Wyvern



フェローズのロバ



 俺の名はラダマンティス。15歳。

 イギリス、フェローズ諸島在住の中学三年生だ、日本でいうところの。

 フェローズ諸島在住といっても、どの島までかは解らない。ここは何処だ。

 いや、むしろフェローズ諸島は本当にイギリスなのだろうか。

 とにかくフェローズ諸島では主に漁業が盛んである。しかし俺の父は靴職人である。

 俺は学校に通いながら、大海原に旅立つこともなく、毎日父の靴作りの手伝いをしながら暮らしていた。

 この生活に若さ故か、俺はしばしば退屈を感じていた。




 そんなある日のことだった。

 俺は学校から帰る途中に、飼い主だろう男に鞭打たれている一匹のロバを見つけた。

 ロバは木造のリヤカーを引かされていたが、もうそのような力がないらしい。

 飼い主の男は容赦なくロバを鞭打っていた。

 俺はロバが気の毒になったので、その男からロバを買い上げることにした。

 財布の中の小遣いをはたいて買い上げたが、よくよく考えると大特価だ。

 俺は更にロバが哀れになった。

 「よしよし、ロバよ。俺が面倒見てやるから安心するのだ」

 ロバはつぶらな眸で俺を見つめていたが、俺の云ったことが解るのか、やがて頬を寄せてきた。

 可愛い。俺はちょっと胸がキュンとなった。




 家に連れて帰ると、両親はとりあえず驚いた。

 「子犬や子猫ならともかく、何故ロバなのだ

 ごもっとも。

 父は難しい顔をして、繋がった眉で隠れた眉間にしわを寄せていたが(俺のこの眉毛は遺伝らしい)

 母が了承の一言を述べると、親父はすぐに飼うことに決めてしまった。

 我が家は代々かかあ天下だ。

 とりあえず俺はロバに名を付けることにした。

 ポチ。コロ。太郎。ジョン。ミー。ピー助。どれもピンとこない。

 何故ならロバらしくないからだ。

 ロバにはなんという名前を付けるのが妥当なのか、俺には解らない。

 両親に相談してみたが、両親もロバを飼ったことがないらしい。

 母がラダマンティスに因んでラダと付ければどうかと提案したが、

 それは友人達が俺の名が長いのに困って付けた俺のあだ名ので嫌だった。

 ロバの名前。ロバの適切な名前。

 俺は三日三晩考え抜いた末、ロバらしく、ロバという名を付けることにした。

 「お前は今日からロバだ」

 俺がロバのロバを撫でてやると、ロバは嬉しそうに鳴いた。

 父が背後で「昨日もロバだったではないか」と呟いていたことを今でも覚えている。




 引き取った当初は衰弱していたロバだったが、日を重ねる毎に元気になっていった。

 「良かったな、ロバ」

 ロバは毎朝俺が学校に行く途中まで見送りをしてくれた。

 帰る頃になると迎えに来てくれた。

 俺はロバと多くを語らった。というか俺が一方的に喋っていただけだが。

 それでもロバは俺の話に耳を傾けてくれているようだった。

 学校の帰り、海岸に座ってロバに語る。

 「なあロバよ。俺は時々遠くへ行ってみたいと思うのだ。

 フェローズ諸島某島での暮らしが不満なわけではない。

 両親もいる、友人にも恵まれ、ここでの生活は実に穏やかだ。

 きっと俺は隣のジェーンと将来結婚し、親父を継いで靴職人になるのだろう」

 云っていて、俺は矛盾に気付いた。

 まずはジェーン。

 彼女は優しく、気立ても良い。家庭的で明るく誰からも愛される同い年の幼なじみ。

 「だが、ロバよ、解ってくれるか?」

 ジェーンには好感を抱いているが、彼女に俺はそれ以上の気持ちがないのだ。

 俺のタイプは…俺のタイプは…。

 気位が高い我が儘な女性。

 気に入らないことがあると不機嫌になり、俺に全く関心を示さない女性。

 そんな人がたまに俺に声を掛けてくれたなら、どんなに素晴らしいことか!

 萌え!!

 更に俺的には同い年ではなく、年下の女性が良いのだ。

 「は…ロバよ…なんだ、その、このロリコンめ!という顔は。

 お前だけは俺の理解者…ではないか、理解ロバだと思っていたのに」

 いや、とにかく、こんな気持ちでジェーンと結ばれるわけにはいかない。

 そして友。彼らは良い奴も悪い奴もいる。俺は彼らがとても好きである。

 だがしかし、唯一不満に思うことがある。

 それは授業中いつも寝ていたり、挙げ句さぼっている奴が、

 真面目に出席している俺のノートを写し、俺より良い点を取ることだ。

 俺は90点、奴は95点だった。

 「なあロバよ。この世は不公平だな。というか俺が世渡り下手なのか?

 俺はそんな毎日をあとどれくらい繰り返さなければならないのだろう。

 遠くへ行ってみたい。

 俺はロバの背を撫でて、そう呟いた。




 やがてすっかり回復したロバは、なんと背中に俺を乗せてくれた。

 感激だ。大きくなったな、ロバよ!
 
