Marcello*Kukule




縫合



 ざっくんざっくん、飾り縫い。

 胸にぽっかり空いた空白を縫合手術。応急手当。

 継ぎ当てなんてないから、肌の端と端をぎゅうと寄せて、ざっくんざっくん。

 ククールは今日も胸の糸を指でなぞってその傷跡を確かめる。




 マイエラ修道院に駐屯する聖堂騎士団の宿舎の頭上にも月が灯り、深夜。

 ククールは日が変わる頃には護衛も立たない団長室の扉を叩いた。

 名実ともに聖堂騎士団で随一の剣の腕を持つ我らが団長であるのだから、

 護衛なんて必要ないんじゃないのかとは常々思う。

 立っているだけなんて楽でいいね、これ本音。

 返事がある前に扉を開いてやった。いつものことだ。

 騎士団長マルチェロもやはりいつもの如く執務机に向かい、羊皮紙にペンを走らせていた。

 物書きをするためか、手袋をしていないその手が妙に無防備。

 そんなことを考えていると、彼の眸だけが上げられ、緑が先を促す。

 ククールは聖堂騎士団の礼を取った。

 「聖堂騎士団員ククール、ご命令により御前に参上しました」

 頭を下げたククールの耳には、しかしペンが文字を綴る音。

 ククールは顔を上げてわざとらしく首を傾げる。

 「おかしいな。呼び出し命令があったはずなんですけど。俺の勘違いですかね、団長殿?」

 問うが、マルチェロのペンは尚動く。

 そうして最後にサインでもしたのだろうか、漸くペンが所定の位置につき、

 マルチェロは椅子に斜めに掛け直して、片肘を机についた。

 引き結ばれていたくちびるが解ける。

 「聖堂騎士団員ククール。これから問う私の質問に二択で答えたまえ」

 イエスかノーか。

 ククールは「イエスです、団長殿」と早速頷いて見せた。




 「お前、女との関係はあるな?」

 なんだそりゃ。ククールはマルチェロの問いに眉根を寄せた。

 が、すぐに大袈裟な身振りで答える。

 「おやおや、何を訊かれると思ったら。

 つい一昨日もそのことで有難いお説教をして下さったじゃありませんか」

 だがマルチェロは鼻で笑った。

 「私が許した答え方はそうではないだろう、ククール」

 そう云われ、仕方なくまた「イエスです」と答える。

 まさかまた一昨日の件を蒸し返されるのか、それとも昨日のことか、

 はたまた今日も酒場でやらかした一件を追及されるのか。

 ククールが弁明とイカサマ誤魔化しを思案し始めた頃、ならば、とマルチェロが言葉を切った。

 先程彼のくちびるにあったあのどうにもククールが苦手とする笑みはなかった。

 どうやら自分が考えているようなことではないらしいと悟ってククールは姿勢を正す。

 「ならば、何でしょう?」

 「男と関係を持ったことはあるか」

 ああ。なんだ。胸の傷を縫合した糸が疼いた。

 そういうこと。あくまでそんな気がしただけさ、と胸を押さえて自らに云ってやる。

 マルチェロの問いでククールは全てを理解した。頭が良いってのも困ったもんだと内心笑う。

 これは自嘲だ。その自嘲をまた自嘲する。

 嗚呼、糸じゃない、胸の傷が疼いている痛んでいる。

 それでも、

 「ありませんよ、団長殿」

 ククールは目許も涼やかに、くちびるに笑みさえ零して答えてやった。

 その笑みは目の前の男と似ていると思う。だってこの人、兄だから。

 「少なくともこれまでは」

 少なくとも半分は。

 へんな虚勢だともうひとりのククールが何処かで呆れた気がした。

 へんなところが兄と似たものだとまたひとりのククールが少しだけはにかんだ。




 大丈夫、痛みも疼きもまだ平気。

 ざっくんざっくん自分で縫った糸がきちんと胸の穴を塞いでくれてるから。

 ただ縫い目が少しずきずき疼くだけ、痛むだけだからまだ平気。




 彼は、選ばせてやろう、と云った。

 何を選ばせてくれるのかと問うたら、相手だと答えた。

 「騎士団員から気に入った男を選ばせてやろう」

 その時になって怖気づかれては困るので一度くらいは経験しておけと云う。

 ククールは笑った。

 「おやおや、女と寝るのは悪くて、男と寝るのは推奨して下さるんですか、団長殿は」

 ていうか修道院で男同士ってのはアンタ黙認なんだとマルチェロを見下ろすと、

 マルチェロはその眼を見上げた。

 すいと細るマルチェロの緑。

 「外で問題を起こされるよりは余程良い」

 なるほどそりゃそうだと納得する。

 するとマルチェロが「さて」と顎の下で両手を組み直した。

 「聖堂騎士団員ククール」

 ともすれば闇に溶け入りそうな、極上の声。

 ククールはマルチェロのくちびるがその言葉を形作るのを見ていた。

 「お前は誰と寝たい?」
 
 ずきり。

 ああいけない、胸の空を埋めるため無理矢理合わせた肌と肌の端が痛む。

 誰とだって?

