2020.01.02



 元旦の朝、お屠蘇を頂いた後、外の郵便受けに届いた年賀状を取りに行くのは毎年決まってサスケの役目だった。
 幼いいつの頃からかそうなっていたこの家の習わしは、サスケが十三になった今も途切れることなく続いている。
 午前八時前、今年もサスケは注連飾りをしつらえた玄関の引き戸を一番に開いた。
 ひやりと張った冷たい冬の空気が頬に触れる。部屋着に半纏を引っ掛けただけの首と肩を思わず竦め、白い息を吐いた。
 ただ年の瀬に降った雪は今朝になってようやく一休みしたらしい。年明けの清澄の空のやや遠くには里の子供らが早々と興じる凧が幾枚も揚がっている。
 サスケは雪景色に緑が映える門松の脇、雪を冠る郵便受けを覗いた。
 さすが名門一族の長の家柄だけあって、年賀葉書がどさりと入っている。
 こんな相手方の手元に届くのに幾日も要するような伝達手段が忍の里に果たして必要だろうかと首を傾げる一方で、旧くから受け継がれる人の慣わしが全く廃れてしまうのは残念だとも思う。
 とはいえサスケ自身は筆無精だった。
 億劫で一枚も書いていない。が、どうせ同輩たちも同じようなものだろう。
 大方父宛の届いた年賀状の束を手に家に戻ろうとした、そのときだった。
 頭上でする鳥の羽音に気が付く。
 見上げると、兄が使役する烏が「かあ」と一声鳴いて、サスケの肩に問答無用で降りてきた。
 暗部の兄は年の暮れから松の内まで長く家を空けている。
 父はいい顔をしなかったが、兄は「任務ですので」としれっと告げて出ていき、それきりだ。以来、何の音沙汰もない。
 その兄の使い烏はどうやらいずこかの遠い任地から兄の文を携えてきたようだった。脚には妙に膨らんだ文が不格好に結ばれている。これではさぞ飛び難くかろう。
 烏も不機嫌に早く取れとばかり「かあかあ」と再三再四鳴いてサスケを急かす。
「おれじゃなく、 文句は兄さんに言えよな」
 八つ当たりをされ、むっとした。
 とはいえ、そのままにしておくわけにもいくまい。サスケは一度年賀状の束を郵便受けに戻し、彼の脚から文を解いてやった。
 途端、烏はこれでお役御免と言うかのように大仰にばさりと羽を広げ、羽ばたき一つ、郵便受けの上に飛び移る。
 とんだ恩知らずな奴だ。
 そう憤るが、澄まし顔で羽繕いを始める烏相手にむきになっても仕方がない。
 サスケは兄からの文を開いた。
 そこには兄の筆跡で、好きなものを買うといい、とあり、小さな包みがもう一つ無理に押し込まれていた。
 妙な膨らみはこれのせいに違いない。
 摘まんで手に取り、その大きさと重さに中を改めずともぴんときた。
 お年玉だ。
 兄は毎年欠かさず正月には「好きなものを買うといい」と言ってお年玉を寄越してくるのだ。
 いくらイタチが九つの頃から忍として給金を得ているといっても、サスケにとっては五つ上の兄は兄だ。
 お年玉を貰うのはなんだか歳の差以上に子供扱いをされているようで気に入らない。
 それで毎年「いらねーよ」と断るのだが、拒んでも拒んでも結局は兄に強引に取らされてしまう。
 今年はサスケが下忍になったのを機に両親ですらその辺りは大人扱いをしてくれるようになったというのに、まさかこんな毎年の「一方的」に更に輪を掛けた渡し方をしてくるとは思ってもみなかった。
 そのうえ、手のひらに包みを開けてみれば、例年はそれなりだった額が今年は僅かの小銭ときたものだ。
 これでは子供騙しの駄菓子かうちは煎餅を一枚か二枚買えるくらいではないか。
 全くあの兄は弟のサスケにも読めない。
 どういうことだと傍にはいない兄の代わり、サスケは郵便受けの烏に視線を巡らせる。
 そういえば常なら用が終わるや否や、とっとと主の許へと飛び立つ彼がこうして留まるのは珍しい。
 そこであっと気が付いた。
 年賀葉書の束を持って家に引き返し、台所でちょうどおせちのお重を出していた母に渡す。それから、少し出掛けてくる旨を伝えた。
 もうすぐに朝食で、お昼からはお客様がたくさんいらっしゃるんですからね、せめて着替えてちょうだいと言われたが、それはまあ後でも間に合う。
 本当にほんの少し、そこの角のうちは煎餅に行くだけだ。
 店は休みかもしれないが、サスケが顔を見せればあの気のいい老夫婦はきっと戸を開いてくれるだろう。
 老夫婦が営む「うちは煎餅」は煎餅だけでなく、確か年賀状もいくらか売っていた。
 草履を突っ掛け、烏が一休みする郵便受けの前を通り、サスケは兄への葉書を買うため、まだ真っ新なうちはの雪の小道を往く。


2020.01.02
1月2日の夜は初夢の夜。
兄弟はいったいどんな夢を見るのでしょう。

式(文)