Marcello*Kukule




Kick!Kick!Kick!Kick the God!



 世界三大聖地のひとつ、法王の座を冠するサヴェッラに、

 同じく聖地のひとつマイエラ修道院周辺を管轄とする聖堂騎士団が少数とはいえ駐屯することは、

 本来サヴェッラ、云わば法王の近衛兵を勤める者たちの不興を買った。

 なにせ彼等は聖堂騎士団を構成する貴族の子息よりも遥かに良き血の持ち主なのだ。

 というのはこいつらの云い分曰くだけどな。

 ククールは目の前に立ち塞がった法王近衛兵の数人を見やった。

 聖堂騎士団団長と以下十数人の騎士、幾人かのマイエラ修道院の修道士が、

 法王・教会上層部との謁見を含めサヴェッラ視察に訪れたのは三日前のこと。

 どうやら真っ先に目をつけられたらしい。

 容貌のせいなのか、不遜な態度のせいなのか。

 容貌はともかく、不遜な態度への文句はぜひ聖堂騎士団に云って欲しい、

 あそこではこれが団長以下騎士のデフォルトなんだけど、ククールは辺りを見回す。

 大聖堂の裏手側、辺りに巡礼者や教会関係者の姿はない。

 いるのはククールとククールを取り囲み、何やらいろいろと言い掛かりをつけ、笑い合う彼らだけ。

 この状況は、教会というシステムそのものだとククールは思う。

 絢爛たる大聖堂に隠されたその背後にあるものは神ではなく、人間。

 しかも程度が低い。

 近衛兵たちの言い掛かりの内容のくだらなさに、こいつらアホなんじゃないかとククールは辟易していた。

 そういう意味では我が団長殿はいつも的確な言い掛かりだなとククールはふと考え、

 言い掛かりに的確という表現はおかしいと思い、そこで思考を打ち切った。

 サヴェッラ近衛兵たちに意識を戻す。

 まだ彼らはいちゃもんの途中だったが、

 それはいつの間にやらククールへの言い掛かりから聖堂騎士団への難癖へと変わっていた。

 どうせなら先程みたいにこの容貌を妬んでの言い掛かりのほうがまだ聴いていて楽しいのに。

 ククールは密かに溜息を吐いた。

 その難癖など意にも介さぬといった涼しい顔が更に近衛兵たちを煽ったらしい。

 語調が徐々に強いものになる。

 「聖堂騎士団ごときがこの地で大きな顔をするな」

 アンタの方が顔でかいよ、安心しな。と心の中で云い返してみた。

 こういう時には黙って聞き流すのが一番。経験上知っている。こんなことは慣れたもの。

 「所詮下級貴族の集まりだろう」

 人間が作った地位で魔物を倒せたら苦労はねえよなあ。

 「法王さまのおわすこの地に何故聖堂騎士団などが」

 そりゃうちの団長さまがたいへん野心のある方で。

 ついでにアンタらがへぼいのがとーっても好都合だったみたいですよ。

 「法王さまをお守りするのは我らで十分だ」

 まあ十分でないと教会側も判断したから、聖堂騎士団も配備されてるんだろうけど。

 「しかも聖堂騎士団の団長ときたら」

 と近衛兵のひとりが云った瞬間、ククールは鋭い視線を感じて大聖堂を見上げた。

 世界屈指建造物である美しい大聖堂の意匠を凝らした二階窓。

 そこに、彼がいた。

 「妾が生んだ庶子、しかも幼いころより修道院に預けられていたと云うじゃないか」

 起こる嘲りの笑いが立ち昇る。

 それが彼の人の許へと届くにはさほど時間は掛からなかった。

 マルチェロ。聖堂騎士団を率いる騎士団長。

 目が合った、と思った。彼と。

 マルチェロの双眸は近衛兵たちではなく、ククールへと注がれていた。

 その目が伏せられる。

 それはまるで夕暮れにゆるりと陽が落ち、闇が訪れるかのようだった。

 その口許がククールにだけ時折見せる笑みになる。それはまるで牙を見せる獰猛な獣。

 ククールはそこに彼の意を汲み取った。

 思わず声を立てて笑ってしまう。

 「なにがおかしい」

 近衛兵たちは何を勘違いしたのか、声を低くした。

 やはりこいつらはアホだと思った。

 マルチェロの姿はもう窓にはない。

 ククールは片手を腰に、大袈裟に近衛兵たちを鼻で笑ってやった。

 「おかしいさ。まずアンタらの方が顔も態度もでかい。でかいわりにゃ弱い」

 ククールはあまり喧嘩を好まなかった。

 自ら吹っかけることはしなかったし、大抵いつも「ハイハイ、スミマセンねえ」で済ませてきた。

 今回もそれで済ませるつもりだった。

 だが今やククールの血は脈打っていた。

 体が高揚する。

 「来な。アンタらじゃ法王サマをお守りするのに役不足だってこと、教えてやるよ」

