カノンのちょっといいとこ見てみたい
大人しく寝ておけよ、サガ。
そう心中呟いて、サガが継承した双子座黄金聖衣を身に纏って外へ出る。
扉閉じれば、俺はサガだ。
それは一種の自己暗示のよう、音を立てずに扉を閉める。
今日はサガはわけありで、代わりに聖域へは俺が行く。
こんな晴天の日に、何が愉しくて7〜8才の子供と遊ばなくてはならんのだ。
何よりこんな金ぴかの鎧を着て歩くのは全く愉しくない。
俺は青い空を見上げて、嘆息をする。
サガはいつも独りでいる俺を哀れむが、
金ぴかの鎧を着てガキと腹筋1万回とかするほうがよっぽど可哀相だ。
俺はけっこうひとりでその辺で昼寝をしたりしているのが好きなのだが。
今日は仕方ない、サガはお休み、俺が行くしかなかろう?
マントを翻して聖域へと向かった。
「サガ!」
聖域に着いて、まず寄ってきたのは、金髪の少年。
続いて赤髪の少年が後ろからゆっくりとやって来る。
記憶を手繰り寄せて、サガとの会話を思い出す。
サガは確か、『金髪と赤髪がセットでいたなら、それは高い確率でミロとカミュだ』と云っていた。
しかし安心は出来ない、とりあえず穏便に微笑んでみる。
「どうした?」
「相談したいことがあるのだ」
金髪の、たぶんミロと思われる少年は俺を見上げてそう云う。
勝手に俺が相談なんて受けてしまってもいいものかと思案していると、
俺の返事も待たずにミロらしき少年は話し始めてしまった。
なんちゅー我慢のないガキだ、こいつ!
「俺の技、スカーレットニードルというのだがな」
とミロぽい少年は自分の技について説明を始めた。
要約すれば指で相手の躰に穴を開けるという技らしい。
ミロかもしれない少年は云った。
「悩みというのは、つまり、俺の技は他の奴に比べてしょぼい!ということなのだ」
「……」
「なんというか、一発の派手さがないというか。
サガみたいに星も砕けないし、カミュみたいに誰も凍らない。視覚的につまらんとは思わないか?」
星が砕けようと、誰かが凍ろうと、一般人にしたら一瞬の出来事なので、
視覚を愉しむことはどちらにせよ出来ないのではないか?
というか敵はそんなもんを愉しんでいる場合ではないと思うが。
「なあサガ、何とかならないか?」
縋られて、俺は困った。
俺的にはいっそ違う技に乗り換えたらいいと思うのだが、
そんなことを云って、あとでサガに星の砕ける様を見せられてはたまらない。
「ええ…と。そうだな…そうだ、ポーズを決めてみたらどうだ?」
「ポーズ…?」
「そうだ。どうせ技の発動など光速の出来事。
しかしポーズはいくらでも長く、何回も、そして派手に出来るではないか」
我ながら良い案だ!
「例えば、どんなのがいいと思う?」
「う…そうだな…とりあえず構えてみろ」
云うと、ミロ率90%の少年がスカーレットニードルの構えをとった。
その片脚をまず持ち上げ、続いて両手を伸ばさせる。
「そう、こんなもんかな。あとは顎を引いて…」
そして完成したのは、クックロビン音頭のような構え、完璧だ。
「わかったな?スカーレットニードルを打つときは、常にこの構えだ」
「わかった!足場がすごく悪い気がするが、サガが云うなら間違いない!」
金髪の少年は嬉しそうにクックロビン音頭を踊り始めた。
「さて、もう良いか?私は教皇に用事があるのだ」
サガのように微笑み、すまなさそうに断ると、カミュらしき少年がはじめて口を開いた。
「すまないがサガ、私も相談があるのだ…」
誰だ、ガキをこんな風に育てた奴は!
子供らしさの欠片もないではないか、あほサガめ!
「ん?どのようなことだ?」
教皇に用事があると云うとるだろうが、と思いつつサガらしい行動をとる。
「聖闘士に必要なものとは何だろうか?」
はあ?
