Marcello*Kukule




魔物は夜蠢く



 既に二度陽と月を見送った。もうすぐ三度目の陽が落ちる。

 もう生存も危ういかもしれない。

 マルチェロは鬱蒼とした森の中を慎重に足を進めながら考えていた。




 巡礼者とその宿場町を徒党を組んだ魔物が度々襲ったことから、

 聖堂騎士団に討伐要請がもたらされたのは四日前の夕刻のことだった。




 行方不明者は次々に負傷者と名をかえていった。

 大木の根元、洞穴、草むらの陰、魔物が巣食う森を奥へ奥へと進むと、

 まるで斑点のように青が倒れている。

 騎士団長マルチェロ自らが率いる一隊・これに属する騎士団員たちは、

 斑点を発見するたびに彼らの呼吸を確認し、回復に努めた。

 どうやら魔物の巣は倒れている団員たちの一隊が向かった方角にあるらしい。

 マルチェロは森の最奥を油断なく見やった。




 あと二名。

 未だ発見に至らない行方不明者の捜索をする一方で、

 マルチェロは境界線を引かねばならないとも考え始めていた。

 負傷者の救護にあたる者が必要なため、隊は次々と団員を欠いている。

 この人数で果たして魔物の巣に近付き、討伐することは可能か否か。

 魔物は夜蠢く。

 態勢の立て直しが必要であった。

 あと二名。

 生かすか、殺すかの境界線。

 夕闇が押し迫り、マイエラのなだらかな丘陵地に落ちる陽がそれそのものなのだろう。

 ここからでは見えないが。

 森は光を拒み続けている。




 その矢先、彼を見つけたのだから彼のしぶとさには思わず苦笑いをしたくなった。

 森に落ちた赤い斑点。

 「ククール!」

 他の団員がすぐさま大木とレイピアを頼りに立っていた彼に駆け寄る。

 彼はどうやら無理をして立ち上がったらしい、こちらが何者であるかに気付くと、

 そのまま木の腹に沿うようにしてずるずると地に尻を付いた。

 彼を介抱する団員以外には魔物の足跡などを探すようにと伝え、マルチェロ自身はククールに寄った。

 片膝を付き、ククールの顔を見やる。

 ククールは数度その長い睫毛を揺らし、やがて多少辛げに眼を開いた。

 「…団長殿」

 彼はそう云ったが、マルチェロは気付いていた。

 その言葉を口にする寸前、彼は違う名で自分を呼ぼうとしていたことに。

 だが今はそれを云うべき時ではない。

 ククールもそれを解っていたからこそ、言い換えたのだろう、団長殿と。

 「…報告を…」

 ククールは時折喉の奥を詰まらせ、鳴らしながら、それでも言葉を紡いだ。

 「魔物の巣をこの先の崖下で発見しました。数は不明。しかし相当数いるかと」

 マルチェロは頷いて、先を促す。

 「それから?」

 「…それから、聖堂騎士団員ロレンツォ・ディ・ビッティが魔物との交戦中に崖下に転落しました」

 生死は不明であるとククールは小さく述べた。

 そこで彼は一度大きく息を吐き、忘れていたかのような痛みに喘いだ。

 マルチェロは彼の傷の具合をざっと概算した。

 外傷は脇腹の裂傷と足の骨折、顔を見ればこめかみの辺りを負傷していた。

 裂傷は深かったが出血だけはおさまっていた。

 どうしたのかと問うと、治癒魔法で傷だけは塞いだと云う。

 「おかげで魔力も尽きちまってさ。顔に傷が残ったら嫌だなあ」

 にへらと笑う。

 彼なりに元気であることを示したいのだろう。

 マルチェロは手を傾け、治癒魔法をこめこみの傷にかけてやった。

 ククールは予想しきれなかっただろう事態に目を見開いたが、何も云わなかった。

 もしくは云えるほども力を残していなかったのか。

 「…三日間、お前にしては良く耐えた」

 それだけを云い、マルチェロは立ち上がった。

 傍にいた騎士に彼の足の骨折を診るように云う。

 ククールは何を云われたかよく解っていない様子であったが、

 マルチェロは構わず辺りにいた騎士を魔物に気付かれぬよう、視線で集めた。