 ククールは笑んだ。

 実に楽しげに微笑んだ。

 それは先程騎士団長にして彼の兄が窓際に残した笑みとよく似ていた。




 剣を抜くほど彼らが頭が悪いわけではないことがククールには幸いした。

 さすがに一対三で剣を抜かれてしまうとどうにも分が悪い。

 斬られ所によっては死んでしまう。

 それだけは御免だね、と繰り出した膝蹴りは、目の前の近衛兵の腹部にめり込み、

 ククールはそのままそいつの後頭部を押し下げ、顔面に膝を叩き込んだ。。

 鼻から出血の見掛けではなく、脳のぐらつきで倒れる男。

 これで一人と思う間もなく、背後から羽交い絞めにされる。

 一瞬後頭部で顔面を強打し逃れようかと思ったが、

 髪がこいつの鼻血や何やらで汚されるのに嫌悪感を覚え、それは却下。

 もう一人の男が身動きが取れないククールの顔面に拳を繰り出して来たタイミングを見計らい、

 左手に右手の拳を沿え、左肘を背後の男の鳩尾にめり込ませる。

 呻き声と共に弱まった腕からククールがするりと下へ抜けたところで、

 背後の男は顔面強打を受けて倒れた。

 「俺の顔は狙わないほうがいいぜ。思わず手ぇ抜くのやめちまうからな」

 だが残った一人の男はククールの胸倉を掴み殴ろうとでも云うのか、必死の形相で掴み掛かって来た。

 「せぇーっかく忠告してやってんのに、わっかんねえ人だな、アンタも!」

 伸びてきた腕を逆に掴み返し、捻り上げる。

 このまま蹴ってやろうと片足を地から離した途端、ククールはバランスを崩した。

 瞬時の判断で男の腕を捻り上げるのを止め、

 足元を見やれば仲間の顔面殴打で倒れたはずの男がククールの足首を掴んでいた。

 「はっ!なまっちょろいパンチじゃ効かねえくらいには訓練されてるってわけだ!」

 「るせえ!吠えてろ!」

 右頬に一発拳を喰らい、頭の中がぐらりと揺らいだ。

 しかしそれも一瞬の視界のぶれだけに何とか留まり、

 切れた咥内の血を足首を掴んでいた男に吐き掛ける。

 「やっぱりなまっちょろいな!」

 足首どころか脚に掴みかかってきた男のこめかみを

 気安く触ってんじゃねえよと反対側の踵で蹴り付けながら、ククールはお望み通り吠えてやった。

 緩まる男の手と腕。

 それを確認してから視界の端に捉えていた残った男に目を移すと、彼は腰に下げた剣を抜こうとしていた。

 「バカが」

 ククールは吐き捨てた。

 一先ず抜刀の範囲外に逃れるために、その場を飛び退く。

 やはりアホだ。こいつら頭が悪い。

 そういくら罵っても次の考えなど早々は浮かばない。

 抜刀はククールとしては何としてでも避けたかった。

 剣を抜いてしまえば聖堂騎士団の騎士団員とサヴェッラ法王付きの近衛兵、

 その下っ端同士の些細な揉め事では済まされなくなる。

 聖堂騎士団内でのククールの風評はともかくとして、

 教会内で聖堂騎士団の立場を悪くすることは嫌だった。それだけは嫌なのだ。極個人的な理由で。

 さてどうしたものか、と奥歯を噛む。

 法王付き近衛兵たちが持つ教会の紋章をあしらった少々華美な鞘から、

 刀身が僅かに姿を現し、ぬらりと光る。

 ククールが更に間合いを空けようとした、その時のことだった。

 「何を、しているのかね?」

 来た。

 近衛兵が視線を声がした横手へと走らせたのを確認して、ククールもそちらを見やった。

 そこには、別に見なくとも解っていたが、聖堂騎士団を率いる団長の姿があった。

 彼一人がそこに立っていた。

 近衛兵が慌てて抜きかけていた剣を鞘に直す音が響く。

 マルチェロの双眸はまず剣をおさめた男を見やり、

 次いで倒れ呻いていた男ふたりを見下ろし、再び近衛兵の内唯一立っている男に向けられる。

 「何をしているのか、と問うているのだが、聞こえているかな?」

 だが近衛兵は答えない。

 ただただ明らかに混乱した目を地に這わせ、恨めしそうに仲間を見やるのみ。

 それに気付いて、否、気付いた振りをして、マルチェロは言葉を続けた。

 「まずは彼らを起こしたまえ」

 その言葉は聞こえたのか、男は倒れていた仲間二人になんとか上体を起こさせる。

 三人の近衛兵は一様に怯えたような、バツが悪そうな、そんな顔をしていた。

 「さて、もう一度問おうか。君たちは何をしていたのかね?」

 マルチェロは三人の男、そしてククールを見回し、問うた。

 近衛兵たちは黙りを決め込む。

 答えたのはククールだった。

 「喧嘩ですよ、団長殿」