今更そんな問題にぶち当たってしまったら、この先生きていけないぞ。
だが赤髪だからカミュと断定な少年がサガみたいになってしまうのは不憫なので、
「そうだな。平和とアテナを愛する心だ」
自分で云っておいて、吐き気がする。
しかしカミュはそんな俺の頑張りをばっさりと斬って捨てた。
「そんな曖昧なもので戦闘時に勝てるのだろうか…?」
勝てません。
「私が訊きたいのは、戦闘時に役に立つようなものなのだが…」
だったら最初からそう云え。
俺は顎に手を当てて考える、カミュは俺を真摯な眼で見上げてくる。
ふと、まだクックロビンポーズを取ったきっとミロが眼に入った。
「そ…そうだな、戦闘時に大切なのはクールな心を忘れないことだ」
「クール!?」
カミュは何やら衝撃を受けたように目を見開いた。
「そうだ、クールな心だ」
敵の言葉にまんまと踊らされないような冷静さ、聖闘士に必要ぽい。
「クール…クール…なるほど…クールか…」
「わかったな、カミュ?いつでもクールを忘れるな」
カミュの両肩にぽんと手を置いてから、
俺は未だポーズをとるミロとクールと呟くカミュのもとを去った。
続いて闘技場を直進する。
俺をサガと呼んで、雑兵共が頭を下げる姿は愉快滑稽そのものだ。
俺がにっこり笑って、少し声を掛けたなら喜ぶ姿を哀れむ心地さえする。
そうしていると、闘技場出口寸前で名を呼ばれ呼び止められた。
振り返れば、眉毛が何故か丸い少年と、目つきの悪い少年が立っていた。
『眉毛が気になるのが教皇の弟子のムウ、そして三白眼なのがシュラだ』
とサガが云っていたのを思いだし、微笑んでみせる。
「どうした、ムウ、シュラ?」
「相談があるんです」
またか!
「相談?何だろう、私で解決することならば、話してみろ」
「ではまず私から。この眉毛ってはっきり云って変ですよね?」
変だな。
「いいや、そんなことはない」
俺が首を振ると、ムウは冷めた口調で、
「お気遣い有り難う御座います。しかし、変だと云われたのです。
で、腹が立ったので、血を半分ほど抜いてやったら、その人倒れちゃって」
どうしましょう、とムウは全く困っていないような口調で首を傾げた。
そんなお前がどうしましょう、だ!たぶん死んでるぞ、そいつ!
「…棺桶に入れて、何処かに流せ」
云うと、ムウはぽんと手を叩いた。
「ああ、それは良いですね。厄介事には関わりたくありませんものね」
関わりたくないって、お前がやったくせに。
ムウはゆったりした足取りで去っていった。
たぶん棺桶を作りに行ったのだろう、末恐ろしいガキだ。
俺がそう思っていると、今度はシュラが声を掛けてきた。
「俺も相談があるのだが、良いだろうか?」
次から次へと何故こんなにも相談事があるのだ、この聖域は。
サガがやたらとストレスを溜めて帰ってくるのが解る気がした。
「サガ、俺の眼は…その…怖いだろうか?」
怖いな。
「いいや、そんなことはない」
俺が首を振ると、シュラはふっとニヒルに笑った。
「気遣いは嬉しいが、どうも皆には怖がられているらしい。
皆俺と眼が合うと怖がって逃げてしまうのだ。俺は皆と交流がしたいだけなのに」
「そうか…そうだな…」
聖域においてまともそうな少年の悩み事に俺は心を打たれた。
思春期らしい悩み事をはじめて聴いて安心してしまった。
「その眼が問題なのだとしたら…」
「したら…?」
「そうだ。相手の背後から話しかければ良いのではないだろうか?」
「な…なるほど」
「さすれば相手はお前の眼を見て怖がることもないだろう」
「うむ…そうか…そうしよう。これからは常に相手の背後を取る!」
なんか違う気もするが、まあ良いか。
「ではな、シュラ」
「感謝する、サガ」
俺はばさぁっとマントを翻してシュラに背を向けた。
十二宮の階段に差し掛かって出逢ったのは、間違いない、アルデバランとアフロディーテだった。
『でかいのがアルデバラン、薔薇を咥えているのがアフロディーテだ』
と云っていたサガの言葉を思い出す。
特徴としてでかいのは解るが、薔薇を咥えているは正直意味不明だった。
しかし今解った、本当に薔薇を咥えている。
「お前達も何か相談事か?」
俺はサガの偽善100%の笑みを浮かべて、首を傾げて見せた。
するとアルデバラン少年は少し考え込み、横からアフロディーテが彼を肘でつつく。
「うむ…非常に云いにくいのだが、サガ」
「どうした、アルデバラン。正直に云ってみろ、私は怒ったりはせぬ」
ただし相手が俺の場合、サガは俺が本の頁を折り曲げただけでも怒る。
アルデバランは意を決したように、牡牛座の黄金聖衣を呼び、そしてヘッドパーツを俺に差し出した。
「これは…!」
なんと、牡牛座のヘッドパーツの特徴でもある左側の角がぽっきりと折れていた。
「修行をしていて折れてしまったのだ…どうしたらいいだろうか?」
しょぼ!
