Marcello*Kukule Log




現代パラレル


 うと、うと、と揺れに任せて眠っていたら、アナウンスで最寄り駅の名を告げられ目を覚ました。

 次いで、横を見ればマルチェロが座っていたので驚いた。

 「あ。にきだ」

 「喋るのまで横着をするな」

 マルチェロは手にしていた文庫本を鞄にしまい、

 いつのまにかもたれかかっていた俺の頭をぐぐっと押し返す。

 「いでで、いでで」

 痛む首をさすりながら、とにもかくにも電車を降りる。

 どうやら俺が寝こけ始めてから、兄貴も今の電車に乗り込んできたらしい。

 「同じ車両に乗り合わせるなんて、偶然〜」

 と帰り道、擦り寄ってやると、一瞬で振り払われた。

 「隣の車両をふと見れば、あほ面晒して眠るお前がいたのでな」

 マンションに帰り、玄関の扉を開く。そして、ぱたん、とそれが閉まった瞬間、

 「いでで、いでで」

 耳をつねられた。

 その引っ張られた耳に吹き込まれたことは、

 「誰彼と擦り寄り、寄りかかるんじゃない」

 なにそれ、やきもち?




執事マルチェロ×ご主人ククール


 そろり、と歩いていたはずなのに、むずん、と襟を掴まれた。

 「これはこれは、だんなさま。こんな夜遅くにお出掛けですか」

 この執事は言葉も口調もていねいだというのに、主人の扱いだけが乱暴だとククールは思う。

 「街のお嬢さんたちから招待を受けててさ」

 「ぼっちゃん」

 近くの部屋に放り込まれる。そのままとすんと椅子に尻餅をついた。

 「お小さい頃から、それはもう大切にお育てしたぼっちゃんに夜遊びをされるとは、胸が痛みますね」

 大切という言葉を間違っているんじゃないか。ククールは乱れた襟元を調えながら執事を見上げた。

 そして気付く。これはまずい。これはきつく叱られる。

 「悪い遊びをお教えした覚えはありませんよ、ぼっちゃん」

 ククールはふいと横を向いた。

 「ぼっちゃん、じゃねえ。あんたが大切?にお育てしたお小さいククールぼっちゃんはもういねーんだよ。

 いつまでも躾だなんだで、かしこまっていられるか」

 「つまり、年頃であると言いたいわけですか」

 「そ。女の子に興味ある年頃なわけ」

 「分かりました」

 不意に体を持ち上げられる。そのまま床にまた乱暴に下ろされた。

 「マルチェロ、お前」

 抗議をしかけたが、マルチェロに乗りかかられて口を噤む。

 なんだなにをするつもりなんだと問いたかったのに、どうしてか声が出ない。

 ただただ執事が当たり前のようにククールの衣服に手をかけてきたのを見守るしかできない。

 「抜いて差し上げます」

 「は?」

 「だから、私が抜いて差し上げますよ。街のお嬢さんたちから悪い遊びを教えられるより、余程いい」

 待て、と言うべきなんだろうとククールはぼんやりと思った。

 だがどうしても、その一言が出てこない。

 かち、かちと金属の金具が一つずつ外されていく音を胸の高鳴りとともに聞いている。




現代パラレル



 乗り込んだ電車には人が疎らだった。

 きょと、きょと、と車内を見渡し、七人がけの座席を見つける。

 おじさんとおばさんが、きっと他人同士なのだろう、

 おじさんは端っこに、おばさんは真ん中に腰を下ろしている。

 先にすた、すたと歩いたのは兄のマルチェロであった。

 ククールが見つけた座席のおじさんとは反対の端っこ、そこに一人分空けて腰を下ろす。

 「兄貴は、そういうところ、やさしいよな」

 座席の端っこ、兄の隣に座りながらククールは横目でちらりと仏頂面の兄を見遣って笑った。




現代パラレル



 「ずっと兄貴の扶養家族でいたい」

 といつものへらへらした顔を引っ込め、

 この弟にしては真面目な目と口調ではっきりと言った言葉がこれだった。

 「お前、この先はどうするつもりだ」

 と多少複雑な血縁関係と家庭状況を持つ彼自身の将来であったり、

 家族としての在り方を、この期に話しておこうと切り出した返事が、これだった。

 これほどバカだったとは、とほとほと呆れもしたし、

 こんなバカに私の目の届かないところで勝手に育ってしまったくらいなら、

 早々に引き取り手元で賢く育ててやったほうがこのバカにとっても私にとっても良かったのではないか、

 とも思った。

 そういう私のだんまりを、この弟なりに思うところがあったのか、

 いつものようにまたへらへらと笑って擦り寄ってくる。

 「あれ。怒った?なんで?おれ、プロポーズのつもりだったんだけど」

 一生兄貴の傍で甲斐甲斐しく三食昼寝つきで料理とかするんだあ、などとも言っている。

 私は嘆息した。

 「ずっと、とはいかんが、もう暫くくらいはここにいてもいい」

 「え、ほんと。言ってみるもんだなあ」

 もう暫くは手元に置いてきっちり育ててやらねば、私は喜ぶ弟を眺めながらそんなことを考えていた。




現代パラレル


 ぬっとマルチェロの前に差し出されたものは、ククールの手であった。

