Marcello*Kukule




我らを御許に1



 マルチェロが消息を絶ったというのは俄かには信じ難い話であった。

 ククールは髪を解いた頭を無造作に掻く。

 「勘弁して下さいよ。そういう面白い冗談は昼間にしてもらえませんかね」

 だがマルチェロの信任厚く、生真面目な騎士団長の側近はひたとククールを見つめたまま動かない。

 冗談ではないのか。

 ククールは室内に取って返し、先程脱いだブーツと上着を手早く身に着けた。

 足早に団長室に向かう側近の背にそのまま付いて行かなかったことから、

 「意外と冷静なんだな、俺」とククールは所々明かりが灯された暗い廊下にひとりごちた。



 時刻は深夜を少し過ぎた頃か。

 主のいない団長室の執務机を取り囲むのは先程の側近を含め、

 平素よりマルチェロに近しく、騎士団内でも位の高い騎士たち数名だった。

 ククールが非常召集されたのはククールがマルチェロの異母弟であったからだろう。

 「マルチェロさまはアスカンタ大司教さまの別宅で夕食を共にされた後、

 修道院に帰って来られる予定だった。

 大司教さまの別宅、母方の実家らしいのだが、ともかくその屋敷はアスカンタではなくドニに近い。

 大司教さまに確認したところ、マルチェロさまは夕食後、少し歓談した後、屋敷を辞したということだ。

 なにより大司教さまへの遣いがこの数時間内に往復できる距離だ」

 そう云って側近の一人がククールを見遣る。ククールは頷いた。

 「マルチェロ団長がこの時間になっても戻らないのは確かにおかしいな」

 だがこれは非常事態じゃない。

 ククールは内心呟く。これは異常事態なのだ。

 マルチェロが持つ純粋な剣の腕、魔法の強大さを思えば、魔物に襲われたということはまずないだろう。

 「何者かに捕らえられた可能性は?」

 ククールの隣にいた騎士がぐるりと面々を見回す。

 それぞれは苦い顔をし、その内ククールを呼びに来た騎士が口を開いた。

 「賊に、という可能性はまずないことは皆も承知の上だろう。

 そしてマルチェロさまには政治的な敵が多いこともな。

 ここ数年で行ってきた急進的な騎士団やマイエラ修道院の改革に、

 その必要性や理想も知らず、良い顔をしない連中もいる。その連中が…」

 マルチェロを拉致した。と騎士が口にする前にククールが組んでいた腕、その手を少し挙げた。

 「いや、それはないと思うぜ」

 騎士たちの視線が一斉に集まる。

 ククールは位の高い騎士たちばかりだったことを思い出して「思いますよ」と言い直した。

 「連中がいくら腕っ節のいい奴らを集めたとして、我らが騎士団長を捕縛出来るとは思えない。

 魔物や賊に襲われた可能性が低いのと同じことさ。

 じゃあ捕縛されなければならない弱みでも握られていたのか?その弱みに付け込まれた?