神話の時代から砕けたことがないとはガセか!?
「こればかりは…ムウに頼むしかあるまい」
俺が云うと、アルデバランは顔をまともにしかめた。
そうだよな、怖いだろうよ…さっきも一人殺ったところだしな、ムウは。
となると、聖衣修復が出来るのは教皇だが…。
「それはもっとイヤだ」
アルデバランはぶんぶんと首を振った。
何故聖衣修復の技術は代々物事を頼みにくい奴等に継承されていくのだろう。
俺があれこれと考えていると、アフロディーテが口を開いた。
「適当にくっつければ良いではないか?どうせ装飾なのだから」
「確かにそうだが」
俺が首をひねると、しかし当のアルデバランはそれもそうだと豪快に笑った。
「サガよ、適当にくっつけるだけで良いのだが」
それでいいのか、黄金聖衣。
「まあお前がそう云うのなら…」
俺は木工用ボンドを取りだして、折れた角の断面とヘッドパーツに塗り込み、くっつけてやった。
「これでよし」
「おお、見た目だけは元通り!」
「本当に見た目だけだがな。故に折れやすい。木工用ボンドだしな。充分に気を付けろよ」
「わかった。わははははは!」
こんな修復の仕方をしたとばれたら、俺の命はないなと思ったが、
まあこのガキがムウや教皇に血を抜かれてしまうよりは良いか。
「ところでアフロディーテ、お前は何か私に用事があったのか?」
「いや、特に。アルデバランの付き添いだが?まあ悩み事がないわけでもないがな」
「そうか。いつでも相談に乗るぞ」
「うむ…そう云うのなら云うが……私は十二宮最後の宮を守護する者だろう。
私が倒れれば、十二宮は突破されたも同然。
もしも私が倒れた場合、なんとかして教皇の間への敵の侵入を止めたいのだが」
アフロディーテが喋る間、俺は彼の口許に釘付けだった。
何故薔薇を咥えたままこいつは喋れるのだ!?小宇宙か?小宇宙のおかげか?
「どうすれば良いだろうか、サガ」
「う…うむ…そうだな…」
アフロディーテの呼びかけに俺は我に返って考える。
「ええと…教皇の間までお前の薔薇を敷き詰めたらどうだ?」
我ながらグッドアイデアだぜ、俺!
「…なるほど…それならば金も掛からぬしな…とてつもなく面倒くさいが」
「園芸と思ってするのだ。ポジティブシンキングを忘れるな。
さて、アフロディーテ、アルデバラン、私は先を急ぐので、もうゆくぞ?」
ふたりに背を向け、俺は階段を登り始めた。
誰だ、こんなに十二宮に階段を造ろうと設計した奴は!
俺は階段を上がりつつ、思った。
今度暇なときにでも直接アテナ神殿へ行ける道を探そう。
その十二宮の階段途中で出逢ったのは悪人面をした少年だった。
『ひねくれ拗ねた奴がデスマスクだ』
と散々な云われようだったサガの言葉を思い出し、俺は彼の名を呼んだ。
「どうした、デスマスク。ひとりで」
「あぁ、サガか」
「お前も何か悩み事か?皆は下にいたが」
こんなに高い確率で黄金聖闘士が悩みを抱えていて大丈夫なのか、聖域。
サガを筆頭に…って、サガは大人しく眠っているだろうか。
「…ガ。サガ…?」
「あ…すまぬ…。それで、どうしたのだ、デスマスク」
「別に。どうして俺が黄金聖闘士に選ばれたのだろう、と思っていただけだ」
「…私もそういう疑問を持ったことは何度もある」
正確には俺は何度も、いや毎日疑問に思っている、何故サガが選ばれたのかと。
黄金聖闘士に、星に導かれ選ばれたのはサガ。
それに比べ俺はなんと惨めな存在だろう。
そんなサガへの嫉妬と同時にもうひとつ疑問に思う理由がある。
何故サガが黄金聖闘士に選ばれてしまったのだろう。
もしも星の宿命などなかったら、俺たちは何かが変わっていただろうか?
俺たちはもっと普通の仲の良い双子の兄弟として暮らせたかもしれない。
何故サガが選ばれた?
そして何故サガはその道を自らも選択してしまったのだろう?
