アラン・ゲイブリエル×エンジェル

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 デートの約束は決まって必ず水曜日。
 午前10時に待ち合わせのところ、彼女が現れるのは意地も手伝っていつも20分遅れ。
 「待った?」と問われれば「30分は待ったね」と答える。
 そんなことで彼女は満足するのだから、案外可愛らしい。



 ごめんなさいの一言もそこそこに、若しくはなしに、「さあお手をどうぞ、お嬢さん」
 まずは少し早めのランチといこうじゃないか。
 すぐに朝を抜く君だから、きっともうすぐぐぅと鳴るぞ。
 すると彼女は「あなたがそんな人間の空腹感を覚えているなんてね」と否定はしない。
 嗚呼、欲望に忠実な君よ!



 ランチのお値段は女性定価=男性定価×0.7。
 でも何にせよ君の支払いは二進法に置き換えたところの0。
 俺が1。
 随分と非常識なその君はこんなところでのみ常識人の振りをする。



 もちろん街のシネマも水曜日には君にやさしい。
 レディースデイ、この世の娯楽はご婦人方のもの。
 だがやはりここでも君は0、俺が1。
 今日の君の化粧はいつもより薄いのだとシネマの途切れ途切れの光で気付いた。



「とかくこの世は女が優遇されている」
 そう云って彼女の細い腰を抱き寄せれば、彼女は「そうよ」と俺の首にその腕をするり。
「この世界は女に都合良く出来ているの」
 「男以外はね」と君が少し濡れた吐息で付け足すのは、この指先が焦らすせい





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 その人には少し変わった癖がある。
 時々わたしに向かって独り言を云う癖だ。
 わたしはただ黙ってその人の傍でその人がぽつりぽつりと話すことを聞くことしかできない。
 その人はいろいろなことを話してくれた。
 お仕事のこと、お仕事で出会う様々な人のこと、そして異国のお話。
 異国には大きな街があると云う。
 ここからの眺めとはきっと違うのでしょうねとわたし色のスーツを纏ったその人は、その日を最後にわたしの前から姿を消した。
 そうしてその人がいなくなった部屋でわたしは独り命を終える。



「あら、いけない。これではダメね。修正が必要だわ」



 その人には少し変わった癖がある。
 時々わたしに向かって独り言を云う癖だ。
 わたしはただ黙ってその人の傍でその人がぽつりぽつりと話すことを聞くことしかできない。
 その人はいろいろなことを話してくれた。
 お仕事のこと、お仕事で出会う様々な人のこと、そして異国のお話。
 異国には大きな街があると云う。
 ここからの眺めとはきっと違うのでしょうねとわたし色のスーツを纏ったその人は、その日にわたしをある人に預けて異国へと旅立って行った。



 エンジェルはアランの腕に抱かれた何の変哲もない鉢植えの花が枯れているのを見て、少しだけ怒って問うた。
「あれだけ水遣りを忘れないでと云ったのに、どうして枯らしてしまったの」
 だがアランは涼しく答えた。
「命あるものには、いつか命が尽きる日が訪れる」
 さあご覧!とアランは腕を広げた。
 エンジェルは目を見張る。
 全ては墓地だった。世界の全てが墓地だった。白石の墓標が果てまで続いている。
 ガシャンと地に落ちて砕ける鉢植え。崩れる乾いた土。屍を晒す枯色の花。
 エンジェルは「ここは何処?」と頭を抱えながら叫んだ。
 だがアランは整然と並ぶ墓標の間を気取った足取りで歩む。
「君が夢に微睡んでいる間にも生命には轟々と時間が流れている。君が過去と戯れているその時にも生命には粛々と時間が流れている」
 たとえば彼、とアランはロジャー・スミスの名が刻まれた墓標に片腕を乗せた。
 エンジェルは微かに首を振る。
「嘘よ。だって彼は生きていたわ」
「それはいったいいつのことだ」
 アランは次の墓標を指先でこつこつ叩く。
 刻まれた名はアレックス・ローズウォーター。
 エンジェルは大きく首を振る。
「嘘よ!だって彼は生きていたわ!」
「それはいったいいつのことだ」
 神さえ人間として現出した限り死ぬのだとアランはゴードン・ローズウォーターの墓標を示した。
 エンジェルは地に立つ脚を震わせる。
「ああ、ここは何処なの?いいえ、ここはいったいいつなの?いったいあれから何年、いいえ何十年、何百年経ってしまったというの?」
 でも私は変わらない、とエンジェルは己が身を抱いた。
 アランは墓地を廻る。
「未来は不確定要素に満ちている。未来は変容の可能性を持っている。では確定されたものとは?変容不可能なものとは?」



