Gemini*Other



あなたのおうちは何処ですか?



 ご都合主義にも、アテナの聖闘士は甦った。

 「けれど、困りましたね。さすがに体の復元には時間が掛かります。

 というわけで、みなさんには仮の体を用意しました。気に入ればいいけれど」




 「なにが、というわけだ!用意するなら、もっとましな体を用意しやがれ!

 と叫んだのはである。

 それを窘めるかのように、横手にいたが口を開いた。

 「いいじゃありませんか。誰もが一発であなたと解る体なのですから、デスマスク

 「お前もな、ムウ。けど羊はまだいいぜ?俺なんか横歩きしか出来んのだ!

  おまけに女神の野郎、今夜は蟹雑炊が食べたいわ、と云ってやがる

 「それはいけませんね…女神が食中毒になります

 「お前の毒舌は死んでもなおらねえのか…」

 羊と蟹がメルヘンチックに会話している横では、

 山羊が互いの姿について、それなりの納得をしていた。

 「山羊か…まあ蟹に比べてましだし、まだ実在する動物だし、セーフだな」

 「俺は牛という時点で予想は出来たが、乳牛は微妙だな。ワッハッハッハッ」

 また更にそのお向かいでは、大羊がもめていた。

 「何故だ、童虎!何故、天秤の姿をしておらぬのだ!?

 「わしに訊かれても知らんわ」

 「ちぃ!折角大笑いしてやろうと思っていたのに

 また少し離れたところでは、感動の兄弟の再会が果たされていた。

 獅子である。

 「も…もしかして…兄さん!?」

 獅子がおどおど問うと、馬は爽やかに嘶いた。

 「おお!その声はアイオリア!しばらく見ない間に…兄さん、見違えたぞ?

 「そりゃそうでしょう…。で、兄さん、兄さんはどうして馬なんですか?」

 「うーむ。それがな、人馬がなくてなぁ。というわけで、馬にしてみた。アイオリアは格好良くていいな!」

 その頃、はもぞもぞと床を這い回っていた。

 「カミュ!?カミュはどうした!?いるなら返事をしろ!手を挙げろ!

 はっ。そもそもカミュの仮の体は何なのだ!?

 水瓶座のカミュ。

 ミロは改めて彼の星座を思い出し、はたと壁際の水瓶に目を移した。

 「まさか…カミュなのか…?」

 恐る恐るミロが訊ねると、水瓶はしばらく沈黙していたが、やがて、

 「ふ…さすがミロだな…私の正体を見抜くとは…」

 諦めたようなカミュの声が水瓶から響いてきた。

 「カミュ…お前…」

 「良いのだ、ミロ。全ては女神の采配。私は水瓶でも気にせん」

 「いや、つーか、どうやって喋っているのだ?不思議だな」

 「…お前が気にするのはそこか。いやまあ、ミロらしくていいな。

 それにしても、やはり不便だ、この仮の体は。動けん。

 それどころか割れたら死ぬのではないかとハラハラなのだ

 水瓶が溜息らしき声を漏らすと、

 「君が割れたら、私も死ぬのだから、注意したまえ」

 「ア…アフロディーテ!?」

 ミロは慌てて辺りを見回した、しかし彼らしき姿は見つからない。

 「ミロ、アフロディーテはここだ」

 カミュの声に、ミロが水瓶の中を覗くと、が一匹悠々と泳いでいた。

 「魚…」

 「魚ではなく、アフロディーテだ。失敬な。

 気を付けたまえ、カミュ。君が割れたら、私も確実に死ぬのだからな

 と。

 「安心したまえ、君たち。

 もしも君たちがぽっくり逝ってしまったときは、このシャカが経を上げてやろう

 その場にいた全員が、ある一点を振り返った。

 「大仏!!」

 「ん?どうしたね、君たち。このあまりに神々しい姿に言葉もないのかね?