「サガ?」
「…何故そのような疑問を持つ?」
「それは…俺がアテナの聖闘士に相応しいとは思えないからだ。
正義など振りかざしたところで、いったい何が正義なのか俺にはわからない。
人の命を守るために、人の命を奪うこともある。それは果たして正義か?
サガ、結局俺たちがしようとすることも所詮アテナのエゴではないのか?
アテナの正義、アテナが正しいとすることは、何でも正しいと云えるのか?」
デスマスクは云った、こんな俺がアテナの聖闘士とは笑えるだろう、と。
俺は何も云えなかった、笑いもしない、同意もできない。
俺はカノンだが、今はサガなのだ。
サガは言葉が過ぎると咎めるだろう、しかし俺は、俺はカノンなのだ。
俺はアテナの正義とかいうものをこの少年に諭すことなど出来ぬ。
アテナの正義が、俺から全てを、何よりサガを奪ったのだから。
サガを奪ったことを、俺だけの兄だったサガを横取りしたことを正義など云ってやらぬ!
俺とサガを引き裂いたことが正しいなど、そんなことはない、絶対にない。
「サガ…?顔色が悪いぞ。悪かったな、お前にこんなことを云っちまって」
デスマスクは俺の少しすまなさそうにして、立ち去ろうとした。
その彼を呼び止めて、
「正しい正義など…ないのだ。必ず何処かで誰かが傷付き倒れ、密やかに泣くのだ」
しかしそうして埋葬される者が少なければ良いと思う。
そうして隠蔽される者が、大切な人ではなく、俺で良かったと思う。
これはアテナの正義ではなく、俺の正義、俺だけの正しいこと。
呆気にとられたデスマスクを置いて、俺は再び階段を登り始めた。
しかし本当に密やかに泣くことさえも出来ず傷付き倒れるのはきっとサガなのだ。きっと。
「サガ!」
と声を掛けられ振り仰げば、階段の上のほうによく似た兄弟が立っていた。
俺はこいつらを知っている。
星に導かれて尚、引き裂かれなかった兄弟。アイオロスとアイオリア。
俺たち兄弟とこの兄弟、いったいどうしてこんなにも違うのだろう?
俺とサガもこの兄弟のように、双子でなくて、違う星の元に生まれたかった。
そうすれば、今頃俺たちはこの兄弟のように陽の下で笑い合えたかもしれないのに。
「サガ…どうした、調子が悪いのか?」
「いや、なんでもない。教皇にお目通りをしようと思ってな」
アイオロスがまだ心配げに覗き込んでくるので、俺は精一杯サガを真似て微笑んでみた。
「良かった」
アイオロスが云った。
「良かった…?」
「そうだ。最近ずっとお前の笑顔が何処か翳っていたので…心配していたのだ」
やばい、と俺は直感的に感じた。
サガが作り上げてきた何かが見抜かれ、そして崩れると思った。
「しかし今の笑顔を見て安心した。いつものサガだな」
違う、違うのだ!
アイオロスよ、お前は正しい、サガはもう限界に達しているのだ。
今お前が『いつもの笑顔』と云ったものは、俺が造ったサガの作り笑いなのだ。
嘘なのだ、偽物なのだ、アイオロス!
お前が見抜いたその翳りこそが本当のサガなのだ!
「サガ?」
アイオリアが俺の指先に触れてくる。
そこからじわりと汗が沸いた。
アイオロス、お前がサガの僅かの変化に気付いていて嬉しい。
だが、だがな、それがサガを更に壊してしまう可能性だってあるのだ。
やばい、やばい、こいつはやばい!
「寒いのか、サガ?」
アイオリアが触れた指先が震えている。
アイオロスが眉根を寄せるから、俺はもうそこにはいられなかった。
逃げなければ、気付かれる。
気付かれてはならないのだ、今でもギリギリな俺たちをこれ以上揺さぶらないでくれ。
俺はアイオリアの手を振りきり、アイオロスに詫びて階段を駆け上った。
俺とサガはいつだって小康状態、だからそっとしておいてくれ。
何事も問題はない、問題はないのだ!
一気に宮を駆け上がったせいか、俺は教皇宮手前で立ち止まり、荒く呼吸を繰り返した。
違う、こんなにも息が上がっているのは…焦りからだ。
そこでふと気付く。
横手に眼を瞑った少年がいることに。
「シャカ…」
俺が見当を付けその名を呼んだにも関わらず、シャカはじっと俺を見つめるのみ。
「どうした、シャカ」
俺は息を整え、また微笑んでシャカに一歩寄る。
するとシャカははじめて口を開いた。
「キミは誰だ」
「な…何を云っている。私はサガだ」
心臓が跳ねた。
「いいや、姿形、そして小宇宙までもがサガと似ているが、サガではない」
シャカは断言した。
眼を閉じているくせにどうして姿形が似てると解るのだ、こいつは。
薄目でも開けているのか?