 急進的な改革を推し進めていた団長殿だ、清廉潔白ではないだろう。

 だが、だからと云って、そんな弱みを敵に見せるような団長殿じゃないさ。違いますか?」

 ククールはククールを呼びに来た騎士を鋭く見遣った。

 彼こそがこの場で最終判断を下す人物だと目したためだ。

 彼は頷き、ククールを肯定する。

 「確かにククールの云う通りだ。

 私もマルチェロさまが全くの不本意で何者かに捕らえられたとはどうしても思えない」

 それは他の騎士たちも同意見だったのだろう、皆が一斉に頷く。

 騎士は再び口を開いた。

 「だが私たちは何らかの予測を立て、行動に移さねばならない。

 マルチェロさまが私たち誰一人に何も知らせず、行方を絶つなど在り得ないことなのだから」

 再び全員の視線はククールに集まった。

 ククールは意味を汲み取り、首を微かに振る。

 「団長殿がアンタたちにも知らせないのに、わざわざ俺にだけ知らせて行方を絶つなんて在り得ない」

 そう、在り得ないのだ。

 ククールはマルチェロの行方について話す騎士たちの言葉からしばし耳を離し、一人考える。

 マルチェロという人物が側近たちの誰にも知らせず、行方を絶つなど在り得ない。

 そのようなことを策謀高い彼が自らに許すはずがない。

 夜の今はまだいい。マルチェロの不在はまださほど騎士団に影響を及ぼしてはいない。

 しかし朝になれば公の場に出ることの多いマルチェロだ。

 騎士たちだけではなく、周辺の有力者たちに聖堂騎士団・騎士団長の失踪が知れ渡り、

 騎士団の機能と士気だけではなく、

 誇り高き神の剣たる聖堂騎士団、そしてマイエラ修道院の名は地に落ちるだろう。

 そのような愚をあのマルチェロが犯すだろうか。

 文武の実力だけではなく、政治的な手腕で以って騎士団長にまで上り詰めた彼だからこそ、

 伝聞の恐ろしさと影響力を知っている筈だ。

 魔物や賊に襲われた可能性は低い。政治的な敵に陥れられた可能性も低い。

 かと云って朝になれば騎士団の名を傷付ける行動、ひいてはマルチェロの名が傷付く行動を、

 マルチェロ自身が自ら望んで犯すとは思えない。

 全ての可能性は0だ。

 ククールは思わず苦く笑った。前にも進めず、後ろにも退けずの自分のようだと思ったからだ。

 「今現在このことを知っているのは誰なんですか?」

 ククールは議論の中心にいた騎士に問うた。

 「ここにいる面々と、あとは門番の二人。私たちは勿論、彼らには堅く口止めをしてある。

 …オディロ院長にはまだ云ってはいないが、聡いお方だ、お気付きかもしれん」

 いい判断だとククールは思った。

 特に門番たちはマルチェロが戻らないことに最初に気付き、不審がるだろう。

 他の騎士たちにマルチェロの行方を問うて回られるよりは余程良い。

 「じゃあとりあえず明日の公務をどう誤魔化すかでも考えた方がいいんじゃないですかね」

 ククールがそう提案すると、騎士たちは緊張した面持ちを僅かに緩めた。

 「幸いなことに明日誰かと会うという公務はないんだ」

 「なんだって?」

 ククールは思わず問い返した。何か閃くものがククールの内にはあった。何かが引っ掛かる。

 それが何かと考える前にまた別に騎士が口を開く。

 「朝食はなるべく皆と取るようにしていらっしゃるマルチェロさまだが、必ずというわけでもないだろう?

