Marcello*Kukule




我らを御許に2



 手は後ろ手に縛られていた。

 剣は取られたが、胴・両足は縛られず、両手が不自由なこと以外はさして苦になることは何もない。

 マルチェロは自由に室内を歩くことさえ出来た。

 そもそも縄や鎖で拘束する気はないのだろう。

 手を縛ったのは囚われの身であることをこちらに警告し、精神的な枷を負わせるためか。

 招いた貴人をもてなすためだろう設けられた部屋は調度類にも気が配られていた。

 だがテーブルの上の水差しはこの場合不要のものだろうとマルチェロは思う。

 天井にまで届く窓の傍にある椅子は座り心地が良かった。

 深く腰掛け、バルコニー越しに月夜を眺める。

 すると部屋の扉が開いた。

 「予てから慇懃無礼な男だとは思っていたが、もう慇懃さを取り繕う気もさらさらないようだな」

 入って来たのはこの屋敷の主だった。

 彼はマルチェロが立ちもせず、脚を組んだままであったことが気に障ったのだろう。

 「おやおや。ノックもせずに部屋に入って来られる方に礼儀について説かれるとは心外ですな」

 マルチェロは主を眸の片隅に捉え、再び外へと目を遣った。

 「ご覧なさい、今夜は美しい月夜だ。

 星の光は遠く翳り、厳粛の全き闇が深いこの夜を満たしている。

 美しい夜にあっては白く、淡く、ただ綺麗な月のみが闇に愛でられるべき存在だとは思いませんか」

 「確かに今夜は美しい月夜のようだ」

 彼は窓の傍に立った。影が伸びる。

 「しかしまさかマルチェロ、お前がそのような風流を嗜んでいるとは思わなかった」

 「ほう?」

 マルチェロは男を見上げた。

 白髪の主はもう六十をとっくに越えたはずだが、未だ覇気が失われた様子はない。

 「白を黒と断罪し、黒を白と魔術師のように変えてしまうお前が、

 まさか人並みに闇を黒と、月を白と喩えるとは思わなかったと云っているのだよ」

 老人は窓から離れた。あまり風雅を好まない人物なのだろう。

 「彼らに乱暴は?」

 マルチェロは扉に手を掛ける老人を振り返ることはなかった。

 代わりに老人がマルチェロを振り返る。

 「お前の護衛の騎士二人なら、お前と彼らが自身が大人しくしている限り、無体はせんよ。

 ただ落馬したおりにどちらかは骨を折ったようだがね。

 お前が早々にサヴェッラへの使者の居所を吐いてくれたのでな、彼らは指を落とされずに済んだ。

 彼らには後々お前の悪事でも吐いてもらおうかとは思うが、口を割らせる手段は他にもある」

 「確かに。痛めつけずとも自白させる手段はいくらでもある」

 マルチェロは眸をすいと細めた。

 その眸に映る月さえ揺れて歪む。



 まだ騒がしい酒場の扉を開き、ククールは宿のカウンターを叩いた。

 「聖堂騎士団のククールだ。この宿に聖堂騎士団の使者は泊まっているかい?」

 皮の手袋を取り、聖堂騎士団員のみが与えられる指輪を示す。

 ツケ代わりに使用したのは久し振りだと場違いなことを少し考えた。

 「ああ、騎士さまなら確かにウチに泊まってるよ」

 宿の主は宿帳を取り出して開いた。

 だがククールには主が部屋を調べてくれる前に使者がどの部屋に宿泊しているかの見当がついた。

 ごとりという物音。

 酒場の二階、宿として使用されている階から物音がしたのだ。

 ただそれは酒場の喧騒に呑まれてしまうほどのもの。

 酒場の客達はアルコールが回っているせいか、話に盛り上がっているせいか、気付いた様子はない。

 宿の主のみが二階に続く階段をやや訝しげに見遣ったが、ククールは主が動く前に動いた。

 階段に足を掛ける。

 「ああ、気にすんな。あれ、俺の連れがまたベッドから落ちた音だから」

 ククールは普段と変わらぬ足取りで階段を上がった。

 まだあの物音がサヴェッラへの使者の部屋で起こったものとは限らない。騒ぎ立てては面倒だ。

 ククールは左手を剣の柄に掛け、尚物音がする部屋の壁に背をつけた。

 気配を窺えば室内からは何かが倒れる音。そして聞き覚えのある騎士団員の怒声。

 「!」

 もう迷いはなかった。

 古い宿屋だ。これならいける。

 ククールは鍵が掛けられていることを見越して、肩で扉を破って室内に飛び込んだ。

 室内は月明かりの薄闇。

 床では二つの人影が争っている。ククールに迷いが生まれる。どちらだ。

 だが人影のどちらかである騎士の声ははっきりと新たな乱入者をククールと断定したものだった。

 「ククール!奴は上だ!」

 銀髪と赤い騎士服が功を奏した。

 ククールは素早く抜刀し、騎士の上にのし掛かる人影に躍りかかる。

 人影は一瞬迷いを見せた。

 今まさに首を締めている騎士の心臓に短剣を突き刺し、ククールと一対一の戦闘に持ち込むか、

