ギャンブラーにラブ・ソングを
酒場の飲んだくれた男たちはよくククールのことを、
「なんて運の良い奴なんだ」
と手持ちのカードを小汚いテーブルにぶちまけながら云っていた。
そんなんじゃない、と金を巻き上げながらククールは否定しなかった。
わざわざイカサマをしていることを教えてやるほどククールは優しくない。
運は悪いんじゃないかと思う。
領主の子として生まれてきたところまでは良かったのだが、そこからはどうもいまひとつ。
運は悪い。
だからイカサマをするのだ。
騙して欺き、確約されたラッキーをこの手に握れば、人生はけっこう愉しい。
けれどイカサマはイカサマにしか過ぎないなあとククールはへらりと笑った。
さすがに神さまにはイカサマは通じなかったのか、体を見下ろせば赤い騎士服が赤黒く変色していた。
血だ。それも悪いことにククールの。
視線を戻せば、魔物。何かの講義の時間に個体名を教えてもらったが、思い出せない。
修道院からはそう遠くない辺境の地で、
祈祷の帰りであったククールは偶然こいつと出くわしてしまったのだ。
「レベル高すぎだぜ」
これが女なら良かったのに。
こんなドッキリな出会い、恋に落ちちゃうぜ。
と、もしも誰かがいたならば口にしていただろうが、ひとりなのでやめておく。
レイピアを握り締めながら考える。
やっぱり運は悪い。普通会わない、こんなレベルの高いモンスター。
しかもイカサマが通じない。
さて、どうするか。
イカサマと顔が取り柄だと云ってくれたけど、全く役に立ちません、兄貴。
ククールはモンスターと攻防を繰り広げながら、そんなことを考えていた。
腹に衝撃を受けて吹っ飛ばされる。
背が地面に叩きつけられる頃には、胃から熱いものが込み上がっていた。
げほげほと吐き出せば、また血。胃液混じりの血。
それでも何とか上体を起こし、ククールは腹をさすった。
モンスターはゆるりゆるりとこちらへ近付いてくる。
彼は圧倒的な有利を理解しているのだろう。
対してこちらは追い詰められている。手持ちのカードでは歯が立たない。
今度から酒場でイカサマ賭博をする時は、相手に思いやりを持って勝とう。
追い込まれ、苦渋の顔でカードと睨めっこをしている奴らを鼻で笑わないでおこう。
巻き上げる金もそこそこで勘弁してやろう。
嗚呼、神さま。今、ちょっと良い子になる決心をしました。
聴き給え、主よ。前非も悔いています。今すごく悔いてみました。
だから、ぜひ助けてください。お救いください。
よっ、美人だね、女神さま!
「…て、やっぱりダメ?嘘見抜かれてる?」
モンスターの歩みは変わらないし、女神さまの祝福もなさそうだ。
レイピアは、遠くへ弾かれ姿なし。
ああ、運が悪い。本当に悪いね、こりゃ。
ククールは自嘲した。
実力勝負は通じない。イカサマも失敗。
自慢の顔だが、役立たず。
先ほど吹っ飛ばされたときに頭も打ってしまったのか、耳の奥がキーンとする。
思考もよくまとまらない。
それどころか、ぐちゃぐちゃいろんなことが頭の中で混じり出す。
明日は久しぶりの休日だったとか、ドニのバニーちゃんと良いことしようと思っていたとか、
今日の祈祷で聖書を読み間違えてしまったとか、
まあいいか、あいつら聖書の文言を聴きたいわけじゃないもんなとか、
折角体張って稼いだ金なんだから、ちゃんと渡したかったな、兄貴にとか、
いやいや、なに弱気になってんだよ、それじゃ俺ここで死ぬみたいじゃんかとか。
嗚呼、そうだ。
死ぬわけにはいかない。こんなところで。
死なない。死ねない。死んではいけない。
ククールは近くに転がっていた石に、祈りを口ずさみながら、手を伸ばした。
「天にいますわたしたちの母、御名があがめられますように。
御国が来ますように、あの人の安らぎ亡き心に、あなたの国がきますように。
御心が天と同じく、あの人の傍でも行われますように。
今日のパンを今日この日に、あの人に与えてください。
罪を許してください、わたしはいいから、あの人の罪を許してください。
試みにあわせないで、あの人を悪から救い出してください。
国も力も栄えも、限りなくあなたのものでいいから、
意地悪なんかしないで、あなたの腕にあの人を抱いてください、アーメン」
ふらつく足で立ち上がる。
石なんかで殴ってどうなるもんでもないけどさと力強い笑みは口許に。
神さま。
人生この方、一度たりともあなたを恨んだことはありません。
わたしはわたしの運の悪さを諦めはしますが、あなたを恨んだことはありません。
猛然ダッシュ。
モンスターを目の前に、石を振り上げ ─────
でも最後の最後に、
あなたを全知全能あらゆる許しを宿した神さまと見込んでお願いがあります。
理不尽だけど、俺の八つ当たりを聞いて下さい。
「ひでえよ、神さま。俺が死んだら、あいつは誰を憎めばいいんだよ」
石なんて掠りもしない。
やはり吹き飛ばされて、今度こそ当たり所が悪すぎる。
大地に仰向けに転がる。大きくひとつ深呼吸をした。
空は抜けるように青かった。雲ひとつない快晴だった。
嗚呼、なんてきれいなブルー。
眩しい太陽に眼が眩んで、ククールは眸を閉じた。
一面は青だった。
