現代パラレル
ひた、ひた、ひた。ひた、ひた、ひた。
もう小一時間ほどそのようにしていると、いい加減マルチェロはその不快さを隠そうともせずに振り返った。
「なぜ付いてくる」
マルチェロは今キッチンでコーヒーをいれている。
その丁度一歩後ろでククールは体を捻って自分用のマグカップを取ろうと懸命に棚に手を伸ばしている。
棚にもう少し近付けば簡単に取れるだろうに、彼はマルチェロの背後にぴたりとくっついたままだ。
「いや、だってさ。フローリングが冷たいんだもん」
だからマルチェロが歩いたあとを歩いているのだと云う。
「裸足だからだろう。靴下もはけんのか、お前は」
マルチェロはカップを手にさっさとリビングへと戻った。
背後では「ああ待てよ。俺、まだコーヒーいれてないのに!」とククールが云っている。
そのあとリビングへコーヒーをいれて戻ってきたククールは、
裸足の足をぺたりとマルチェロの背につけて「あったけぇ」などとますますマルチェロの機嫌を損ねたが、
その足が本当に冷たかったので、がつんとやるのはもう少しのあいだだけ勘弁だ。
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現代パラレル
「なにをしている」
ネクタイを緩めながらマルチェロは、カウチにねそべったままの弟を視界の端に留める。
腹ばいになった彼は折りたたんだ携帯電話のディスプレイだけを執拗に睨んでいた。
ちらりともマルチェロを見ようともしない。
ああ、またぶすくれているのだなとマルチェロは思った。
「メール、待ってんの」
いつ帰ってくる?と三日前に送ったメールの返事が未だ返ってこないんだと云う。
そうしてああだこうだといくつか更に不満を並べ立てて、ようやく弟は止まった。
それを見計らって件の携帯電話をするりと取り上げる。
「もう返信を待つ必要はないだろう」
「そうだけど」
あーあーあんたって人はほんとうに俺のことを分かっちゃくれないね。
などと云って弟はがっくりとうなだれた。
ついでに、ごくごく控えめにおれは怒ってんだぜと付け加えてくる。
マルチェロは少し可笑しくて笑った。
「その割にはなにやら複雑な顔をしているな」
「複雑な心境ってやつよ。…な、あにき」
「なんだね」
「とりあえず、おかえり」
ククールはそう云ってもそもそと起き上がろうとしている。
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執事マルチェロ×ご主人ククール
「マルチェロ、マルチェロ」
椅子に座ったままのククールが呼びつけるので、マルチェロは「なにか?」とその様を見下ろした。
さしてそのようなマルチェロを気にした風もなく、ククールはひらりと胸元のタイリボンを摘み上げる。
「結んで」
そう言って幾度かひらひらさせているとマルチェロは腰をかがめてククールの胸に手を伸ばしてきた。
しゅるしゅると結ばれていく音もマルチェロの手も指も心地よい。
「これくらいお一人で出来なくては困りますね」
「できるよ、これくらい」
きゅっと結ばれたタイを指で弄りながら、いつもよりは近くなったマルチェロの顔を見上げる。
「でもあんたにやってもらえるのに、わざわざ自分ですることないだろ」
「ぼっちゃまのそういうところ、私はきらいですね」
「おれがなんでもひとりで出来たら、何にも出来なくなるのはアンタじゃないか」
ククールが腕を伸ばしてくるので、マルチェロはククールの顎を掴んでやった。
キスを期待しているのか、この子供はすぐに目を瞑る。
そんな様を眺めていたら、ひとりでは何にも出来ないくせに、と思う。
だが口では、彼に仕える執事らしく別のことを言ってやった。
「確かにその通り。ぼっちゃまがなんでも一人でされては、私が困りますね」
「まったくもって複雑な愛憎模様だね」
そんなことを言いながらキスがほしくてうずうずしている唇はきらいではない。
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あべこべ騎士団
騎士団長のために誂えられたはずの部屋は、全くククールの思い通りではない。
棚という棚を埋め尽くしてくれる書物も、窓のない壁も、副団長のマルチェロも、思い通りにはならない。
不満をぶつけるように両脚を執務机に放り出した。
マルチェロは動じない。両手をきちんと背で組み畏まった姿勢も、澄ました顔も崩さない。
「困ったことだ。いつまでも行儀が身につかないようですね」
「教えられた通り、アンタ以外の前じゃあ礼儀正しく振舞ってるじゃないか。
で?もう夜なんだけど。もう眠いんだけど。おれに何かさせたいんだろう」