 「いや、なんというか、乙女座とは全く関係なく大仏できたのかと思ってな

 山羊が呟くが、大仏が満足そうだったので、

 触らぬ神に祟りなしとその場にいた全員が次の話題に移ることにした。

 「ところで、サガはどうしたのでしょうね?」

 羊が辺りを見回し、双子座らしき姿が見えず、首を傾げる。

 そういえば、と皆が辺りを探し始めた、その時、扉が開いて子犬が入ってきた。

 「私ならここにいる」

 「双子座と何の関係もねえ!!」

 蟹が思わずつっこむが、可愛らしい子犬は眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。

 「アテナがな、適当に双子を何処からかかっさらって来ようかと仰ったのでな、

 それはあんまりだと進言して、双子の子犬にしてもらったのだ」

 「へえ…まあいいんじゃねえの?風呂桶とかにされたら笑っちまうしな

 と云った蟹に子犬が何事かを云おうとした時、先程サガが入ってきた扉が音を立てて開け放たれた。

 姿を見せたのはアテナ。

 「大変です、サガ!」

 女神の顔には明らかに焦りの表情が浮かんでいた。

 「どうなさったのですか、女神」

 子犬が女神を真摯に見上げ訊ねると、アテナは静かに、しかしきっぱりと云い放った。

 「それが…カノンの魂が迷子なのです!」




 「つーか誰だよ、カノンって」

 沈黙を破ったのはデスマスクだった。

 その言葉に魚と牛が安堵のため息を漏らす。

 「良かった。知らないのは私だけではなかったのだな

 「うむ。俺も一瞬死んでぼけてしまったのかと思った

 そう和気藹々と語る三人に対して応えたのは、誰でもないサガ、その人であった。

 「カノンは私の双子の弟だ」

 「双子の弟?聴いたことないぞ、そんな奴がいるだなんて」

 「ああ、まあ私としても皆に紹介するには恥ずかしい弟だったものでな。

 とにかくアテナ、カノンが未だ復活しておらぬのは、カノンの魂が行方不明だからということでしょうか?」

 子犬が向き直ると、アテナは厳かに頷いた。

 それを見て、ミロが唸った。

 「何故だ、カノン!まさか前非を悔いて、聖域に戻り辛いのだろうか?

 お前が海皇を操り、危うく世界を浸水させ、アテナを殺害し掛けたことは、

 アテナも、そして俺も許したというのに…!

 「ミロ…あなた勝手に黄金聖闘士代表して、そんなこと許していたのですか

 「う…まあなりゆきで」

 「しかし聴いていると、サガよりもスケールはでかい感じだよな

 「スケールが大きいから、きっとカノンは戻り辛いのだ!

 アテナ、カノンの貴女に対する忠誠はこのミロがしかと見ました。どうかカノンをお許し下さい」

 「いえ、ミロ、私は既にカノンを許しているのですが。あなたきちんと私の話を聴いていましたか?

 とにかく、ここでとやかく云っている場合ではないのです。

 魂は非常に不安定な存在なのです。体を得てこそ、安定するものなのです、たぶん。

 カノンを魂のまま長時間放置しておくのはとても危険です。

 最悪またぽっくり逝ってしまいます。早くカノンを保護しなくては…」

 「なんと…!そういうことでしたら、このミロが早速捜索に…」

 しかし、ミロが全てを云い終わる前にそれを遮る者がいた。

 「いや、私が行こう」

 サガである。

 「アテナ、どうか私に行かせて下さい。

 蠍の姿をしたミロよりも、犬の方がまだ脚が速いものと思われます

 「いや、まあ確かにそうだが。サガよ、お前にはカノンが心配だからの一言はないのか!?」

 ミロが云うと、サガは微かに微笑んで見せた。

 「あいつは早々簡単にはくたばらぬよ」




 「うーむ」

 カノンは困っていた。
 
 何故なら彼は迷子だったからである。

 「ここは何処だ?」

 そこは見渡す限りの海であった。しかもカノンは海上に普通に立っていた。

 「ということは、俺は今、肉体がないということか。

 何らかの理由によって、魂だけが復活してしまったのだろうか」

 とりあえずカノンは遭難者の心得に従い、その場を動かないことに決め込んだ。

 どれくらい水平線を眺めていたことだろう。

 不意にそこに黒い影を認め、カノンは瞬きをした。

 「…なんだ?」

 その影はどんどんスピードを上げ、カノンに近付いて来るではないか。

 輪郭がはっきりし始めたそれは、

 「え…犬!?」

 そう、小さな愛らしい子犬が猛烈な勢いで犬かきをし、カノンへと近寄ってきているのだ。

 カノンは戦慄した。無意味に怖い。

 「何なのだ、あの犬!飼い主は何処だ!?