 それとも騎士の上から飛び退き、自身の安全を図るか。

 だがククールにも騎士にも、その一瞬で良かった。充分だった。

 仰向けの態勢から放たれた騎士の膝頭が影の腹にめり込む。

 その衝撃に侵入者の手が緩んだ瞬間、

 ククールは人影の襟首をむずんと掴み、騎士から力ずくで引き離した。

 「くそ!」

 尚も抵抗しようとする侵入者の手を蹴り上げる。

 「往生際が悪いぜ!」

 侵入者の手から弾かれた短剣は床を滑り、それを素早く騎士が取り上げた。

 「動くな」

 ククールは侵入者の首筋に両刃の剣を当てた。

 騎士は喉を痛めたのだろう、床で咳込んでいる。

 「誰に頼まれた?」

 それはひやりとしたククールの声。騎士も咳き込むのを止め、ククールを振り返るほどの冷淡な声だった。

 それともそれこそがククール本来の声に宿る熱の温度なのか。

 だが侵入者が答える様子はない。

 顔を隠してはいたが、細身の男だろう。

 ククールは続ける。

 「いいか、よく聴け。

 お前が襲ったのは聖堂騎士団団長の名において立てられた正式なサヴェッラへの使者だ。

 記録にも残っている」

 ククールは「解るか」と更に刃を侵入者に立てた。

 マルチェロならば薄皮一枚を斬ることができるのだろうが、

 ククールはまだそこまでの鍛練を積んではいない。そのような技を会得したいと思ったこともない。

 「今ここで依頼者を吐けば、アンタはケチな物取りで済む。しかも未遂だ。すぐに牢から出られる。

 だがこのままならアンタは聖堂騎士団の団長権限で発せられた使者の殺害を目論んだ罪に問われる。

 云うまでもなく重罪だ。

 下手をすれば牢から何年も出れないどころか、場合によっちゃ死罪だ。

 アンタの依頼主はアンタが人生を棒に振ってまで庇うほどの奴なのか?」

 ククールの剣が鈍く光る。

 もう何体も魔物を屠り、マイエラ修道院への巡礼者を襲う賊を斬り伏せてきた剣だ。

 侵入者の喉が大きく上下する。そのため彼の皮膚は切れ、血が首を伝った。

 ククールは剣はそのままにサヴェッラへの使者である騎士を見遣った。

 「団長殿がアンタに渡した書状を開封しろ」

 だがその言葉にまともに顔色を変えたのは使者の任を負った騎士だった。

 彼は断固拒否する。

 「待て、ククール。お前が俺を助けてくれたことには礼を云う。

 だが俺には今の状況がさっぱり分からん。

 その侵入者がケチな泥棒ではなく、この書状を狙ってきた奴ということ以外はな」

 騎士は聖堂騎士団の紋章が施された黒い筒を懐から取り出した。

 「書状は一度開封してしまえば信頼性は失われる。

 何の意味も成さなくなることは、ククール、お前も分かっているだろう。

 マルチェロさまより下された正式な任務を、状況も分からん今、簡単に放棄することは出来ない」

 「今こんな状況じゃなきゃ、アンタのその忠誠心に惚れてやってもいいところだが」

 ククールは侵入者を床に蹴って倒し、更に抵抗力を奪う。もちろん刃は彼の喉許に。

 「開封して信頼性が失われると云うのなら、また団長殿に書いてもらえばいいことさ」

 「お前ね…そういうわけにもいかんだろう」

 騎士が呆れたように呟くが、ククールはにやりと笑った。

 「いいや、今回は団長殿もお咎めなしで書いてくれるさ。

 もし団長殿のお叱りが怖いのなら、俺が酒でもぶちまけて汚したとでも云いな」

 ククールが云うと、騎士は生真面目な面持ちで筒に手を掛けた。

 「…いいや、二人でぶちまけたことにしよう」

 「いいね。アンタみたいな人、好きだよ」

 騎士は迷うことなく書状を開封した。

 月明かりを頼りに、その文面に目を走らせる。

 内容はこうだった。

 「アスカンタ大司教に聖職売買の嫌疑あり」

 ククール下で侵入者が僅かに身を強張らせる。

 それを見逃すようなククールではない。

 「法王猊下の名において審問会を設置することを要請する。という内容だな」

 騎士はククールを見遣った。

 ククールはそれを受けて頷く。

 告発ではなく嫌疑としたのは、

 アスカンタ大司教の聖職売買を教会上層部に調査させるためであろう。

 まるで教会上層部がこの一件を左右する力を持っていると錯覚させるために。

 力を蓄え始めたマルチェロが未だ教会上層部の持つ力には及ばないということを示すために。

 この一件で立場を危うくするのはたった一人。

 ククールは侵入者の耳元で甘く囁いた。

 「なあ、アンタ。誰に頼まれた?」

 それが最後通告と侵入者は悟ったのだろう。

 若干の迷いの後、彼は終に口を割った。

 「アスカンタ大司教だ」







 【続く】





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