カノンカノン
いつものように街から買い物を終え帰ってくると、玄関の扉の前にそれはいた。
「なっ、なっ、なんじゃこりゃー!」
思わず荷物をバタバタと取り落とす俺・カノン28歳、独身。
だというのに、缶詰の転がった先には俺そっくりの子供がいた。
年の頃なら十前後、癖の強い長い髪に、おそろしやスニオンルック。
まさか俺の子供とかいう昼メロドラマのような展開ではないだろうな!?
ああ、しかし覚えがないわけではないというか、ないわけじゃなくて、ないわけじゃ…。
冷汗をだらだら流しつつ、俺はとりあえず次の行動に出た。
「来い!とりあえず来い!」
俺は俺そっくりの子供の手を取り、急いで家の中へと入った。
だがしかし、当たり前だが事態は一向に好転しない。
俺はソファに座らせたガキを少し遠くで観察しながら、まだ冷汗を流していた。
よくよく考えてみれば家の中に連れ込んだのは事態の悪化を招くのではないだろうか。
なにせこの家にはあのサガがいる。
今は丁度出掛けているようなので助かったが、とそこまで考え、ふと思いついた。
まさかこのガキはサガの子供なのではないか、と。
サガに子供がいたという展開はちょっとまあそのたいへん微妙な心持ではあるが、
俺に子供がいるよりかは良い!
何て云ってもサガに怒られないで済む!
「おい、お前」
俺は何処か不遜な態度のガキの前にしゃがみ、サガもびっくりな強張った笑顔を作り、問うた。
「お前はいったい誰なのだ?サガの子供なのか?」
そう一縷の望みを掛けて云ったが、
「俺?俺はカノ…」
「ああああ、やっぱり俺の子ー!?」
俺は頭を抱えてその場で蹲った。
母親はいったい誰なのだろうと無責任と思いつつ、記憶を蘇らせる。
しかしこれだけ俺に似ているということは、きっと相手の女はサガに似ていたのだろう。
俺ってばサガに似ているという理由で女を選んでいたのかと更に自己嫌悪に陥る。
その時であった。
「カノン!カノン!」
玄関からサガの怒鳴り声。
「ヒー!帰って来た!帰って来てしまったぞ!」
おろおろ。
やばい、やばいぞ、怒られる!
「よし、とにかくお前は何処かに隠れろ!」
俺は多分その時は気が動転していたのだろう、ガキを自分の背後に隠した。
明らかに絶対隠せてない。
「カノン!いるなら返事くらいしろ」
サガの声が近づいて来て、俺は軍隊のようにハイと声を張って返事をした。
そしていよいよ姿を見せるサガ大明神さま。
サガは手に俺が先ほど玄関前で落とした買い物の一式を持っていた。
「カノン。お前は満足に買い物も出来ぬのか…って…」
サガの目が俺の背後へとそそがれる。
俺はガキを必死に後ろに隠しながら、笑顔を作った。
「どうした、サガ?何かおかしな点でもあるというのか?」
「おかしな点というか、私には子供が見えるぞ」
「そっ…それは心霊現象だ!昔から霊媒体質で、俺はいろいろと憑かれてるみたいなのだ。
サガにも見えるのだな!さすが双子だな!」
「何をバカなことを云っている。そこをどけ、カノン」
「どけと云われても、えっと、ここに置いたゴキブリホイホイに足が取られて動けぬのだ!」
「そんなひ弱な黄金聖闘士があってたまるか!」
サガがぐいと俺の背後へと腕を伸ばす。
俺はガキを更に隠そうとしたが、なんてこった、ガキは自らサガの前に飛び出した。
「あっ、このクソガキ!」
「な…っ」
サガもガキを目の前に絶句する。
そうして次に紡いだ言葉は、
「いつお前は私の子を生んだのだ!?」
「あほかー!!」
俺はすぱこーんとサガの頭を殴った。
次の瞬間には蹴られて、腹を何度も踏みつけられた。
「…なるほど。
この子はお前の子でも、私の子でも、お前が生んだ私の子でもないことは確からしい」
漸くテーブルを囲み、話し合いは始まった。
謎のガキはサガが与えたジュースを飲んで大人しく座っている。
「ではいったいこのガキは誰だというのだ?」
何度見ても、このガキは俺たちに似すぎている。