 だがそれだけの仕草でその意図を読んでやるほどこの弟とは親しくもないし、付き合いもあまりない。

 漸くこの頃夕食を共にするようになったぐらいだ。

 「あの、さ」

 とククールが口ごもりながら言った。

 「金。欲しいんだけど」

 「…いくらだ」

 マルチェロは財布から数枚の紙幣を抜こうとする。

 だがククールはそれを見て少し慌てた。

 「いや、そんなに要らねーよ。レシート渡すから、その分だけ、後からくれたらいい」

 そこで漸く合点がいった。

 彼はどうやら大学の帰りに寄って買ってきた夕食の食材費を払って欲しいと言っているのだ。

 「レシート、取ってくる」というククールについてキッチンに入る。

 テーブルにはいくつかスーパーの袋が置いてあった。

 「もうなかったか」

 とはコーヒー豆と牛乳のことである。ククールは財布からレシートを抜き取っているところだった。

 「なかった。たぶん二人だし、このごろ外食が少なくなったから」

 「そうか」

 ふと、マルチェロは気付いた。コーヒー豆も牛乳も見慣れたものだ。

 ククールはこの家に元々あったものだけを選んで買ってきているのだろう。

 「ククール」

 マルチェロはレシートを見遣り、それよりも少し多めに金を渡した。

 「お前の好きなものも買っても構わない」

 ククールは一瞬だけ瞠目し、「ん…」とだけ曖昧に頷いた。




現代パラレル


 四限目の講義が終了した頃、

 「ねえ、ククール、みんなで今から遊びに行くの」

 と言外に一緒に行こうと幾人かの女の子から声をかけられた。

 まいったね。女の子は大切にしなきゃならない。

 そういうわけで俺は胸を痛めながら、「また今度な」と断った。

 ***

 仕事の片がついた頃、

 「マルチェロ、今夜、飲みに行かないか」

 と親しくしている経済学の講師連中から声を掛けられた。

 時計をちらりと見遣ると八時。

 こういった繋がりはあったほうが有益だ。

 そういうわけで私は些か惜しいとは思いながらも、「また次の機会に」と断った。

 「だれかと先約でも?」と尋ねられる。

 家に帰り、弟が鼻歌まじりに作った夕食を、弟と共に食べる。

 それを先約というのか、珍しく私は即答をできなかった。




現代パラレル


 「今日もすることがないのか」

 横に置いたパソコンのキーボードを時折叩きながらカウチに腰掛けたマルチェロが言うと、

 その足許で退屈げに欠伸をしていたククールが「うん」と言う。

 「おれ、お盆に家族と過ごすのってはじめてだから、これでいい」

 マルチェロは少し手を伸ばして、その顎を撫でてやった。

 「猫じゃねえって」などとククールは幸せそうな顔をしている。




Kukule


 ククールは飽きていた。呆れもしていたし、苛立ってもいた。

 こんなにも感情は忙しいというのに、それを一括りにしてしまえば退屈をしていた。

 マルチェロは先程から席を外している。

 大型書店の地下一階、

 その端の喫茶店でククールは何杯目かのアイスコーヒーを飲み終わろうとしていた。

 ケチでもなんでもなくて、(どうせ払うのはマルチェロだ)、

 ただこれ以上なにかを飲むのはどうやら体が受け付けないので、仕方なくストローを齧る。

 アイスコーヒーにしたのは、一杯目の紅茶が冷めてしまってたいそう不味くなったからだ。

 「行儀が悪いな、お前は」

 不意に向かいに座ったのは兄だった。その際にストローを取り上げられる。

 マルチェロはまた数冊新しい本を手にしていた。

 「…またご購入なさったんですか、お兄様は」

 「付け焼刃の言葉遣いはやめろ」

 「皮肉だよ。分かれよ。行儀も悪くなるさ。も、おれ飽きた。疲れた。つまんない。せんせー帰りたいです」

 「だれも引き止めてなどいない」

 そう言ってマルチェロは本日お買い上げの専門書に手を伸ばす。

 きっとあと数分でまた喋ってくれなくなり、

 あと十数分もすればまた違う本を探しに上の階へ行ってしまうのだ。

 ククールは食い下がった。

 「おれ一人で帰ったら、今日の趣旨に反する」

 今日は、この休日はマルチェロがククールの同行を許した日なのだ。こんなことは滅多にない。

 「もうこの時点で充分に反しているだろう」

 マルチェロは目を文字に落としながら、ちらりとククールを見遣った。

 からん、とアイスコーヒーの氷がひとつ溶けて音が鳴る。

 ククールは不服げに呟いた。

 「てことは、だ。お兄様は今現在かわいい弟とのデート中だってことは覚えていて下さったわけだ」

 「二度目だ」

 「言葉遣いね。皮肉だって言ってるだろ。そんなことよりさ、分かってて反故にしてるのか、アンタは」

 「だから、そのことについてお前が不服を申し立て帰るならば、

 それはそれで構わないと私は言っているんだ」

 「だから、それじゃあ趣旨に反するって言っているんだ」

 「では大人しく座っておけ。連れて帰るくらいはしてやる」