「ええ、もちろん、団長殿。就寝前の祈りが今日最後のお勤めです」
「パス。面倒」
ククールは束ねていた髪を解いた。これ見よがしに服の金具を外していく。
「団長」
「アンタが黙ってりゃ、今日くらい女神さまも目を瞑ってくれるさ。
俺、いい男だからね。ウインクくらいしてくれるよ」
ね、と言うククールにマルチェロは目を細めた。
それからカツカツと靴音を鳴らして近寄ると、あっという間にククールの両脚を払いのけてしまった。
「なにすんだ」
ククールは反論したが、今度は両手をぐいっと取られて無理やり指を組まされる。
「ククール」
決められたことはきちんとやりなさいと窘められて、
ククールは渋々今日があること感謝し、明日も今日のようにすべてが行われることを祈った。
今日のようじゃまたアイツの言いなりだそれじゃ困るんだ、
なんてマルチェロが出て行った扉を見つめながら、
でもさっきの「ククール」は良かったなあなんて上着を椅子に放り投げる。
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あべこべ騎士団
赤いシーツからぬっと伸ばされた白い裸の腕に首を取られる。
朝を告げようとして不用意に近付き過ぎたなとマルチェロは小さく後悔をした。
「おはよう」
粗雑に扱うわけにもいかずマルチェロが片手をベッドについて体を傾けると、
より距離を縮めた唇をすり合わせてくる。
「朝からおいたとは感心できませんな、団長殿」
マルチェロは腕を外そうとすると、よりきゅっとククールの腕がしまる。
「なあ、まだアンタからのおはようのキスもらってないぜ」
「それは団長命令ですか」
「て、言ったらしてくれんの」
「職権の乱用には賛同しかねますね」
「はん、色気ねえの」
ククールはするりと腕を解いた。
そのままベッドに沈む、その前に背中に感じたのはマルチェロの手。
あ、と思ったときには顎をその指にとらえられていた。唇を重ねられ、舌をすり合わせられる。
「お前が弟としてねだるなら、兄として叶えてやってもいいがね、ククール」
そういうのに色気があったらだめなんじゃねえの。
そうは思いながらククールはもう一度腕をマルチェロに伸ばした。
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現代パラレル
テレビのチャンネルを1分間に16回くらい変える夜の九時。
カウチに寝転がった俺は眠くもないのに欠伸が出る。
同じ体勢のせいか首の調子が悪い。頭を支えた肘がじんじん痛い。
17回目のボタンに指をかけたところで、頭の後ろのほうがぐっと沈んだ。
マルチェロが手をそこについている。
「退屈なのか」
狭いって、兄貴。リモコン取り上げんなって、兄貴。
あと左腕はちょっとしびれ気味なんだから、やらしく触らないでほしいんだって、兄貴。
「私もちょうど退屈していたところだ」
耳に寄せた唇からそんな言葉をマルチェロは吐く。俺は少し拗ねた。
「退屈しのぎで、アンタとはしたくない」
だいじょうぶ、ほんとは退屈しのぎじゃないことくらい分かってんだって、兄貴。
もう少しこうして拗ねてるから、ご機嫌とってほしいんだよ、兄貴。
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現代パラレル
「アンタの腹違いの弟なんだけど、覚えてる?」
ククールと名乗った派手な外見のそいつは両親の死を境に、
第一志望の大学の不合格通知と借金を手土産にしてに私のところへ押しかけてきた。
名も十数年前の顛末もあのときの感情も忘れはしていなかったが、
疫病神が現れたと思うよりも、その疫病神が手にしていた不合格通知と借金が私の肩を下がらせた。
扉を閉じて追い返したいとも思ったが、ここで追い出しこいつが警察の厄介になっては私が困る。
そういう打算から衣食住を与えてやり、第二志望校の試験料と入学金授業料を払い、
あの男の遺産を片付けて借金の返済をしてやった。
が、その頃にはすっかりククールはいついてしまっていた。
ただ予想に反したのは、一切手がかからなかったということだ。
同じ家の中にいるとは思えないくらい、ククールの姿を見かけることはなかった。
朝は私よりも早くに起きて勝手に食事を済ませ出て行く。
夜は私よりも早くに帰り食事をして風呂を済ませ与えてやった部屋に閉じこもっている。
そろそろ金がなくなってきた頃かと思った朝にテーブルに小遣いを置いといてやる。
すると夜にはそれがなくなっている。
余所余所しいとは思ったが、一人暮らしに慣れていた私にとってはそれが楽な在り方であったから、