いや、似ているというよりも十歳前後の俺たちの容姿そのものと云ってもいいくらいだ。
サガは目線をガキまで下げて、お得意の微笑を浮かべて問うた。
「なあ君、君の名前を教えてくれぬか?」
ガキはサガの顔をしばし見つめていたが、コップを置いてぼそりと答える。
「俺はカノンだ」
思わず顔を見合わせる俺とサガ。
この子供がカノンならば、いったい俺は何だというのだ。
ガキは困り果てる俺たちを交互に見やって、最後にサガのほうを向いた。
「アンタがサガ?」
サガがそうだと頷く。
「じゃあこっちのちょっとアレなほうが未来の俺というわけか」
「ちょっとアレとはなんだ、アレとは!」
「いや待て、ちょっとアレなカノン」
「誰がちょっとアレだ!」
「ええい、とにかく少し黙れ。今この子はお前のことを未来の自分だと云ったぞ」
「…ということは…」
導かれる結論はひとつ。
この子供は過去から来た俺、十歳のカノンそれなのだ。
「だが、いったいどうやって…」
過去の自分だと思えば、この不遜さも何処か斜に構えた風も可愛らしく見えてくる。
俺はクソガキ改め子カノンとサガを交互に見やった。
サガも子カノンを見つめ、首をかしげるばかり。
「…うーむ…考えられるとしたら、私たちが操る異空間への干渉の技が暴発したとか…」
そこで子カノンが仮説を確証付ける。
「俺、ここに来る寸前にアナザーディメンションの練習してたぞ」
「そして失敗したのか…」
はあと溜息を吐いたのはサガ、どうして俺を見て吐くのだ。
俺が失敗したわけではあるが、俺が悪いのか!?
「つまりアナザーディメンション失敗による時空の穴に落ち、
しかし運良く未来の自分の許へ辿り付く事は出来たということだな」
サガが子カノンを見やる。
子カノンは大きくひとつ頷いた。
「うん。そうみたい」
「で、どうするのだ、サガよ。もう一度時空の穴へ放り込んでしまうか?」
「お前…自分のことだというのにどうしてそう乱暴に出来るのだ。
しかもまだこの子は子供なのだぞ、無事元の時間軸へ戻れるかも解らぬ」
そのサガの袖を引っ張ったのは子カノン。
「なあサガ、サガ」
サガはすぐに笑顔で対応。
「なんだ?」
「俺、腹減ったのだが、ご飯食べたい」
「アホか、過去の俺!今はそれどころではないだろう?
お前をどうやって元の時間へ戻すかを考えねばならんのだぞ」
なあ、とサガを振り向くが、しかし、サガは妙に甘い顔つきであっさりと俺の意見を否定した。
「まあ待てカノン。考えることは昼食をとりながらでも出来るだろう。
で、小さなカノンよ。何か食べたいものはあるか?」
その言葉に子カノンは少し戸惑ったような顔をしたが、
すぐに気を取り直してオムレツとか可愛いことを云いやがった。
サガはくしゃりと子カノンの頭を撫でて立ち上がる。
「よしよし、オムレツだな。こっちのカノンと少し遊んで待っていてくれ」
そしてサガの背を見送り、振り返った子カノンは悪魔のようだった。
「サガー!サガっ、サガ!」
俺は昼飯を作るサガがいるキッチンへと駆け込んだ。
「聞いてくれ!あいつ、あのクソガキ!とんでもない悪ガキなのだ!」
「知っている。何を今更当然のことを」
だがサガは至って冷静。
三つ目のオムレツを華麗にフライパンから皿へと移しながら、いったい何をした?と云う。
「それがもう手もつけられん悪ガキでな!床に落書きをするわ、カーテンにぶら下がってそのまま破くわ、
ソファで跳ねまくるわ、あと俺によじ登ったり、叩いてくるのだぞ!」
「なんだ、可愛い悪戯ではないか」
「どっこっがっ、可愛いのだ!」
「可愛いとも。
あれくらいの歳以上のお前になると、悪戯レベルでは済まされなかったではないか」
「うっ…いや…それはそうかもしれんが」
「さて、昼食にしよう。カノン、カノン、ごはんだぞ」
サガがリビングで俺の財布から金をちょろまかしていた子カノンを呼ぶ。
おのれ、自分!