 ふとマルチェロのくちびるが孤を描いていることに気付いた。

 嘲笑っているのだ、この男は。

 心臓が押さえ込まれたようにぎしぎしと軋んだ。

 ああ違う、肌が痛いんじゃない。

 「誰と寝たいだって?」

 立ち眩みのように、頭がクラクラして酸素がないと訴える。

 空っぽだと思っていた胸の穴が痛い。空っぽなのに痛い。

 ああ可笑しな話だとククールは思った。

 この胸に空いた穴が空っぽならば、いったいどうして縫い合わせたんだ。

 そこにしまったものが零れないように縫い合わせたんじゃないか。

 それが今まさに零れようとしている。

 閉じ込めておくには苦しいから、這い出そうとしている。

 ククールは答えた。

 「アンタと寝たい」

 結び目がするりと解ける音がした。




 マルチェロの手がブーツの金具を外していく音を寝台に腰掛けて聴きながら、

 耳の奥を舌で掻き回されているみたいだとククールは身を捩った。

 ブーツの厚い皮越しに触れているマルチェロの指先。

 その指が滞りなく手早く、けれどこれも愛撫のひとつなのか何処か見せつけるように

 ククールのブーツを脱がせ、無造作に床に落とす。

 たまらなくなってククールはもう一方のブーツに手を掛けようとしている彼の手に制止の意で手を重ねた。

 「あの…いい…自分でするから」

 眼が合った。

 と意識した瞬間には、眼は合ったまま、けれどマルチェロの眼は天にあった。

 「あ…」

 後頭部には寝台のスプリングと青い掛布のやわらかい感触。

 長い銀髪を結んだ箇所だけやや違和感。

 マルチェロの手は変わらずククールのブーツを探っていた。

 自分でする、はどうやら却下されたらしいことだけはとりあえず理解出来た。

 金具がマルチェロの指によって解かれる音、徐々に脚を覆っていたブーツが脱がされる音、

 それによる解放感と何故かの羞恥心。

 ただブーツを脱がされる、それだけのことに胸が震えた。

 「俺、処女みてえ」

 ククールがふざけたように云ったそれで、隠せるほど浅い傷じゃない。




 脚を完全に寝台に上げられる。

 マルチェロが己のブーツを脱ぎ捨てている間にククールはせめて脚を開いて彼を待った。

 意地だ。

 けれど何の意地だかもう自分でもよく解らない。

 自らも完全にベッドに乗り上げたマルチェロの手が続いてククールの赤い騎士服に掛かる。

 ブーツと同じく金具がひとつひとつ解かれてゆく。

 赤い上着を取り払い、腰と寝台の間にマルチェロの腕が侵入。

 突然の行為にククールが体を強張らせた時にはサッシュベルトは引き抜かれていた。

 「はん。鮮やかなお手並みですね、団長殿」

 白いシャツの釦が上から下へと流麗な動きで外される。

 「少し黙っていられないのか」

 開かれていくククールの胸、鳩尾、腹、腰を追うように走るマルチェロのくちびる。

 ククールは喉を反らせた。

 「っあ」

 その反らせた喉にさえ接吻けられる。

 「あ…っ」

 今度は喉の代わりに背中が跳ねた。

 寝台と背中が離れた隙に再びマルチェロの腕が入り、下肢を覆う布に手を掛けられる。

 ククールは思わずマルチェロの青いケープを握った。

 「ちょ…待って。あの…俺も、アンタを脱がすから」

 だがその手はあっさりと外され、寝台に縫い止められる。

 「お前の相手をする女はそのように云うのかね?」

 手首を縛めるマルチェロの親指がゆるゆると血管の上をなぞり出す。

 「…ん…っ」
 
 「だとしたら、安い女を相手にしているな」

 「な…んだよ。じゃあアンタの相手はどんな女なんだよ」

 「…どんな女だと思う?」

 勿体振るかのようにマルチェロの親指が相変わらず血管上の肌を往き来する。

 愛撫されているみたいだとまた胸の傷がずくんと疼いた。

 「…知らねえよ。