 辺りを見回してみても、飼い主らしき人影は当たり前だが見つからない。

 カノンがおろおろしている間にも、子犬は鬼のような剣幕でカノンに吠えているようだった。

 「なんだかよく解らんが、逃げよう!あれはどう考えても普通の犬ではない!

 もしかしたら冥界の残党か…海皇の差し金か…今、問題を起こすわけにはいかん!」

 カノンは猛然と海上を走り出した。

 しかし恐るべき事に、子犬もまた光速の速さでカノンを追って来るではないか!

 「やはりただ者ではない…!」

 カノンは更にスピードを上げて水平線へと走り去った。




 「ちっ、カノンめ…!」

 子犬はカノンが走り去った先を睨み付けつつ、舌打ちをした。

 「折角見つけてわざわざ泳いできてやったというのに、なんだ、あの態度は!

 …しかしやはり子犬の姿ではカノンを追うことは出来ぬか…」




 「うーむ…」

 カノンは非常に困っていた。

 適当に走り着いた先は、未開のジャングルであったからだ。

 「魂だから、食料や寝床、虫さされに困るわけではないが…。

 ますますギリシアから離れてしまったような気がする

 さてどうしたものかと考えていると、がさりと横の茂みが揺れた。

 と同時に、カノンはその場を飛び退き、睨み付ける。

 「…なんだ…?」

 例え猛獣であったとしても、彼は魂であるし、また星をも砕く黄金聖闘士、

 何も怖れることはなかったのだが、

 「カノンー!!」

 一匹の猛獣が怒鳴り声を上げて飛び出してきた。

 「ぎゃあ!!」

 思わずカノンは身を固くする。

 まさか猛獣が人語を喋るとは思ってもいず、

 むしろ的確にカノンの名を呼んで飛び出してくるとは思わなかった。

 やはり海界か、冥界の刺客か?

 カノンはじりじりと後退し、騒ぎを起こすのはまずいと撤退した。




 「おのれ、カノンめ!!」

 猛獣は牙を剥き出しにして、唸った。

 「この兄がこうして手間暇掛けて迎えに来てやっているというのに、あの態度はなんだ!

 絶対に連れ戻し、叱ってやれなければとサガは心に堅く誓った。



 「ったく、いったい何だと云うのだ!」

 カノンは見知らぬ大都会の真ん中で溜息を吐いた。

 もちろん魂だけの彼は誰にも見えぬし、また何もかもが彼を通り抜けていく。

 が、しかし、律儀にもカノンは信号が青になるのを大勢の人間と共に待っていた。

 「うーむ、しかしよくよく考えると、今更俺の名を呼ぶ猛獣がいたとしても、

 あそこまで怖れる必要もなかったはずだ…」

 しかし、名を呼ばれた瞬間、彼の体は反射的に固くなり動けなくなってしまった。

 「何故だ…」

 信号が青に変わる。

 人々がカノンを通り抜け過ぎてゆく。

 それに気付いて、カノンも一歩を踏み出そうとした瞬間、

 「カノンー!!」

 一台の車が赤信号を無視して、カノンへと突っ込んできた。

 「げえ!?」

 まさかさすがに突然車に名を呼ばれ、突っ込まれるとは思わなかったカノンである。

 思わず身を翻して逃げる。

 「な…っ、な…っ、何なのだ!?」

 「こら、待て!カノン!」

 光速で逃げるカノン、光速で追い掛けてくる黒い乗用車。

 おまけに乗用車には運転手らしき姿は見えない。

 「心霊現象!?」

 「それは貴様も同じだろう、カノン!」

 「うう…この声、この声…知っているのだが、パニックで思い出せんわー!!」

 カノンは絶叫しながら走り続けた。




 「ちっ。オーバーヒートか

 車は煙を吹いて止まった。

 「またカノンを見失うわ、ここが何処だか解らぬわで、散々だ」

 車からするりと魂を抜いたサガは、カノンと同じように本来の姿をしており、彼は溜息を吐いた。

 「さて、次は何を寄り代とするかな…」




 その後もカノンの放浪の旅、そして謎の生物たちとの追いかけっこは続いた。
 
 まずはいきなり象に踏まれ掛けた。

 蜂にも襲われた。

 突然雷に打たれた。

 危うくUFOにまでアブダクティブされ掛かった。

 「ハァハァ…おかしい…おかしいぞ…」

 カノンは荒野に転がっていた石に腰掛け、肩で息をする。

 「大して怖れる必要もないものに俺は異様に怖れている…。

 おまけに奴等は普通の象でも、蜂でも、雷でもない…!

