Kukule
「十のころまでの幸福な思い出なんていうやつは、
十のころからの面白くもない毎日に塗りつぶされちまって、
そんなもんがあったのかどうかさえ、忘れちまったよ。
おれにあるのは、十年分のあんたの顔であったり、手であったり、剣であったり、声なのさ。
面白くもねえ、楽しくもねえ、毎日が不機嫌な十年だったが、なあおい、マルチェロ、よく聞きやがれ!
それでも、絶対に失くせないものだから、おれには大切なものだから、
わざわざ探してんじゃねーか!ばっきゃろー」
|
Marcello*Kukule
「何処へ行かれます、司祭長さま」
暗がりから姿を見せたのは青を纏う聖堂騎士団であった。
湿気に濡れた壁に灯された炎がその身体を揺らす。
「このような時刻に、このような地下の通路を通り、何処へ行かれるのかと私は尋ねているのですがね」
「マルチェロ。これは、」
司祭長は先を急ぐ足を止めた。だが青が立ち塞がるその先を求めて、上体が前へと傾ぐ。
「神からの祝福を放棄し、まるでその姿を隠そうとされているようだ。
いや、そのほうが都合が良かったのでしょう。神に背く行為をするには、ね」
「見逃せ」
司祭長は前へと出た。手を伸ばす。
その瞬間、炎が大きく震えた。闇を裂いて剣が煌く。
鼻先には下から突き上げるような刃があった。
見遣ればマルチェロの右、その足元に片膝をついて控えた赤い騎士の姿があった。
「触れるな」
赤い騎士は怒りでもって剣を抜いたようにも見えた。
|
Marcello*Kukule
われらにはひとつの虚がある。その虚は似たようなところにあるようで、実はない。
そうして時折互いにその虚を埋めようと思い立ち、
皮膚を裂いて肉を奪い虚を開けたのはお前なのではないかと互いに疑うのだ。
そう、われらにはひとつの疑いがある。その疑いは似たようなものであるようで、実は違う。
そうして時折互いに心を暴いてやろうと普段はそむけた顔を引き合い、閉じられた瞼をこじ開け、
虚を隠した衣を切り裂いて、暴かれた心ごと虚ごと喰ってみる。
あれは私を喰って、ちがうちがうおれがほしいのはこんなんじゃないと喚くし、
私はあれを喰ってももう満足を得るには至らない。
私が満足を感じられなくなる日ごと夜ごとにククールのちがうちがうと喚く声は大きくなるばかり。
そう、われらにはふたつの交わらない行く先がある。
|
Kukule
「またこんなところに来て、怒られないの、ククール」
と言ったのは、よく知る酒場のおんなだった。ククールはちらりと見上げる。
そのおんなが酒瓶を手にしていることに気付くと、グラスを滑らせた。
「怒られてるよ」
呷れば強い。それどころか先程の酒とは違う。そういうでたらめな安い酒場だ。
「騎士団を追い出されたりしないの」
おんなが隣に座る。
「してないね」
そう返しながらも、上の空だった。閉店はいつだろうかなんて考えている。
おんなは少しはククールのことを知っているので、「そんなことじゃだめよ」とくぎを刺してきた。
でも、やはり知っているのはククールが話してやったほんの少しだ。
「兄弟だからって大目に見てもらえることに甘えちゃだめよ」
おれはあいつの悪口をひとつも言っていないんだとも感心したし、
どんな顔をしてやればこのやさしいおんなが傷つかないのかとも考えたし、
やっぱり閉店はいつだったのかとも考えた。
|
Marcello*Kukule
がたんがたんとものが倒れる音がして、それからすぐにどぅっと人が背から倒れる音もした。
ぎりぎりと本当に手首を締め上げる音がするのは、互いの手に革の手袋をはめているせい。
どうしておれは手袋を取っていなかったのか、どうしてこの人は手袋を嵌めたままなのか、
まったく無粋なことだとククールは考える。
どうせそっちのほうが痛いんだ。ならばちょっとくらい触らせてくれたっていいじゃねえか。
ちらりと手首に目を遣り、それから体を組み伏す人を見上げる。
「ぺらぺらとよく喋る、余計なことばかりを言う口だな」
いっそ二度と口をきけないようにしてやろうか、とマルチェロが言って、その唇がククールの喉に触れる。
またなにか言っちまったのか、ククールは歯を立てられ、ぴくりと動いた。
逃げようにも手首はがしりと掴まれている。
「口を引き裂くわけではない。私が欲しいのはこの喉だ。顔しかないお前には丁度いい。そうだろう」
ぺろりと妙にゆっくり舐めらる。ずくんとひどく感じた。
「おれが余計なことを言わないように、くちびるを奪ってくれる、
なんてことは思いついてくださらないのですかね」
二度と喋れなくなっても、この人とずっとキスをしていられるなら、そっちのほうがいい。
ククールはそれでも噛みやすいようにと喉をそらして兄になにもかもを晒した。
|
Marcello*Kukule
何度も欠伸が出そうにはなったが、そこは分別というものを叩き込まれているので、
澄ました顔をして立っていた。
そういう顔をして、背筋を伸ばし立っていると様になることはククール自身がよくよく承知している。
マルチェロはというと、穏やかに神の所在について司教や貴族と論じている。
ようやくその懇談も終わり、屋敷の回廊を渡る途中、
ククールは周りに人気がないことを確認して、前を行くマルチェロに足を速めて追いついた。
「ね、団長殿」
と声をかけるが常の通り何かを返してくれるということはない。
なのでククールも常の通り気にせず続けた。
「ああいう話をするのは楽しいですか」
「お前に物事の分別を教えてやったのは誰だと思っている」
やっぱりご機嫌は悪かったようだとククールは自分の目が正しかったことに気を良くした。
|
Marcello*Kukule
神さまに跪く時間を終えた彼は、俺と神さまの間に立ちはだかった。
「祈りは力を持たない。だが祈る姿は力を持つ。さあククール、お祈りの時間だ」
結んだ髪をさらりと掬われる。
組み合わせる手に祈りがないように、髪を掻きわけされる額へのくちづけには愛がない。
「聖堂騎士団員ククールに祝福と信奉を」
それでもくちづけそれそのものに俺の睫はまだふるり震える。
|
Kukule
「この身体から親父の血を抜いて、親父の皮を剥ぎ取って、親父の肉を切り落としたなら、
アンタは俺を愛してくれるのか」
|
Marcello
「この身体からあの男の血を抜いて、あの男の皮を剥ぎ取り、あの男の肉を切り落としたなら、
お前は私を愛していられるのか」
|
Marcello*Kukule
「あたまがいたい」
と ククールが云ったのは、天候に関わらず行う戦闘演習を辞したいという意を含んでのことだろう。
まだ彼は腰に剣も帯びていない。
私は騎士団宿舎の扉を自らの手で押した。開ける視界。だが光はさほど差さない。曇天ゆえに。
「私などもうずっと頭が痛いな」
頭痛の種が辟易したような、それでいて拗ねたような、また傷ついたようにもとれる顔をする。
存外この男は察しが良い。
そうして私の長い頭痛は彼が傷ついた顔をするそのときのみ、和らぐのだ。
|
|