 いや、特に大きさに変化は見られないが、言葉のアヤだ。

 俺が心躍らせながらロバで駆けていると、

 なんという偶然だろう、ばったり元ロバの所有者の男と出会った。

 リヤカーは今度は牛が引いていた。

 「む、それは俺が売ってやったロバか!?」

 男はロバを見るなり、驚いたように云った。

 俺はちょっと自慢げにそうだと云ってやった。

 「ほほう、こんなに元気になるとはな、あの小次郎が

 K O J I R O U …?

 それがかつてのロバの名だったのか。異国の名だろうか。すごいぞ、ロバ!

 男はしげしげとロバを見ていたが、やがて思いついたように云った。

 「おい、小次郎をもう一度俺に売ってくれんか?」

 「な…なんだと!?」

 「おいおい、少年。俺はな、返せって云ってんじゃねーぜ?買うと云ってんだ。

 値段は…そうだな、お前が俺に払った代金を返すということでどうだ?」

 「俺が払った金額だと…?安すぎるわ!

 「お前もそのくそ安い値段で買ったんだろうがよ!」

 「違う!お前にとって、ロバの価値はそれくらいでしかなかったのだ。

 しかし俺は、俺にとってのロバの価値は、金には代えられんものなのだ!」

 そうだ。

 ロバは俺の友達だ。友を金で売り買いなど出来ない。

 すると男は怒り狂った。

 「この野郎!じゃあもっと金を寄越せ!」

 「断る。俺はお前の言い値でこいつを貰い受けたのだ」

 というか今、手持ちがない。

 「あんなただ同然で家畜を買えると思うなよ!オラ、小次郎を返せ!」

 「お前こそ返せってなんだ!買い取るのではなかったのか!?

 「買い取れば返すのか!?」

 「いくら金を積まれても絶対返さんわ!」

 往来で、田舎道だが、人の眼があるところでロバを引き合う。

 これではロバが可哀相であったが、こんな奴に俺の可愛いロバを渡してやるものか。

 だが男が叫んだ一言に、俺は戦慄した。
 
 「このロバ泥棒!!おまわりさーん!!」

 「な…!?」

 待て、俺はかなり無罪だ。

 家畜泥棒など、このラダマンティス、腐ってもせん!


 というか俺は小遣いをはたいて買い上げたのだから泥棒ではない。

 しかし男が俺を泥棒と罵り、警察を連呼するので、人が集まり始めた。

 おまけに本当に警察までやって来る始末。

 「ちょっと君」

 と腕を取られ、俺は本気で焦った。やばい、ぱくられる!

 そもそも、この男との取引にサインを交わしたわけでもない。

 15の子供は実にこういう時に不利だ。たいがい無実を信じてもらえない。

 青春のバカヤロウ。

 しかし社会のルールに哀しくも従う俺が、抵抗を諦めようとした、その時だった。

 ロバが俺を背に乗せ、猛然と走り出したのだ。

 男と警察を蹴り飛ばして。

 ああ…これで犯罪が決定的だ。傷害罪と公務執行妨害とかか?

 「お…おい…ロバよ!何処へ行くのだ!!」

 ロバは俺の制止を振り切り、何処までも何処までも走り続けた。




 そして着いたところが冥界ってどうよ(やけっぱち)

 こちら冥界というポップな看板を見つけたときに、俺は死んだのかと思った。

 しかし関係者、タナトスとヒュプノスによると生きているらしい。

 ハーデスという冥界神に導かれ、集ったのだと厳かに云われたが、

 集ったというよりも、この場合は不慮の事故ではないか?

 帰らせて下さいと頼んでみたが、ダメだという。

 折角来たのだからゆっくりしていけとまで云われた。茶も出さないくせに。

 ロバに乗って帰ろうかと思ったが、ロバもどうしてこの地に来ることが出来たのかよく解らないらしい。

 すまなさそうなロバ見ていると、なんだか可哀相になってきた。

 だから俺はロバに云ったのだ。

 「ロバよ。気に病むことはないぞ?俺はずっと遠くに来たかったのだ」

 うーむ、ちょっと苦しい。

 遠くにしても、なんだかいろいろと遠すぎる地だしな。

 「ええと、そう…ロバよ。実はな、俺は本当は冥界に来たかったのだ!

 ロバに笑い掛ける。

 自分で云っておいて何だか、冥界に来たいって自殺願望ではないか。

 「だからロバよ。お前は何も気にしなくていい。むしろ礼を云いたいくらいなのだ」

 そう云うとロバはちょっとだけ嬉しげにつぶらな眸を輝かせ、笑った気がする。

 俺はそれが嬉しかった。




 そんなわけで、俺は今、冥闘士として冥界で働いている。

 相変わらず友人は俺を踏み台にするような奴等だが…。

 何処へ行っても俺のこの性格と人生は変えられぬということか。

 「なあ、ロバよ」

 ハーデスさまに特別に生きたまま冥界で住むことを許されたロバは、

 今でも時折俺を乗せて冥界を散歩している。




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 Thanks:mikiさん http://star.sakura.ne.jp/ps/





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