 象にも蜂にも、雷にも知り合いなどおらぬのに…俺は奴等を知っている気がする

 「当たり前だ、この阿呆!」

 カノンに応えたのは、何度も聴いているあの声であった。

 「また出た…!?何処だ…?」

 カノンは慌てて腰を上げるが、視界が揺らいで体がふらつく。

 「う…魂なのに貧血…?

 「違う。それはお前が魂のみで活動しすぎたせいだ…」

 荒野に砂嵐が捲き起こる。

 カノンは腕で顔を庇い、眼を細めた先に見たものは。

 「ぷ…っ」

 「…笑うな、カノン」

 そこには赤ん坊サイズの間抜けなぬいぐるみが立っていた。

 「カノン、まだ私が誰か解らぬのか?本当に解らぬのか…?」

 ぬいぐるみはぽてぽてとカノンにゆっくり寄ってくる。
 
 「う…今まで姿やとんでもない登場の仕方で気付かなかったが…まさか…」

 カノンとぬいぐるみは見つめ合った。

 砂嵐が止む。

 「お前は…サガ…なのか?」

 カノンがそう云うと、ぬいぐるみはふっと笑った。

 「気付くのが遅いぞ、カノン」

 「いや、普通そんな可能性考えぬから、気付かんわ。

 あの…本当にサガなのか…?何故そんな姿をしているのだ?」

 「そう云っているだろう?お前の魂が行方不明だというから、探しに来たのだ」

 「俺の魂が行方不明…?」

 「ああ。アテナのお力で、命を散らした聖闘士は魂を取り戻し、

 今は肉体の復活を待ち、こうして仮の体で過ごしているのだ。

 しかしお前の魂だけ、行方不明という。故にこうして私が来たのだ」

 「…なるほど。状況は理解した。そうか、仮の体か。

 俺はまたそんな姿に転生してしまったのかと思ってしまったぞ

 「いや、私もこんな姿には転生したくない」

 「ふ…そうだな…」

 カノンはそう微かに笑って、その体をぐらりと傾けた。

 「カノン…!?」

 慌ててサガの魂を入れたぬいぐるみが膝を付いたカノンの元へと駆け寄る。

 「大丈夫か、カノン!」

 「先程から…体の調子…ではなかった、魂の調子が悪くてな…

 カノンは苦しげに呻いた。

 「それは、カノン。魂だけの状態で過剰な活動をしたせいで体力…ではない、

 魂力が落ちてしまっているのだ。このバカ者が!」

 「過剰な運動をさせたのはお前だろう!?」

 「すぐに私と気付かぬお前も悪い」

 「でも…最後はきちんと気付いたぞ、サガ…」

 「ああ、そうだな」

 「サガ…」

 カノンが手を伸ばすが、その手はサガの体を通り抜けるばかり。

 それでもサガはぬいぐるみの手を差し出した。

 「間抜けな格好だな…サガ」

 カノンが不意に力無く笑った。

 「そんな姿に転生しなくて良かったな。…転生したのかと思ったとき…俺は少し哀しかった」

 「…カノン?」

 「ひとりでさっさと転生してしまったのかと思ったのだ。

 でも良かった。それどころか、お前は俺を探しに来てくれていたのだな」

 「…カノン。お前を置いて、この私が転生するはずあるまい…?」

 「ああ…そうか…そうだな…」

 カノンは最早譫言のように呟いた。

 「カノン!」

 サガはその姿を見て、仮の体から魂を抜く。

 カノンの薄い光が灯った眸に映ったのは、見慣れたはずの自分と同じ顔。

 だというのに焦がれるように懐かしかった。

 「良かった…最後に見れるお前の姿が、その間抜けなぬいぐるみでなくて…

 「何を云っているのだ、カノン!早くこのぬいぐるみに入るのだ!」

 「え?」

 「え、ではない!お前の魂は最早風前の灯火。

 しかし仮の体を得たならば、まだ保つだろう。さあ、早く入れ!」

 「しかし…!そうすると、サガ、お前はどうなるのだ!?」

 「私のことは心配するな。

 確かにお前を追い掛けていたせいで、私の魂もかなり弱ってはいるが…。

 しかしお前よりはまだ保つだろう。

