我らを御許に3
聖職売買。
金で僧籍を売り、金でを僧籍を買う。
卑しくも神に仕える僧たちの一部がこのような行いに手を染める理由をククールはぼんやりと理解していた。
王政を敷く世界にあって、法王を頂点に戴く教会は国を越えた最大の組織だ。
一国の王であろうとも、そう簡単には手出しができない。神を盾にしているのだから尚更のこと。
その組織に籍を置くことは、封建社会であるこの世界で権力者たる王侯貴族に食い潰されず、
生き残り、のし上がっていくには間違いなく有効な手段だった。
アスカンタ大司教にはククールも幾度か会ったことがある。
徳の高い人物だと言われていた。
神を説き、祈りを欠かさず、貧者に私財を投じて施す。まさに神の代理人であった。
その私財の出所が聖職売買たぁね。
今はアスカンタ大司教の別邸へと急ぐ馬上にあるククールは皮肉げに笑った。
アスカンタ大司教は得た金の一部を貧民に与えることで大金の流入を隠蔽していたのだ。
加えて、その人となりも。
神に仕える彼がなにを思い、神の名を売ってまで金に執心するようになったのか、
それはククールが知るところではない。
ただ教会という窓のない箱の中で育ってきたからこそ、
祈りは届かず、神は見えず、そして神は傍に在らずということは知っている。
ククールより長く、神に近い座に在ったアスカンタ大司教だからこそ、
生涯の支えに神より金を選んだのは当然の帰結なのかもしれない。
「ククール」
並んで馬を走らせていた騎士が顎で道の先を指した。
マルチェロからサヴェッラに使者として遣わされた騎士だ。
彼から告発の書を奪おうとしたアスカンタ大司教お抱えの盗人≠ヘ、
港から引き返す道すがら修道院へ寄り、事情を知る騎士たちに引き渡しておいた。
「捜索に出されてた奴らだな」
アスカンタ大司教の別邸へと続く街道の脇、松明の明かりが辺りを照らしていた。
聖堂騎士団の青も今は赤く映る。
近付くと騎士たちは三頭の馬を囲んでいた。その内、一頭は腹を地につけて倒れている。
「マルチェロさまの護衛をしていた奴の馬だ」
馬を降り、ククールたちが近付くと、騎士の一人が振り返った。
どれどれと騎士の輪に入って見れば、馬の胴や足には矢が突き刺さっている。
どうやらここでマルチェロとその護衛の騎士たちは消息を絶ったらしい。
「これで襲われたということが確実になったな」
ぱちんと松明が弾けた。
「さてククール。報告を」
この場を指揮を執っていた髭を蓄えた騎士がククールともう一人の騎士を交互に見据えた。
ククールの報告に騎士たちはまずは黙った。
誰もがアスカンタ大司教の名に驚き、そして怯んだ。
だがそれも数瞬のこと。すぐさま騎士たちは怒りを露にする。
今すぐアスカンタ大司教の別邸へと踏み込むべきだと彼らは口々に云った。
聖職売買の嫌疑。
聖堂騎士団長が審問会設置を訴えるために立てた使者を襲わせた事実。
そしてその聖堂騎士団長との会談。その後の失踪。
それら全てがアスカンタ大司教へと繋がっている。
「よし。今からアスカンタ大司教の別邸に」
踏み込む。
そう云おうとしたこの場の指揮官の声は、それよりも強く迷いのない声に消された。
「いや、ダメだ」
ククールだと誰もが分かった。
だが同時に誰もがククールであるのかを疑った。
ククールという若い、若すぎる騎士は、敢然と物事を断じるような男ではなかったからだ。
飄々とした物言い。のらりくらりとした逃げ腰の態度。常に二転三転する思考。そして軽薄な笑み。
それが騎士たちが知るククールだった。
そのククールが今は強く繰り返す。軽挙だ、と。
「よく考えてみろ。仮にも相手は大司教、特権階級だ。
高位の聖職者の家に踏み込むには、あちこちにお伺いと手続きが必要になる。
それをすっ飛ばして、突然夜中に行って踏み込むだって?マルチェロ団長の立場が危うくなるだけだ」
それで幾人かの騎士は黙った。
だが納得できず、ククールに食って掛かる騎士もまだ幾人かいる。
「だがマルチェロさまが囚われているのは事実だ」
それを聞いてククールは肩をすくめた。
「我らが騎士団長がここにいるだろう、さあ返してください。とでもお願いするつもりか?
