Marcello*Kukule Log




Marcello


 「聞けばご母堂は妾とか」

 「御身、一時は孤児だとも」

 「そのような出自でありながら、さすがは武勇、知略に秀でられたマルチェロ殿」

 「いやいや、しかしまさか聖堂騎士団の団長にまで成られるとは、失礼、思ってもおりませんでした」

 口々に言われてマルチェロはぐるりと一同を見渡した。

 いずれもサヴェッラで税を食む公爵、貴族、司教であった。

 「確かに私の出自はあなた方の仰る通り、卑しいもの。

 しかしあなた方はご覧になったことがありますか。

 家もなく、父も母もなく、路上で寝起きし、今日のパンにさえありつけぬ貧しい者が、

 いったい如何にして生きているのか、ご存知だろうか」

 応える者は一切ない。

 マルチェロは青を翻す。

 「あなた方は卑しいと思われるかもしれないが、その卑しさこそが、神より賜った私の剣なのです」




Marcello*Kukule


 「うそをついてはいけない。

 そのような神の教えをお前が修道院に来て間もなくの頃、教えてやったはずだがね?」

 何故そんな酷い言葉ばかり酷い扱いばかりするのか、そう問うた答えだった。




Marcello*Kukule



 キン、キン、と剣と剣が打ち合わさるおと。ぎり、ぎり、と剣を握る手が痛むおと。

 ドク、ドク、と高鳴る心臓のおと。

 噛み合った刃が離れる。だがすぐにまたまるで引き合うように合わさる。

 進退ままならぬと二人して飛び退く。

 だがすぐにまたまるで刃を打ち下ろす先を求めるように隙間を詰める。

 足払いを仕掛ける。避けられる。態勢を崩す。一気に押される。潔く引く。態勢が崩される。

 激しく打ち込む。防ぐ。息が上がる。押し返す。

 きん、きん、ぎり、ぎり、ドク、どく。

 「ああ」

 私の、お前の。アンタの、俺の。

「声が聴こえる」




Kukule



 「好きじゃないんだ」

 無造作に立て掛けられていた剣を鞘から引き抜く。

 刃は錆びてはいないか、毀れてはいないか。折られたりはしないか。確認はそれだけでいい。

 よく斬れるかどうかなど確かめなくていい。

 剣なんて、この身とあの身を護ることが出来たなら、それだけでかまわない。

 巡礼者を襲う盗賊討伐を告げる鐘が鳴り始めた。




Marcello*Kukule


 幾許かはそうは望んではいるので、そうはならないかと焦がれるほどではなくとも待ってはいるので、

 熱くなった手をひんやりと囚われれば心地よく、ひんやりとした体を滾らせてくれるならば気持ちもよい。

 「だけどそれはひどいことだ」

 とククールは口にした。

 「どうせ離れちまうくせに、こういうのは、ひどい」

 蹴っていいかと訊ねた。

 簡単なことだ。彼の腰に廻した脚を少し離して、横に払うだけで出来てしまう。

 だが、できるのかと訊ねられた。

 「ずっと離れるのはいやなのだろう」

 とマルチェロが熱移りをした熱い手で云う。

 もう心地よくはなかったが、代わりに気持ちがよくなった。

 ククールはうんと頷いた。うんと頷いてきゅっと締めた。すると口からは「も、すこしだけ」とこぼれた。




Marcello*Kukule


 泣けばいいのにとマルチェロは思った。

 いっそ泣いて泣いて喚いて形振りかまわず縋ってくれば、

 もう自分はこの腹違いの弟を泣かせるようなことは一切しなくなるのだろうとも思った。

 少しくらいはその境遇を哀れに思い、この世の苦しみを分かち合う弟として愛せたかもしれない。

 だが意固地な彼は泣きもせず、時に拗ねたように目を逸らし、時に怒りでもって睨みつけ、

 さいごのさいごは仕方がないことなのさと何も可笑しくもないのに何もかもを空虚に笑ってやり過ごしている。

