分掛けて俺の体を弄くり下拵えをするよりも、35秒のキスの方が早いからそうするだけだ。

 だが俺にとってそれは愛すべき35秒。




Marcello*Kukule


 マルチェロは俺にきっかり35秒のキスをするときには、まずは俺の髪を梳く。

 結んだ髪じゃない。左頬を隠す髪。

 それは彼が右利きであり、キスをするときの癖なのか、その右手を俺の左耳辺りから顎に掛けるため。

 たいがい一度しか梳いてくれない。

 二・三度してくれるときには機嫌が良いとき。

 ああ、今日はなかなか機嫌がいいじゃねえか、団長殿。

 だから戯れにキスで濡れた唇で訊いてみた。

 「俺の髪が好きなんですか、団長殿は」

 「お前は髪の毛一筋ほどの信仰心も持ち合わせていない故、触り心地が良い」

 なるほどね。

 だから俺の髪の毛を梳いてくれるときのアンタが俺はたまらなく好きなんだ。

 今だけアンタの心は女神さまへの怒りも忘れて、俺だけのもの。




Marcello*Kukule



 「皮肉なことだな」

 マルチェロは朝焼けに白い息を吐く。

 「夜明けは楽園から離れた地より始まる」

 ククールの吐く息は沈黙のためマルチェロよりも薄い。




Marcello*Kukule



 ククールがその胸にその奥に密かに静かに絶え間なく

 あの日のマルチェロを宿していることについてマルチェロはこう言い捨てた。

 「私の意思が、意志が、宿らぬそれは、私であって私ではない」

 哀れみを込めてでさえ「好きにしろ」と云う兄にククールは苦く笑った。苦く笑うしかなかった。

 「それでも捨てられないものだってあるさ」




Marcello


 「あの日、理不尽なる剣を振り下ろされた私は、

 全てを憎み恨むことなく果てるための神への祈りではなく、

 世界を憎み恨んで汚れてゆく魂を内包してでさえ生き残る剣を選び取った。

 神が私を救えぬのではなく、神の救済は私には必要ない、それだけのことだ」




Kukule


 「ククール。

 君はまるで花のようだ。君がいるだけで世界も私の心も華やぐ。

 だが君は本当に花のようだ。

 私だけのものにしようと手折って浚ってしまったら、君はきっとたちまち枯れて色褪せてしまうのだろうね」

 また君に会いに来るよとそう云って貴公子は修道院を去った。

 ククールはそんな彼を鼻で笑って灰色の世界に赤を翻す。




Kukule


 ククールはしんと静まる夜明け前の聖堂にて、女神の袂に深く伏せる。

 「かみさま。

 あなたを奉る世界に捨てられた子どもらに、あなたを奉る世界が救いを与えるなど、

 俄かには信じ難く、俄かには許し難く。

 かみさま。

 あなたを奉じる世界の最たるこの地、縮たるこの院は、あまりにも苦しい。

 かみさま、苦しいのです」

 夜明けの光は未だ訪れず、しかし夜の名残の薄暗さが世界の歪みをやさしく隠している。




Marcello*Kukule


 マルチェロが聖書を朗読する姿が好きだった。

 天からの光を一身に受け、朗々とその声を大聖堂に響き渡らせる姿が好きだった。

 その姿は高潔だった。その姿は清廉だった。

 そして神を謳うマルチェロは神に救われているかのように見えた。

 それがただの錯覚であることを忘れないために、ククールはいつも早くに大聖堂を離れることにしている。




Marcello*Kukule


 世界を構成する空と海が青であるように、ここには青が溢れている。

 ただのブルー。スカイブルー。アジュールブルー。セリアンブルー。

 サックスブルー。ターコイズブルー。マリンブルー。ミッドナイトブルー。

 空や木々に見失ってしまう青もあれば、夜には息を潜め隠れてしまう青もある。

 俺は俺の騎士服を摘んだ。それはつい先程床に投げられてしまったもの。

 「俺だけがどうして赤なんですか」

 夜に好んで青を纏う人に問う。

 マルチェロは部屋という枠をちらりちらりと揺らす蝋燭の火に目をやった。

 彼は色と酒、賭け事を好む俺をすぐに見つけ出すためだと云いたかったのだろう。

 だが俺は少し意地悪をする。

 「灯りがあって良かったよ。灯りがないとさ、何もかも見えなくなってしまうから」

 いつかはアンタの灯りになりたいと云ったなら、さあ、アンタはどんな顔をするだろう。




Marcello*Kukule


 「髪を切れ。まるで女のようだ」

 背後からマルチェロの声がした。

 確かに12、13歳の頃の俺の髪は肩よりも少し長く、

 今日の様に結ぶのを忘れてしまうと顔に深く掛かって、女のように見えたのかもしれない。

 だが騎士団内には長髪の騎士が何人もいるじゃないか。
 
 また“俺にだけ”。

 俺は廊下の端により、ただマルチェロが通り過ぎるのを待った。

 他の奴らだって長髪じゃないか、どうして俺にだけそんなことを云うんだよ。

 などと云うだけ肺の酸素の無駄遣い。

 耐えればいい耐えればいい。

 俺はそのように繰り返しながら、騎士団長殿が目の前を通り過ぎるときには申し訳程度に頭を下げた。

 それから数日後の夜のこと、俺は一人の騎士に言い寄られてうんざりしていた。

 後ろからなら女に見えるからと云う。

 マルチェロが正しかったと突きつけられたようで苛立つ。

 騎士は貴族の三男か四男か。確かに禁欲生活に耐えられるような面じゃないね。

 ついでに女に言い寄られる面でもない。

 俺は肩を竦めた。

 「俺、アンタと違って女に困ったりしてねえから」

 と軽く俺が振ってやったところでやめとけば良かったんだ。

 そう云うなよなどと云って馴れ馴れしく肩を掴んでこなきゃ良かったんだ。

 騎士の急所を蹴り上げてやる。騎士は情けなくも蹲った。俺は口の端を上げる。

 「ふん。そんなザマじゃ、俺を満足させれねえよなあ?」

 それでも俺は髪を切らなかった。これは意地だ。

 俺は弱くはない。

 こんな情けないことを心配されるほど、アンタが思うほど、弱くはないんだ。





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