 俺みたいに早くアンタが欲しくて、脱がせたりする下品な女じゃないのは確実だけど」

 マルチェロの緑に耐えかねて顔を背けると、顎を取られた。ぐいと引き戻される。

 「ついでに自ら脱ぐような女でもないな」
 
 再び射貫く緑。

 「何処のお姫さんだよ、んな鮪」

 返す青。

 応えたその喉を再びマルチェロのくちびるに吸い付かれた。

 「ん…」

 半ば開いていたくちびるから漏れる声。

 「んん…」

 耳の裏にまで這ってゆく弾力のある舌先。

 「ん…あ」

 唾液を絡めて舐められる音。

 「あ…っ」

 ちゅうとわざとらしい音にまた鼓膜を犯される。

 マルチェロに縫い止められた手の指はひくひくと痙攣し、

 もう片方の手はマルチェロの頬にいつの間にか添えていた。

 促されてククールの首筋から顔を上げたマルチェロのくちびるにくちびるを寄せる。

 そうして擦り合わせるようにして囁いた。

 「なあ…こっちも経験させて」

 マルチェロのくちびるは湿っていた。

 きっとこの肌を唾液を絡めながら味わっているせいだ。

 他方ククールのくちびるは渇いていた。

 だから早く濡れたくちびるで、この渇きを慰めて欲しい。

 マルチェロのくちびるが解かれる。それが最後の光景。

 嗚呼、喰われる。

 心臓が跳ねてククールは眼を閉じた。
 
 ただこの無造作に縫った穴から心臓が出てきやしないかと、そんな愁いだけがあった。




 覆い被さるようにして重ねられるくちびる。

 マルチェロのくちびる。

 濡れた舌が蛇の如くぬらり這い出して、ククールのくちびるを蕩かしに掛かる。

 すぐにナカまで許してしまったら、きっとまた何処ぞの鮪姫と比較され、

 笑われるに違いないとは思ったが、ククールはかまわなかった。

 笑うなら笑えばいいと思った。

 たっぷりと唾液を練り込み、擦り合わせれば極上の官能を味わえるようにして、

 濡れた舌をマルチェロに差し出す。

 すると手首を縛めていたマルチェロの手がククールの後頭部に差し込まれた。
 
 角度を変え、より深くククールの咥内と舌を味わおうとしているのだと気付き、

 ククールもまた両腕をマルチェロの首に絡める。

 ふたりの咥内にくぐもった粘着音。

 触れ合ったくちびる、絡め合った舌、交わす唾液から、融けてしまいそうだった。

 いっそ融けても良かった。




 幾度となくくちびるを重ねても足りない。

 時に舌を擦り合わせ、絡め、時に咥内をその舌で掻き回されても、まだ。

 貪られることが気持ち良いなんてとも思ったが、

 出来ることならもっとこの青い獣に喰われてみたいと思った。

 そんな接吻けを交わしながらも、マルチェロの手はククールの肌蹴られた胸をまさぐっていた。

 掌全体で、大きく、猥らさを息衝かせて。

 「ん…」

 シャツが肩口から零れる。

 そのシャツに隠れた処にも手を這わして欲しくて、ククールは知らず知らずに身を揺すった。

 どうしてこんなにも気持ちが良いのか解らない。

 ただマルチェロの手が胸を往き来する度に、胸の穴を無理矢理縫い合わせたその痛みが引く思いだった。

 そう、やさしく撫でられているような、それ。

 「あ…ん…」

 深く息を衝くククール。

 その様子にマルチェロは陶然と笑みを浮かべ、

 ククールが邪険にするシャツに手を掛け、繰り返すキスの合間に脱がしてやった。

 そうしてまた胸に手を這わす。

 それが左胸に至ったとき、マルチェロは重ねていたくちびるを意図的に外した。

 「鼓動が早いな」

 云うと、睫毛に伏せられていたククールの眸がとろんともたげられる。

 闇に身を委ねる炎のように青が揺らめいた。

 「あ…俺…」

 マルチェロの未だ冷めたままの緑に映る濡れた青を見つけ、ククールは我に返った。