 時間はまだある。ただ朝食にも夕食にも姿を見せなかったら、さすがに皆も不審に思うだろうが」

 「だがククールの云うことも尤もだ」

 騎士の一人が云う。

 「明日の夕食にまでマルチェロさまがお戻りにならないようなことがあった時のことを考えねばならない。

 明後日にはサヴェッラより高僧をお迎えする予定なのだぞ?」

 「…そうだな」

 ククールを呼びに来た騎士が重々しく頷く。

 「マルチェロさまの行方を捜すことも我らの重要な務めではあるが、同時にマルチェロさまが戻られたとき、

 滞りなく団長としての務めを果たされることが出来るよう全てを整えるのも我らの使命」

 騎士は鋭く全員を見遣った。

 「今より我らは迅速に行動を起こす」

 一斉に騎士たちが大きく頷く。

 ククールだけが遅れた。ただ単純に不慣れだったためだ。

 「お前たち二人は数人の騎士を連れて大司教さまの屋敷から修道院までの道のりを辿れ。

 魔物か何者かに襲われた可能性とて全くないわけではない。

 お前たちは明日マルチェロさまが処理をする予定だった事柄を確認し、取り掛かれ。

 私はもしマルチェロさまが有力者の誰かに陥れられていたときのこと考え、動く」

 ククール。と呼ばれた。

 予期せぬ呼びかけに弾かれたように顔を上げる。

 「お前が望むなら捜索隊に加わってもかまわん。私に付いて来てもいい。お前の好きなようにしろ」

 「あ、いや、俺は…」

 ククールはマルチェロの机を見つめる。

 そこは普段と変わらず同じ位置に全てのものが整えられていた。

 きっとマルチェロはここに帰って来るつもりだったのだ。いや、つもりなのだ。

 「もう少しここにいる。考えたいことがあるんだ」

 「そうか。何かあれば私まで知らせろ」

 「了解」

 ククールが頷くと騎士たちはそれぞれ行動に移るためだろう、足早に騎士団長室を去って行った。

 ククールは誰もいない団長室で彼の椅子を引き、「やれやれ」と座った。

 両脚を机に投げ出してみる。

 騎士たちが出て行った扉と爪先が重なる。

 「マルチェロさまマルチェロさま、だな。あいつら。

 まーったく。女神信仰なんてさっさとやめて、自分で神さまになった方が良いんじゃねえの」

 ククールは少し笑ってから、ふと気付いた。髪が解けたままだった。

 どうやら結ぶのを忘れていたらしい。

 「意外と冷静な振りをしていただけのようです、団長殿」

 また少し苦笑する。



 引っ掛かることがあった。

 ククールは髪先を摘んで弄る。以前マルチェロから注意を受けた考え事をする時の癖だった。

 「こんな事態はマルチェロらしくない。だが何かがアイツらしい」

 この失踪が予めマルチェロによって仕組まれたことだったのならば、

 あのマルチェロだ、聖堂騎士団が明日も差し支えなく機能するよう整えて行っただろう。

 だが側近の騎士たちはマルチェロの失踪に明らかに困惑している。

 だからこれは仕組まれてはいない。

 「……」

 ふと髪を弄る手が止まった。

 全てはマルチェロが騎士団に戻るという仮定に基づいているではないか。

 「マルチェロが自ら望んで聖堂騎士団を去った?」

 声に出したのは擡げた考えを正確に表すためだ。

 だがすぐに髪を弄る手が動き出す。

 違う、とククールは思った。確信していた。

 マルチェロがククールの前から去るはずがない。

 マルチェロならばククールに去るよう云うはずだ。そういう人だ。彼は。兄は。マルチェロという人は。

 だから違う。ククールの中に閃いた違和感はそれではない。

 「幸いなことに明日マルチェロには誰かと会う公務がない、だって?」

 違和感はここだ。ククールはひとりごちた。

 仕組まれた失踪ではないというのに、まるで仕組んだかのようなぽっかりと空いた空白の日。

 「予め仕組まれた失踪じゃない」

 ククールは弾かれたように机から脚を降ろした。

 マルチェロの机の引き出しを引っ掻き回す。

 「失踪せざるを得ない状況下で、咄嗟に何かを仕組んだんだ」

 目当てのものはすぐに見つかった。

 マルチェロが日々その日に処理した案件を記入していた覚書。

 非公式の任を負うことが多かったため、よく深夜にマルチェロの許を訪れていたククールの前で、

 ククールの報告に耳を傾けるよりも熱心に彼が書き綴っていたものだ。

 ククールはその小憎たらしい覚書を数行ごとに飛ばしながら頁を捲った。

 簡潔且つ客観的、だが几帳面に書き込まれたそれは、

 マルチェロにとって書き残しておくには不都合な事柄は書き込まれてはいない。しかし、

 「違う、違う」

 咄嗟に彼が仕組んだ“何か”は騎士たちも気付くことが出来るはずのものだ。

 そういう確信がククールにはあった。

 手掛かりは必ずある。

 「これだ」

 マルチェロの文字を辿っていたククールの指が少し行き過ぎてから止まる。

 日付は昨日、即ちマルチェロが失踪した当日のもの。

 おそらく大司教宅へ向かう前に書き込んだのだろう。

 そこにはその日の内に遣いへやった数名の使者の名と数箇所の行き先が記されていた。



 「馬を一頭貸してもらうぜ」

 ククールは二人の騎士に何事かを指示していたマルチェロの側近を見つけ、追い越し際に肩を叩いた。

 何か分かったのかと問われ、手にしていた覚書を押し付ける。

 騎士はククールが云うままに記入された最後の頁を開き、だが首を傾げた。

 ククールの意図を量りかねてのことだろう。

 しかしククールは構わず騎士団宿舎の扉へと早足で歩いた。騎士は後から追って来る。

 「アスカンタ王室への使者、サヴェッラへの使者、東大陸の有力者幾人かへの使者。

 ククール、これがいったいどうしたというのだ?

 このような使者は毎日ここを訪れ、またここから発っている。不審な点はないと思うが」

 「そうかもな。だけどきっと何かある」

 ククールは重い扉を押し開いた。麗しい月夜だった。

 「根拠は?」

 「俺がこれだと思ったからさ」

 「お前ね…」

 騎士は少し呆れたようだった。

 ククールは風に逆らい歩いているためか靡く銀糸に手を掛けて手早く結ぶ。

 「違う。俺がこれだと思ったことが肝心なのさ」

 マルチェロはきっと俺が、誰かが、これだと思うと予測したからこそ、今は静観しているに違いない」

 しまった。とククールは内心舌打ちをした。

 思わず彼をマルチェロと呼んでしまったが、騎士は気付いていないのか、咎める様子はない。

 礼拝堂の扉を開く。

 朝になればオディロ院長を慕い、人々が集う礼拝堂も今はしんと静まり返っていた。

 その静寂をククールと騎士は掻き分ける。

 「だが使者の行く先はばらばらだ。お前一人でどうやって追うつもりだ?」

 「追わなきゃならねえ使者はもう分かっていますよ。

 騎士団長殿は明日の夕食までにはお戻りにならねばならない。タイムリミットはもう一日を切っている」

 「…そうか、なるほど」

 騎士は隣で深く頷いた。

 アスカンタまでは道中にある教会で一夜の宿を借りなければならない距離。

 他の有力者たちの屋敷はアスカンタよりも更に遠い。

 サヴェッラへと発つ船が着く船着場だけが一日以内に往復できる距離だった。

 騎士の声が明らかに弾む。

 「マルチェロさまは明日の夕食にまでは戻るおつもりで何かを仕組まれたのだな」

 夕食にまでは戻る。その言葉にふと可笑しさが込み上げた。

 まるで遊びに出かけた子どものようではないか。

 「メルヘンちっくだねえ」

 ククールは月夜を駆け抜けた。







 【続く】





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