 「べつにさー、一緒に帰ることが趣旨じゃないんだけど」

 ククールは諦めてメニューを開いた。

 どれもこれも、食べたいとも飲みたいとも思わないがそれくらいしかすることがないので仕方がない。

 「こんな楽しくないデートははじめてだ」

 ククールは結局頼んだサンドウィッチを齧りながら、ぶうたれた。

 どうせマルチェロは返事は寄越さないだろうと思っていたが、彼は意外にも、

 「私も初めてだな」

 などと口を開く。

 「こんな楽しくないデートが?」

 ククールは言ったが、マルチェロは「いや」と言った。

 「その逆だ」

 「…なにそれ」

 ククールは齧りかけのサンドウィッチを片手に持ったまま止まった。

 「楽しくないの逆も分からんのか、お前は」

 「いや、そーじゃなくて。なに、今更ご機嫌取ってんの?口説いてんの?」

 「生憎もう落としている奴を口説くほど暇じゃない」

 言われてククールはとりあえずサンドウィッチを口に放り込み、ゆっくり噛んで飲み込んだ。

 返事をするのにそれくらいの時間は欲しかった。

 「自信過剰だぜ、お兄様。生憎おれ、落ちてねーから」

 「そうか。それは知らなかったな」

 そこでマルチェロは専門書を閉じた。そうして両肘をテーブルに付く。

 ああまずい、とククールは思った。

 マルチェロはこれまでの片手間とは違い、ククールとようやく話をする気になったらしい。

 それは喜ばしいことだが、組んだ両手で口許を隠す、

 その仕草を見せたときの兄が相手では丸め込まれるに違いない。

 「で?」

 「で、って?」

 「お前は落ちる気はあるのか、ということだ」

 ほら、なんて強引。

 「いや、そういうのをまず聞く?そりゃ、落ちる気はあるけど。でもそう簡単に落ちたくないというか。

 いや、結果としちゃ、落とされたいんだけどさ。その過程こそが楽しいつーか」

 落ちるだの、落とすだの、ククールはその後も今も繰り返している。

 けれど、マルチェロはもうそういうところに興味はなかった。

 (やはりもう落ちているではないか)

 その結論があれば充分だった。

 ククールはまだ「というわけで口説いてもいいんだぜ」などと言っている。




高校生マルチェロ・幼稚園児ククール


 「でね、でね。何度やっても兄さんが勝つの。悔しくて、何度ももう一回もう一回ってお願いしたのよ」
 
 ゼシカの話をククールは「ふーん」と聞いていた。

 ゼシカは昨日サーベルトと腕相撲をして遊んでいたらしい。

 「どうしても勝てないから、最後は両手を使って、乗っかかっちゃった」

 「そりゃ反則だろ」

 「そうね。こらって言われたわ」

 それでも楽しげにはしゃぐゼシカの横顔をククールはやはり「ふーん」と眺めていた。

 ***

 その日の夕方、「兄貴、兄貴」、お迎えに来たマルチェロにククールは駆け寄った。

 少しはなれたところではゼシカを連れたサーベルトがトロデ園長に頭を下げている。

 「あのさ、腕相撲しよ、腕相撲」

 言うと、マルチェロは心底面倒くさそうな顔をした。

 「言うと思った」

 「なんで」

 「そういうことがあったと聞いていたからな」

 マルチェロはこちらに手を大きく振るゼシカと会釈をするサーベルトをちらりと見遣ってため息をつく。

 ゼシカの兄貴から聞いたのかな、とククールが思っていると、不意に手を取られた。

 マルチェロの手、その指がククールの手にかかっている。

 見上げるとマルチェロが仏頂面で、でもククールを見ていた。

 「こうしたいだけだろう?」

 ククールは、まだ幼いくせに、本当のときには「うん」とは言えない。




執事マルチェロ×ご主人ククール


 マルチェロという執事は、そういえば磨くことが好きだった。

 食器、調度、彼は手が空けば屋敷を磨いているようにさえククールは思う。

 いつだったかどうしてそんなに磨くのか、と問うたことがある。

 ククールのものをきれいに整えておくのは少なくともククールからすれば当たり前のことであったから、

 きっとそういう問いをしたのは彼が彼自身のものを磨いているときだったのだろう。

 「自分のものだから大切にしたいのですよ」

 そうだ、確かにこの執事はしれっとそんなことを言っていた。

 「だんなさま」

 マルチェロの片手の腹が額に添えられる。

 ククールは促されるまま猫足バスタブの縁に項を預けた。

 ぱしゃんと少しぬるくなったお湯が跳ねる。

 普段多弁なマルチェロは先程からあまり喋らない。

 ククールの髪からを今は殊更ていねいにシャンプーを洗い流している。

 空いたもう片方の手は髪に湯をかけたり、梳いたりで忙しい。

 「おれはアンタのものじゃない」

 という文句を言う代わりにククールは「ゆだる」と口を尖らせた。

 あまり強く出れないのは、マルチェロに大切にされるのは嫌いではないからだ。





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