 「ほう」

 マルチェロの視線がククールへと徐に向けられる。

 彼はいつものようにつまらなそうな顔をしていたが、内心は笑っているに違いないとククールは思った。

 ククール自身笑い転げてしまいそうだった。

 これはきっと喜劇だ。茶番劇と気付いていないのは、哀れな三人の近衛兵。

 「どちらから仕掛けた?」

 マルチェロが再び問う。

 「俺からです」

 ククールが答える。

 その答えに満足がいったのか、マルチェロは三人の近衛兵を見下ろした。

 その口許に微笑が浮かぶ。

 ただそれは物乞いに哀れみを与える、その行為が好きな貴族の笑みだ。

 決して物乞いが好きなわけではない。

 意図してそういう微笑を貴族に対して作れるのだから、

 まったくこの人はすごいとククールは半分呆れ、だがそのもう半分は笑う。

 マルチェロは膝を折りはせず、背は伸ばしたままで、だがその微笑のままで云った。

 「我が騎士団員がどうやら君たちに対して礼を欠いたようだ。すまなかったな。

 この者は然る領主の息子でね、甘やかされて育ったのか躾がなってないのだよ。

 すぐに自制を忘れ、言掛りをつけて楽しむ。まったく、困ったものだ。

 それ故我が騎士団内でも未だ人格はもちろん剣術・体術共に半人前でね」

 と、そこでマルチェロは言葉を切った。

 皮の手袋をした右手をゆるりと近衛兵の内の一人の伸ばす。

 「ああ、怪我をしてしまっているようだ」

 近衛兵たちの顎が微かに動いた。

 どうやら奥歯を噛んでいる様だった。

 人格・剣術・体術が半人前の者に怪我をさせられたのだ。こんな屈辱は他にない。

 ククールはいよいよ可笑しくなって、笑いを堪え切れず、近衛兵たちに見えるようにんまりと笑ってやった。

 マルチェロはあの微笑を一切崩さず、続ける。
 
 「何なら私が治癒魔法を唱えようか」

 それには近衛兵たちは首を横に振った。

 では、とマルチェロは手を下ろす。

 「騎士団の宿舎の者に伝えておくので、もしも怪我が痛むならいつでも来るがいい」

 聖堂騎士団の団長を示す青いケープが翻る。

 近衛兵たちはその背を成す術もないまま見送る。

 「このこと、笑いものになりたくなけりゃ、

 黙っておいたほうがアンタらのためにもなることくらい解ってるよな?」

 ククールは彼らがほんの少し可哀想になって忠告を残し、騎士団長の後を追った。




 大聖堂の裏口の扉へと向かっていたマルチェロにククールは声を掛けた。

 「これであいつらの団長殿に対する評判、二割減ですね」

 マルチェロは振り返らない。

 「上層部の評判はこの三日・二日で五割増しだ」

 「じゃあ差し引き三割り増しですか」

 「奴らが上層部に泣きつけば、の話だ」

 「一応釘を刺しておきましたけどねえ。あいつら頭悪そうだったから、どうだか」

 ククールは肩をすくめた。

 マルチェロの足が止まる。

 大聖堂の裏口だった。

 右頬に殴られた痣がある者はどうやらここまで、ということらしい。

 「ククール」

 とマルチェロが扉に手を掛ける。

 「なんですか」

 「その痣」

 横顔だけが振り返り、緑の目が不意に細められたような気がした。

 「今夜の夕食会までには見苦しくないようにしておけ。

 何のために半人前のお前を連れて来たと思っている?」

 ククールもつられて口許に微笑。

 「団長殿の仰せのままに」

 右手を胸に、優雅に一礼。

 扉が開く。

 その内の世界は陽光に満たされ、眩しかった。

 「ククール」

 マルチェロの視線はもうククールにはなかった。

 はい、と答えるククールの声のみその背を追える。

 「彼らは何も云わんよ」

 「…はい」

 マルチェロに大聖堂の光が注いでいた。遠い、とククールは思った。

 「私に従順な者は可愛い。教会の豚共でも、お前のような者でも、な」

 扉が閉ざされる。マルチェロの姿はもう見えない。声さえ届かない。

 扉は閉ざされてしまっているのだ。

 教会とはそういう処だ。

 神さまなんていない。神さまを祀った大聖堂は教会を喰らう人間を隠すだけ。

 けれど痣をいくら治したところで、殴られた事実が消えるわけでもない。

 それでも痣になった右頬に掌を当て呪文を唱える。

 「可愛いって思うなら、少しは可愛がりやがれ。バーカ」

 ククールは極控えめに大聖堂を蹴ってやった。






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