 メモリー。
「お前のことだ、340号!」



「だが君は確定を覆そうとした。変容を望んだ」
 アランは枯れた花を拾う。
「誰かがかつて見た過去という夢を少しずつ少しずつ変えていった」
 乾いた土を集める。
「君はメモリー。君こそ過去。未来を創る力のない君は少しずつ少しずつ誰かのメモリーを改変していった」
 一度目は枯れた花。
 二度目はアランに預けた花。
「しかし、所詮君が微睡めるのは夢。君が戯れることが出来るのは過去。君がそうしている間にも、全ての生命には轟々と、粛々と時間が流れ、やがては終わりがやってくる」
 どれほど水を遣ったとて、いずれ花は枯れる。
 エンジェルは割れた鉢植えの傍に自らも崩れ落ちた。
 だがその姿は変わらない。変われない。
「君は時間の流れを失った過去。確定された変わらざるもの。永遠。生命は時折過去を夢見て、だが未来へ進み行く」
「いやよ」
 エンジェルは叫んだ。
「いやよ、そんなのはいや。どうしてみんな私を置いて行ってしまうの?私は寂しい。私は寂しいの!」
「そう」
 アランはエンジェルの頬を機械の手で撫でた。
「君はただ寂しかっただけだ」
 だから人の振りをした。
 だから人としての存在を許される場所を作るため過去を変えた。
 そう云うエンジェルの瞼をアランの指がまるで幕を下ろすように撫でていく。
「おやすみ、エンジェル」
 お前は夢を見続けることが幸せなのだ。
 眠りに入るエンジェルの傍で枯れた花が色付きを取り戻す。



 エンジェルはアランに問うたことがある。何故半機械になったのか、と。
 アランは問われてこう答えた。
「アンドロイドでもロボットでもいけない。あれは主人の意思なく生きることが出来ないものだから。しかし俺は機械であり人だ。永遠たる機械の肉体を持って、俺の意思で生き続けることができる」
「永遠の命を望むなんて、あなたも意外とくだらないのね」
 エンジェルがそう云うとアランは謎めいた微笑をしたが、その意をエンジェルが知ることはない。





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 記憶喪失の街。メモリーエラーの警告ランプが点滅する。
 だが時折メモリーは亡霊のように蘇る。
 俺の悪夢は26年前に再生された。
 天高くそびえる時計塔の螺子巻き職人が時を刻む針を正そうとするが、俺には最早時計の針そのものが見えない。
 デジタル時計の表示は常に「99:99」、この世界に存在し得る筈のない時を永遠に示すばかり。
 或いはそれは超時間。
 一次元、二次元、三次元、だが四次元が失われた神の実験場。
 モーリッツ・コルネリス・エッシャーのトロンプ・ユイルのような迷宮。
 繰り返し訪れる生と死。
 99回生まれたならば、99回俺は死なねばならない。



 これは映画フィルムだ。
 古びたそれは繰り返し再生されている間に擦り切れ、一部が欠損し、在る筈のない女が紛れ込んでいる!



 この世界は虚構であり、再生されたフィルムに過ぎず、
「この街にメモリーはないんだ、最初から」



 この世界こそがメモリー!