聖堂騎士団の青だった。
聖堂騎士団員十数名の青が風にはためき、波立っている。
聞き覚えのある号令と、剣撃音。
モンスターの断末魔。
そしてククールの眸には青が。
マルチェロは剣を鞘に収めながら、仰向けに転がったままのククールを見下ろした。
他の騎士団員たちはモンスターの処理に当たっている。
マルチェロは云った。
「お前は自らの生の価値を私に見出しているのか」
八つ当たりは神でなくマルチェロに聴かれたらしい。
ある意味神サマだけど、とククールはマルチェロを見上げながら思う。
起き上がることも、敬礼することも、ククールは忘れていた。
たとえ覚えていたにせよ、体がそれを許さないだろうが。もうずたぼろ。
「己惚れ、突け上がるのもいい加減にしろ」
マルチェロは続ける。
「私はお前が生きて目の前にいるからこそ、憎むだけ。
私はお前への憎悪によって在るのではない。私は私と私の信念によって在るのだ」
それは冷徹に、それは淡々と、ククールに落ちる青。
「そこにお前は一欠片たりとも必要ない」
一瞬の静寂。
ククールは声を出そうとして喘いだ。
「ならば何故助けた」
俺が消えていなくなれば、清々するんだろう。
言葉を切って、浅く呼吸を繰り返す。痛みがちりちりと焼付いた。
ふたりの視線が噛み合う。
やがてマルチェロは厳かに云った。
「私の父は母を見捨て、死に追いやった」
僅かにククールの眸が見開かれる。
マルチェロはククールを待たない。
「私は腹違いとはいえ弟のお前を見捨て、死に追いやるわけにはいかない」
それはまるで聖書の独唱のように。
「私はこの身に流れる血を肯定する。だが私はこの身に流れる血の意味を否定する。
私は貴きものを肯定する。だがそれは血によって成されるのではない。行いにより成されるのだ。
私はこの身に流れる父の血の貴きを否定する。
私はこの身に流れる卑しき血の貴き行いを私に望む。
故に私はお前を見捨てはしない。お前を殺しはしない」
神とは違うものになるために。
王とは違うものになるために。
そういえば彼は出て行けとは云ったが一度たりとも死ねと云ったことはなかった。
兄を眺めながら、ククールはぼんやりとそんなことを考える。
だがマルチェロが青を翻す衣擦れの音に現実に引き戻される。
広がる青。
ククールはまだ動けない。
他の騎士団員がマルチェロの傍にやって来て、何やら報告した後、彼はククールを見やって問うた。
「ククールは如何致しましょう。
相当な深手のようですし、ここで応急処置の回復魔法を唱えますか。
それとも担架で修道院まで運んだほうが良いでしょうか」
ククールは黙って聴いている。
呼吸する度に喉が焼かれるので、喋りたくないのが実際だ。
マルチェロはククールに背を向けたまま首を振った。
「いや、いい。放っておけ」
騎士団員は、しかし食い下がる。
「このままでは命の危険性もあるかと」
それを制して、マルチェロ。
「聖堂騎士団員ククール」
ククールはその呼びかけに応えようとした。ただ声が出なかった。
応えたいのに、声が出ません、団長殿。
だからへこたれず口だけを動かして、応えた。
マルチェロは一拍置いて続ける。
まるでククールの諾と応じる声が聞こえたかのように。
「我々は引き上げる。お前がもう立てぬと云うならば、担架で運ばせよう」
立て、と云われた。ような気がした。
ククールは眼を閉じて、いつものようにくちびるの片側を上げて笑った。
「天気が良いので、ゆっくりのんびり散歩しながら帰ります」
緑と青を拭きぬける風が、花を揺らして行った。
ククールはひとり仰向けに倒れたまま動かない。
自ら掛けている回復魔法のおかげで大分楽になった。
大丈夫。まだ立ち上がれる。
立って帰ろう。
修道院へ帰ろう。そして風呂に入ろう。
明日の休日に備えてたっぷり寝よう。
ああ、その前に祈祷の報告に行かなくちゃ。
今回は寄付金をいつも以上に回収できたので、ご褒美でも強請ってみるか。
いやいや、そんなことしたらたっぷり寝る計画に支障が出てくる。
まあいいや、明日は昼まで寝て、それからドニへ行き、小遣い稼ぎをしてやろう。
イカサマは欠かせない。
なんて云ったって運が悪いのだから、生き残るためには必要だ。
それでもククールは歩きながら青い空に歌う。
「全き愛与える主よ。
今ここに誓い合うこの二人ひとつにして、恵み祝して下さい。
愛をもって築く家は御心に守られて、なぐさめと希望に満ち、死も悩みも消えゆく。
悲しみは喜びへと、争いは平和へと。
この家の日々を祝し、愛を育ててください」
あの人を愛することだけは真剣勝負。
あの人を愛するにはイカサマも顔も通じない。
何より騙して欺き、確約されたあの人の愛なんてこれっぽっちも要らないから。
だからせめてお祈りを。
神さま、そっと傍に降り立ってください。
あの人を愛することに怯え震えるこの弱き手を御手で包んでください。
わたしにあの人を愛させてください。
あの人があの人の信念でここに在るように、わたしはわたしのためにあの人を愛するのです。
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