ここにはいないと突っぱねられたらどうする。それに身柄は他に移されているかもしれないんだぜ?」
今度こそ騎士たちは黙った。
「サヴェッラへの使者を捕らえ、書簡を奪ったところで聖職売買の罪自体が消えるわけではありますまい」
月は西に傾いていた。夜は終わり掛けている。
アスカンタ大司教は笑った。
「聖職売買のことを知るのはお前だけだ。そのお前が消えれば、どうかな?」
「ほう」
マルチェロは片眉を上げた。
「仮にも聖堂騎士団の騎士団長という立場と名を持った私をそう簡単に消せるとお思いか?」
「お前こそ、どうして消されないと思う?」
アスカンタ大司教は座したマルチェロの顎を掴み上げる。
だがマルチェロの蔑んだような、動じぬ眼が気に入らなかったのだろう、マルチェロの顔を強く打ち払った。
「生まれも卑しいお前一人が消えたところで、
いったい誰が本気で大司教の私に逆らい、教会に盾突くと思う?
オディロ院長や騎士たちから信任を受けているようだが、
教会上層部や有力者たち全てが孤児に過ぎないお前の存在を許していると思うな!」
すると、ふ、とマルチェロの唇が解け、笑みが零れた。
顔を打たれたため、髪が幾筋か落ちて頬に掛かる。
それでもマルチェロはまるで獲物を前にした捕食者の笑みを浮かべていた。
大司教は不快をみるみる露にした。
「何がおかしい」
「いえ、失礼」
マルチェロは大司教を見据える。
「私をお許し下さらないお歴歴の顔をふと思い出しましてね。
いつまで私を許す立場でいることが出来るのかと」
そして、ああそれと、と付け足した。
「我が騎士団には、恥ずかしながら、貴方が云う神の規律を軽んじる者がいるのですよ」
火の粉がまたぱちんと音を立てた。
その音が異様なほど騎士たちには響いて聴こえた。それほどに空気は重苦しかった。
ああいやだいやだ。
ククールはばりばりと頭を掻いた。
「俺が云いたいのは、何もみんなでぞろぞろ行く必要はないってことだよ。
いいか?あんたらはマルチェロに近い。あとそれなりに身分も高くていらっしゃる。ここが厄介だ。
あんたらが踏み込んでいって、仮に大司教サマに突っぱねられてみろ。最悪だ。
マルチェロは戻ってこない。挙句そのことを逆手に取られて、訴えられる可能性だってある」
だから行くならば下位の騎士がいい。
いざというときに、独断の暴挙として切り捨てやすいからだ。
「もう一人、欲しい」
ククールは云った。
マルチェロから使者の任を与えられた彼がすぐに馬の手綱を握った。
「わりぃな」
「なぁに。俺は大司教サマお抱えの盗人に首を絞められかけたからね。
そこで短気を起こした俺は盗人が吐いた雇い主の家に殴りこみってやつよ」
お前は?と彼はククールに問うた。
「麗しき兄弟愛ゆえ、思い余ってってやつさ」
ククールは冗談のように云って、先程から傷ついた馬の傍に立つ一頭の黒馬に寄った。
鬣が美しいマルチェロの馬だった。
穏やかでいて強い意志を宿した黒い眸が美しいマルチェロの馬だった。
矢が襲い掛かってきたときも、他の馬に矢が刺さったときも、
それでもこの馬は暴れず、主を振り落としたり、傷つけたりはしなかったのだろう。
膝を折り、地面をざっと見たがマルチェロが落馬した形跡はない。
賢い馬だ。従順な馬だ。
こいつは金をいくら積まれたってマルチェロを裏切ったりはしないのだろう、とククールは思った。
マルチェロが聖堂騎士団の騎士団長でなくともこの背に喜んで彼を乗せて駆けるのだろうとも思った。
自分も同じだ。
マルチェロが聖堂騎士団長でなくとも、そんなことはかまわない。
祈りは届かず、姿は見えず、傍に在りもしない神に与えられた騎士という階級に執着もない。
失ったってかまわない。
かみさま。我等を御許に。
いいえ、かみさま。
やさしさ。強さ。勇ましさ。
そして裏切らないこと、決して見捨てはしないことがあなたの真の御姿ならば、かみさま、我等の許に。
【続く】
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