「キミは誰だ」
「何度も云うが、私はサガだ」
シャカは閉じた眼で俺の心を覗くように凝視していたが、しばしして、
「すまなかった、サガ」
シャカはくるりと背を向けた。
「サガはいつも酷く哀しい小宇宙をしている」
教皇宮。
長く、本当に長かった道のりを経て、俺はやっと辿り着いた。
人払いをした教皇に跪いたところで、教皇が口を開いた。
「サガはどうした」
「…は。体調を崩しているため、本日は私が参上したまでです」
「極力サガの代わりにこの聖域へ立ち入ることを禁じているはずだが」
「承知しております。しかしサガの不在は聖域にとっても…」
「カノンよ」
教皇が俺の言葉を切るようにして、俺の名を呼んだ。
「お前ではサガの代わりは務まらぬ、そうしておけ。
そうしておくことこそが、お前とサガの最良策なのだ。
お前がサガ以上に‘サガ’となることが出来るなら、聖域はどちらを選ぶか」
わかっているな?と教皇は云った。
わかっているとも、この老いぼれめ。
「今日はもうよい、帰れ。
帰ってサガの看病をしてやるが良いよ。悪い病がサガを狂わすとも知れぬからな」
サガは床に倒れていた。
冷たい床に、俺と同じ色の髪をまるで海のように広げて眠っていた。
「サガ」
眠ったままのサガの胸に頬を乗せてみれば、涙が滲んで零れた。
「サガ」
もう一度呻く。
この名を呼ぶ人間が俺ひとりならどんなに良かっただろう。
この名がついたサガが三人もいるから、救われない。
「カノン…?」
不意に髪を撫でられた。
「私は眠っていたのか…?聖域に行かなくては…」
「覚えていないのか?ほら、風呂場で滑って転んで気絶してたんだ」
嘘、本当は俺が殴って気絶させたのさ。あいつが出てきそうだったから。
「本当に?作り話のように思えて仕方ないのだが。
何より風呂場で気絶したなら、何故今床で寝ていたのだ?」
う…いらんとこにつっこみをしおって。
「それは…そう…俺が運んでやったのだ!服も着せてやった!感謝しろ」
ホント、ちょっとくらい感謝してくれよ、俺の苦労に。
「どうせならベッドまで運んでくれたら良いものを」
「お前、我が儘過ぎるぞ」
「で、聖域はどうした?お前が行ってくれたのか?それにしてはまだ陽が高い…。
アイオロスひとりでは大変だろう…私も行かなくては」
確かにあんな下らないことから殺人までの悩みを負った奴等の相手をするのは大変だ。
だが、
「今日は行かなくていい。教皇が今日は休めと云っていた」
サガが上半身を起こしたので、俺も躰を起こす。
サガが俺を見て、目尻に指を伸ばしてきた。
「何故…泣いていたのだ、カノン」
「黄金聖闘士の死因が風呂場で滑って頭を打ったことなど哀しすぎて」
俺が嫌味たっぷりに笑うと、サガは何も云わず目尻の涙をその指で拭ってくれた。
たぶん気付いている、サガだって何もかも解っているのだ。
だから何もない振りをふたりでする。
サガは風呂場で滑って気絶して、代わりに俺が聖域へ行って、
そしたらラッキーなことに一日休みを貰えてしまった、そういうことにふたりでしておく。
「俺も今から風呂場で転んでこようかな」
「何故?」
「ベッドに運んでもらえるから」
サガの右肩に両手を置いて、囁く。
サガは俺の両手の上に左手を置いた。
「服は着せてやらぬぞ?」
「風邪を引いてしまう」
「そうすればまた休みを頂いて、看病をしてやろう」
「とりあえず今は折角の休みを満喫しよう」
「風呂場で転ぶのは時間の無駄だな」
サガが俺の好きな笑い方をする。
俺はサガの左手の上に頬を乗せた。
「運んでくれよ、兄さん」
偶には俺のために苦労してくれよな。
サガに抱き上げられて、俺は上機嫌で今日解決してやった悩み事を話した。
するとそのままベッドの上でイイコトをするどころか説教されしまったのは、また別の話。
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