だがやって来た子カノンはサガに手を洗うように云われれば、素直に手を洗う。
きちんと「いただきます」も云えば、大人しくオムレツを口にする。
この態度の違いはいったい何なのだ。
もしゃもしゃとオムレツを食べながら、俺はなんだかとっても気分が悪かった。
おまけにサガもサガで子カノンを甘やかして仕方ない。
「カノン、美味いか?」
「はあ?いつもと同じ味だろう」
「大きなカノンには訊いておらぬ。私はこっちの子カノンに訊いているのだ」
もう一度美味しいか?と問えば、子カノンは小さくこくりと頷いた。
満足顔のサガ。
なんだよ、俺だって訊かれれば三日に一回くらい美味しいって云っているではないか。
「子カノン。随分と散らかしたようだが、それは良いことか?」
「……」
「よしよし、それでは午後から私と一緒に片付けような」
また小さく頷く子カノン。
サガはにっこり。
俺は声を上げた。
「サガ!騙されるな!こいつはこんな素直なガキではないぞ!
きっと俺のことだ、内心サガなどちょろいわ!とか思っているに違いない!」
「なるほど。お前がやたらと可愛く甘えてくるときにはそう思っているのだな」
「しっ、しまった…!」
墓穴だ。
俺は再び頭を抱えた。
サガと子カノンは俺を無視。
「さあ小さなカノンよ、あのようなバカなカノンにならぬためにも掃除の後には、本を読んでやろうな」
「うん。俺はもう少し賢くなったほうが良いと今真剣に切迫して感じた…」
「むっ、ムカツク!」
何故自分にまでバカにされにゃならんのだ。
おまけにそうやって俺をバカにすることで、
自分をバカにしていることに気づかない子カノンのおバカさにも落ち込む、俺のバカ。
オムレツを食い終わり、俺は無言で席を立った。もう付き合っておれん。
何処へ行くのだ?と問われたが、寝るとだけ答えた。
枕元のデジタル目覚まし時計を見やれば、夕方の4時。
どうやら本当に眠っていたらしいと体を起こし、寝室を出る。
そうしてリビングに行けば、酷い惨状だったそれが元通りの片付いた部屋になっていた。
ソファには本を読むいつものサガ。
そのサガの膝には片付けに疲れたのかぐっすり眠る小さな俺。
「起きたのか」
「ああ。…そいつはまだ眠っているみたいだが」
向かいのソファに腰掛けながら様子を伺えば、なんとも無邪気な顔をして眠っていた。
「こう云うとナルシストみたいだが、可愛いもんだな」
云うと、サガは笑った。
「ああ、可愛いな。実は私も今日漸く気付いた」
本を置き、子カノンの髪を撫でる仕草は何処までもやさしい。
「だがどうしようもない悪ガキだ」
「それは前から知っている。けれどカノン、この子はそれほど悪い子ではないよ。
…それも今日気付いたことだがな」
サガの眸が細まり、また髪を梳く。
なにやら妙に居心地が悪くなって、俺が話をどうやってこの子を帰すかにしようとした、
まさにその時であった。
頭にドカンと衝撃。
「いってえ!」
思わずふらつく俺の目に映ったのは、またもや俺そっくりな子供。
むしろサガの膝で驚いたように目を覚ました子カノンにそっくりな子供。
最初に行動を起こしたのは子カノンだった。
「サガ!」
立ち上がり、その子供をサガと呼ぶ。
俺の頭の上に落ちてきた子サガはとりあえず俺のことは完全無視の方向で、
つかつかと子カノンに歩み寄った。
「このバカが!こんなところで何をしているんだ!」
「見てわかるだろう、寝てたんだっ」