特に何も言いはしなかった。
奴も奴でこういう互いに踏み込まない関係がいいのだろうと、そう思っていた。
だが、私たちの関係にある日を境に少し変化が生まれた。
その日はククールの大学の試験日であった。
本人から聞いたわけではない。
ククールはその日の予定を居間のカレンダーに書き込んでいるから知っていたに過ぎない。
それにも関わらず、いつも朝早いククールが起きてこないので「寝過ごしているのか」と思い、
部屋の扉を開けた。
やはりククールはテキストやらノートやらが散らばった床で丸まって眠っていた。
軽くゆすって起こしてやる。
「今日は試験ではなかったのか」と言うと、ククールはすぐさま起きた。だが目が寝ぼけている。
「あ、いま、なんじ?ていうか、あれ、おれ、ねてた。ていうか、あにき」
こいつは私のことを兄貴と呼んでいたのかと妙なところに関心がいく。
「あにき」
「なんだ」
「あにきがおこしてくれたのか」
「お前が起きてこないからな」
「あーおれ、さいきん、ていうか、このいえに来てからあんまねてなかったから、
気ぬいたら、起きられなかったみたいだ。手間かけさせちまったね。
んで、いま、なんじ。がっこうがっこう。電車が、えーと」
いかんな、と思った。
「ククール。いつまで寝ぼけているつもりだ。このままでは間に合わんぞ」
「そりゃこまる。あーでも髪の毛セットしてないし…ふく、ふくは何着たらかっこういいかなあ」
「そんなことをしている時間はないと思うがね」
「いやだいやだ。おれ、髪の毛セットしたいし、服も何着ても似合うんだけど、さらに似合う服を着たい」
仕方のないやつだ。
私は寝不足のためか体と脳が思うように動いていないククールのもとから立ち上がった。
「車を回してやるから、十五分で下に下りて来い」
そう言うとククールは驚いたように私を見た。
「送ってくれんの?」
「間に合わなかったら困る上に、そのままで行くのはいやなのだろう。今回限りだがな」
そうしてククールを大学に送ってやったその夜、ククールは居間のテーブルで待っていた。
食事がきちんと二人分並べられてある。
「あのさ」
と食事が終わりかけたころ、ククールが言った。
「おれ、実は朝が苦手なんだ。いつも無理して早く起きてたんだ。いつも床で寝てるのは、そういうわけ。
うとうとする程度なら目覚まし二個で起きられるからね。今日は無理だったけど。
だからさ、今日は起こしてくれて助かったよ。送ってくれてすごく助かった」
「起こして送ってやったくらいで、たいそうな奴だな」
「うん。いや。なんつーか」
ククールはそこで言葉を止めた。
その続きを聞くようになったのは、
すっかり朝寝坊をし私に怒鳴られて起きることが日常茶飯事になったこのごろのこと。
「最初はさ、迷惑かけないでおこうって思ってたんだ。
だけど、あのとき、ああおれは兄貴に甘えてもいいんだって思えたよ」
と今日もまたククールが「あにき、明日七時に起こして」と擦り寄ってくる。
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あべこべ騎士団
「騎士団長殿におかれましては」
などと脂ぎった顔で媚びられククールはうんざりしていた。
巡礼の旅の途中であるというその貴族は先ほどから一人と喋りに喋っている。
巡礼の旅に出る金があるなら孤児院にでも寄付すりゃいいのに。
内心そうは思っていたが、顔では笑っておいてやる。
なにもこの貴族に媚びているのではなく、
ククールの背後に控えた副官のマルチェロがそうしろと言うのだから仕方がない。
「愛想を振りまくくらい出来ませんか」
と以前うっかり来客を前に欠伸をしたときに叱られたことがあるのだから仕方がない。
どうやら腹黒い副官は弟であり団長でもあるククールだけではなく、
この男も使える駒のひとつとして見ているらしい。
大事なマルチェロのお客さんてわけだ。
とククールが欠伸をかみ殺すため一瞬気をそらしたそのときだった。ぬっと目の前に男の手が伸びてきた。
ククールはさすがに顔には出さなかったが、ぎょっとした。こいつおれに触るつもりか。
どうする。ククールは迷った。それはマルチェロへの気遣いに他ならなかった。だが、
「失礼」
控えていた青が、いつの間にかククールの前にある。
貴族の手はそのマルチェロによって阻まれていた。
マルチェロが貴族の手首を一見そっと、だがきっとびくとも動かないよう掴んでいる。
「貴方が我らが団長に危害を加えるとは思いませんが、
万が一刃物でも持っておられたならと思いましてね。これも私の務め、お許しを」
マルチェロはそう言って口元だけ微笑し手を離した。