 「これより一度森の中間地点に張った陣まで引き返し、態勢を立て直す」

 団員たちに異存はなかった。

 ただひとり、抗議の声を挙げたのはククールだった。

 「団長殿!」

 ロレンツォがまだ、と云う。

 しかしマルチェロが返した言葉は厳しく、淡々としたものだった。

 「聖堂騎士団員ロレンツォ・ディ・ビッティは殉教者に列せられた」

 「死んでねえよ!」

 ククールが尚も食い下がる。

 足が骨折していなければ、掴みかかってきそうな勢いであった。

 「すぐそこの崖下にいるんだ。生きているかもしれない」

 ククールの言葉に、しかしマルチェロは動じない。眉ひとつさえ動かさなかった。

 そして静かに唱えた。

 「聖堂騎士団員ロレンツォ・ディ・ビッティは私の部下だ。

 しかしここにいる騎士団員全ても彼と等しく私の部下なのだ」

 魔物は夜蠢く。

 森の闇は豊かに熟す。

 沈黙を裂いたのは、ククールでも、マルチェロでも、騎士団員でもなかった。

 魔物だ。

 崖下の巣から這い出でようとする耳を劈くような雄叫び。
 
 マルチェロは舌打ちなどしなかった。

 率いる騎士団員の中でも腕の立つ者数名の名を呼び、構えさせた。自らも腰のサーベルを引き抜く。

 「他の者は陣まで下がれ!」

 その声に騎士団員たちは素早く動いた。

 ククールは二人の騎士団員に担がれるようにして、マルチェロと引き離される。

 尚もマルチェロの指示が暗闇の中、鞭のように飛んだ。

 「陣は引き払い、森を出たならば負傷者以外は巡礼者と町の警護にあたれ。

 これより我々は遊撃戦を展開、森の中で奴等を仕留める」

 無謀だとククールは叫びたかった。

 最初から無謀だったのだ、情報もなく、魔物の巣窟である森に分け入るなど。

 結果、聖堂騎士団員ロレンツォ・ディ・ビッティは殉教し、ククール自身は深手を負った。

 それでも。

 それでも。

 それでも、ククールには解っていた。

 それでも撤退するわけにはいかないのだ。騎士団員の犠牲と死を嘆くわけにはいかないのだ。
 
 聖堂騎士団は。マルチェロは。

 その背後に身を守る術を持たない多くの者が今夜を恐れ震えているから。

 森の奥より魔物が来襲する。闇よりも暗い口を開けてやって来る。

 光を全て飲み込んでしまう。

 「団長…!団長…!」

 何故こんなに叫んでいるのだろう。

 何故こんなにもがいているのだろう。

 何故こんなにもマルチェロの揺るぎ無い青に手を伸ばしているのだろう。

 ククールは団員たちによって力ずくで下がらされながら思う。

 それでも、叫ばずにはいられなかった。

 折れた足をまだマルチェロへと向け、戻ろうと足掻く。

 「団長…!マルチェロ…!」

 バカな。あのマルチェロが魔物ごときと相対したところで死ぬはずもない。

 それは確信的だった。

 ならば、何故?

 「ククール!」

 腕を掴む団員達の声も遠かった。

 マルチェロがこんな時にまで優雅に剣を構え、魔物が飛びかかってくるのを待っている。

 やがて魔物を一刀両断するために、刃が傾く。

 嗚呼!とククールは眼を閉じた。




 そうだ。

 マルチェロは魔物を斬ろうとしているのではない。

 マルチェロは、マルチェロは、マルチェロは、自らを斬り裂いているのだ。




 ククールは眼を開けた。

 見なければと思った。

 彼が魔物という自身を切り裂くところを、その返り血を、見なければならないと思った。




 マルチェロのサーベルが魔物の胴を薙ぐ。血が吹き出る。

 マルチェロは頬に返り血が飛び散ったのも構わず、柄とそれを握る手までを血で濡らし剣を振り上げた。




 森には届かぬはずの光が、マルチェロの剣の軌跡に生まれる。




 嗚呼。

 彼の正義はあの手に眠り、息衝いているのだ。




 魔物は断末魔を叫ぶことなく息絶えた。






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