 だが彼は時々途方もなくさびしげな目をする。

 嗚呼早く泣けばいいのにとマルチェロは三度思った。




Marcello*Kukule


 髪の色、目の色、肌の色。背の高さ、体の細さ、筋肉のつき方、右利きと左利き。

 喋るときの仕草、剣を振るうときの癖、ものごとの考え方は苛烈と諦観。

 母親の血。

 騎士団長と騎士団員。

 「こんなにも違うと寂しいね」

 踏み込まれる側と踏み込む側。

 「裸になっても、取っ払えるものなんて、所詮階級を表す服と色、剣を振るうときの癖くらいだ」

 剣を振るうその理由まで取り除くことなんて出来ない。

 出来ないんだとククールは繰り返す。




Marcello*Kukule


 明け方、夜の名残を流すため井戸で水を被っていると、脊柱の影に気配があることに気付いた。

 振り返り、濡れた髪をかき上げる。目を細めた先にはククールがいた。

 「団長殿」

 そう呼ばれる頃には、もう背を向けている。その背にククールは手を伸ばしてきた。

 ひたり、と触れられる。

 「傷がついていますよ」

 そのまま鼻先が寄せられ、音を立てて肌を吸われた。

 「またひとつ、つけられちゃいましたね」

 痛みがあったのは、傷を吸われたせいだろう。

 これは、子どもじみた独占欲を時折こうして私に見せる。




Marcello*Kukule


 回廊の向こうに人影があった。

 迷うことなくこちらへと歩むその影に、今更背を向けることは出来ない。

 右手の甲に貼られた真新しい湿布の端を直しながらククールもまた俯く振りをして歩む。

 だがその途中、マルチェロは足を止めた。

 「剣術稽古をお前だけ切り上げたと聞いたが?」

 そう問われてはククールも立ち止まるほかない。けだるく、そのことですか、と応じる。

 「今日は試合形式でね。一回戦で負傷したため棄権というわけです」

 「負傷?」

 「そ。負傷」

 ククールはひらひらと右手を振って見せた。

 マルチェロの片眉が跳ねた、そう思った瞬間だった。腹に拳を入れられた。

 ぐっと呻いてククールは数歩下がる。

 「なにすんですか」

 ククールは左手で腹をさすった。だがそれだけだ。

 後ろへ飛ばされることもなければ、咳き込むこともなく、声が掠れることもない。

 マルチェロはもう拳を下ろし、解いてさえいた。

 「お前は痛みの少ない怪我の仕方だけうまくなる」

 利き手ではないわざと相手に打たせた右手。拳を入れられる寸前に反らした腹。

 こんなときでさえ斜に構えて笑える顔。

 痛みの抗体は減少の一途を辿っている




Marcello*Kukule


 ひゅっと振り下ろされる刃は、もちろん命を途絶えさせるためのものではなかったが、

 多少の血と多量の恐怖を求めたものだった。

 庇うつもりなどなかった。巡礼の道を辿る信徒を襲う、くだらない人間だ。

 どうでもいい、と他人にはそう熱心にはなれないククールはそれまで目を背けていた。

 けれど賊の目にありありとした恐怖が浮かんだとき、ククールはマルチェロの腕をぐっと掴んだ。

 刃は振り下ろされることなく、マルチェロは首をわずかに捻って背後のククールを見遣る。

 「もう、いいだろう」

 ククールは呟いた。

 「こいつは、もう、喋りますよ」

 そうだろうと言うと、賊の男はすぐに仲間を聖堂騎士団に売った。

 マルチェロの剣は鞘に納まる。ククールはそれを見届けて、壁際に下がった。

 ふざけんな、おそろしい魔物じゃあないんだ。

 ククールは今もまだ震え上がる賊にそう怒鳴りつけてやりたかったし、

 兄貴、魔物になっちゃいけない。とも叫びたかった。





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