ああ、我ながらバカな答えだな、俺。
やや呆然と大人の俺たちが見守る中、子供たちは喧嘩を始めてしまった。
「…さあ帰るんだ。アナザーディメンションも使えないなんて…お前は…」
「だってサガは一度も俺にきちんと教えてくれないではないか!」
「それは私にも時間の都合があって」
それでも子サガが子カノンに手を差し出す。帰ろうという意思を込めて。
けれど、子カノンは音を立ててその手を振り払った。
「俺は帰らぬぞ」
云って、大きなサガの足へと抱きつく。
「俺はこっちのサガの方がいい。お前なんかより、こっちのサガの方がいい!」
その言葉に戸惑いを見せる子サガ。
「なにをバカなことを」
けれど子カノンはまくし立てる。
「だって。このサガは俺に昼飯を何にするかって訊いてくれた。
お前は俺に訊いてくれたことがあったか!?お前はいつも自分が食いたいものを俺も食いたいと思ってる。
それに俺がしたことを悪いこととは決め付けなかった。
俺にちゃんと訊いてくれた、それが悪いことなのかどうか。
お前は俺がすることを全て悪いことだと最初から決め付けてる」
「カノン…」
「お前なんか要らない。俺は帰らない。
俺を連れて帰りたいのなら、そっちのちょっとアレな俺を連れて帰れっ」
…おい。
「……」
「……」
子カノンがサガの裾を掴む手は震えていた。
そして子サガが子カノンに差し出したまま空に留まる手も震えていた。
口を開いたのは大人サガだった。
「カノン。お前の兄は私ではない」
床に屈んで、子カノンの手をゆっくりと、しかし確実に外してゆく。
「お前の兄は、あの小さな私なのだよ。そうして私の弟はあそこにいるちょっとアレなカノンだ」
いい加減にそれ止めろ。
「カノン。私はあまり良い兄ではないみたいだ。
お前の中に隠された想いに、この歳になって漸く気付くほどに。
カノン、どうかあのもう一人の私にも気付かせてやって欲しい」
傍にいて欲しい、とサガが子カノンを子サガへと促す。そうしてその背を押した。
「どうかあの私の手を取ってやってはくれないか」
子カノンが子サガを見つめる。
子サガははじめて眸を揺らした。
「お前を…探していたのだ、ずっと」
その言葉におずおずと子カノンが手を子サガへと伸ばす。
そして二人の手は結ばれた。
とりあえず未来の記憶を持ったままではまずいという大人サガの意見から、
子供たちの記憶を弄って、アナザーディメンションに放り込んで、一息。
「結局乱暴な手段を使ってしまったが、あれで良かったのだろうか…」
そんな俺の問いにサガはソファに深く腰掛け、また読書を始めながら答えた。
「今私たちが生きているということは、無事帰ったということだろう」
「なんちゅーアバウトな」
俺もサガの横に腰掛け、その膝の上に頭を乗せて寝転んだ。
サガが苦笑する。
「自分にやきもちを妬いてどうする」
「そんなんじゃない」
でも強く否定できないところがミソ。
「帰さなければならないとは解っていたが、胸が痛むよ」
俺はサガの本を取り、床に落としながら呟く。
「あいつらはこれから苦難の道を歩まねばならない」
「けれどカノン、その苦難と別離を乗り越えてこその今なのだよ」
サガの手が降ってくる。
俺は眸を閉じた。
「…あいつらも早く俺たちみたいになれたらいいな」
サガの手が頭を撫で、その指が髪を梳いてくれる。
なれるさ、きっと
サガのやさしい手付きがそう云った気がした。
|
|