***
「あれでしばらくあの男は寄り付かないぜ」
ククールは団長室へ戻り、すぐにごろりと寝台に横になった。
衝立に手を預けたマルチェロが「仕事をして頂きたいのですがね」と言っているが無視をする。
「よかったのかよ。アンタ、困るんじゃないか」
「団長殿こそ、触られて良かった、と?困りはしないのですかね」
「そりゃ良くないし、困るけど」
「ならばよいでしょう」
マルチェロがそう言うのでククールは「はあ」と首を生返事を返す。
するとマルチェロは傍にやってきてククールの頬に触れた。まずは片方。それから両方。
「私も他の誰かが勝手にお前に触れると気持ちが穏やかでなくなり、困るからな」
このままキスしてくれねーかなとククールは眸を閉じた。
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現代パラレル
何でもお前が気に入ったのを買って来ればいい。
そう言って金を渡してやったというのに、
私が帰宅したときククールは所在無げにリビングに突っ立っていた。
まさか朝からこのままというわけではないだろうが、大学から帰ってきてからはこのままだと言う。
「お前はその歳になって買い物ひとつ出来ないのかね」
私が言うと、ククールは「いや」「だってさあ」を繰り返す。
「いや、だってさあ、家具っつったらけっこうな買い物だろ。何を買っていいのか、よく分かんねえよ」
「欲しいものくらいあるだろう。
お前の部屋には最低限の家具しかない上、この部屋にもお前が使えるものがない」
「そりゃあ、あるけど」
「それを買って来いと言ったのだ」
「あるけど、さ。兄貴が買ってもいいって言ってくれなきゃ、やっぱり、その、なんだ、
兄貴の家なわけだし、買いにくいじゃないか」
あとでそんなものを買うなと言われたくない、とククールは言う。
この部屋に合わないと言われたくない、とククールはさらに言う。
ああきっとこいつの本音は後者なのだな、と分かった。
「ククール。お前は何度言っても分からん奴だな。ここは私の家だが、お前の家でもある。
なにを気兼ねする必要がある。と、もういい加減覚えてくれないかね」
うん。とやはりククールはもう何度目かも数え飽きた頷きを返した。
「じゃあさあ、兄貴」
「うん?」
「今からおれが欲しいものを言っていくから、良いか悪いか言ってくれよ」
こいつは本当に私が言った言葉を理解しているのだろうか。
そうは思ったが仕方がないので了承してやる。
するとククールは「じゃあ一つ目な」と笑った
「兄貴と一緒に寝られる大きいベッドが欲しいんだ。ほら、おれたち離れ離れの兄弟だろ。
幼少期のスキンシップにすごく!欠けてる!と思うんだよね」
前言撤回。もう少し気兼ねしろ!
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現代パラレル
「ほら」
とククールが背中に乗りかかってきながら私の目の横でちらちらと何かを揺らすのだが、
「なんだ」
と私は手にしていた学生のレポートのコピーを一枚捲る。
「だから、ほら」
「ほら、では分からんな」
そう言うと、ククールの手が無遠慮に私とレポートの間に割って入ってきた。仕方なくレポートを床に置く。
「指輪か」
「うん、そう。手、貸して」
貸してやる、とはまだ言ってもいないのに、
ククールは私の左手を後ろから取り上げて指輪をはめようとする。だが、
「あり」
どうやらサイズが合わないらしい。
暫く困っていたククールだったが、無理にはめようとし始めたので私は彼の手から手を取り返した。
「おかしいなあ」
ククールは私の肩に顔を乗せ、首をかしげる。私はククールから指輪を預かり、尋ねた。
「お前、適当にサイズを選んだのではないか」
「えーそれはない、それはない。
だって、おれ、これ買いに行く前、兄貴の引き出しにあった指輪を確かめたんだぜ」
こいつめ、また勝手に私のものをいじったのか。
とも思ったが、まずは「ああ」と合点がいったことを教えてやろうと思った。
「ククール」
「ん?」
「手を出せ」
「こう?」
と言って差し出してきたその手の指に、私の指には入らなかった指輪をはめてやる。
するりと入り、ぴたりとはまった。
「なんで?」
ククールは訝しげに自分の指にはぴたりとはまった指輪を翳して眺める。私はレポートを取り上げた。
「私の引き出しにあったのは、お前のための指輪だったということだ」
本当にこの弟はいつまで経っても私に勝てそうにない。
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