 いいか、カノン。聖域はここから西へ真っ直ぐだ。もう肉体も甦る頃だろう。

 お前は元の肉体を手に入れ、私の肉体をここまで運んできてくれ」

 「いやだ、サガ!お前を置いて、そんなことは出来ぬ!俺がここで待っている。お前が行ってくれ」

 「云ったであろう、お前の魂は最早魂だけでは保たぬ。それに…カノン」

 互いに魂だけとなったおかげか、サガはカノンの頬に触れることが出来た。

 掌で力を分け与えるように撫でる。

 「私はこのような間抜けな姿で聖域に行きたくない」

 「おいこら。俺ならばいいと云うのか!?」

 「いいのではないか?もうこれ以上の生き恥はないといくらいだしな

 「お…おのれ!やはりお前が行け!俺はイヤだ!」

 ぷいと横を向いたカノンに、サガはついに痺れを切らし跳び蹴りを入れた。

 「ええい、つべこべ云わず、さっさと入らんか!!」

 「ぎゃーっ…って、うおお、なんだ、この間抜けな手足は!?

 「ふぅ…気を付けろよ、カノン。光速で走りすぎると、ほつけてくるからな

 「うう…くそ!なんちゅー無茶をするのだ、お前という奴は!

 誰が貴様の肉体なんぞを運んで来てやるか!くたばれ、このあほサガ!」

 地団駄を踏むぬいぐるみに、サガはカノンが先程腰掛けていた石に腰を下ろしながら笑い掛けた。

 「どうするかはお前の勝手だ、カノン。私はもうこれ以上動けぬからな。まあ好きにするがいい」

 「…くそ!」

 背を向けてぽてぽて走り出したぬいぐるみを見送り、サガは疲労の溜息を吐いた。




 カノンがサガの肉体を背負って戻ってきたときには、サガの魂の姿は何処にもなかった。

 「う…嘘だろう、サガ!?」

 カノンは茫然と叫ぶ。

 しかし何度その名を呼んでも、サガは姿を現さなかった。

 「そんな…サガ…俺がまたちょっと迷っていたせいで…?

 背負っていたサガの肉体を降ろし、カノンはぎゅうと抱きしめた。

 「サガ…!サガ…!」

 「おい、カノン」

 「…え」

 耳を擽った声に、涙が零れぬようにと瞑っていた眼を開けてみるが、

 腕の中のサガは静かに眼を閉じたまま。

 「いかん、幻聴か…?やはりまだ肉体に慣れぬおらぬのかな?

 「なにをバカなことを云っている、カノン」

 声は背後から降ってきていた。

 「サガ…!」

 振り返ると、そこには胸部から下は全く消えてしまっているサガがいた。

 残っている部分も薄らいでいて、よく見えない。

 「遅いぞ、カノン。危うく死んでしまうところであった

 「…すまん。道に迷ってしまって。いや、むしろ道がないから迷ったというか

 辺りは道路も道もない荒野である。

 「はあ…お前という奴は。まあいい。私も肉体に戻るとしよう」

 サガの姿がカノンの前から掻き消えてしばらく。

 サガの睫毛が揺れ、ゆるりと眸がもたげられる。

 サガが目覚めた。

 「…サガ、調子はどうだ?」

 カノンが覗き込むと、サガは口許に笑みを浮かべ、自らの力で起き上がった。

 「上々だ」

 砂の付いてしまった服の裾を払い、改めてサガはカノンに向き直った。

 さあとカノンに右手を差し出す。

 その手の意味が解らぬカノンではなかったが、手とサガを見比べるばかり。

 しかしサガは何も云わなかった。

 その口許の柔らかな笑みを、それでいて意志の強い笑みを絶やさぬまま、ただカノンを待っていた。

 何も強制しない。

 ずっと待っているだけ。

 やがてカノンはおずおずと、怖る怖る、しかし迷うことなくサガの手に手を伸ばした。

 それをぎゅうと捉えたなら、

 「帰ろうか、カノン」




 ふたりで一緒におうちへ帰ろう。





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