 悲劇を演じる女は口許を狡猾に吊り上げる。
 そんな女が俺の女だ。
 98回も狡猾に笑った女だ。
 99回目にはその顔を歪ませ、泣かせてやりたい。
 そんな女が俺の女だ。



 ロジャー・スミスよ、交渉するな。
 そんな映画の再生を決して許すな。
 時計の針を取り戻せ、00:00を怖れるな、実験場を出よ、迷宮を脱せ。
 嗚呼、ロジャー・スミスよ、交渉するな。
 俺は99回も女の我が儘のために死にたくはない!



「お前を殺さなければ俺の悪夢は終わらない」
 銃口は羽根をもがれた細い背中に。





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 Scene 15。
 あなたと記憶喪失の街で再会した、あのときも。


 Scene 21。
 あなたがアンドロイドを破壊しようとした、あのときも。


 Lost Scene 1。
 あなたと砂漠ではじめて出会った、あのときも。


 Lost Scene 11。
 あなたがわたしをはじめて340号と呼んだ、あのときも。


 Lost Scene 111。
 あなたがわたしをはじめてエンジェルと呼んだ、あの日さえも。


 Scene 27,AM。
 「あなたはわたしを消去できたはず」


 Scene 22。
 あなたはどうしてアレックス・ローズウォーターを撃たなかったの?


 Scene 27,PM。
 「あなたはまるでそれが決まりごとのようにわたしを消去しない」


 Scene 22。
 あなたは撃ち抜こうとしたアレックス・ローズウォーターのその向こうに、いったい誰を見ていたの?


 Scene 0。
 あなたはわたしにお前は夢を見続けることが幸せなのだと云ったけれど、
 あなたはお前を殺さなければ俺の悪夢は終わらないと云ったけれど、


 Scene 27,notice。
 「わたしを永遠に消去できないあなたこそが、メモリー<過去>を望んでいるんだわ」


 Scene 24。
 わたしはあなたに宣告する。
 「夢を見ているだけの男。永遠に夢に中にいなさい」


 Scene 27,AM・Scene 27,PM・Scene 27,notice・そして挿入されるScene 0の断片、それらを経て、全てはLost Scene 1、砂漠での出会いに巻き戻る。





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 デートの約束は決まって必ず水曜日。
 ある人に預けられていたたわたしはその日漸く彼女と再会することになった。
 午前10時に待ち合わせのところ、彼女が現れるのは意地も手伝っていつも20分遅れ。
 「待った?」と問うて、彼が「40分は待ったね」とを答えれば彼女は満足するらしい。



 ごめんなさいの一言もなしに、「さあお手をどうぞ、お嬢さん」
 まずは少し早めのランチといこうじゃないか。
 すぐに朝を抜く君だから、きっともうすぐぐぅと鳴るぞと彼が冷かす。
 すると彼女は「あなたがそんな人間の空腹感を覚えているなんてね」と否定はしない。
 嗚呼、欲望に忠実な貴女よ!



 ランチのお値段は女性定価=男性定価×0.6。
 でも何にせよ彼女の支払いは二進法に置き換えたところの0。
 彼が1。
 随分と非常識なその彼女はこんなところでのみ常識人の振りをする。



 もちろん街のシネマも水曜日には彼女にやさしい。
 レディースデイ、この世の娯楽は女性のもの。
 だがやはりここでも彼女は0、彼が1。
 今日の彼女は化粧をしていないのだとシネマの途切れ途切れの光で彼は気付いた。



「とかくこの世は女が優遇されている」
 そう云って彼女の細い腰を抱き寄せれば、彼女は「そうよ」と彼の首にその腕をするり。
「この世界は女に都合良く作っているの」
 「あなたさえもね」と彼女が少し濡れた吐息で付け足すのは、彼の指先が彼女を焦らしたりはしないから。



 わたしの名はブルーベル。異国の砂漠に咲く青い花。

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