 「ご…めん、俺、いや、すみません…俺ばかりで…」

 また眼を伏せる。

 そのククールの脚にマルチェロの脚が絡みつき、再び胸を撫でる手が大きな円を描き出す。

 「…あっ」

 ほんのり紅く染まった耳が微かに震えた。その輪郭に舌を這わすマルチェロ。

 「感じていたのか?」

 「ん…」

 ククールが感じたのが肌の震えを通して解る。

 マルチェロは耳の奥に舌を這わした。

 「感じているのだな」

 耳から首筋まではねっとりと、首筋から脇腹までは羽根に触れるようにやわらかに、

 そして脇腹から腰をくちびるで辿り、時折吸いついて跡を残しながらマルチェロは云った。

 「それで良い。今はそれをこの体に教え込んでいるのだからな」

 その囁きは熱く濡れていて、またククールの熱を高めた。




 嗚呼、まるで愛されているみたいじゃないか。

 まるで慈しまれているみたいじゃないか。

 まるで、大切にされている、みたいじゃないか。

 マルチェロの手は余すところなくククールの肌をやわらかになぞり、

 その指が全身に張り巡らされた血管を辿る。

 そして官能スポットを探り出しては、跡をつける行為に勤しむくちびる。

 絡めても拒みもしない脚。

 肌と肌の密を邪魔する下肢の布が邪魔になって脱がせてくれとまで口にした。

 ついに高ぶった熱を晒して、これは自分が快楽に弱いからじゃないと解っていた。

 縫い合わせた糸がぷつりぷつりと切れてしまっているのだ。

 兄の手が肌を擦る度に糸が弾けて傷が開く。なんて甘い痛み。
 
 無理矢理傷を抉じ開けて、

 ぽっかり空いたこの空洞に押し込めた想いを内臓ごと踏みつけてくれるほうが、

 いっそどんなに楽なことか。

 こんなにも残酷なことはない。

 こんなにも痛いことはない。

 こんなにも狡いことはない。

 「あ…も…う、触って…」

 太股に添えられていたマルチェロの手を取り、己の高ぶりへと導く。

 マルチェロがまた嘲笑った気がした。

 そう、それでいい。そんな酷さなら耐えられる。

 「あ…ん…ん…っ」

 漸く与えられたダイレクトな快感にククールの腹は波打った。

 腰が悶えて、押さえ込もうとしているのに、マルチェロの手に合わせて踊ろうとする。

 蜜が滴っているのが解った。

 「は…あ、は…あっ」

 快楽を逃がすために大きく息を吐く。

 だがふとマルチェロが未だ服装を乱していないことに気付き、その上着に手を掛けた。

 彼は何かを云おうとしたが、無視してやった。

 「団長殿のは俺の中に…ん…出せばいい。

 でも俺の…で、ああっ…汚れちゃ嫌でしょう…、服…。だから…」

 上着だけでも、せめて一枚だけでも脱いでくれ。

 少しだけでいいから、その肌の下で煮えたぎる憎悪の魂に触らせて。

 ククールの手が快楽に震えながらもマルチェロの青を脱がせてゆく。

 白いシャツが現れ、その釦を上からふたつ外した所で、マルチェロはその手を振り払った。

 そのまま自らの指を口に含み、ククールが次に行われるであろうことに思い至った時には、

 唾液が絡められたマルチェロの指はククールの後口を探っていた。
 
 「あ…!」

 色気もへったくれもない声だと自分でも呆れるような声だった。

 ただただ驚きと恐怖のために上がった、そんな声。

 だがマルチェロはそんなことにはかまいもせず、指をククールの中へと入れようとしている。

 「や、やだっ」

 ククールは首を振った。

 何を今更とマルチェロが顔をしかめたのには同意しないこともないが、

 それでも嫌だ嫌だとククールは繰り返す。

 「やだっ、嫌だ。やっぱり無理だ。だってそんなの、入るわけねえ」
 
 ククールの腰がシーツの上を滑り、上へと逃げようとする。

 その腰をマルチェロは容赦なく捕らえて引き戻した。

 再びたっぷり唾液を絡めた指が宛がわれる。

