Marcello*Kukule




夜明けにオルゴールは世界を唄う



 マルチェロは高く高く剣を振り上げる。

 まるで天を刺すかのように、天に突き立てるかのように、高く高く振り上げる。

 その姿を表す言葉はこの世にはないのだとククールは思う。

 何故ならば彼はこの世にあらざるものになろうとする者であるからだ。

 この世で最も美しく尊き神を否定する者であるからだ。

 何を云おうともう縋ることさえ彼は許してくれないからだ。

 だからこの世界を飾る言葉は彼には相応しくない。

 彼は革新者なのだ。

 ククールは彼の掲げた剣先に静寂な怒りに満ちた炎を見た。




 ククールは、しかし剣を抜かなかった。

 彼は剣を抜けと云ったが、それは彼と同じ舞台に上がれという言葉にも似た甘美を秘めていたが、

 しかしククールは抜かなかった。

 斬るなら斬れ、とククールは云った。

 これまでもそうしてきたように、これからもアンタが俺を斬り刻みたいのならそうすればいいと云った。

 喜んでその足元に横たわろうとも云った。




 世界は機械仕掛けのオルゴールだ。

 聖歌を不揃いに歌いながら、それにより歯車の有効回転数を減らしていることに気付かないオルゴール。

 今日も何処かで歯車が軋みを上げる。小さな部品がひとつ欠ける。

 それでも聖歌を、祈りを、神への賛歌を歌うオルゴール。

 修復では足りない。

 小さな歯車を付け替えたところで、もう無駄だ。

 全ての歯車を入れ換え、新しい歌を高らかに謳う日を迎えねばならない。

 マルチェロは天を貫き、神を焼き尽くそうとしていた。




 「それが正しいことなのか、間違っていることなのか、俺にはわからないよ」

 ククールはやはり剣を抜かず、マルチェロの前に立った。




 その背後に子供がふたり。




 「でも、アンタがやろうとしていることは、その返す刃でこいつらまで斬ってしまう行為に他ならない」




 マルチェロにはそれが誰なのか解っていた。ククールが剣も抜かず、それでも背後に庇う子供たち。

 他ならぬマルチェロとククールなのだ。10年前の。




 ククールは叫ぶ。声の限り叫ぶ。

 「アンタがやろうとしていることは、こんな小さな子供を傷つけることなんだよ!」

 小さな子供ふたりが怯えている。

 「アンタは間違っちゃいないのかもしれない」

 けれど非難することもなく、マルチェロを見つめる6つの眼。

 「でも、こいつらを傷つけることは正しくない。正しくなんかないんだ!」

 刹那、マルチェロの切っ先が振り下ろされ、ククールの胴を斜めに裂いた。

 続けてマルチェロの剣がククールの肉へ喰い込む。

 薙いだ傷口から血が吹き出る暇も与えない。

 ずぶりと肉が裂け、鮮血が刃を伝って落ちる。

 ククールはがっくりとその場に膝を付いたが、それでも背後を庇う両腕だけは揺るがなかった。




 マルチェロは貫くことで繋がりを得た弟を見やる。

 ずっと解っていたのだ。知っていたのだ。ククールが喜んで斬り刻めと足元に転がる、その理由。

 彼は自らの肉と血でマルチェロの剣を錆びさせ、斬れないようにしていたのだ。

 子供を。小さなククールを。彼の日のマルチェロを。

 ククールは世界の大局を見ず、自身の大切なものだけを守ろうとしているのだ。

 今この瞬間までも。

 「貴様のように己が幸福のみを追求するクズがいるから、この世界はいつまでも救われんのだ!」

 マルチェロは更に剣を進める。

 ククールの肉体を内から抉り、崩し、破壊せねばならなかった。

 彼と彼に体現された世界の完全な死が必要だった。

 だがククールはマルチェロの刃を両手で握り返した。

 「世界、世界って!アンタはいったい世界の誰を救いたいんだ!?」

 子供がふたり、マルチェロを見ていた。




 両刃はククールの手からも出血を促した。

 斬り裂き、貫いてまだ足りぬなら、焼き尽くしてしまおう。マルチェロは剣を抜こうとした。

 しかし抜けない。

 祈るように組み合わされたククールの両手が、それ以上の剣の進退を許さなかった。

 「オルゴールがいかれてるって?聖歌はなんて不揃いなんだろうって?

 だから壊して、新しいものにしてしまえだと?

 いかれたオルゴールでそれでも聖歌を唄うしかない奴等は、

 アンタがその手を差し延べ、抱きしめ、救いたかった奴等じゃないのか!?」




 オルゴールが泣いている。

 小さなククールが泣いている。

 あの日のマルチェロも泣いてはいないが、泣いている。




 もう斬らないで、とククールはマルチェロの両刃を握りしめたまま云った。

 小さなククールを、痛いから、お願いだから、もう斬らないでと云った。

 ククールの後ろで小さなククールがあの日のマルチェロの裾を握っている。

 もう斬るな、ともククールは云った。

 彼はアンタ自身なのだから、もう斬るな、いいや斬らないでと云った。

 小さなククールに裾を握られたマルチェロは縋りつく弟を庇う様にして、

 それでも静かにマルチェロを見ていた。




 「こいつらは」

 とククールが笑った。微笑んだ。哀しげに。

 「こいつらは俺がどれだけ抱きしめてもダメなんだ」

 小さなククールも、あの日のマルチェロも、ククールがいくら抱きしめ慰めても救われない。

 マルチェロにしか救えない、子供がふたり。

 「なあ、こいつらを救ってやってくれよ。アンタにしかできないんだ」

 ククールは、あろうことか自らを貫く 剣に頬を寄せた。

 「アンタはこいつらを抱きしめてやれる人だ。痛いと云う手を包んでやれる人だ」

 マルチェロの剣を強く握る。離すものかとありったけの力を込める。

 「この剣はこいつらを斬り付け、傷付けるためのものじゃない」

 こいつらを傷付ける奴等から、こいつらを守るために振るう剣なのだとククールは云った。

 そして叫んだ。

 「俺はアンタがずっとそうしていたことを知ってる。

 そうしようとしていたことも知ってる。そうできることも知ってる。

 これからもそうやって生きていくことだって、俺は知っている!」




 嗚呼、美しき世界の夜明けだ。

 世界の何処かで誰かかそう呟いた。






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