 「いやっ、やだ、やだ、やっ…」

 つぷり。

 ほんの僅か、人差し指の第一関節までもいかない、指先がククールの中に埋められた。
 
 「あっ」

 びくんと恐怖から跳ねる体。

 見開かれた青をマルチェロは何の感慨もなく眺めていた。

 「あっ…あっ…」

 腹を芯にして体が折れ曲がってゆくククール。

 それに合わせるかのようにマルチェロの指は更に深くを求める。

 「ああ…っ」

 頭が真っ白だった。

 すごくへんな感じだとしか云いようがなかった。

 気持ち良さなんてひとつもない。

 そこで漸く痛みを感じた。

 「いっ、いた…っ!いたい!マルチェ…痛い!抜いて!抜いて!」

 ククールの手がマルチェロの肩を引き寄せ、爪を立てる。

 マルチェロは引き寄せられるままにくちびるをククールのくちびるに擦り合わせ、囁いた。

 「そんなことでよくも私のものをここに受け入れると云ったものだな」

 ここ、という言葉に余計マルチェロの指を意識してしまう。

 「痛いっ、いた…っ」

 ククールは痛みに溢れ出した涙を睫毛に宿らせながら呼吸を荒くした。

 「な…抜いて…ほんと、お願いだから…苦しい…」

 マルチェロも今のままでは進退がつかないことは解っていたのだろう。

 ククールの眼から一筋涙が零れる落ちるまでを見てから、指を抜いた。

 そうして吐き捨てる。

 「やはり男爵にやる前に、慣らしておいて正解だったな。このような体でやっても興醒めするだけだ」

 マルチェロの体が離れた。

 途端に体に震えが走る。寒気じゃない。これは凍えだ。

 ククールはマルチェロの熱を探した。

 「あ…や…だ、マルチェロ…っ」

 なんでだ。どうしてだ。なんで俺が泣かなきゃならない。

 けれど、ククールは体を離したマルチェロを求めるように手を伸ばす。

 マルチェロがその手を取ることはないと知っているのに。

 「マルチェロ…っ」

 「…いつ、お前は私を呼び捨てで呼べるようになった?」

 なんて酷薄な人だろう。

 奥歯を噛み締める。

 もう涙は零れなかった。

 「…失礼しました、団長殿」

 ほら、さっさとまた開きかけた穴を縫い合わせればいい。

 わざわざ開いて、中身を晒して、それを踏み躙られることなんてない。

 それが賢い生き方ってもんだぜ。

 「続きを」

 そんなことは百も承知だ。
 
 でも、それでも。

 「お願いします」

 自ら胸を掻きむしってでも、この男が、この兄が欲しかった。




 マルチェロも勿論ここで終わらせるつもりなどなかったのだろう。

 漏れ聞こえたその男爵のためにククールの下拵えをしているのだから。

 「ん…ん…」

 体をひっくり返され、マルチェロに腰を突き出すように云われたククールは大人しく従った。

 マルチェロの舌が後口の筋、その一本一本を舐めている。

 その事実だけで羞恥のためか体温が上がった。

 そうして時折中にまで舌先が入り込んでくるから、ククールは腰をびくつかせるしかない。

 「あ…ん…」

 枕に押しつけるようにして乗せた頬、その口から官能に濡れた溜息が漏れる。

 先程のような強引さはマルチェロにはなかった。

 指よりも柔軟性に優れた舌は差し込まれても痛みはなく、

 それよりも入口を抜き差しするその動きでククールに快感さえ与えた。

 「はあ…ん…」

 痛みに萎えたククールの高ぶりが息を吹き返す。

 マルチェロの舌は中に入るたびに唾液を残し、そこの滑りを良くしているようだった。

 「ん…ん…」

 マルチェロはそうして下拵えをしながらも、待っていた。

 ククールのそこが充分に熟れるのを。果実が割れるのを。この腕へ落ちて来るのを。

 「…だ…んちょう」

 吐くたびに艶を増す吐息の下、ククールの上擦った声が混じった。

 「そろそろ…いけそ…」

 マルチェロはその言葉に先程と同じく自らの指を舐め、唾液を絡めた。

 熟したそこに指を宛がっても今度はククールも嫌だとは云わなかった。

 くぷりと指を潜らせる。

 「く…っ」

 呻きと共に震えるククールの体。

 更に指を奥へと進めれば、何度も跳ねる背。

 「あ…っ、あっ、あ…っ」

 マルチェロはその背に覆い被さり、体重を掛けてククールの胸を寝台へと沈めた。

 腰だけが上がった状態で、もう一本指が増やされる。

 「い…っ」

 またククールの体が拒むように跳ねたが、銀髪に見え隠れする項に何度も接吻けるとやや大人しくなった。

 「ん…あ…あ…」

 何度も指を抜き差しされる。

 熟れた果実の皮が剥かれる。

 痺れがそこに生まれた。

 これをきっと快楽と云うのだろう。

 「は…ん、いい…」

 それは責めたてるようなものでなく、酷くゆっくりとした緩慢な動き。

 体の中まで愛撫されているみたいだった。

 その想いはククールを駆り立てる。

 「…くれ…よ…」

 アンタの。団長の。兄貴のを。

 指が引き抜かれた。

 喪失感と共に息苦しさからも解き放たれ、ククールは深く息を吸って吐いた。

 そして、仰向けに体を横たえる。

 意地だ。虚勢だ。そして拭えない恋しさだ。

 兄と眼が合った。

 何も云わずククールは後頭部に手をやり、結んでいた髪を解いた。

 はらりと銀糸は広がらず、汗ばんだ肌に張りついた。

 きれいな光景ではなかったかもしれないが、それは艶かしい姿だった。

 「マルチェロ」

 どうして微笑めるのかは知らないが、ククールの口許は笑んでいた。

 青は海のように穏やかで、空のように晴れていた。

 マルチェロの五本の指がククールの髪を裾へ向かい梳く。

 汗に濡れ湿っていたが、手触りの良い髪だった。

 今はそれだけで良いと思ったのは、ククールなのか、それとも。

 マルチェロが前を寛げ、彼のものを取り出す。

 ああ舐める必要なんてなさそうだとククールは脚を広げた。

 やはり言葉はなかった。

 マルチェロがククールの中にマルチェロを在らせる。

 ククールがマルチェロをククールの奥へと手を引く。

 これはそういう行為だ。それだけの行為だ。

 「あにき」

 ククールは打ちつけるマルチェロの腰に脚を絡めながら、

 汗が流れ落ちる首筋に腕を絡めながら、もう一度男を呼んだ。

 兄と呼んだ。

 胸に隠したククールが這い出して、兄に手を伸ばしている。

 幼い手だとククールは憐憫の情を青に湛えてそれを眺めた。

 マルチェロは見ない振りをしている。また踏み躙られた。ククールは眼を伏せた。

 この幼子を見たくないのはククールだって同じだ。

 可哀想な俺。

 「ああ…っ」

 ククールは大きく喘いだ。




 一枚一枚床に落とされた衣服を拾って身に付ける。

 マルチェロはまた執務机で羊皮紙にペンを走らせている。

 「なあ」

 また開いた胸の穴。

 そこから零れて踏み躙られたものも拾い上げて、しまう。

 「団長殿」

 ざっくんざっくん、飾り縫い。

 「アンタと寝るの、くせになりそう」

 胸にぽっかり空いた空白を縫合手術。応急手当。

 継ぎ当てなんてないから、肌の端と端をぎゅうと寄せて、ざっくんざっくん。

 マルチェロがペンを止めずに云った。

 「傷跡を撫でられるのが、好きか?」

 ククールは扉のノブに手を掛け、いつものように口許を上げて笑んだ。

 「傷跡に爪を立てられるのも好きですよ」

 団長殿の爪ならば、ね。

 団長室を後にし、誰もいない静まり返った深夜の廊下で、

 ククールは今日も胸の糸を指でなぞってその傷跡と爪跡を慰める。






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